醜悪なその手【1】

 


 右手で柄の腹を持ち、左手は柄の尻に添える。決して大きくは振りかぶらず、あくまで右手を捻って柄の腹を軸に斧自体を回転させるように。無駄の無いように、必要最低限の力で、降り下ろす。

 それを二度三度と繰り返せば、やがて丸太は真っ二つに割れた。


「……ん、ふぅ。これで全部、だよな」


 アレンに課せられたノルマを達成したのを確認して、オーグは額を伝う汗を拭い一息吐いた。


 オーグがアレンと出会ってから四日目の午前。オーグはアレンからの頼みで朝から薪割りに勤しんでいた。

 もっとも、頼み・・と言えば随分聞こえが良いものである。実際は、


『朝の内に薪を割っておかないと、お昼は食べられないと思っておいてね?』


 なんて、大食漢のオーグにとって脅迫紛いの宣告だったのだから。


 そんなわけで朝から始めた薪割りは、オーグの手によって何とか太陽が真上を通り過ぎる前にやり遂げられた。

 初めこそ空振りを何度も繰り返しノルマを達成出来るか冷や汗をかいたが、何度か繰り返す度にオーグは薪割りの才能を開花させた。獣人特有の筋力により、疲労でペースが落ちることはまず無い。コツを掴んだ後半戦はオーグに軍配が上がった。


「……にしても、こんなにゆっくりしてて良いのかなぁ」


「むしろこの前までが忙しすぎたんだ。お前もゆっくり身体を休めるべきだろう」


「……父さん」


 キィ、と音を鳴らして戸口を潜って姿を現したのはベルナルド。ここ数日、毎朝取り替えている包帯は以前ほど血で染まっている範囲が狭まっており、脇腹の傷の回復が窺える。

 だが、それでも完治にはまだ程遠いもので、


「まだ起き上がらない方が良いって言われただろ。ったく、子供じゃないんだから」


 こうして毎朝オーグが小言を言うのもここ数日で日課になっていた。


「今日はすこぶる調子が良いんだ。日の光を浴びるくらいで傷が開いたりはしないさ」


「そうは言ってもさ、今は安静にするのが第一だろ。またアレンにどやされるよ」


「やれやれ、お前もすっかり大人気取りだな。その調子で背の方も伸びれば文句は無いんだが」


「――なっ!? それは言わない約束だろっ!?」


「さあな。約束なんてした覚えは無いが」


「したよ! 俺が十歳になった年、父さんが馬から落ちて足を怪我した次の日の昼間に!」


「……基本馬鹿なのにどうしてそういうことだけ覚えてるんだ、お前は」


「馬鹿って言うなよ!」


 約束をした年のみならず、日付と時間帯までも記憶していたオーグの記憶力に一瞬舌を巻き、普段のオーグと比べてベルナルドは呆れて呟いた。


 その約束はベルナルドにとっては忘れてしまうほど他愛の無いものなのだろうが、オーグにとっては違う。齢十四歳にして身長が一四〇弱しかない、オーグにとっては。

 その約束以来オーグは自分の身長を気にし始めるのだが、それは今は語るまい。

 ともかく、子の背丈を案じたベルナルドの言葉はオーグにはからかっているようにしか思えなかった。


「ただいま、オーグ。何だか騒がしいけど、何騒いでるの?」


 ベルナルドと言い合っていると、背後の木々の影から声がかかる。声のする方へ目をやれば、大きな背負子しょいこを背負い、一羽の鳥を肩に乗せたアレンの姿があった。

 アレンはオーグから視線をずらし、ベルナルドの姿を視認すると、頬を膨らませてベルナルドの傍まで駆け寄った。


「ベルナルドさん、まだ立ち上がっちゃ駄目じゃないですか。傷が開いたらどうするんですか」


「は、はは。いやぁ、今日は調子が良かったからね」


「調子が良いってことは傷が癒えてきているってことです。それなのに無茶をしてまた悪化したら意味が無いじゃないですか。せめて座っていてください」


「あ、ああ、その……反省してる」


「ほら、やっぱり怒られた」


 ベルナルドを心配して口を酸っぱくするアレンに、大人であるベルナルドもその勢いに圧されて謝罪する。見事予想が的中したことで得意気になったオーグだったが、次の瞬間アレンの矛先はオーグにも向くことになる。


「オーグはちゃんと薪割り終わったの?」


「勿論! 確か、そこに置いてある分だけでいいんだよね?」


「……いや。その奥の分も頼んだはずだけど」


「……う、嘘?」


「本当だよ。……お昼、抜きだから」


「う、嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 オーグは悲鳴を上げ、ベルナルドは密かに落ち込み、この瞬間二人はアレンには敵わないのだとようやく悟ったのであった。


