死を望まれる者達【6】
二人がようやく顔を上げたことを確認して、アレンは次の行動に出た。
「ちょっと待っててくださいね」
寝台とは逆側の壁際に置いてある机から椅子を引き出し、本棚の前に置く。それを踏み台にして、丸められている一枚の古びた紙を取り出した。
「アレン、それって……」
二人が突如取り出された紙に目を丸める中、アレンはそれを床に広げた。
それに描かれてあったのは歪な縦長型の楕円形といくつかの文字。古びていていくらかの文字が掠れてはいるが、その正体は一目見ただけでオーグにも理解出来る。
「帝国領の地図だよ。古い物だからあくまで大まかな地形しか描かれてないけど、この辺りの地形はちゃんと描かれてある」
「ありがたい。騎士に襲われた時に荷物を落としてきてしまったからね。アレン君、ここがどこかは分かるかい?」
ベルナルドの問いに答えるべく、アレンは現在地を指差す。
地図の中央部からやや西の海岸寄りにある小さな山――オーム山がアレンの住む山だ。オーム山のすぐ南には、帝国の心臓である帝城が置かれている帝都――アルティシアが海岸沿いに存在している。
「ベルナルドさん達は帝都から逃げてきた、そうですよね?」
「――!? 何で分かるんだよ、アレン!?」
「オーグも昨日見たと思うけど、騎士達が背負っていたあの紋章、獅子を裂く二対の剣は皇帝様直属の騎士団に与えられる紋章なんだ。常に皇帝様の手元にあるはずだから、騎士団が動くのは基本的に帝都で起きた事件の時だけなんだよ」
しかも、余程の事でない限り、事は憲兵によって解決される。直属の騎士団が動くなんて事はそうありはしない。
それこそ、大規模な反乱や帝国にとって重要な意味を為す作戦でもない限り。それほどに騎士の力量と地位は高く、皇帝直属とくれば尚更だ。
「本来ただの人探しに駆り出される立場じゃないんだけど、オーグ達が獣人だって言うならそれと頷ける」
「……帝国は徹底的に獣人を排外するつもり、ということか」
はい、とアレンは深刻そうな表情を浮かべて頷く。
アルバーン帝国では近年に二度、獣人によって引き起こされた事件がある。
一つは今から十二年も前に起きた、獣人による第二王女誘拐事件。
当時から弾圧されていた獣人達が一斉に帝城に攻め入り、暴動を起こした末に第二王女を誘拐した。その後王女を人質に何かしらの要求があると思いきや、どういうわけか獣人達は王女と共に姿を消し、最後まで王女は行方不明のままで事件は終わりを迎えた。
二つ目はその数年後。倒錯的と言えるほど人間を深く憎んだ者たちが帝国領内の数か所で蜂起した。
その二つの事件をきっかけに元々厳しかった獣人弾圧に拍車がかかり、遂にはその命を奪うまでになってしまったのだった。
そして、それ故に、二人はこんなにも苦しめられている。
「昨日の時点でここまで足を踏み入れているということは、ほとんど行動が筒抜けになっていると言っても過言じゃありません。騎士達をここに引き付けている間に出来るだけ北に逃げるべきではありますが……」
「……無理だよ、父さんはすぐには動けない」
声量を落とし、肩を落とし、オーグは落胆を露にする。手詰まりの現状を打破する希望が見えず、その銀色がまた陰りを宿した。同様に、ベルナルドも僅かに顔色を曇らせる。
そこで、アレンは一つの策を提案した。
「――ベルナルドさんとオーグは、この家で匿います」
ハッと、オーグは顔色を変えてアレンを見た。
「ハッキリと言って、このまま無理をして北に逃げたとしてもじり貧です。ベルナルドさんを置いてオーグだけで逃げるならまだ可能性はあるかもしれませんが……」
「――っ!? そんなの絶対に――」
「出来ない、だよね」
オーグの言葉を遮り、次の句を告げる前にその言葉を口にする。そして、アレンは策の全容を語った。
「ですから、二人ともこの家で匿います。騎士団は腕こそ立ちますがその全体数は多くありません。今はこの地域を探し回っていたとしても、いずれは更に北に足を運ぶはず」
「……つまり、この一時をやり過ごすことが出来れば、その後はある程度安心出来るということかい?」
「はい。憲兵が動く可能性も考えると絶対だとはとても言い切れませんが、少なくとも窮地を脱することは出来ます」
