第1話
まだギルド区の開店を待つ店々が並んだ一角に人目を避けてひっそりと建てられた「あまねこ亭」がそこにあった。
中では日の入りが悪い店内に備え付けられた紋石によって淡い光が周囲を照らし、テーブルに映る様は清潔感に溢れ、店主がいかに店を大切にしているかが伝わってくる。
そんな中、開店前だというのにいつもの様に入り浸る男を前にして面倒臭く対応するうら若き店主こと、アズサの姿があった。
アズサは自らが纏う
「今尚、世界はその都市を中心に回っていると名高い大都市フィレスデニアを建国したお偉いさんはこう言葉を残した。」
「この世のありとあらゆる苦悩も、この”
そしてグラスの中に注がれた
わざとらしく咳払いをし、渋い男を演じて語る男を前に普段のちゃらけた雰囲気を知るアズサはそのギャップに噴き出しそうになるのを必死に堪え件の酒を注いでいく。
支配者が求めて止まなかった酒の歴史を紐解き、出会えた幸運に酔いしれながらテーブルに頬を押し付け愛おしそうに注がれていく最上の銘酒を冠する
ざっくりと切り揃えられた茶色髪から覗く赤目が容器を満たす液体に反射し幸せに頬を緩めきった顔が写り込む。
「何一人で語ってんのよ気持ち悪い、全く似合ってないわ。アンタみたいな中毒者にはこれくらいが丁度良いのよ」
しかし残念な事に、隣で注ぐ少女にはその価値はまだわからないようである。
意地悪く注いでいたボトルを引っ込めると、少女は左右に束ねた赤毛を揺らすと得意げに鼻を鳴らした。
「ふ、ざ、け、ん、なッ!!」
ガルフォニクは並々注がれる前に止められてしまった声の主に不満を漏らし、鼻を鳴らす少女のお尻を思いっきり鷲掴みにすると「ひゃっ」と少女特有の甲高い声が挙がり怒りに震えるアズサを余所に、狂った手元から勢い良くボトルを奪い去るとグラスへ溢れんばかりに注いでいく。
「なっ!!なぁ〜〜っ!!何て事すんのよ!セクハラよ!!罰金ッ!お母さんに言いつけるんだから!!」
「ひゃっ、だってよっ」
間髪入れず、その小さな右手でヘラヘラと笑う男の頬を叩きつける。
「最っ低ッ!!」
アズサは両手を腰に構え前のめり腰を折ると、胸元に添えられた真っ赤なリボンを揺らしながら小さな身体を精一杯に大きく見せ、べーっと舌を出して抗議した。
ガルフォニクはそんなアズサの愛らしい姿を見て笑いをかみ殺すと、叩かれた頬を撫でながら並々に注いだグラスを片手に窓から差す光にかざした。
黄金色に煌めき最上の気分へと誘われうっとりと眺める。
グラスを揺らしその芳醇な香りに深呼吸を一回、覚悟を決め一気に呷る。
「うんっまいッ!!」
五臓六腑に染み渡り、脳を覚醒させる感覚が何ともたまらなく眉間に皺を寄せると感情のままに声を上げた。
「ガル……、アンタおっさん臭いわよ、ホント冗談抜きで……」
そんな様子にアズサは溜息混じりに咎めるが、子供のようにはしゃぐガルフォニクを見て何を言っても無駄だという答えに辿り着き、がっくしと肩を落とす。
「残念だなぁ、アズサお嬢ちゃまには一生酒の良さはわかんねぇだろうな……可哀想に」
「誰がお嬢ちゃま、だッ!」
再度振られるアズサの右手を身軽に躱しながら更に煽るガルフォニク、そんな二人のいつもの痴話喧嘩に唸るような渋い声色が二人の間に割って入った。
「アズサ嬢、我にも同じものを頂けないだろうか?」
視線を下げれば足元にはガルフォニクの連れである、眼帯をつけた黒狼がテーブル下からその風貌を覗かせ顎をアズサへ向ける。
「はいはい、ちょっと待ってねマサムネ」
アズサはカウンターへ戻ると、慣れた手つきで専用の丸皿を取り出しマサムネと呼ばれた人語を介する黒狼の前に置き先の銘酒を惜しげなく注いでいく。
「おいまて、何でそこのクソ犬には普通に入れてるんですか?ん?そんなクソ犬には安物のグラトニックでいいだろうよ」
その一連の動作に何の違和感がないことに、ガルフォニクは抗議し強烈な飲み口で一部の人間にしか好まれない癖のある酒を勧める。
「あら、年中呑んだくれのアンタに比べたらマサムネの方がよっぽど利口で紳士的だからに決まってるじゃない」
「そうだぞ、我輩は主人の半身にして聡明さと威厳を備えた黒狼マサムネ。これくらいは赦されて当然なのである」
「何が聡明さと威厳だ、この、クソ犬、がっ」
テーブル下でくつろぐマサムネを右足のブーツで軽く踏みつけコネくり回すも特に嫌がる様子もなく、なされるがままの黒狼は存外気持ち良いのか目を細めその頭を左右に揺らした。
誇らしげに語るマサムネの頭を優しく撫でながら、アズサは笑みを浮かべ
「一度自分の態度を見直してみたら」と余所目でガルフォニクへ視線を向けると嫌味たらしく助言を授ける
「ン、ありがとうアズサ嬢」
心地よく目を細め喉を鳴らすとマサムネは、注がれた酒に映る己を様々な角度から見て満足したのか鼻を一鳴らしし、専用の丸皿へチロチロと舌を伸ばした。
アズサはその様子を満足げに眺めていると思い出したかの様に、ところで、と言葉をつないだ
「アンタいっつも酒飲んでそこら中の女の子に手を出して回って、いい加減仕事しないの?未だにアンタがギルドマスターやってるってのが一番不思議なんだけど」
「ギルドマスターと言っても名ばかりで別に肩身が狭い身分でもないぞ、俺の所は大世帯でもなければ俺含め一匹と一人しかいねぇからな」
「で、そのもう一人には何て言って出てきた訳?確か前々回は迷い猫の親探しで、前回は友人の荷物運びだったわよね」
良く覚えているな、と感心しつつ酒を片手に天井を仰ぎ見る。
「今日か……?今日はなぁ―――」
言葉を口にしようとした瞬間、空気が揺れ、入り口の扉に下げられた鈴が鳴り、新たな来客の訪れを知らせる。
ガルフォニクは視線をずらし、現れた男達を目の当たりにした瞬間、先ほどまで最高潮であった気分が急速に冷めていくのを感じた。
(ああ、クソっタレ。せっかくヘソクリまで使ってまで手に入れた
我が物顔でやってきた男に察知されぬよう、ゆっくり、静かに、悟られないように腕を伸ばし顔を横に机に伏せ気配を殺す。
どうか見つかりませんように、そう願いを込めて”寝たフリ”を決め込んだガルフォニクであった。
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