死を望まれる者達【1】

 


 ――チュンチュン、チュンチュン。


 朝を告げる小鳥のさえずり。

 その心地よい音を耳にして、アレンは目を覚ます。

 ふと周りに視線を移せば、あらかじめ開放している窓際に数羽の雀が止まっていた。


「ありがとう。そして、おはよう」


 わざわざアレンを起こすためにここまで足を運んでくれた雀達に、アレンは礼を告げる。そして、そのお礼として用意していたパン屑を幾つか置いてやる。


 数年前から始まった朝の挨拶だが、いつの間にか毎朝雀が立ち寄るようになり、今となっては定着している。

その原因は明らかにアレンが餌付けしているからであるが、アレンとしてはそう迷惑ではないので問題は無い。

それどころか、アレンはそれを心地よくすら思っていた。わざわざ、毎晩窓を開けておく程に。


「仲良く食べなよ、まだあるから」


 アレンがまたパン屑を置くと、雀達は夢中になって啄んだ。一生懸命になっているその姿に昨夜のあの少年の姿を重ね、思わずアレンは吹き出しそうになった。


 昨夜、オーグと共にこの家に戻ってきてから、まずは食事を取った。

 色んな騒ぎがあってアレンは昼食を取れていなかったのも理由の一つだが、何より客人であるオーグが腹を空かしていたからだ。


 初めこそオーグは未だ目を覚ましていないオーグの父親を案じてあまり食事を口にしなかったが、アレンがしっかり食べるように促すとその後は普通以上に食べた。それはもう、アレンの分の食事も食べてしまう勢いで。


 まあ、それも分からない話ではない。詳しい話こそ聞けていないが、そもそもオーグは大変な苦労をしてここまで辿り着いたのだ。それも、一日飲まず食わずで。腹が空いていないはずがなかった。


 その後、二人はすぐに眠りに着くことにした。


 当然オーグは騎士が戻ってくることを警戒して見張りをするべきと主張したが、そこは強引に休ませた。

 確かにオーグの言葉を一理あるが、疲弊しきっているオーグにそんな事はさせられない。今すぐにでも身体は眠りたがっているはずだ。


 そんなアレンの思惑通り、結局のところオーグは床に就くと瞬く間に眠りに落ちた。


 そうして、今に至るのである。


「ふぁぁ。……まだ、ちょっと眠い」


 昨晩の疲れが完全に取れていないのか、気怠さが寝ぼけ眼のアレンを襲う。それを吹き飛ばすために目を擦り、伸びを一つ。肩の骨がコキと小気味良い音を立てた。


 そうしてある程度身体をほぐしたところで、アレンは寝台から立ち上がる。

 いつまでも眠っていたい、とは思うものの、今日だけはずっと寝てはいられない。何せ、客人が来ているのだから。


 そう自分に言い聞かせ、隣の書斎で眠っているオーグとその父親を起こしに行こうと部屋を出た――ちょうどその時、隣の書斎からアレンと同様にオーグも姿を現した。


「おはよう、オーグ。良く眠れた?」


「ああ……うん。まあね」


 アレンの挨拶に、ばつが悪そうに答えるオーグ。


 その心境はアレンにも分からないでもなかった。

おおよそ、昨晩の緊張感とは裏腹にぐっすりと熟睡してしまったためだろう。そんな自分が恥ずかしい、と言うよりは自分が情けない。そんなオーグの感情がその苦々しい表情からありありと読み取れた。


 ならば、そんな感情を吹き飛ばしてやろう。

 そう思い、アレンはオーグに告げる。


「まあ、それは聞かなくても分かるね」


「……え? どういうこと?」


 首を傾げるオーグ。アレンが自分の何を見てそう言ったのか、まるで見当が付かずただ困惑する。

 そんなオーグに、アレンは悪戯な笑みを浮かべて答えを告げる。


「頬っぺた。涎がべっとりだよ?」


「――んなっ!?」


 オーグは驚きの声を上げ、自身の頬に触れる。そして、そのオーグの手から伝わる感触は、何かが乾いたようなパリパリとした手触り。それが何を示しているのかをオーグは理解し、その顔を青ざめさせた。

