月下の出会い【5】
「もう、出てきても大丈夫だよ」
そんなアレンの呼び掛けに、少年は草むらの影から脱し、月明かりの元にその姿を晒した。
アレンは一度フードで覆われている少年の顔を確認し、続けて少年の足に目をやった。
「足、大丈夫だった? 手当てはしたけど、痛みが無くなる訳じゃ無いから」
「あ、いや……うん。その……えと、まあ、大丈夫」
自分に対して気を遣ってくれるアレンに、少年はしどろもどろになりながら答える。
言わなければならない言葉、言葉にしなければいけない感情。それらが少年の中で複雑に絡み合い、上手く言葉に出来ないでいた。
いや、分かってはいるのだ。本当に言わなければならない言葉が、何なのか。
けれど、それを他でもない自分の感情が邪魔をする。本来簡単に紡げるはずの言葉を、自分の感情がそれを難しくする。
「……どうしたの? やっぱり、まだ辛い?」
「い、いや! そういうんじゃ……なくて」
「……なくて?」
首を傾げるアレン。その姿を見て、少年は目を逸らした。
数秒間、沈黙が二人の空間を支配する。
風の音、木々の声、二人を取り囲む様々な音色が鮮明に聞こえ、それがまた少年を追い詰める。
何より少年の気を
「……ごめんね」
「……え?」
突然告げられた謝罪の言葉に、少年は顔を上げた。
「僕は君を助けてたつもりだった。けど、君は僕に助けられたくなかったんだよね。……だから、家を飛び出していっちゃったんでしょ?」
「…………」
アレンの言葉に、少年は言葉を失った。どうしてアレンが謝ったのか理解出来ず、言葉を失う他無かった。
「どうして……君が謝るんだよ」
気が付けば、そんなことを口にしていた。わなわなと震える拳を握って、そんなことを口にしていた。
「いやぁ、余計なお世話だったかなぁって。あはは」
「どうして……笑うんだよ」
「えっ? どうしてって……どうしてだろうね?」
「何にもっ! おかしくないだろっ!!」
気が付けば、声を荒らげていた。震えていた拳を開いて、アレンの襟を握って、叫んでいた。
その時にはもう自分の感情が抑えられなくなっていた。自分の内から沸き上がる激情を、思うがままにアレンへとぶつけていた。
分かっているのだ。
この激情が、全く正当なものでないことも。本来自分自身の内で抱え込まなければならず、決して表に出してはいけないことも。
けれど、止められなかった。誤魔化すように笑いながら、あくまで少年を気遣って謝ってみせたアレンの姿を見ると、歯止めが利かなかった。
その笑みが、むしろ自分を責めているようで、一瞬理性を失った。
「本当に悪いのは俺だろ!」
吐き出し、
「謝らないといけないのは俺だろ!」
吐き出し、
「余計なお世話なんて……言わないでくれよ」
吐き出した。
堪えていた想いの丈を、そのままに。
最後の言葉を告げた時には、既に頭の血は引いていた。けれど、決してその言葉が本心では無い訳ではなかった。
「……ごめんなさい。君は俺を助けてくれたのに……俺は君に、酷いこと言った」
少年がずっと伝えたかったこと、それは謝罪だった。
我が儘で、無茶苦茶で、横暴な物言いをしてしまったアレンにどうしても謝らなければと、アレンへの劣等感を感じながら、ずっとそんな強迫紛いの義務感を抱いていた。
それを今、全て吐き出した。
「本当に、ごめんなさい」
少年は目を瞑り、頭を下げ、許しを請う。
いや、実際許してもらえるなどとは思っていない。どれだけ頭を下げようと許してもらえないような事をしたのだ。それも、自分自身の自尊心と天秤にかけた上で。
少年が頭を下げたのはアレンへの誠意を見せるためではなく、アレンへの後ろめたさのため。目を瞑ったのは、アレンの表情を見るのが怖かったから。
そんな自分が何故許してもらえるというのか。少年はそんな背徳感に包まれながら、アレンの言葉を待った。
――しかし、次にアレンの口から放たれた言葉は少年の期待していたものとは違っていた。
「顔、上げてよ。君は何も悪いことなんてしてないでしょ?」
