第6話 宴と処刑
「ナナセ、この豚肉の燻製は食べた?」
「あ、うん。もらった。お肉の燻製って、いい香りなんだね」
「これはね、特別良い木材の煙で燻らせてるんだよ」
数時間後、七瀬はディオグのすぐ横に座って夜の宴に出席していた。
ディオグが敬語は無しで話そうと言ってきたので、七瀬はタメ口で食事トークをすることになった。
宴の会場は、壁に囲まれた広い中庭のようなところである。
七瀬とディオグのいる上座には屋根も床もあったが、それ以外の人々は地面に座椅子のようなものを置いて座っていた。
下座にいるのは官吏や武人で、皆それなりに立派な身なりで飲み食いしている。
頭上には藍色の空が広がっていたが、宴の明かりで星はよく見えなかった。
リウンは、七瀬とディオグとは離れた壁際に他の武人と一緒に立っていた。王であるディオグがいるからなのか、より一層伏し目がちで緊張しているように見えた。
そしてそのすぐ横を見ると、リウンとよく似た背格好の青年がいたので七瀬は驚いた。
(あれ? リウンが二人……ではなくそっくりさん?)
その青年は、顔の造りや体格はまるで兄弟みたいにリウンに似ていた。
しかし持っている雰囲気は正反対で、禁欲的な感じのするリウンに対してその青年は軟派で軽薄そうな人物であった。髪の結い方は緩く、片耳にはピアスのような飾りをつけ、服も同じ形であるはずなのに着こなしがどことなく崩れている。
「あれはキエンだよ。リウンの従兄弟で、僕の側近。並べるとなかなかいい眺めでしょ」
七瀬がその青年を見ているに気づいたのか、ディオグが軽く紹介した。
確かに思い出してみると、その青年は最初の謁見の際にディオグの側に控えていた人のような気がした。そのときにはまったく、リウンに似ているとは気づかなかった。
「従兄弟かぁ。だから似てるんだ」
納得した七瀬は、蒸した餅を食べながらうなずいた。
お茶と一緒に出されたお菓子と同じように、宴の料理も美味しかった。七瀬はこのままだと、二週間後の自分は大幅に体重が増えているような気がしていた。
(食べてばっかりっていうのはやばいし、どっかで体動かさないとなぁ。この時代のスポーツって何だろう。乗馬?)
七瀬は二週間何をして過ごすかについて、薄っすらと考えた。帰りたいのはやまやまだが焦っても早く帰れるわけでもなさそうなので、いっそ有意義な滞在を目指そうかと思った。
いろいろ思案しながら、七瀬は青く透明な石でできた杯に入った飲み物を口にした。
甘くて濃いその液体は、おそらくお酒だと思われた。だが異世界なら未成年の飲酒もセーフだろうと考え、とりあえず飲む。
頬をほんのりと紅潮させたディオグは、上機嫌に七瀬に話しかけ続けた。
「そういえば、リウンはどう? 気に入ってもらえたかな」
ディオグは、料理の味について尋ねるのと同じテンションで、リウンについて感想を求めてきた。
率直に言うなら顔が好みだというのが一番の感想であるが、それではあんまりなので七瀬は何とかして無難な答えを用意した。
「えっと、まぁ、普通に優しいし、いい人だと思うけど……」
その答えにディオグは小さく笑い、さらりと言った。
「そう? それなら良かった。何ならもし君がそうしたいなら、夜の相手をさせてもいいけど」
「……っちょ、ちょっと。あの、何て?」
「夜の相手」という単語にぎょっとした七瀬は、思わず飲んでいたものを吹き出しそうになる。
だがディオグはそれをフリか何かだと思ったのか、そのまま続けた。
「あ、もしかしてやっぱり、そういう関係になるなら違う感じの相手がいい? キエンみたいないろいろ慣れてる種類の人間の方が良かったかな。どんなのが趣味か言ってくれれば、用意するけど」
ディオグは明らかに、リウンやキエンを肉体関係を結ぶ相手として七瀬に提案していた。選ばれる者への考慮は、一切なかった。
七瀬はやんわりと、その申し出を断った。
「私、そういうのは今のところ必要ないから……」
「そうなの? 残念だなぁ」
ディオグが仕方が無さそうに肩をすくめる。
(やっぱりディオグって王様だからなのか何なのか、発想がおかしい……)
日本の女子高生には理解しがたいおもてなしに七瀬が困っていると、女官が次の料理を運んできた。
「川魚の酢漬けでございます」
女官は七瀬とディオグの前に並んだお膳に、魚を置いた。女官の物腰は丁寧で、笑顔も綺麗だった。だけどその手は震え、表情にもどこか怯えがあった。
(気のせいだと思ってたけど、やっぱり皆ディオグを異常に怖がってる?)
