死を望まれる者達【5】

 


 オーグが自身の獣の耳をアレンに見られてため池を飛び出した直後、池の畔には伸ばした手を力無く下ろすアレンの姿だけがあった。


「あれは……」


 本来あるはずのない位置に存在していたオーグの耳。銀色の頭髪に紛れるように生えていたそれを見てしまえば、年端もいかない幼子でもその意味は理解出来る。


 『ベスティア神の怒りベル・ル・ハッラ』における惨劇の加害者であり、最大の被害者。

 未だに原因の末端すら解明されていない、歴史的かつ神話的な大災害が遺した呪いを受け継ぎし者達。

 ――獣人。


 オーグが獣人である何よりの証拠を目撃して、アレンは独り悲しみに暮れていた。


「……どうして」


 久方ぶりに出会えた好感の持てる同年代の少年が人間に仇なす獣人だったから。

 さも自分達が被害者側であるかのように振る舞っていたのだと、オーグの本性が発覚したから。

 もし気が付くことが出来なければ、あの二人によって殺されていた自分の姿がありありと想像出来たから。


 アレンが悲しみに暮れる理由として、それらの理由はどれも――当てはまらない。


「どうして、あんな目に合わなくちゃならないの?」


 アレンの悲しみは、他ならぬオーグへの同情から生まれていた。まるで生まれてきたこと自体が罪であるかのように、その存在を否定されるという呪いを背負った少年を想って生まれた嘆きだった。


「そんなのは、間違ってる」


 次にアレンの口から漏れたのは、嘆きではなかった。アレンの周りには誰一人としていない。その言葉を向けたのは、自分自身。己に言い聞かせるように発せられたそれは、決意と覚悟だった。

 人知れず、アレンは拳を握る。オーグの背負う呪いを打ち破るために、拳を振るうために。


「今度こそ、失わない」


 あの少年と向き合うために、アレンは家に向かって歩いて行った。


 オーグが家に向かうことは容易に想像出来た。あれほどまで父親を案じていたオーグが父親を放り出してどこかへ行くとは考えにくい。まず、真っ先に父親の所に駆け寄るはずだ。


 そんな推測を裏付けるように、やがて開け放たれている家の戸口が視界に入った。それにより確信を抱き、アレンは躊躇いもせず家の戸口をくぐった。


 戸口から居間に入り、更に奥に進んだ書斎に、オーグの姿はあった。それだけではない、今朝まで意識すら戻っていなかったオーグの父親の姿をアレンの目は捉えた。


 アレンが二人を見かけたのは、ちょうどオーグの涙が止まり頬を赤らめて父親にそっぽを向いた瞬間だった。

 微笑ましい親子の在り様を見て、アレンは上手く言葉に出来ない感情を抱いた。いや、それがなんなのか、それはきっと理解している。


 だが、それを自覚するのはまだもう少し後のことになる。その場では答えに辿り着くことは出来ず、ただもやもやとした何かを抱えて、アレンは二人の前に姿を現した。


「……失礼します」


 呼び掛けた声に真っ先に反応したのは、オーグ。オーグの父親はオーグほど過敏な反応はせず、落ち着いた風貌でアレンを見つめた。

 その細められた目が僅かに威圧を孕んでいて、アレンは静かに唾を飲んだ。


 軽く逆立つ程度の頭髪を掻き上げた黒髪のオールバック。切れ長な眉毛に、やや垂れた黒の双眸。そして何よりはその体躯。目測二メートルに届くか届かないかあたりの巨体に、子供の骨など軽くへし折ってしまいそうな剛腕。

 決して穏やかそうとは思えない全貌を、その垂れた目だけが辛うじてその真性を示している。


 そんなオーグの父親の傍らには、昨日も男のそばに置かれていた一条の直槍が立ててある。男と同じ二メートルほどの長さのそれは男が使うにはいささか短いようにも思えるが、恐らくは男の得物だろう。

