第六項-2

 幾年月が流れ、時間が、ヒトが、人々を変えていった。

 あれから圧倒的な手腕を見せつけ城を、街を立て直したアーサーに、民は彼を認めざるを得なくなった。以前のように血を求めて搾取されることも無く、フランクが統治していた頃よりもずっと、多くの者にとって住みやすい地となった。貧富の差は随分と減り、孤児の姿も見かけることが少なくなった。

 そんなルーフィルの領地を見た他の領地の民も、一部が下克上を起こし、街をより良い環境にしようと尽力していく。結果、今となっては北の大陸のおよそ半分が、以前よりもずっと住みやすい土地になっていた。南の大陸でもメシュティアリカや呉羽がその話を広め、変わりつつある。

 悪魔の問題は解決に至っていないにしても、その場その場で対処をして災厄の拡大を防いでいる。

 元孤児たちも大人になった。騎士の地位を取り戻したヘンリーは今や城の軍隊の騎士団長を勤めていて、クラムはニノと共に悪魔の研究を進め、悪魔に関係するしないに関わらず多くの新たな魔術を生み出した。メルサとアドゥールは対外的な仕事を率先して行っている。レカはいつも仕事優先でアーサーの補佐役をして、カムラは家令となったものの、やはりいつもぼんやりとして、時に誰も予測すらしていなかった奇跡を起こすという相変わらずの様子を見せていた。

 そんな日常が『当たり前』になって随分経った、ある日の夜中。

「またこんな時間まで……いつか倒れるぞ、クラム」

「あ……ヘンリー」

 肩に毛布をかけられ、扉が閉まった音にも気付かない程集中して魔道書に書き込みをしていたクラムは顔を上げて微笑んだ。

 魔術の研究や実験に付き合うのは、いつもヘンリーだった。クラムが出かける時にはほぼ必ず付いていき、彼を守る役目を引き受ける。

 傍にヘンリーが居る。ただそれだけでひどく安心した。

「大丈夫だよ。だって、ヘンリーが居るもん」

「大丈夫な理由になってねぇだろ」

 いつものやり取りに、ヘンリーは苦笑する。えへへ、と気の抜けた様子で笑うクラムの額を軽く指で弾き、優しい眼を向けた。すると、いつもならすぐに魔道書に視線を戻すクラムが、この日に限ってはまっすぐにヘンリーを見つめる。

「いつも、ありがとう。いつだってヘンリーが居てくれるから、僕は頑張れるんだよ」

 柔らかな微笑みは、穏やかな声は、その言葉に嘘がない証。その言葉に、自分を見上げる瞳に、ヘンリーはそっと、彼に近付いた。




 それからまた数日後のある日。ルーフィルと他の領地との境目で倒れた少女を見付け、カムラは一緒に出かけていたメルサやアドゥールから離れては少女に近付いた。隣の領地の情勢も比較的安定していた筈だから、また別の領地から流れてきた孤児、といったところだろうか。汚れてヨレヨレになった服や所々にある擦り傷は、彼女が随分長い道のりをさまよっていたことを意味している。

 手を差し出して、魔法で傷を回復する。だが衰弱が酷いのか、少女は薄く目を開くだけにとどまり。浅い呼吸を繰り返し僅かに開いた口の中に、ヒトより発達した犬歯がちらりと見えた。

「吸血鬼……?」

 衰弱しているせいか弱々しくはあるが、それでもしっかりとした力も感じる。もし彼女が吸血鬼ならば、普通に食事を与えただけでは回復しきることは無い筈だ。死神と契約をしたアーサーのような例外を除いて、吸血鬼はヒトの血を飲まなければ生を保てないのだと聞いた。

 少女の懐に見える空の小瓶の中に、僅かに凝固した血が付着している。これまではそれで何とか保ってきて、だがそれも無くなり限界が来たのだろう。

「ぼくの血、あげるよ」

 言いながら、カムラは優しく少女を抱き起こし、小さな身体を抱きしめた。

「……ち?」

「うん。君たち吸血鬼は、血がないと生きられないんだって、アーサーが言ってた。だから君に、ぼくの血を分けてあげる。吸っていいよ」

 のんびりとした口調には、緊張感の欠片も無い。きゅっと優しく頭を支えられ、目の前にはカムラのうなじがある。血色の良い肌に、ほのかに香る血の匂いに、少女の息が僅かにあがる。

──美味しそう……。

 その思考が、カムラの言葉に偽りが無いことを物語っていた。

「あ、でも、死なない程度にしておいてね。ぼく、まだ死にたくないから」

 呑気な、それでいて優しい声に促されるまま、少女は彼のうなじに噛み付いた。

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