第3話 宮地 雫 Ⅱ
帰りのショートホームルームが終わると僕はすぐさま帰路に着いた。本来ならば部活やら委員会やらと何かすることがあるはずなのだが、なにもないのだ。つまり、僕は部部活も委員会も入っていない。
毎日いつもの帰り道を歩いて帰るというとそんな日常に、ここ最近新しいことが増えた。
帰り道でもあり、散歩のルートでもある砂浜に長く続く堤防を歩いていると、いつも、彼女がいるのだ。
黄昏時の砂浜で海の方をずっと見ている。
毎日決まった時間にそこに立っている。
風の日は長い黒髪を風になびかせ、海の凪いだ日は気づいたらそこにいたというとぐらいに存在感がなく、そして、僕が家に帰って散歩に出かけるともうそこには居なかった。
そんなことが何日も続いた……
今日もまたいつもと変わらない時間に学校を出て、家でやることをやった僕は散歩に出掛けた。そして今日はたまたま砂浜に降りた。
いや、たまたまでなはい、きっと僕は彼女が見ていたものを彼女と同じ場所に立って見てみたかったのだ。
景色は綺麗なものだった……
海も水平線より上の空も深いオレンジ色に染まっていた。とても神秘的だった。しかし、何故だろうかそれと同時に悲しくなった。きっとこの光景は一人で見るには寂しすぎる。誰かがもしも隣にいたのならきっとこの気持ちも別のものになっていただろう。
「すみません……」
どれくらいの時間が経ったかわからない。その声で僕は我に返った。
「は、はい」
一週間前にスーパーの帰りに出会った人で、いつもこの場所で海を見ていた彼女だった。
こんなに近くで会ったのは二度目だ。
服装はワンピースを見事に着こなしていて、今日も帽子を被っていた。
「前に帽子を拾ってくれた人ですよね……」
彼女は、少し首を傾げて聞いてきた。
「た、多分そうです……」
彼女は微笑んでこちらを見て、
「その節はありがとうございました」
言った。
「あ、はい……いいえ、気にしないで下さい」
沈黙。
どうしよう……これ以上会話のを続けるための言葉が思いつかない。
だが、話を切り出したのは彼女だった。
「あの……、帽子を取ってくれたお礼と、卵のお詫びをさせて下さい!」
頭を下げながら彼女は予想もしていなかった言葉を口にした。
どう答えたらいいのかわからなかった。どうしたらいいのだろうか、見ず知らずというわけではないが名前は知らないし、どこの学校かもわからない。
だけど、僕は負けた、というよりも諦めた。
どうも前の時みたいに断りきれない勢いだったからだ。
「わ、分かりました」
正直、行きたかったのかもしれない。
暇だったし、何よりこの変な気持ちをどうにかしたかった。
近くの喫茶店に案内しますと言われたので、僕はのこのこついて行った。
目的地の喫茶店は歩いてすぐだった。浜辺から道路を横切り、路地裏に入って少しのところで、鈴のイラストが描かれた看板のある喫茶店だった。
店の趣味なのか、扉には本物の鈴も置いてあった。
「こんなところがあるんですね……」
「えぇ、夜にはバーに変わるんです」
「知らなかった?」
彼女に聞かれて僕は答えた、
「知らなかった……です」
ここに来る途中に少しだけ話をした。
僕の名前が〈宮地雫〉だと最低限の自己紹介をして、彼女の名前が〈浅海結〉であることと、年齢が同じ十六歳で高校二年生だという事を知った。
喫茶店兼バーのお店に入ると、なんだかとても暖かいものに包まれた気がした。すべてが木。壁も棚も机に椅子も、ほとんどのものが木でできていた。カウンターの上にはコーヒーミルが置いてあった。
さらに後ろの棚には見たこともない高そうなお酒やワインなどが置いてあり、そういえば外から見たときも外壁は木だった。
僕自身も長年ここに住んでいるはずなのに全く知らなかった。
ふと僕は彼女の横顔を見て彼女もこの辺に住んでいるのかと考えた。その答えはすぐ分かった。
「実は、私もこの近くに居るんですよ」
「へぇー」
一つの事実を知った。
けど『居る』というのはどういうことなのかよく分からなかったが、特に聞こうとは思わなかった。
店のマスターに僕と彼女はカウンターから離れた窓際の二人掛けのテーブル席に案内された。席に着いたものの会話というものが全く発生しなかった。そんな状況でも話を切り出したのは彼女であったが、再度僕に礼を言ってからまた黙り込んでしまった。
好きな本、作家、歌手などと、どうしたら会話が進むのかと悩んで僕が適当に出した話題によって沈黙は破られた。
会話はお互いの趣味が案外合ったのかとても弾んだ。僕にとってこんなことは初めてだった。思いのほか盛り上がってしまった僕は少し恥ずかしくなった。
僕は頃合いを見計らってそろそろ帰ることにした。彼女もどうやらこれから用事があるとのことだったので一緒に店を出た後それぞれ別方向へと歩き出した。
――また、会えるだろうか。
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