 その姿があまりにおかしく、思わずアレンはくすりと笑ってしまう。


「良く眠れたみたいで、何よりだね」


「わ、笑いながら言うなよ!?」


「だって、おかしいから。仕方無いでしょ?」


「仕方無くないだろ!?」


「だね、あはは」


「……あははって、……はは」


 アレンの笑い声につられて、オーグも呆れ混じりに笑う。どうやら根負けしたらしく、険しくなっていた表情は朗らかにほぐれた。


「アレンって、変な奴」


「酷いなぁ。僕、一応恩人のはずなんだけど」


「じゃあ、変な恩人」


「あんまり変わってないよ」


 そんな風に皮肉を言い合って、二人はまた笑い合う。


 そうしてそんな茶番を終える頃には、オーグの表情はすっかり晴れ晴れとしたものになっていた。

 そこで、アレンはずっと気にかかっていた質問をする。


「お父さん、目を覚ました?」


 オーグの父親の怪我は確かにアレンが治療した。が、それが万全でないことは明瞭だ。所詮は十数年歳を取った程度の子供の応急手当。精々止血と患部の固定が限界だ。


 確かにアレンの持つ技術は年相応以上のものではあるが、それでもあれだけの怪我を完全に治療するには技術も道具もあまりにも足りなかった。


 案の定、オーグはその問いに首を横に振って答える。だが、その後に続けられた言葉はアレンにとって喜ばしいものだった。


「まだ、目も開けてない。けど、多分大丈夫。父さん、息も落ち着いてたし、全然苦しそうじゃなかったから」


「……そっか」


 オーグの言葉に、アレンは心から安堵する。

 それ程に、不安だった。オーグの父親が死んでしまうことが、そのためにオーグが悲しい顔をしてしまうことが。

 オーグの父親が生きていることは、既にオーグだけでなくアレンの喜びにも成り得ていた。


 そうして、オーグの知らせを聞いて心から喜ぶアレン。ふと、そんなアレンに対してオーグは頭を下げていた。


「……オーグ?」


 瞬間、困惑するアレン。

 しかし、アレンがそれ以上言葉を続けるよりも先に、オーグは顔を上げて口を開いた。


「本当に、ありがとう」


「――――」


「アレンのお蔭で、父さんは助かった。だから、本当にありがとう」


 オーグは至って真剣な眼差しでアレンを見た。

 それに答えるように、アレンもオーグのその瞳を見た。そこには、昨日のような淀みは無かった。光を受け、未来を見つめ、輝いている銀色がそこにはあった。


「やっぱり、そっちの方が素敵だね」


「……え?」


「“ごめんなさい”よりも“ありがとう”。そっちの方が僕は好きだなぁって」


「……そっか、へへ」


 アレンの言葉が胸に刺さり、気恥ずかしそうにオーグは口角を上げる。

 アレンはそこにオーグという少年の魅力を感じたようで、僅かに幸福を感じた。


「さ、行こうか」


「行くって、どこに?」


「顔を洗いに、だよ。忘れた? 自分の涎のこと」


「わ!? 忘れてないって!」


「だったら、早く行こう。家を出て少ししたら、水が綺麗な池があるから――って、オーグ?」


 先に家を出て、オーグを池まで先導しようとアレンは玄関の扉を開く。そうして、数秒オーグを待ったが一向に答えが返ってこない。それを訝しんで後ろを振り向くアレン。

 その視線の先にあったのは、笑いを堪えているオーグの姿だった。


「アレン。後ろの髪、跳ねてるよ?」


「……嘘?」


「ホント。……ねぇ、アレン。これって、笑っても仕方無いんだよね?」


 先程の発言のブーメランが見事にアレンを襲う。故に、何かしら言い返すことも出来なければ、笑っているオーグを糾弾することも出来やしない。

 そんな歯痒い思いをしているアレンを見て、またにんまりと笑うオーグ。


 そんなオーグを見てアレンは、


「もう! 置いて行っちゃうよ。オーグの馬鹿!」


 と、頬を膨らませてその可憐さを際立たせて、その場を立ち去ることしかできなかった。




 ◇




 家を出て、二人は池までの道中を歩く。

 まだ寝惚けているのか、道は整備されているにも拘わらずふらふらと歩いているオーグ。一方、アレンはそんなオーグがいつ転ぶか冷や冷やしながらその道中を歩いていた。


「そう言えば――」


 ふと、アレンはそんな事を口にする。が、その言葉はそこまでで止め、続きを口にすることは控えるアレン。

 そんなアレンに些細な違和感を感じ、オーグは首を傾げる。


「……どうしたの? アレン」


「いや、何でもないよ。何か話したいなぁって思ったんだけど、話すことが思い浮かばなかっただけ」


 両手を前で振り、そんな風にアレンは答える。それはまるで何かを誤魔化しているようで、オーグはより一層疑問を抱かずにはいられなかった。


「……そっか」


 アレンが自分に一体何を聞こうとして、どうしてそれを止めたのか。

 それについてこれ以上アレンに追及するのは流石に野暮だろう。一度本人が躊躇ったのだ、相応の理由があるに違いない。

 そう思って、オーグはそれ以上は聞かなかった。


 だが、かといってアレンへの疑問が消えたわけではない。

 今更アレンが何かを企んでいるのではないか、などと疑っているとは言わないが、この時オーグの胸中で確かにアレンに対する不信感があった。


 ――もしかすると、アレンは自分達が帝国に追われている理由を聞こうとしていたのではないか、と。


 確かに、オーグの想像が的中しているならば、アレンのその気遣いは本当にありがたい。遅かれ早かれ話すことにはなるだろうが、父親の倒れている今はオーグとしては進んで話す気にはなれなかった。その点、オーグはアレンに感謝すべきなのだろう。


