第八項-3

 同じ頃。淡い色を基調として構成されている筈の服をあちこち赤黒く染め、仰向けに寝転んでカムラは霞んだ視界にぼんやりと空を見上げていた。

 建物と建物の屋根の間から見えるのは、夕方から夜に変わる、紫と藍のグラデーション。陽光は遠く、とうに陽は沈んでいるだろうが、その真偽すら分からない。

 朦朧とする意識の中でさまよい歩きたどり着いたのは、幼少の頃にずっと過ごしていたあの路地裏だった。

 先程序列3番の悪魔・ウァサゴを封印する際に受けた傷は決して浅くない。他に序列7番の悪魔・アモンも居たということもあり、一緒に行動していたレカを呉羽に任せて一人ウァサゴを追ったことが原因だろう。

 かと言って、レカを一人にするわけにはいかなかった。呉羽だって神子だ、もしもの可能性は避けなければいけない。だったら、二人と一人に分散するなら自分が一人の方を選ぶ。それに後悔はない。

 ゆっくりと目を閉じて、絞り出したカムラの声は掠れていた。

「……ごめん。ごめんね……リジー、レグルス……」

 呼ぶのは、愛しい妻と息子の名。


──『戦いが終わったら、一緒に色々な所へ行きましょう。三人でも良いし……ああ、アーサーさんや他のみんなと一緒でも良いわね』

『たのしみにしてるね、パパ!』


 どうやら、約束は守れそうにない。

 ただ、大切な『想い』だけ、ここに遺して逝くから。

「みんな……だいすきだよ……」




 悪魔を封印した証の魔導書を開き、クラムは眉を寄せる。それを見たアドゥールが、彼に歩み寄って首を傾げた。

「どうしたクラム、難しい顔して」

「うん……。今、世界に残る悪魔が、三体にまで絞られたよ」

 静かに魔導書を閉じ、深く息を吐き出す。

 つい今彼が口にした、それは吉報ではないか。その割にクラムの表情は暗く翳りが見える。一体どうしたというのか。

 思ってアドゥールが見つめていると、ふとクラムが意を決したように顔を上げた。

「どうせすぐ分かることだから、隠さないよ」

「?」

「ブネやガープ、他の真摯な悪魔の全てが教えてくれた。…………メルサとカムラが……死んだ、って……」

 ヒュッと、一瞬鳴った喉に空気が入らなくなった。呼吸を忘れてしまう程の衝撃。だがそれを告げたという悪魔たちは、契約者に対し嘘をつかない者だ。間違いはないのだろう。

 瞬間、脳裏に彼らとの思い出が駆けたような気がした。

「レカの所に行って、アドゥール。僕はヘンリーを呼ぶ。『赤毛の女を一人にするな』って、カムラが封印した、ウァサゴからの情報」

「クラム……」

「落ち込むのは、全ての悪魔を封印してからだ」

「…………ああ」

 そうだ、辛いのは何も自分だけではない。自分たちだけではない。協力してくれている各地の兵士たちも、一般の人々も、大切な仲間や家族を少なからず失っている。分かってはいるのだ。

 だけどやはり、辛い。それでも、だからと言って立ち止まることは出来ないし、そもそも許されない。無理矢理にでも顔を上げて、戦っていくしかない。

 クラムに言われた通り、アドゥールはレカのもとへと行くため彼の傍を離れた。




 戦うことを、やめるなんて出来なかった。 失うことに怯えながら、それでも最後まで戦う以外に道は残されていなかった。

 だって、ここで戦うことをやめてしまえば、これまで道を作っては犠牲になった人々の命を踏みにじることになる。それは許されない。

 選ばれてしまったのだ。世界に。いつからか現れては各地で暴れ始めた悪魔を封印する、その『英雄』に。世界を救う『救世主』に。

 進んでいくしかないのだ。全てが終わるまで、立ち止まるわけにはいかないのだ。




 無事にアドゥールと合流したレカは、彼からクラムに告げられたという話を聞いた。信じ難いと思いつつも、アドゥールがそんな嘘をつくわけがないということも知っている。

  零れた涙は胸元に落ちては消えていく。どうして、どうしてと、口には出さないままに心で叫ぶ。

「っ……ふぁ……ぅ……」

 止まらない涙を何とか止めようと両目を擦り始めて、すぐにアドゥールの手に止められた。見上げようとすると、その前にそっと優しく抱き締められる。

「アドゥ……」

「止めなくていい。ただ、泣いた後は、もっかい頑張ろう。悪魔全部封印して、それからまた思いっ切り泣けばいいんだ」

 優しい声、優しい腕に、熱い涙がまた止まらなくなった。なんてずるい男だろう。だけど今だけ、甘えていたくて。

 ぎゅっとアドゥールの服の胸元を握り締めて泣いた。

「アドゥール…………あなたは、死なないで……」

 しゃくりあげながら、震える声を絞り出す。

「死なないでね……」

 お互いに、約束なんて出来ないと分かっていて、真面目な彼がそんな言葉に返事は出来ないと、分かっていて。それでも言わずにはいられなかった。これ以上失うのは嫌だと、縋り付くことしか出来なくて。

 黙ったままのアドゥールの表情は、レカには見えていなかった。

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昨日の明日 水澤シン @ShinMizusawa

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