第四項-1
一年以上の月日が流れた。路地裏の子供たちにも随分と知恵がつき、あらゆる技術も順調に習得していっていた。
そんな中、ある日町中のゴミ箱から得た『戦利品』を持って路地裏へ戻ろうとしたレカは、聞き慣れない女性の声を聴いた。
「当主に、なってくださいませ」
何となく。本当に、ただ何となくその声の方に目を向けて、入り組んだ裏路地の奥に見覚えのある影を見付ける。
(アーサー?)
その姿に、小首を傾げた。いつものラフな格好とは違って、綺麗なスーツに身を包んでいて、普段顔の前に下ろしている前髪もきっちりと上げている。いい加減にひとつにまとめている長いウエービーの髪は、ふんわりと三つ編みにされていた。
彼の目の前には、これも綺麗で上品な身なりをした見知らぬ女性が居る。どう見ても貴族の者だ。その女性が、艶やかな形の良い唇を開いた。
「この地に必要なのは、アーサー様ですわ」
はっきりと、女性が言い切った言葉の意味が読み取れない。一方のアーサーは、目線を落としている。
「お言葉ですが、メシュティアリカ殿。私は、自身に当主の器があるとは思っておりません」
「いいえ……いいえ、アーサー様。私の目に貴方様からは、フランク様よりもずっと、当主としての器の広さを……始祖の末裔としての誇りを感じますわ」
聞き取ったやり取りに、思わず「えっ」と声を漏らしそうになり、レカは慌てて荷物を持っていない方の手で口元を覆った。
――メシュティアリカ。フランク。
それは確か、御三家であるフレスティアとルーフィルの、今の当主たちの名ではなかったか。そんな者たちとの交流があるほどの人物なのか、アーサーは。
元々、平民でも、まして貧民でも無いのは分かっていた。恐らくは貴族なのだろうと。だがまさか、世界最高位の者たちとの交流があるほどの人物だとは思ってもいなかった。
それに今、女性は何と言った? 『始祖の末裔』? アーサーが。フランクよりも当主に相応しいと、そう言ったのか。つまりはどういうことだ。
混乱しているレカをよそに、二人は会話を続ける。次に言葉を発したのは、表情を苦く歪めたアーサーだった。
「貴女は私に、兄上と戦えと言うのですか……!」
絞り出された声に、レカは息を呑む。やはりそうだ。フランクに成り代わってこの地の当主になるなら、フランクと戦って勝たなければならない。そしてそのフランクはアーサーの兄――ならばアーサーもルーフィルだ。
だがそれは、優しいアーサーにはあまりに酷なことではなかろうか。自らの兄と、戦うなど。
「……話し合いで解決するならば、勿論それが一番ですわ」
「それが叶うとでも?」
「いいえ……分かっております。でも、ごめんなさい。私はやはり、貴方に当主になっていただきたいと思うのです」
女性・メシュティアリカのその言葉を最後に、会話が途切れる。何も言わなくなってしまったアーサーが、メシュティアリカを見つめ、そしてしばらくの間の後、彼はゆっくりと口を開いた。
「貴女が求むのは、『私』か、それとも私の『力』か」
淡々と言い放ったアーサーの声は、静かなもので。思わずびくりと肩を震わせたレカとは違い、メシュティアリカは尚も食い下がる。
「アーサー様、私は……!」
「私には、時間が必要なんです」
あっさりとメシュティアリカの言葉を遮り言ったアーサーは、音も立てずに踵を返し、その場から立ち去ってしまった。
目撃してしまったレカは、しばらく動けずにいて。やがてすぐ傍まで迫った人影に顔を上げると、そこにはじっとレカを見つめるメシュティアリカの姿があった。
「貴女は、アーサー様のお知り合いですか?」
突然声をかけられたことに驚きつつも、レカは小さく頷く。ほっとした様子を見せたメシュティアリカは、着衣が汚れるのも気にせず屈んでレカと視線を合わせた。
「私の名は、メシュティアリカ・フレスティアといいます。意味するところが分かりますか?」
問われ、もう一度頷く。アーサーが教えてくれたことを、まだ、何ひとつ忘れてはいない。
「今の立場ならば、私が命令すればアーサー様は従わざるを得ないでしょう。けれど私は、アーサー様に命令はしたくありません。どうか貴女からも、彼に領主となっていただけるよう、言ってはいただけませんか?」
言われて、レカは戸惑いを見せた。
『命令したくない』……それは、彼女のアーサーに対する誠意だ。そしてきっと、アーサーが当主になれば、自分たちを含む孤児たちも少しは生きやすくなるだろう。それも分かる。だけど何より引っかかるのは、アーサー本人が当主になることを拒んでいる、ということだ。
今の当主であるフランク・ルーフィルがどんな人物かは分からないが、レカとしても、アーサーがルーフィルであるなら、彼に当主になってもらいたいと思う。思うのだけれど。
「そのことで、アーサーをくるしめたくはありません」
メシュティアリカからの、『命令』でなく『お願い』ならば、それはレカも安易に頷ける話ではなかった。
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