そして、窮地を脱することさえ出来れば、ベルナルドは傷の治療に専念することが可能になり、オーグも安心することが出来る。アレンの家を拠点にする以上多少の危険は伴うが、それでも成功した際のメリットは大きい。
……ただ、一つの問題点を考えなければ。
「凄い! 凄いよアレン! それなら父さんも無理をしなくていいもんね!」
オーグは歓喜の声を上げ、諸手を上げて賛成した。それこそ、まるでその策が既に成功することが約束されているかのように。
しかし、ベルナルドは、
「……ふむ」
地面を睨み、顎に指を当てて唸っていた。
「大丈夫だよ父さん! アレンは凄いんだ! 昨日もここまで来た騎士を追い払って俺達を助けてくれたんだよ! だから絶対絶対上手くいくよ!」
ベルナルドを想い、アレンを信頼し、声高にベルナルドを説得するオーグ。事実その言葉に嘘は無いし、その想いにも嘘は無いのだろう。
だが、そんな息子の言葉にも、ベルナルドはすぐには頷かなかった。
「約束します。ベルナルドさんとオーグは、何があっても僕が守りますから」
オーグに並んで続けられたアレンの言葉。
それを耳にして、ようやくベルナルドは口を開いた。
「確かに、君は聡明だ。知識があり、知恵もあり、何より勇気がある。そのどれかが欠けていれば、あの騎士を追い払うなんてことは出来はしない。君なら、また騎士を欺くことは出来るだろう」
「なら――」
「だが、駄目だ」
アレンを圧倒するほどの重い声で、ベルナルドは言った。
「私達を助けた後、君はどうなる? もしも私達を匿っていたことが
「…………」
「この国は獣人を庇った人間をやすやすと見逃すのか? いや、そんなはずはない。現に、私はそういった人間の末路を見たことがある。それを分かった上で君にその役割を任せるなんて、私にはそんな事出来ない」
「……でも」
「それに、先程も言ったように私達が君に与えられる物は何も無い。礼と呼べることは何も出来はしない。にも拘わらず、厚かましくも君に危ない橋を渡らせるなんて……出来るわけがないだろう。君の命は君の物だ。私達のために使っていいものじゃない」
ベルナルドは、終始顔を伏せていた。オーグはベルナルドの言葉の意味を理解して、また悲しげな表情を浮かべた。
アレンに対してどこか申し訳無さそうな声色で語られたその内容は、自身の事を二の次に考えた慈愛の言葉だった。この場で最も傷付いているはずの自分を差し置いて、アレンを案じた言葉だった。
それはこの場で最も歳を取っているからだ、と言い切ってしまえば、それだけの事なのだろう。老い先が短い者が若い命を案ずることは当たり前だと言ってしまえば、それだけの事なのだろう。
だが、それだけの事が、アレンにはとても美しいことのように思えた。
「……僕は、ベルナルドさん達のためだなんて思ってませんよ」
「……だが、それは――」
「僕は、僕がそうしたいと思ったから、今もこうしてここに居るんです。誰かのためだなんて、一度も思ったことはありません」
「……アレン」
「確かに、それが結果的に誰かへの救いに成り得るなら、それは誰かのために行動したと言えるのかもしれません。でも、ベルナルドさんが僕を案じて誘いを断ったことも、それは僕のためにしてくれた行為でしょう? だったら、おあいこです」
ベルナルドが、オーグが、暗い顔を浮かべている分も、アレンは
精一杯明るい笑顔をその面に浮かべ、
「それに、この世界で自分のためだけにする行動なんて、ほんの僅かです。表面的には自分のためだと言っていても、その実それが誰かのためになることの方が余程多い。だから僕は、そういった繋がりを大切にしたいんです。誰かを想っている気持ちを、大切にしたいんです。――だから、手伝わせてください。僕のことを想ってくれたベルナルドさんのことを、僕は助けたい」
出来るだけその心に届くようにと念じて、その想いを伝えた。
その言葉を受けたベルナルドは数秒困り果てたような顔をした。が、やがてその相好を崩し、次には呆れたような笑みを浮かべた。
「……負けたよ。君の言う通りにしよう」
「父さん! ほんと!?」
「ああ。アレン君、申し訳無いが、お言葉に甘える」
完全に折れたベルナルドの言葉に、アレンは二つ返事で承諾する。
それで話は完全に終わった、かのように思えたが、ベルナルドは更に言葉を続けた。