 そんな一幕を終えて、ベルナルドは家へ、オーグは再度薪割りの続きへ向かおうとした時、アレンは二人を呼び止めた。

 その時になって、オーグは初めて気が付いた。そう言えば、アレンが食糧を確保しに家を出た時には、あの鳥は居なかったはずだと。


 オーグの疑問と共に、アレンは言った。


「さっき知らせが来たんだ。今日、決行だよ」


 その言葉を聞いて、オーグは理解する。

 あの騎士達が、またこの山を訪れることを。遂に、自分達親子の今後を左右する重大な作戦が、決行されることを。




 ◇




 アレンが肩に乗せていた鳥の脚には一通の手紙が結んであった。何でも、送り主は表立って口に出してはいけない相手であったらしく、そのの詳細はオーグにも話してはくれなかった。

 そんな相手からの情報を信じて大丈夫なのか、という疑問が少なからずオーグに浮かんたが、そこはアレンを信じることにした。


 そんな一幕を挟んで、昼食を終えた後(アレンの厚意により、オーグも食べた)、家に待機して騎士を迎えるアレン側と騎士達から姿を隠すオーグ側に分かれて行動を始めた。


 そこで問題となったのが、オーグ達二人がどこに姿を隠すのか、ということである。情報提供者の手紙によれば、少なくとも今日一日は山全体の捜索を行うらしい。それも、決して少なくない人数で。となれば、山の中に身を隠すのは難しいだろう。

 そうして選択肢が絞られていく中、アレンはとある選択肢を提示する。


『二人は山を下りてください。南側に山を下っていけば、ウルワ村という村に辿り着きます。そこで僕の名前を出せば、二人を匿ってくれるはずですから』


 ウルワ村。アレンの口から出たその名に、オーグは聞き覚えがあった。


 以前、アレンが騎士達の目を逸らすために向かうように進めた場所、それも確かウルワ村という名前だった。

 その事をアレンに確認すると、アレンはあっさりと肯定した。何でも、ウルワ村の住民もアレン同様に獣人に差別意識は無いらしく、あの時にその名を出したのも相応の信頼関係がアレンとウルワ村とであったかららしい。


 アレンがそこまで太鼓判を押すようならば、オーグ達に文句は無い。そうして、オーグとベルナルドはウルワ村を目指して山を下っていた。


 そして、現在に至る。


「ここが、ウルワ村」


 眼下に広がる光景に、オーグは肩でベルナルドを支えながら呟く。


 あらかじめ人目を避けて道とも言えない獣道を歩いていたオーグ達は、やがて木々を抜けて整備されている山道に出た。

 その一帯は随分と開けており、グネグネと蛇行した山道は斜面を成して山の麓まで続いていた。そのまま山道を目で追っていくと、いくつかの家屋が建ち並ぶウルワ村の生活区画を、オーグは見つけた。


 家屋の数はオーグの視界に収まる程度であるが、村のそばを山から川が流れており、家屋の向こうには畑も確認出来る。

 家屋はアレンの家のような木造ではなく、石壁で直方体のような形で形成されていて、扉や窓のような開閉可能な場所にのみ木材が使われていた。


 あらかじめアレンから聞いていた特徴と一致する。ほとんど間違い無くウルワ村であると、オーグは確信する。


「父さん、村が見えた。あと少しだけど大丈夫?」


「ああ、問題無い。それよりも早く進もう。開けた道は見つかるリスクも大きい」


 ベルナルドの忠告に素直に頷き、オーグは道のりに坂を下り始める。ベルナルドの歩調に合わせてゆっくりと下っていくオーグ。その山道を半分ほど下った時、オーグ達とは反対の方向から人影が現れた。


 それは一人の少女の姿だった。オーグよりも小さい背丈で大きな籠を背負い、コツコツと山道を上ってくる。やや赤みがかった茶色の頭髪をおさげにして肩辺りで揺らし、どこか上機嫌で鼻唄を歌っていた。


「あのさ、ちょっといいかな?」


 少女が村の者であると当たりをつけ、オーグは少女のそばに駆け寄る。

 念のためにフードは着用しているため、そこに抵抗は無い。あくまで少女を驚かせないように、言葉遣いに気を付けて声をかけた。


 しかし、一見して獣人であるとは分からないとは言え、見知らぬ人に声をかけられることは多少なりとも恐怖を感じるだろう。故にオーグは、決して少女に良い顔をされるとは思っていなかった。


 だが、オーグを迎えた少女の顔は、


「お待ちしていました! 獣人さん!」


 何故か、一切曇りを見せなかった。


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