第八項-1

 72体居た悪魔もようやく残り数体にまで封印したのは、戦いが始まって半年以上が経ってからだった。どこもかしこも被害は甚大だ。復興もしようと動いた矢先にすぐまた悪魔に壊される。

 先の戦いから撤退した街の宿で、メルサは手首の飾りを外して見下ろした。その両手首の甲の部分には、くっきりとした三日月型の痣がある。

(随分濃くなったな……)

 半年前は、ぼんやりと薄く形もおぼろ気だった痣。それを見て、メルサは深いため息を吐き出した。

「これはいよいよ、時間がねぇな」

 吐き捨てるように言っては再び腕飾りを嵌め、痣を隠す。

 これさえ見付からなければ、ある程度の『症状』は疲れたからだと誤魔化すことが出来るから。実際、今までだってそうしてきた。

 そう、メルサはもう半年以上も前から、不治の病に侵されていた。気付いたのは戦いの前、アーサーに問い質されたあの日からほんの数日前のこと。手首に浮かんだ痣と、軽度のめまい、耳鳴り。

 この時点ではまだ、病の正体を特定出来てはいなかった。だがその時既にメルサは悟ってしまったのだ。自分はもう永くないのだと。

 やがて症状はどんどん進み、導き出された病名は『ダークムーン症候群』というものだった。これは両手首の甲に三日月型の痣が必ず出ることから付けられた名なのだということだった。

 他に、体重は減り、急激に筋力は衰え、重度の貧血を起こし、高熱も出る。逆に酷い低体温症になることも。特効薬は勿論のこと、有効な治療法すら見付かっていない死病だ。

 更にこの病は脳への障害ももたらし、記憶にまで影響を及ぼすのだという。

 実際にメルサも、仲間たちとの昔話を聞いても思い出せず、曖昧に頷くだけのことが徐々に増えていった。今となっては、時には自分が死病にかかっているということすら忘れてしまう始末だ。

 いつかは、家族のように慕う仲間たちのことも忘れてしまうのだろうか。メルサ自身を除いて唯一病のことを知るアーサーが頻繁に様子を見に来てはくれるが、彼のことも忘れてしまうのだろうか。

(それは……少し、怖いな)

 だけど、立ち止まることはしないと決めたから。

 病のことを知ってから付けるようになった日記を、何度も何度も読み返す。その一番始めのページを、毎回、必ず。それから日々あったこと­──身近に起こったことや、今やろうとしていること、忘れてはいけない情報と、忘れたくない思い出。仲間たちとの時間を何度も復習して。

­ ふと、物音に顔を上げて部屋の扉を見た。

(これは、仲間の気配? 彼らのうちの、誰か──)

 そこまで考えて、はっとする。まさか、仲間の気配も見分けられなくなっている?

 思わずぶるっと身を震わせた。記憶が減っていっていることに気付かれないよう、ここのところずっと一人部屋に籠っているせいだろうか。

(嫌だ。まだあいつらのことは、忘れたくない……!)

 せめて、もうしばらく。この戦いが終わるまで、くらいは。

 日記をその場に落としたことに気付かず、今までそれを読み返していたことすら忘れて、メルサは床を蹴っては扉に手をかけた。気配を追って建物を出ると、そこに仲間の姿。

「……ヘンリー」

「! 何だ、メルサか」

 振り返ったヘンリーの姿に、ほっと息を吐く。良かった。まだ顔を見れば、それが誰かくらいは分かるようだ。

「どうした? お前が戦い以外で部屋から出るのなんて、久しぶりじゃねぇか。最近は疲れが取れないとか言って籠ってんのに。歳だな」

「歳ってお前、俺と…………大して変わらないだろ。ちょっと気分転換だよ、今日は調子が良いから」

 また、忘れていることを見付けた。それを誤魔化すように笑いながら、メルサは肩を竦める。

 その様子を見たヘンリーは、心配そうに眉を寄せた。

「調子良いって……その割にお前、随分顔色が悪いぞ。痩せたせいか? 戦いの最中だし、俺や他の奴もあんま言えた義理じゃねぇけど、無理すんなよ? しんどかったらちゃんと言え」

「ヘンリーに心配されるとはなー」

「おまっ、ヒトの心配を何だと!?」

「はははっ」

 他愛も無い会話。こういうものを、あとどれくらい出来るだろうか。怖い。けれど、自らの運命に抗うこともしない。

──と、ヘンリーの後ろで影が動いたのが見えた。

「? ……っ! ヘンリー!!」

「!?」

 考えるより先に、手を伸ばす。守らなければ。彼を失ってはいけない。クラムの為に。ひいては、世界を悪魔たちの手から救う為に。

 ライオンのような姿をした悪魔・序列5番のマルバスの爪が、ヘンリーを庇ったメルサの背を大きく裂く。

「メルサ!」

「っく……!」

 痛みに顔を歪めながら、懐から封印の陣を描いた紙を取り出し。再び襲いかかって来たマルバスの爪から逃がすようにヘンリーを思い切り突き飛ばした。

 触れたメルサの腕の冷たさに驚き、突き飛ばされるそれに抵抗出来なかったヘンリーは尻餅をつく。

「っ……?」

(何だ、今の)

 まるで、氷のようだった。

 あんな状態で「調子が良い」なんて言ったのか。あんな状態で、彼は戦っているというのか。

 まさか、これまでも?

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