「ありがたい。だが、やはり私としては何か礼をしなければ気が済まない。何でもいい、何か望みを言ってくれ。私の生涯を懸けて、その望みを叶えよう」
「……望み、ですか」
アレンはふと、ベルナルドの目を見た。それは、昨晩に見たオーグと、全く同じ目をしていた。色も違う、形も違う、その輝きも違う。けれど、アレンにはそれらが全く同一の物のように思えた。
「……何でも、いいんですか?」
「ああ」
「……絶対に、叶わない夢でもいいんですか?」
「構わない」
「……後悔、しないでくださいね?」
「するものか。たった今から、それが私の生きる意味になる」
寸分の迷いも無く、間髪入れずにベルナルドは全ての問いに即答した。さも迷う余地などあるはずが無いというように、アレンの目を見つめて断言してみせた。
それが、アレンの切なる願いを更に強いものにさせた。
もしかして、この人達ならば叶えてくれるのではないか。
もしかして、馬鹿を言うなと笑われることもないのではないか。
もしかして、本当にこの僕を受け入れてくれるのではないか。
その時、初めてアレンの心が乱れた。騎士を目の前にしても決して揺るがなかった心が、揺らいだ。
ずっと心の底に抱えていた切願を、その喉元まで這い上がらせた。
そして、それは遂に口から漏れた。
「――僕の、家族になってください」
それは、オーグの前で口にしたような、その場を取り繕うための願いではなかった。
「――ベルナルドさんとオーグの輪の中に、僕も入れてください」
正真正銘、アレンの胸の中から溢れだした願いだった。
「――ここに居る僅かな間でいいんです。だから、僕の家族になってください」
最後にもう一度、アレンはハッキリとそれを口にした。
言った。言えた。……言ってしまった。
自分を繕うことなく、相手を気遣うことなく、厚かましくも、卑しくも、浅ましくも、叶えられるはずのない馬鹿な願望を言葉にした。
途端、アレンの胸に込み上げるような何かが生まれる。
――後悔。
恐らくそう呼ばれる感情だと、アレンは直感した。そして、これは自分のためだけの願望に他ならないと、理解した。
居たたまれず、アレンは思わず顔を伏せた。
しかし、そんなアレンの髪を、優しく撫でる手があった。
「お安い御用だ。な? オーグ」
しかし、そんなアレンの手を、優しく掴む手があった。
「当たり前だろ! 父さん!」
朗らかに破顔するオーグとベルナルド。二人に無理をして承諾している素振りはなく、むしろアレンの願いを自分達から望んで受け入れているかのようで。
「……本当に、いいんですか? 僕、こう見えて面倒な性格ですけど」
「何も卑屈になることはない。オーグは君を気に入ったようだし、それは私も同じだ。君を家族として迎え入れることに、何の抵抗も無い。……それに、君が面倒だと言うならオーグはどうなる。私はコイツ以上に厄介な子供を見たことが無いぞ」
「ちょっ!? 何言ってるんだよ! 俺は面倒なんかじゃ――」
「自覚が無いのが更に面倒なんだよ」
「父さん!! ……もう!」
からかうように笑い声を上げるベルナルドに、思わず反論するオーグ。しかし、それすらもからかうネタにされて、大声を上げた挙げ句拗ねたようにそっぽを向いた。
そんな幼いやり取りがどこか羨ましく、そして微笑ましくて、釣られてアレンも口元を綻ばせた。
「よろしく、お願いします」
「ああ」
「うん!」
頭を下げるアレンに、二人は迷わずに頷いた。
そしてこの瞬間、おおよそ四年振りにアレンに『家族』という存在が生まれた。
無論、アレンには不安もあった。あくまでこの場で約束しただけで、実際に本当の『家族』になることなど不可能ではないか。こうして今は『家族』だという形をとっていても、やがて二人は自分を避けるようになるのではないか。
けれど、今はそれは考えないことにした。二人が自分を裏切るような者達に見えないだとか、血の繋がりは無くとも『家族』にはなれるはずだとか、根拠の無い自信は一応あった。
だが、何よりもアレンの不安を消したのは、喜び。不安なんて元々無かったように思えるほどの喜びが、アレンの胸中には溢れていた。
日の光の射し込む窓辺で、三匹の雀が羽を休めていた。
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