醜悪なその手【3】

 


 アレン・ハーヴィという少年を一言で言い表すならば、『少年らしくない少年』という言葉が最も適切である。

 子供離れした知恵と知識、技術に度胸。そして言わずもがな、その容姿。


 どれを取っても一般的な子供のものよりも逸脱しているそれらは、彼が普通の子供よりも聡明な証拠であり、そして普通の子供よりも過酷な過去を経験している何よりの証明でもあった。


 では、どうして彼がそれだけの能力を得るに至ったのか。それを語るためには、彼の過去を遡る必要がある。


 オーグが彼と出会う数十年も前のある日、ウルワ村に二人の男女が姿を現した。話を聞くと二人は恋人であり、共に旅をしながら世界を見て回っていることが分かった。

 ならば、旅人がどうしてウルワ村のような貧しい地を訪れたのか。その答えは二人の内の女の体調が悪くなったことにあった。


 日に日に悪くなっていた女の体調。それは病のような一時的なものではなく、継続的に女の体を蝕んでいた。だが、そんな女を見つめる男が抱いていた感情は不安ではなく、喜びだった。

 そう、女は男の子供を孕んでいたのだ。


 二人がウルワ村に辿り着いた後、女は寝たきりになった。村の者達は二人を歓迎し、二人を支えた。男も村の手伝いをしながら女を支えた。

 そんなある日、女は子を出産した。産まれたのは、まるで女の子かのような綺麗な顔立ちをした男の子。二人はその男の子に『アレン』という名を付けたのだった。


 男の子を出産した後、産まれたばかりの子を抱えて旅をするのは不可能だと判断して、二人はその村に残ることにした。


 住まいを建てたのはウルワ村に隣接するオーム山の山中。近くに滝が流れ、緑の美しい場所だ。二人とその子は大変その場所を気に入り、山の管理を仕事とすることで生活を営んだ。

 そうして、穏やかな山の中で彼はすくすくと育っていった。


 しかし、永遠にも思えた幸せな時間はそう長くは続かなかった。彼が産まれて一年過ぎた頃、家族が一人いなくなった。

 母親が不治の病にかかって死別したわけでも、父親が不幸な事故で他界したわけでもない。答えはもっと単純でいて、残酷。


 ――彼の父親が、母親と彼を置いて旅に出たのだった。


 その理由も、きっかけも分からない。もしかすると産まれた彼を嫌っての事かもしれないし、彼が一歳になるのを待っていたのかもしれない。

 何はともあれハッキリと言えることは、それにより彼の母親はかつての心の拠り所を無くし、彼は父親の顔を知る機会を無くしたということだった。


 以来、彼は母親と二人きりで生活を営んだ。

 とは言うものの、彼は当時一歳である。仕事として請け負っている山の管理、日々の生活のための家事、そして彼の子育て。その全てを担ったのは彼の母親だった。


 無論、彼の母親にはウルワ村に移住して村の者達の手を借りることもできた。何せ女手一つでその全てをこなすのは不可能に近い。いずれ身体を壊すのは火を見るよりも明らかだった。


 だが、彼の母親は依然として山に籠り続けた。彼を村に預けることすらせず、己の手一つで彼を育て上げた。

 その結果、彼は母親の愛情を一身に受けて心優しい少年に育った。


 だが、それは何も良い結果だけを残したわけではなかった。

 彼がすくすくと大きくなっていく中、


 ――彼の母親は、病によってこの世を去った。


 そうして、齢六つにして彼は両親を失った。そして両親を失うと共に、本来両親から与えられるはずのものも彼は失った。


 それは知恵であり、知識であり、技術であり、度胸。


 それらを手に入れる機会を失った彼は、決意した。機会を失ってしまったのなら、自分の手で手に入れるしか無い、と。


 以来、彼は知恵を手に入れるために経験を積み、知識を手に入れるために書物を読み、技術を手に入れるために鍛練を積み、度胸を手に入れるために自分の恐怖を偽る術を手に入れた。


 やがて、彼はそれら全てを手に入れた。知恵を持ち、知識を持ち、技術を持ち、度胸のある少年へと成長した。


 唯一、愛情だけが欠けたまま。




 ◇




「以上があの子に関する全てじゃ」


 淡々と、落ち着いた様子でドナは昔話を語り終えた。振る舞いこそ落ち着いているが、その真剣な眼差しと冲融でない口調からは陰りが見える。少なくとも、この話をするのは快いものでは無いはすだ。


「ありがとうございました。そして、辛い話をさせてしまって申し訳ありません」


「構わんさ。そもそも話すと言い出したのはこちらじゃ。それに、今あの子のそばにいるお主らには知っておいてほしかった」


 そう言って、ドナは誰よりも物悲しい表情を浮かべた。それはきっと、独りで育ってきたアレンを見てきた者のみに許された表情であるとオーグには思えた。


「……まだ、全部じゃないだろ?」


「…………」


「その後、アレンに何があったの?」


 押し黙るベルナルドの傍らで、更に問いを投げるのはオーグ。

 ドナの昔語りは確かにオーグの想像を越えるものだった。ここ数日の付き合いでアレンの両親があの家に居ないことは分かりきっていたが、それが片やアレンを置いて旅に出て、片や既に亡くなってしまっているとは思いもよらなかった。