怯えているのは、この女官だけではない。
七瀬は料理の味は気に入っていたが、宴の雰囲気については不思議に思っていた。
宴は表面上はにぎやかに盛り上がっていたが、どの人も不安や恐怖を隠しているように見えた。王や異界からの客人の前で緊張しているというだけではない、何かを感じた。
(来た時からずっと思ってたけど、何というか、ここの人たちって皆様子がおかしいような。特に、ディオグがいる場合は……)
最初のうちは、社会の仕組みが違うから人の様子も違うのだと考えた。
だがディオグがいるときの空気は、主従関係から生まれる歪み以上の異様さがあるように思われた。
七瀬がその違和感について考えていたそのとき、一人の官吏がディオグに近づいてきた。
官吏は何かの報告にやってきたらしく、ディオグの側に膝をついて耳打ちした。
その報告を聞くと、ディオグは笑みをこぼした。
「宴の余興にちょうどいい。その者をこちらへ」
ディオグは官吏に命令した。
命令を受けた官吏は、中庭の出入り口付近にいる自分の部下の兵士に目配せをした。
するとその兵士たちは、一人の女を宴の会場に連れてきた。
女は女官の服を着ていたが、どうやら罪人であるらしく手には木製の枷がはめられている。他の女官と比べても特に美人な女性であったが、顔はひどく青ざめ目は焦点が合っていなかった。
兵士は女に会場の真ん中に設けられた通路を歩かせ、ディオグの前へとやって来た。
宴の出席者は静まりかえり、それを見守っていた。その顔には、はっきりとした恐怖の色がある。今から何が起きるのか、彼らにはわかっているようだ。
一方ディオグは、女を面白そうに眺めていた。
「罪人イア、お前はこの宮殿で一生国に仕える宮女の身でありながら、家に帰ろうとしたそうだね」
ディオグは椅子のひじ置きにもたれ、罪人を裁くにしては実に嬉しそうな様子で尋ねた。
女はその場にへたりこんで震え、顔も上げられずに黙っている。
「故郷にいる病気の母親に会うためにここを出ようとしたんだって? 親孝行な娘だ。まぁそれでも、女官の逃亡は死罪なんだけど」
ディオグは女に返事を強いることなく、話し続けた。その横顔は、これまでで一番生き生きしていた。
(え、死罪って何? 殺すの?)
これから自分が何を見せられるのか、七瀬にもだんだんとわかってきた。席を立ってこの場を離れるべきだと思ったけれども、気が動揺して体が動かない。
「でも、僕は慈悲深い王だからね。事情を考慮して、特別に断手で許してあげる」
まるで良いことを言っているみたいに、ディオグが優しい声で量刑を告げる。
七瀬は断手がどういう罰なのか知らなかった。だが女の震えがより一層大きくなったので、それが死刑と比べて確実にましというものではないことはわかった。
「じゃあ、切るのは俺がやりましょうか」
横から、妙に明るい声がした。見れば、リウンと従兄弟らしいキエンという青年が手を上げていた。皆がディオグの言葉を恐れていたが、少なくともこの青年は平気なようだった。
「いや、キエンじゃなくてリウンがやりなさい」
だがディオグはキエンの申し出を断り、リウンを指名した。
「そうですか。わかりました」
キエンは特に何も考えていない様子で、あっさりと下がる。
名前を呼ばれたリウンの方は、一瞬その場に凍りついた。
だがすぐにディオグの方を向き、手を合わせて恭順の姿勢をとった。
「かしこまりました、陛下」
そう言うとリウンは女の方へと歩きながら、腰に佩びていた刀を抜いた。
刀は曲線を描く刀身を持ったもので、ちょうど大きめのグルカナイフのようであった。
リウンは女の前で立ち止まり、その手の枷を掴んで床に押し付けた。そして、そのまま手首に刀を当てる。
その一連の動作の無駄のなさからすると、リウンはこの刑の方法に慣れているらしかった。
鋭い刃を突きつけられて、女が小さく悲鳴を上げた。それがこの場で初めて女が発した声だった。
女は目を見開いて涙を流し、自分の手首に当てられたリウンの刀を凝視していた。
(ちょっと待ってよ。本当にこのまま進めるの?)
七瀬はできることなら、目を閉じてしまいたかった。だけど両目は吸い込まれるように、リウンと女を見てしまう。
怯える七瀬の肩を、ディオグは強引に抱き寄せた。
ディオグの腕は、しなやかに七瀬を絡めとった。どうやら、七瀬の反応を楽しんでいるようであった。
「骨が断たれるとき、いい音がするからよく聞いてなよ」
そっと甘い声で、ディオグは七瀬の耳にささやく。
ディオグの腕の中で固まっている七瀬は、その言葉により五感をさらに意識してしまった。研ぎ澄まされた七瀬の聴覚は、女の息遣いも捉えた。
いよいよ女の手首を切断しようと刀を振り上げたそのとき、リウンはひどくつらそうな顔をした。
残酷な刑罰への痛切な拒否感をこらえて、黒い瞳が揺らぐ。口は閉ざされていたけれども、心の声が聞こえた気がした。
そのリウンの表情に、七瀬は胸の奥を強く掴まれたような気持ちになった。リウンにとってその行為が本当に耐え難いものであることを、強くはっきりと理解する。
実行できる度胸は絶対にないのに、リウンを止めてこの場から連れ出したいとも思った。
しかしリウンがためらいを見せたのは、ほんの一瞬のことだった。当然、リウンは自分も女官も逃げられないことを七瀬以上によく知っているはずだった。
リウンは素早く、その刀を振り下ろした。
肉と骨が切断される嫌な音がした。肉の音は軽く、骨の音は鈍かった。
そして女の絶叫が響き渡る。
女の手は、両方切断されていた。
もう動かないただの物になってしまった手が二つ、石の床に転がっている。
血は勢いよく噴き出て、女やリウンの服も汚していた。
その生々しさに、七瀬は頭が重くなり目まいをおぼえた。ディオグに肩を抱かれていなければ、椅子から転げ落ちていたかもしれない。
さらに先ほど食べていたものがのどにこみ上げてくる。我慢することもできず、七瀬はそのままディオグの服に吐いた。
「おやおや。ちょっと刺激が強すぎたかな?」
遠くでディオグの笑い声が聞こえた。
(あ、やばいなこれ)
そう思ったのもつかの間、七瀬は気を失った。
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