 柄も先端の刃も石突でさえ黒一色で染められているそれには一切の装飾が無く、唯一口金の辺りに深紅の玉が埋め込まれている。


 巨漢と直槍。

 単体でも威圧的なそれらは、共にあることによって尚もアレンを威嚇していた。


「……アレン」


 書斎に足を踏み入れたアレンに、オーグは死神を迎えるように呟いた。

 その声に応じてオーグに目をやるアレン。先程もチラリと見えた獣の耳を、改めて視認する。


 獣人である証。野性を捨てた人族には存在しない、獣本来の器官。

 アレンのそんな視線を気にしてか、オーグはアレンを避けるように目を背けた。


 しかし、次の瞬間にはアレンの身体に縋り付くように、オーグはアレンの傍に駆け寄ってきた。


「頼むよ! アレン! 別に騙そうだなんて考えてたわけじゃないんだ! 俺はただっ、ほんとに父さんを助けたい一心で!」


「…………」


 オーグは、懇願していた。悪事など働いていないのに、ただ正直に父親と生きる道を探していただけのはずなのに、謝るように、嘆くように、必死で懇願しているようにそれはアレンの目に映った。


 一方アレンは、何も言えなかった。呪いのためにそうする他父を生かす手段の無いオーグの姿があまりに悲痛で、言葉を発することさえ許されなかった。


「アレンに迷惑をかける気は無いんだ! 傷が治ればすぐにでも出ていく! だから、だからっ――」


「……オーグは、獣人……だったんだね」


 もう、聞くに堪えなかった。オーグの悲痛な叫びをそれ以上聞くことが出来ず、あえて遮った。


 瞬間、オーグの顔が歪む。叫びを聞き入れてすらもらえなかったオーグは、悲嘆に暮れて小さく頷いた。

 目を伏せて頷くその姿があまりに小さくて、アレンは瞬時に自分が発した言葉を後悔する。


 だが、一度口から出てしまったものは取り返しがつかない。埋まらない、溝がアレンとオーグの間に形成される。しかし、アレンだけは俯くわけにはいかなかった。


 一度生まれた溝は埋まらない。が、それが何だ。溝が生まれたなら、飛び越えればいい。飛び越えて、相手の手を取ればいい。それが、救いへの第一歩なのだから。


「本当に、辛い思いをしたんだね」


 アレンは、手を握った。埋まらない溝を飛び越えるために、オーグの手を握った。そして、言葉を続けた。


「僕が何を言っても、償いになるとは思わない。でも、言わせてほしい」


 呪いを背負うこの少年に、今はまだたった一人だけど、


「――僕は、君の味方だ」


 君の存在を肯定する人間が、ここに居るということを伝えるために。




 ◇




「話を、聞かせてもらってもいいかな?」


 オーグの手を握るアレンにそう告げたのは、オーグの父親。一見豪快で不作法そうな男は驚くほど落ち着いた口調でアレンに語りかけた。

 一瞬その意外性に面を食らったが、決して動揺を露にはせずにアレンは、はいと端的に頷いた。


「聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず名乗るとしよう。私の名はベルナルド・ヴィングルート。ベルナルドでいい。名前から分かる通り、そこにいるオーグの父親だ」


「僕の名前はアレン・ハーヴィ。一応、この家の家主です。アレンと呼んでください」


 ベルナルドから名乗られ、アレンも同様に簡易的な自己紹介を済ませる。


「……ハーヴィ」


 その際、アレン・ハーヴィという名前を耳にして、ベルナルドの顔が曇った。それこそ、ずっとそばにいるオーグにも分からないような極僅かな変化だったが、どうしてかアレンには感じ取れた。


