醜悪なその手【2】
オーグ達を笑顔で迎えた少女はその後、速やかにオーグ達を村まで案内してくれた。何の抵抗も無く、と言うよりむしろ、歓迎しているかのように。
流石のオーグもその手際の良さに僅かばかり疑念を抱いたが、少女の朗らかな表情を前にすると、それは簡単に霧散した。
それに少女の口振りからするに、既にオーグ達が獣人であることは知っているようだった。ならば、信頼する理由には十分だった。
それはベルナルドも同様であったようで、大して疑うことも無く微笑を浮かべて少女に従うことにした。
そうして二人は少女を先導として、談笑しながら村を歩いていた。
「元気が良いね。君の名前はなんと言うのかな?」
「あ! すみません、まだ言ってませんでした! 私の名前はガーネットです。私って、目が少し赤いでしょ? だから、お母さんがその名前を付けてくれたんです!」
「良い名前だね。宝石みたいに可愛らしい女の子だ」
「ありがとうございます!」
えへへ、と子供らしく微笑んで、ガーネットはおさげ髪を揺らす。
そんな無邪気な振る舞いに釣られて二人も表情が
「へぇ、オーグさんって言うんですか。格好良い名前だと思いますけど、どういう意味なんですか?」
「……意味?」
「ベルナルドさんと違って、あまり聞かない名前だと思いますけど」
思いもよらぬガーネットの問いに、オーグはすぐには答えられなかった。名前の意味などベルナルドから聞いたことは無かったし、また、大した意味があるとも思ってはいなかったからだ。
不意の問いに頭を悩ませるオーグ。今までもそんな質問をされたことがなかったことを考えると、ますますその答えが気になってくる。そんなオーグを尻目に問いに答えたのは、肩を貸しているベルナルドだった。
「……灯火、だったかな」
「灯火、ですか?」
「ああ。暗闇を照らす明かりのことだ。確か、そんな意味だったはずだよ。少し昔に聞いた言葉だから、うろ覚えだけどね」
「立派な名前ですね。羨ましいです、オーグさん!」
「……あ、ああうん。ガーネットだって良い名前だろ?」
「そう言ってくれると嬉しいです!」
快活に受け答えするガーネット。まさしく談笑という言葉がしっくりくる光景であったが、反面オーグの顔色は徐々に曇っていた。
けれど、決して気分が悪くなっていった、というわけではない。単純に、オーグは頭の中に何かが引っ掛かっているような感覚を覚えていた。
それは、オーグ自身でなければ気付かないような、ほんの僅かな引っ掛かりだった。
だが、オーグがその場でそれ以上言及することは無かった。それこそあくまで引っ掛かりと言える程度の疑問であったし、単に言葉のあやであったのだと思えたからだ。
ベルナルドに対して全幅の信頼を置いているオーグは、それ以上疑うことが出来なかった。
ガーネットに微笑みかけるベルナルドの横顔を横目に捉えながら、オーグは村の中を歩いていった。
◆
やがて、三人の足は一軒の家屋の前に止まる。他の家屋よりも一回り大きい、村の中心部にある家だ。ガーネットは陽気な足取りで戸口まで進み、その戸を開けた。
「どうぞ、入ってください。事情はお婆ちゃんも知っているので、警戒しなくても大丈夫ですから」
「お婆ちゃん?」
「はい。この村の長のことです。とっても優しくて物知りなんですよ。今日もお婆ちゃんに言われて山に出たら二人と会えたんです。とにかく、二人の力になってくれるはずです」
ガーネットに促されるままに、二人は家の中に足を踏み入れる。木製の扉を開いて覗きこんだ中は、他の家屋と同じ石造りの壁が生活空間を生み出している。
他の家よりも大きい、とは言ったもののその生活自体は質素のようで、家の中にあるのは煙突付きの暖炉と大きな毛皮の絨毯、必要最低限の家具くらいのものだった。
そうして目視で家を観察していると、居間の奥から一人の老婆が姿を現した。四肢は痩せて細く、腰は曲がっており常に前屈みになっている。肩まで伸びている白髪は束ねられることなく揺られており、その顔には穏やかな笑みが浮かべられている。
この家の家主であることは間違い無いだろうが、ガーネットの祖母にあたる人物であろうか。そうでなくとも、自分達を連れてきたということは親しい間柄ではあるのだろう。
ならば、少なくとも邪険にはされないはずだ。もしそうでないならば、自分がベルナルドを抱えて逃げ出さなければ。
やや緊張気味のオーグを見て、そんなオーグの心中を察したのか、老婆はオーグと目を合わせて優しく微笑んだ。
その目を見て、オーグは直感する。アレンの穏やかな物腰は、恐らくこの人物から影響を受けているのだと。
そしてそれは、オーグにとって他人を信頼する理由に他ならなかった。
そして、オーグの緊張が解けたのを見て、老婆は二人を歓迎した。
「よく来たねぇ、どうぞ好きな所に座っておくれ。ガーネットや、あんたも座りなさい」
「はい、お婆ちゃん」
ガーネットは老婆の言葉に頷き、老婆のために座椅子を用意してから絨毯の敷いてある床に腰を下ろした。それに習い、二人も床に座り込んだ。
「すまないねぇ、私だけ椅子に座ってしまって。上から物を言うのを許しておくれ」
「構いません。改めまして、私はベルナルド。この子は息子のオーグです」
「ご丁寧にどうも。私の事はドナと呼んでおくれ」
老婆――ドナは気さくに話しかけてくれるが、それに答えるのはベルナルドのみ。オーグはというと、にこやかに微笑むドナに対して僅かに怯えていた。