「…………したよ、いっぱい。酷いこと、した」
「確かに、それは酷いことかもしれないね。……でも、それは悪いことじゃないよ。誰かのためを想って精一杯声を張り上げられることが悪いことなら、僕はそんな悪い君を誇らしく思うよ」
「――――」
アレンは肯定した。
まるで筋の通っていない少年の我武者羅な叫びも、後ろめたさからアレンと向き合おうとしない少年の行動も、何もかもを。
「……それでも――」
「それでも、君が自分自身を許せない?」
自分の言葉に重ねるように告げたアレンの言葉に、少年は頷いて答える。
そして、その答えを受けたアレンは、少しだけ悪戯に笑った。
「だったら、一つだけ。一つだけ、僕の言うことを聞いてくれる? 君の僕への償いだと思ってさ」
「……償い?」
「そう、償い。君が君を許すための、償いだよ」
少年が少年を許すための、償い。
その響きに、少年はどこか惹かれた。
果たして、少年がアレンの頼みを聞いたところで、少年は自分自身を許せるのだろうか、それは分からない。分からないけれど、少年はそれに惹かれた。何か少しでもアレンの力になれることがあるならば、その力になることが自分を許せることに繋がるような気がした。
「分かった。何でも言って、何でもするから」
故に、少年はその申し出を受けた。
自分の償いのために、アレンの力になることを決めた。
「じゃあ――」
アレンはまた、悪戯に笑う。
「君の名前を教えてほしい」
それは少年にとって何かを犠牲にするものではなく、ましてアレンにとって何かを得るものでもなかった。ただ、今日初めて出会った二人が極当たり前に交わす、友好の証。
当然、それは少年にとっての償いに成り得ない。少年が何も犠牲にせずに、都合良く償えることなどありはしない。
けれど、もう少年にはそんな事はどうでも良かった。アレンの頼みを耳にした時点で、そんな事は既に頭から霧散していた。
ただ、嬉しかった。
嫌われていると、疎まれていると、恨まれているとさえ思っていた相手から、手を差し伸べられたことが。
「……そんな事で、いいのかよ」
「そんな事がいいんだよ。今の僕にとっては、それが一番大切なことだから」
「あはは……変わってる」
「良く言われるよ」
幾分か穏やかになった心で、少年はそんな皮肉を言ってみせる。
すると、当然アレンから言葉が返ってくる。当たり前だ。当たり前であるけれど、そんな事が何よりも嬉しく思えた。
ならば、答える他あるまい。それが、アレンへの償いとなるならば。
少年は前を向いた。そこには、闇が深い夜の山の中でも美しく輝く、天色の瞳をした少年がいた。
「俺の名前はオーグ。オーグ・ヴィングルート」
「僕の名前はアレン。アレン・ハーヴィ」
そうして、二人は互いに握手する。礼儀を重んじてのものではない。明らかな、友好の証。
互いの手と手が触れ合った瞬間、少年――オーグは悟る。先程自分の胸中に生まれた淡い願望が、何であったのかを。
そして、その願望を果たすために、オーグは再度口を開く。
「あ、あのさ! その、良かったら、俺と友――」
『きゅるるるるるる』
が、それは他ならぬ自分自身の腹の音によって遮られてしまう。
オーグの言葉が聞き取れずに一瞬キョトンとするアレンだったが、やがて何もなかったかのように微笑み、オーグの手を引いた。
「あはは、お腹減ったよね。僕もだ。早く家に戻ってご飯にしよっか」
「あ、う、うん」
結局、オーグはそれを口にすることなく、アレンと共に家へと向かった。
けれど、もやもやした気持ちでその道中を歩いていたかと言うと実はそうではない。オーグにとって、こうしてアレンと和解できたことが何よりも幸福だったのだから。
これは、とある聡明な少年と勇敢な少年の出会いの物語。
そして、後に英雄と讃えられる二人の少年の冒険譚、その幕開けの物語。
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