「……どうかしましたか?」


「いや、何でもない。少し、聞かない名だと思ってね。気にしないでくれ」


「……ええ」


 大して疑うことなく尋ねるアレンだったが、ベルナルドはどこか誤魔化すように話を切った。


 その振る舞いにまたも疑問を抱かずにはいられなかったが、それ以上の追及は控えた。まだ出会ったばかりであるアレンに追及されてはベルナルドが不快に感じるかもしれない。

 それにベルナルドはまだ万全と言える状態ではないし、確実に話しておける今の内に話すべきことを話すべきだ。


 そんなアレンの思惑を読み取ったのか、ベルナルドは何かを悟ったようにアレンへ微笑むと早速本題に入った。


「状況から察するに、君が私たちを助けてくれた、という事でいいのかな?」


「ええ。助けた、と言えるほど大した事をした覚えはありませんが、おおよそその認識で間違いありません」


「……この治療も、君が?」


 血の滲む布を指でなぞり、ベルナルドは問う。


「はい、僕の出来る限りの事はさせてもらいました。……ご迷惑だったでしょうか?」


 まともな道具の無いこの家では出来る事は限られていたが、患部の消毒から止血、清潔な布での患部の固定程度は済ませてある。

 もっともそれで十分なわけではなく、今朝もベルナルドの安否を心配したが、流血さえ止めてしまえば命に関わる傷ではなかったのが幸いした。


「迷惑だなんて、そんなわけないだろっ! アレンのお蔭で父さんは助かったんだから!」


 アレンの言葉に、ベルナルドよりも早くオーグが反応した。

 先程まで泣いていたために潤んでいた銀色の瞳は、今やすっかり元の輝きを取り戻していた。


「私からも改めて礼を言わせてくれ。ありがとう、アレン君。君のお蔭で私はまたオーグの顔を見ることが出来た」


「……お力になれて良かったです」


 柔らかく相好を崩して感謝の言葉を告げるベルナルドに、アレンもその表情を崩す。


 外見だけで見れば厳つさがやや目立つが、話してみるとどうやら相当穏和な人であるらしい。アレンが敬語を使っているのを見て同等の礼儀を払っているところを見るに、決して相手を子供だと小馬鹿にしない大人の礼儀も持ち合わせている。


 アレンはふと、傍らにいるオーグに目をやる。きっとこの少年の素直さもこの父親から来ているのだろうと思うと、妙に微笑ましく思えた。


 そして、確信する。この二人は、人間を恨んではいないのだと。


 獣人の中には同族を虐げる人間を嫌う者達がいる。むしろ、割合で言えばそちらの方が多いくらいだろう。だからこそ両者は仲違いして、互いの国を作り上げたのだから。


 しかし、オーグのように人間に嫌悪感を抱かない者達もいる。自身にかけられた呪いを自身の罪だと認め、人間に歩み寄ろうとする者達。

 この二人は恐らく、後者に当てはまる獣人だ。


 そんなアレンの考えを読んだかのように、ベルナルドは口を開いた。


「君は、獣人が恐くないのかい?」


「そう……ですね。生まれてこの方、何度かベルナルドさん達のような方々と会ったことはありますが、恐いと思ったことはありません」


「――!? 俺達以外の獣人に会ったことがあるの!?」


 目を見開いて驚愕を露にするオーグに、まあねと答えるアレン。


「そういう人は基本的に人目を避けて山に入るから、オーグみたいにこの家を見つけて入ってくる人達が今までにもいたんだ」


 アレンの住むこの山は標高が低く、気候も温暖なために広葉樹が多い。また、好き好んで山で生活を営む者などアレンを除いて居らず、身を隠すにはもってこいの地形だ。

 そのため、今までにもこの地に逃げ込む獣人は少なからず居たのだった。


「道理で手際がいいわけだ。あのね、父さん。昨日の夜も追ってきた奴らをアレンが追い払ってくれたんだよ」


「追い払うって、あの騎士達をか? 本当かい、アレン君?」


「ええ。とは言っても、ただの時間稼ぎにしかなりませんが」


「……いや、十分だよ。本当に、迷惑をかけたね」


「迷惑だなんて、そんな」


 申し訳無さそうに頭を下げるベルナルドに、アレンは慌てて頭を上げるように言う。

 しかし、ベルナルドも形だけ頭を下げたわけではなかったのか、決して頭を上げない。そして更には、オーグまでもアレンに頭を下げてきた。


 どうにも居た堪れなくなり、アレンは失礼だとは理解しながらも溜め息を吐いた。


「顔を上げてください。僕はただ、自分のしたかったことをしただけです。ですから、そう頭を下げられても困ります」


「しかし、私たちにはこうする他感謝を示す術が無い。何か力になれればいいのだが、如何せんこの身体ではな……」


 身体を起こすことで精一杯の自身の身体に目を落とし、ベルナルドは落胆の意を露にする。

 そんなベルナルドをフォローするように、アレンは言った。


「見返りなんて、必要ありません。感謝の言葉は既に、とびっきりのをオーグから貰いましたから」


 そもそも、アレンは礼など求めてはいなかった。オーグとベルナルドに施した行為は全て当然のことで、感謝をされるようなことはしていない。それが、嘘偽り無いアレンの本心だった。故に、このアレンの言葉も嘘偽りは無かった。

 ベルナルドはそれを察したのか、遂には折れて二人は共に頭を上げた。


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