 しかし、その反面オーグはそれを残念にも思っていた。

 自分に対して遠慮・・したアレン。それがまだアレンが自分に完全に歩み寄ってくれていないように思えて、オーグは少しだけ歯痒さを感じた。


「それよりも、さ。オーグ、何か聞きたいこととかある? 僕が分かることならなんでも答えるよ」


 そんなオーグの想いを感じ取ったのか、アレンが話題を持ちかけてくる。

 他愛のない話だ。だが、ぼんやりとした負の感情を掻き消すにはちょうど良かった。


「聞きたいこと、か。……あ、そういえば、昨日アレンとアイツが言ってたやつ、あれってどういう意味なの?」


「言ってたやつって……何のこと? 僕、何か変なこと言ったっけ?」


「変ってわけじゃないけど。ほら、あの神の何とかが竜の何とかがって言うやつだよ」


「ん? ……ああ、あれか」


 オーグの言いたい事が伝わったのか、数度首肯くアレン。そして横並びに歩いていた状態から前へ出て、アレンはオーグへ振り向き、


「神の御加護があらんことを」


 深々と一礼してみせた。


「…………」


 思わず、言葉を失うオーグ。

 その動作の滑らかさ、指先まで針金が通っているような鋭さ、それらを互いに備えているために生まれる美しさ。その全てをアレンのその一礼の中に感じ取り、間抜けにも口を開けたまま呆気に取られている。


 まあ、それも仕方ないことか。その一礼を見せた途端、先程まで朗らかだったアレンの雰囲気が一転し、優美かつ可憐で礼節を重んじる一面が現れた。


 まるで、聖女のようだ。

 そうオーグに錯覚させてもおかしくない程、アレンのその動作は洗練されたものだった。


「これはね、ちょっとした儀礼なんだ……って、聞いてるの? オーグ」


「……へっ!? あ、ああ、儀礼ね。うん、分かった、儀礼なんだ……って、儀礼って何?」


「もう。やっぱり聞いてなかったんだ」


「ご、ごめん」


 申し訳なさそうに頭を掻くオーグに、「いいよ、別に」と答えてアレンは説明を続ける。


「儀礼って言ってもそんな大袈裟なものじゃなくてね、ちょっとした決まり文句みたいなものなんだ。“神の御加護があらんことを”は相手の幸運を願って、“竜に魅入られざらんことを”は相手に不運なことが起きないように願って使う言葉なんだ」


「へぇ、知らなかった。あれ? でもさ、幸運を願うのに神様が出てくるのは分かるけど、どうして竜が出てくるのさ?」


 何気無く質問を続けるオーグ。対するアレンはその質問に答えるのに僅かな時間を必要とした。


 決してその質問に対する答えを持ち合わせていなかったわけではない。だが、それを説明するために何をどこまで話せばいいのか、その答えを出すのには時間が必要だった。

 そうして数秒間考えた後、アレンはようやく口を開いた。


「オーグ、この世界がどうやって生まれたか、知ってる?」


「……? 生まれるって、どういう事? 世界って生きてるの?」


 アレンの言葉の真意が伝わらず、オーグは首を傾げる。

 そんなオーグの様子を見て「そっか、知らないんだ」と呟きながらアレンは眉を細め、オーグに背を向けて歩き出す。そして、その姿勢のまま顔だけをオーグの方へ向けて、


「じゃあ、そこから話すね……って言いたいところだけど、長くなっちゃうから先に顔を洗っちゃおうか」


 首まで伸びた美しい黒髪を掻き上げながら、そう言って前を歩いていくのだった。


 結局のところ、アレンの言葉から始まった質問の場はアレンの方から強制的に終わらされてしまった。だが、それに関して、オーグはさして気に留めていなかった。

 何故ならその時、オーグは髪を搔き上げるアレンの仕草に見惚れてしまっていたのだから。


 しかし、そんなオーグの事態には気が付かず、アレンはそのまま前へと歩いていく。その歩みに置いていかれないように、オーグも急いでその背中を追った。


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