第七項-3

 気付けば、兵の半分がやられていた。

「撤退だ!」

 声をあげ、兵を引かせる。悪魔は、封印出来ずとも退けなければいけない。でなければ被害は広がってしまう。街も、半分以上が焼かれていた。

「メルサ、まだ動けるか?」

「余裕ッ」

 震える膝を自分の拳で殴って抑え付け、顔にだけしっかりと笑みを湛えて立ち上がる。差し出されたアドゥールの手は、借りなかった。

 ヒョウの姿の悪魔は、序列57番のオセ。ヒトに狂気をもたらす力を持つオセをこれ以上野放しにするわけにはいかなかった。

「今日は引く。でも次は必ず封印するぞ」

 走り出すアドゥールを見ることもなく、メルサはオセを睨む。数回腕を振って、それからオセを挟んだ向こう側でアドゥールが立ち止まったことを確認してから、勢いよく腕を上げ、ぐっと引いた。

 陽光に反射して光った糸のようなものが、オセの身体に絡みつく……前に、オセはその場から飛び退き、また他の悪魔と同様に忽然と姿を消した。

 するすると糸――斬鋼線を回収し、慎重に片付ける。触れ方を間違えれば自分の手も切れてしまう危険な道具だ。だがあらゆる奇術を使う為には扱いやすい便利な道具でもあり、単体でもこうして武器となりうる。

 歩み寄ってきたアドゥールが隣に立った気配に、メルサは大きく息を吐いて彼の肩に寄りかかった。

「どうした、疲れたか?」

「少し……」

 普段皆の前では決して言わない弱音。今はアドゥールしか居ない。少しだけ。ほんの少しだけなら、甘えても構わないだろう。

「調べ物や技の練習も良いけど、ちゃんと休めよ」

 そっと、メルサを支えるように肩を抱き、反対の手ではポンポンと優しく頭を撫でる。これは確かに女も惚れる。改めてそんなことを思いながら、メルサはふっと笑いをこぼした。

「さんきゅ。もう大丈夫だ。領主の所へ戻って次の作戦を立てよう」

 今度こそ、逃がしはしない。負けもしない。必ず勝って、被害を最小限に、オセを封印する為に。




 魔法陣を展開し、光が悪魔を絡め取る。

「ソロモンの名と血に於いて、契約締結の儀を行う。悪しき悪魔に封印の枷を。『ソロモンの鍵』の内に眠りたまえ」

 陣の魔力の主であるクラムが居ると、その力は他にも増して強大なものだった。ずるりと陣に吸い込まれて消えた悪魔は、クラムの体内に宿る。

 クラムの身体そのものが、『ソロモンの鍵』だった。

 ふらりと傾いたクラムの身体を素早くヘンリーが支え、横抱きにする。悪魔を封印出来たことに安堵する兵たちが気を抜く中、ヘンリーだけは硬い表情を崩さないまま、傷だらけのクラムを抱えて街の方へ歩き出した。

「すぐに診てもらおう」

「うん……ヘンリーもね」

 悪魔を封印することも、悪魔の動きを止めることも、クラムの方がよほど優れている。だからとただクラムを守ることに徹していたヘンリーは、クラムよりもずっと酷い怪我を負っていた。

 ここで「大丈夫」だと言えばクラムは怒るし、実際強がっているだけで大丈夫ではない。小さく息をついて、ヘンリーは頷く。

 手早く応急処置を済ませてもらい、クラムを宿に残してヘンリーはその地の領主に挨拶に行った。悪魔を一体封印出来たことの報告と、兵や街の物資などの協力に対する礼のためだ。

 宿に戻ってクラムと並んで座り、自分の肩にもたれかかる重みに僅かな安堵と幸福を覚えながら、ヘンリーは目を閉じる。

「大体一ヶ月くらいで21体か……良いペースだね」

 口元に緩く笑みを浮かべながらクラムは言うが、これまでに封印したのはあくまで序列下位の悪魔たちだ。これから敵は更に強くなる。戦いは激化していく。分かっているからこそ、経過を口にして安心したかった。

 そうだな、と返すヘンリーも決して気を緩めはしない。相手は悪魔なのだ。いつどこに現れるかの予測も困難で、いつも後手後手に回ってしまっている。これからはそれが更に酷くなることだろう。

 一体悪魔を封印したからと言って、同じ場所に次の悪魔が現れないとも限らない。全ての悪魔の封印を終えるまで、いついかなる時でも一瞬たりとも油断は出来ないのだ。

「クラム、身体は大丈夫か?」

「それは怪我のこと? 封印した悪魔のこと?」

 この一ヶ月ですっかり日常となってしまったやり取りにくすっと笑いながら、クラムはあくまでそれを問い返す。両方、とヘンリーがすかさず返すのも分かっていて。

「怪我は、ちょっと痛いけど……ヘンリーの方が酷いもん。僕はまだ頑張れるよ。悪魔は封印してから大人しいから大丈夫」

 ならいい、とヘンリーは素っ気ない。互いに甘えている場合じゃない。戦いが終わってから目一杯一緒に過ごして、やりたいことをやって、楽しくすればいい。それを、二人共が考え、それぞれの考えで一定の距離を保っていた。

 皆が封印した悪魔を、一人の身体で抱えているクラム。彼を守ることこそが、それからはこの世界を守ることとなる。どうすればもっとクラムの負担を減らせるのか、今のヘンリーの頭にはそればかりが巡っていた。

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