第5話
あまねこ亭の幼き店主こと、アズサ・サラマンダーの母、セレンは凄腕の冒険者である。
乱雑に伸ばされた赤髪を、適当な紐で根元を束ねただけの簡単な髪型が印象的で、出で立ちは凛とし、黙っていれば美人だと皆が口を揃えていう。
しかし、出身が剣国グリムリストの異質な体質と、明日を生きるために剣を握らざるを得ない、そんな荒んだ土地柄のせいか、気性は荒く喧嘩早い事でも有名で、また、男より男らしく真っ直ぐ芯の通った性格は、ギルド区の皆からは親しまれていた。
そんなセレンが営んでいたからこそ、あまねこ亭には連日連夜、朝から朝まで絶えない苦情と笑い声で、巷では眠れない街角と親しまれており、いつも最後は
(あの頃は良かったなぁ……)
現在、母親はフィレスデニアに設けられたギルド制度や騎士制度とは別の、危険度が最も高いと言われる
本来であれば、アズサは中央区に居る知り合いの家へ預けられ、店は畳む予定だったのだが「お母さんの帰る場所は私が守る!」と我儘を言って聞かず、珍しく困り顔を見せた母親の顔を今でも良く覚えている。
しかし現実はそう上手くいかなかった。
新しい客はなく、偶に店にやってくるのはお母さんに所縁のある人ばかり。
経営もままならず、
(何でこんな事になっちゃったんだろう……)
アズサは気力なく店内の隅っこに座り込み、自らの太ももに頭を置いて、痛い痛いとメソメソと泣き言を漏らすマサムネを無心に撫でる。
吹き込む風が赤髪を揺らし、つられて泣き腫らした顔を上げると、天井に空いた大穴から差す日差しに、引いた涙がまた出そうになった。
店内に並べられたテーブルに着き、対面する少女は、床に着くか着かないかのつま先を前後に揺らす。
頬をつきながら、不貞腐れた顔をそのままに、紫色の瞳はマサムネへと向けられていた。
「それで、何処のどなた様でしょうか?」
相手の身なりは美しく、おもちゃ代わりに紋石や遺物を持たせるとは、かなり上流の、しかもヤバイ家系に違いない。
(面倒事はごめんなんだがなぁ……)
氷が足され、冷えたグラス片手に、ガルフォニクは慣れない言葉を投げかける。
「我か……、我はそうだな……」
まるで自問自答するように、独り言ちる少女に、やはり上流の家系か、と思ったのも束の間、やがて答えを見つけたのか、用意された水を一気に流し込むと、勢い良く立ち上がり、手を天へ突き出す―――
「天を纏いて、悪を討つッ!
自信満々に語り終えた、少女は気分良く笑顔をガルフォニクへ向けた。
「ちなみに呼び名はアンリで良いぞ、今はこんな
わざわざ椅子からおりて自信満々にポーズまで決め”痛い子宣言する少女”を前に、ガルフォニクは地雷を踏んだと額に手を当て、何がぼんっ、きゅっ、ぼんっだよ……、と現実を見ない少女こと”アンリ”を前に天を仰いだ。
「で、
しまった、とアンリは突き刺さるような視線に目を向けると、魔物じゃないもん、と泣きはらした目で恨めそうに睨むアズサの視線が突き刺さり、先の泣かせてしまった件から、なんとも居心地が悪くなるアンリ。
その腕に抱えられたマサムネと言えば、先程の醜態から一転、気持ち良さそうにアズサの撫でる箇所に注文つけては、目を細め、その風貌に似合ない甘えた声を漏らしていた。
そんな様子を見ながら、ガルフォニクは苦笑する。
「あいつはマサムネって言うんだ、うちのギルドメンバーで、役職はスカウト、うちの稼ぎ頭だ、というか実質アイツしか稼いでないっていうね」
「ほほぅ、マサムネねぇ……」
稼ぎ頭、という言葉に反応するようにマサムネの尖った両耳がピクリと動く
「ふんっ、主はマスターとして構えとくだけで良い、全て我輩が何とかしてやる」
「流暢に喋る動物など居るものか、ましてや人間の為などと、怪しいやつめ」
「言ってろ小娘」
「むっ、なんだと生意気な!」
「まぁ、あまり言わないでやってくれ」
ガルフォニクがなだめると、アンリは渋々引き下がると、しばらくして何かを思い出したかのように手を叩き声をあげた。
「おぉ、そうだ、ギルド、と聞いて思い出した、ここにシオンのギルマスがいると聞いてきたのだが、おらんのか?」
「……お知り合いですか?」
「知り合い?何を言う、我と
まるで、先日の出来事かのように語った内容に、彼女が語る其れが、一体誰を指すのかこの部屋の全員がすぐに思い至る。
気付けばアズサはその手を止め、マサムネはその漆黒の片眸をガルフォニクへ向けていた。
「亡くなったよ、5年前に」
グラスの氷が、カランと音を立てて崩れた。
なっ―――
アンリは声を詰まらせ、驚き目を見開くと、やがて一抹の寂しさを浮かべ
「そうか、
―――我がもう少し早く目覚めていれば……
そう呟くと、それ以上を語ることはなく、静かに目を瞑る。
愁に沈み、夢想するアンリの姿に、その想いの丈は計り知れず、いかに大切な存在であったかが伝わる。
やがてアンリは目を開くと、おもむろに右手を横に伸ばし、現れた紫色の空間から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
「この依頼はまだ有効か?」
置かれた紙は色褪せ、
しかし、件の依頼元はシオンの元マスターであるトウヤになっており、ガルフォニクすら知らされていない内容に、紙を手に取り食い入るように目を走らせる。
「こんな依頼、一体いつから……」
やがて全文を見終え、顔を上げると、そこには女の子のそれではなく、真剣な眼差しで見つめる紫色の瞳がそこにはあった。
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