第三項-3
そんなことも教わり、アーサーが来ない日も皆でそれぞれに教わった技を出し合うなどする日々。
そんな、ある日。
「おい、ヘンリーだ」
遠くで呟く誰かの声を、子供たちは聴いた。名指しされたヘンリーは声の方を振り返り、その主を確認するなり身体が硬直する。
「ラインバックの……」
「ここのところ見ないと思ったら、捨てられていたのか」
「筋が良いとか何とか言われていたが、結局子供だったんだな」
良い身なりをした複数人の男性たちが、ヘンリーの方を見てこそこそと話すが、子供たちには全て聴こえていた。仲間を馬鹿にしたような言葉に、クラムとカムラはヘンリーを心配するように盗み見て、メルサとレカは顔をしかめ、アドゥールは苛ついた様子を見せる。
当のヘンリーは、結局変わらずいつも着ているマントの前合わせをぎゅっと掴み、頑なに身体を隠していた。まるで、この路地裏に初めて来た頃のように。
「何があって捨てられたか聞いたか?」
「さあ、ケガじゃねぇの?」
「オレが聞いた話、腕が片方飛んだらしいぜ」
「うへぇ、死にぞこないかよ」
ただの噂話。だというのに、ヘンリーには彼らの言葉が、ただただ自分を嘲笑っているかのように聴こえた。
やがて耐えかねた様子のアドゥールが駆け出し、何事かと皆が驚き引き止める前に、彼は男性たちのうちの一人の鳩尾を思い切り殴っていた。
「っバカ! アドゥール!」
思わず声をあげたヘンリーには構うことなく、アドゥールは別の男性にも殴りかかろうとする。それを、ヘンリーと、ようやく状況を飲み込んだらしいメルサが慌てて駆け寄り二人がかりで抑えた。
が、殴られた方はそれで引き下がるわけがない。起き上がるなり「このガキ!」と怒りに満ちた表情でアドゥールに手を伸ばした。
「おまちください、アイザックさま!」
アドゥールをメルサに任せ、ヘンリーが前へ出る。ピタリと止まった男性の手は、ヘンリーの顔の前まで近付いていた。全く怯む様子も見せなかったヘンリーは、男性の手が止まったのを確認すると片膝をついて頭を垂れる。
「なかまのふしまつはわたしのふしまつ。どうかばっするならわたしを」
「っ…………フン、墜ちたモンだな、ラインバックの子」
後ろでアドゥールが、「なんでヘンリーがあやまるんだ」と怒っている。本当に謝るべきは、ヘンリーを馬鹿にした男性たちの方なのだと。だが暴れるアドゥールを、メルサは決して離さなかった。
暴れたい気持ちは痛いほど分かる。だがアーサーに与えられた知識で、分かってしまった。
奥歯を噛み締めるメルサをよそに、男性はヘンリーの鳩尾を一発足蹴にして去っていった。丈夫さが取り柄のヘンリーも、流石に大人の男性の、硬いブーツでの急所への一撃は軽いものではなく。うずくまってしまったところに、クラム、レカ、カムラが駆け寄った。
手も口も出せなかったのは、レカも貴族の子としての経験と知識があったから。今の自分たちでは、彼らに敵うすべは無いと分かっていたから。だからただ、アドゥールと同じように駆け寄ろうとしていたクラムを抑えるのに必死だった。
「なんでだよ! おいメルサ、はなせ!」
「だったらまず落ち着け! みんなをまきこみたいのか!」
珍しく声を荒らげたメルサの言葉に、ようやくアドゥールも動きを止める。大人しくなったアドゥールを離し、メルサはヘンリーに歩み寄った。
「けほっ……――『ちから』にさからうには、さらに大きな『ちから』がひつようなんだ。あのままアドゥールがあいつらをなぐってたら、俺たちは……ここのみんなは、このばしょにいられなくなるとこだった」
ゆっくりと起き上がったヘンリーが言い、そこでアドゥールは思い知る。危うくこの路地裏での生活を奪ってしまうところだった。自分だけでなく、ここで暮らす全ての孤児から。
「…………ご、ごめん」
「うん。でも、かばってくれたのは、ありがとう」
あの日、アーサーの力で右腕が戻ってから、ヘンリーは柔らかくなった。恐らく元々だったのであろう優しさを隠すことなく皆に向けるようになったし、こういった素直な礼や謝罪の言葉も言うようになった。固く閉ざされていたヘンリーの心を、他でもないアーサーが開いたのだ。
だけど、今回ばかりは。
「アーサーが、いなくてよかった」
小さく、ヘンリーが呟いた。優しすぎるアーサーが、地位や権力の為に苦しむ姿が目に浮かんだのだ。自分たちを救ってくれたアーサーを。知識や色々な技術を与えてくれたアーサーを、そんなことのために苦しめるには、胸が痛んだ。
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