 だが、同時に疑問に思うことがあった。


 父親がアレンの元を去った後、どうしてアレンの母親は頑なに山に居続けたのか。


 オーグには、そこにドナの口にした『残酷』という言葉の真の意味が隠されているような気がしてならなかった。


 そして、その直感は奇しくも的中する。


「……オーグや。どうしてあの子の母親は父親が消えた後も山を下りなかったと思う?」


「アレンを、自分の手だけで育てたかったから?」


 違うな、とオーグの答えを否定し、ドナは言葉を続けた。


「あの子の母親は、いつか父親が帰ってくると信じておったんじゃよ。父親が帰ってきた時に家を留守にしないようにと、どれほどわしらが説得してもあの家を離れなかった」


「……アレンの事より、自分の夫の方が大切だって言うのかよ?」


「それも違う。あの子の母親はあの子には父親が必要だと思っていた。だから、父親がいつか帰ってくる場所を失いたくなかったんじゃ」


「――!? そんなの――」


 そんなの勝手だ、そう続けられるはずの言葉を、口から飛び出る寸前でオーグは飲み込んだ。そして、傍らに座す自分の父親を見た。

 そこには、先程のドナとはまた違った物悲しげな表情をしたベルナルドがいた。

 オーグにはそれ以上その姿を見ることが出来ず、気付かれないように目を逸らした。


「……そんなの、アレンが可哀想だ」


「ああ、お主の言う通りじゃ。終いには母親は息を引き取った。まだ幼いあの子を置いて、な。……じゃがな、本当に残酷なのはこの後じゃ」


 一拍置いて、ドナはそれ以上を言葉にすることを躊躇うように目を瞑る。その間は数秒に渡り、オーグは突如生まれた沈黙の中、ただただドナを見つめた。

 そして、


「あの子の母親は、あの子に呪いを残した」


 ドナは遂にそれを口にした。


「あの子の母親が息を引き取った瞬間には、儂もあの子もそのそばにいた。そして、その最後の言葉をあの子は聞いてしまった」


『アレン。貴方だけでも、あの人の帰りを待っていてあげて』


「その言葉は、あの子をあの山に縛りつけるのには十分じゃった。あの子は両親を失った後も独りであの山に居続けた。そして、そのために知恵と知識、技術と度胸を手に入れる決断をしたんじゃよ」


「――――」


「じゃから、あの子は決してあの山を離れん。数日この村に立ち寄ることはあっても、遂にはあの山に帰っていってしまう。……それが、自分の天命であるかのように、の」


 それは、まるで鎖のようにアレンの心を縛り、肉体を縛り、その生き方を縛る。

 けれど、何も誰が悪いという事ではない。家族を想った母親も、それに素直に従っているアレンも、決して悪いとは言えない。悪いとは言えないからこそ、それは極自然とアレンを縛った。


 それは違和感無く吸い付くように密着する首輪のように、アレンに苦痛を与えることは無い。

 だからこそ、それはまさしく呪いだった。自分が縛られているとさえも気が付けない、恐ろしい呪いだった。


 アレンの現状に関して、オーグ個人の意見ではハッキリと良し悪しを言うことはできない。話を聞く限りアレンはあの山に縛られているようにも思えるが、実際にアレンがそれを望んでいるのも確かなのだから。


 故に、オーグにはアレンの生き方について何かを言える権利は無い。だが、だからと言ってオーグがアレンの事を想うことが許されないわけではない。


「……父さん。父さんの怪我が治れば、また旅を続けるんだよね」


「ああ、そうだな」


「俺、アレンも連れていきたい」


「……ああ、そうだな」


 それはあくまでオーグの願望であって、アレンの願望ではない。あくまで利己的な願望であって、他を慮っての願望ではない。


 しかし、それは間違い無くオーグの心の底から生まれた願望だった。故に、そこに良し悪しなどありはしない。

 心から溢れた言葉に、貴賤などありはしないのだから。


「儂からも頼む。どうか、あの子をここから連れ出してやってくれ。たとえあの子がそれを拒絶しても、それはきっとあの子のためになるはずじゃ」


 ドナからの頼みに、オーグは快く頷いた。




 □□




 その後、三人は時間を忘れて話し込んだ。

 アレンの事は勿論、ウルワ村の事、オーグ達の事、更にはガーネットの事まで含めて様々な事について話した。

 その一時はオーグには心地よく感じられ、自分達が追われているということさえ忘れるほどに夢中になっていた。


 そうして時間が経ち、やがて日が落ちるだろうという時に、それは起きた。


「帰ってください! 私達は何も隠してなんかいません!」


 ふとオーグの耳に届いたのは、聞き覚えのある少女の叫び声。その声色からは、オーグの前ではいつも微笑んでいた彼女の顔が歪んでいるのが容易に想像できた。


 ハッとその場から立ち上がり、オーグは声のした方へ駆け寄る。声がしたのは家の外。外の様子を確認するために、慌てて窓に駆け寄って、木製の窓を滑らせた。


 そして、生まれた隙間からオーグの目に映ったのは、幼いガーネットに詰め寄る大柄の男の姿であった。


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