正直に、お世辞無しに言ってしまうと、ドナの顔つきは恐ろしい。無論、その表情自体は穏やかなのだが、如何せんそのパーツが悪かった。
落ち窪んだ双眸に、高く鋭く伸びた鼻。大きく開かれている口はおとぎ話で描かれる魔女を連想させる。全く関係は無いとは思うが、ドナの背後の壁に立て掛けられている箒はその連想を加速させるのには十分過ぎた。
ふと、オーグはベルナルドを見る。縋るように送った視線にベルナルドは気付き、呆れたように息を吐き出した後、ベルナルドから話を切り出した。
「では、ドナさん。単刀直入にお聞きしますが、一体どこで私達の事を存じ上げたのでしょうか?」
「……というと、お主らが獣人だって話かい?」
「……ええ」
この三日間、アレンが一度もあの家から遠出していないことを二人は知っている。それに、アレンがこの村の名を出したのは咄嗟の思い付きで、だ。だとすれば、アレンが話を通してあるということは考えにくい。
ならば、どうしてこの老婆はオーグ達の事を知りえたのか。
「お主ら、アレン・ハーヴィという名を知っとるじゃろう?」
ドナの問いかけに、二人は共に頷く。
そんな二人の目を見て、ドナは言葉を続けた。
「あの子は底抜けのお人好しでね。獣人だろうが何だろうが、自分の手の届くものは何でも助けちまう。今までも何度かこんな事があった。……それで先日騎士達がこの村を訪ねてきて、ピンと来たのさ」
瞬間、オーグが感じていた様々な疑問の大方が腑に落ちた。それは何もこの村に来てからのものだけではない。アレンと出会ってから感じた疑問の答えも、ここにあった。
どうして、アレンはあの歳で傷の手当に慣れていたのか。何の抵抗も無くオーグ達獣人を受け入れることが出来たのか。そして、あんなにも容易く騎士達の行く手を阻むことが出来たのか。
その答えはどれも同じだった。単純に、既に何度も経験していたから。故に、アレンは全てを苦でも無いようにこなすことが出来たのだ。
しかし、何度か経験しているからといって、それらは全て容易に出来ることではない。そこを補うのは、やはりアレン自身の知恵と機転なのだろう。改めて、オーグはアレンの聡明さを痛感した。
が、それと同時に別の感情も生まれていた。咄嗟にアレンの事に思考を割いてしまったが、ドナの言葉には聞き逃せない一言があった。
この村が騎士達に目を付けられる原因となったのは、間違い無くオーグにある。あの夜の事を想起して、反省と自責の念がオーグの胸中に生まれた。
「……えっと、その、ごめんなさい。あいつらがこの村に来たの、俺のせいなんです」
「気に病むことはないさ。大方、あの子がそう仕向けたんじゃろう?」
「それは……まあ、そうだけど。でもやっぱり――」
「男がそう下を向くもんじゃないよ。そんなんじゃ女の子よりも女の子みたいなあの子に笑われちまう。それに、騎士達に目を付けられるのは面倒じゃが、お主らの命に比べれば安いもんじゃよ」
気不味さから顔を伏せるオーグ。だが、ドナはオーグの行いを責めはしなかった。むしろオーグに近寄り、ドナはその頭を撫でさえした。
頭髪越しに、ドナの
心地好いその感覚に、オーグは口元の綻びを止めることが出来なかった。
「それに、あの子がお主らを助けると決めたんじゃ。それならこの村に異を唱える者はおらんよ」
「……それは一体、どういう事ですか?」
訝しげな眼差しを向けるベルナルドに一瞥して、ドナはガーネットに無言の合図を送る。穏やかなものとは一変して真剣になった眼差しから咄嗟に何かを察したのか、オーグの横に座っていたガーネットはおもむろに立ちあがり、一度オーグにはにかんでから部屋の奥に消えていった。
その後ろ姿を見送った後、ドナは改めて口を開いた。
「お主ら、今日一日はこの村に身を隠すんじゃろう? だったら、話してやってもいい、アレン・ハーヴィについてな」
「アレン君について、ですか?」
「歳を食うと相手の顔を見れば大抵の事は分かる。聞きたいんじゃろう? あの子に関する話を」
図星だった。
自分達はアレンに救われているのに、アレンに関する事を何も知らない。彼がどうして人里を離れた山に住んでいるのかも、どうしてあの家には彼以外の人影が見えないのかも。
アレン自身に聞けば簡単に解決する事なのだろうが、安易に触れていいものでは無いことはオーグにも分かっていた。
そんな中で、ふと生まれたその機会。アレンの口から聞けないことに僅かに抵抗を覚えたが、遂にはドナの問いかけに頷いた。
「ところで、ガーネットはどこに?」
「なに、あまり大々的に語れる内容でも無くてな。少しばかり席を外してもらっただけじゃよ。……それに、あの子が知るには少々残酷過ぎる」
「…………」
「お主も、席を外すなら今のうちじゃよ」
ドナの落ち窪んだ双眸が、オーグを見つめる。ある種の威圧感を放つそれに、オーグは溜まっていた唾を飲み込んだ。
決して聞き逃せない『残酷』という言葉。それが自分の命の恩人に関する言葉だと思うと聞き逃せないのは尚更だ。その言葉の意味を改めて認識して、先程の覚悟が微かに揺らいだ。
だが、覚悟を決めて、オーグは再度頷いた。
「いいじゃろう。それでは、語ろうか。少し長くなるかもしれんがな」
そうして、ドナは語り始めた。アレン・ハーヴィに関する記憶を。そしてその過去を。
パチリ、と絶え絶えになっていた暖炉の火が、静かに息づき始めた。
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