第二項-2
それぞれの言葉から考察をして、それからヘンリーを見る。ただ一人、彼だけが固く口を閉ざしていた。
彼が語りたがらないのは何故か。先ほどの、パンを渡した時の様子、そしてある騎士の噂。
「もしかしてヘンリーは、右腕が無いのか?」
確認するように問うたアーサーの言葉に、メルサ、アドゥール、レカが目を見開いて言葉を失った。カムラはアーサーが何を言ったのか口の中で小さく繰り返して、理解するなり顔を上げてはぽかんと口を開け呆けた様子になる。クラムに至っては、まだ言葉そのものの意味が分かっていない様子だった。
そう。ヘンリーのマントから出ていたのは、左手。食事の時と町へ出た時以外は頑なにマントから出さない手。
だけど、今。ひょっこりと顔を出した小さな左手が、マントの前合わせの部分をきつく握り締めた。
「…………だよ……」
微かな声。それを聞き取れたのはアーサーだけだったようで、皆がしんと静まり返って聞き耳を立てる。
「……そうだよ……ないんだ、みぎて……」
繰り返してヘンリーが言った言葉を聞いて、アーサーは彼に視線を向けたまま、静かに目を細めた。
「俺はきしのいえの生まれで、生まれたときからたたかってるちちうえを見て、ちっさいときから俺もたたかってた。だけどたたかいのとちゅうで、みぎてがなくなって……もう、たたかえないから。だから、いらないって……」
所詮、戦力としてしか見られていなかったのだ。信じていた父に、愛してくれていると思っていた父に裏切られ、捨てられた。それは幼いヘンリーの中で大きな傷となって残っていた。
勿論これも珍しい話というわけではない。騎士の一家では、戦えなければ収入など得られないのだ。女児は生まれるとすぐ奴隷市場に売られ、男児も怪我をして捨てられるなどよく聞く話。
この子供たちもまた、腐りきった世界の被害者だ。他の孤児たちも、きっと。
自らの住まう家に戻ったアーサーは、遠目に兄の姿を見た。弱い者に興味の欠片も示さない。まるで、他の地の領主と同じだ。
そう、アーサーの兄で――この地の領主でもある、フランク・ルーフィルも。
いつからだろうか。特別な一族だと言われていたルーフィル一族が、他の領地の領主たちと同じような存在になったのは。創世主の一族の誇りを失ったのは。
それでも名前ばかりを立派なものだと掲げる。それは何かが違うと、アーサーは常から感じていたが、この日の子供たちの話は、その思いを強くするには充分すぎた。
前当主――アーサーとフランクの父は、二年前に寿命で無くなった。アーサーたちを含めた、五人の子孫を残して。ルーフィル一族の五人兄弟、アーサーはその三男だ。二人の兄と、弟と妹が一人ずつ。
そして、ルーフィルは吸血鬼の一族だ。黒いストレートの髪が普通。多少変わっていても、紺や紫まで。白いウエービーの髪を持つアーサーは、一族の中ではただ一人の『異端』だった。これまでの歴史にも、吸血鬼で彼と同じ髪の者は居ない。その理由は分かっている。教えられた。
世界で、吸血鬼の中で初めて、死神との契約をし、それに成功した存在だからだ。死神との契約をした吸血鬼の始祖として、アーサーは死神から多くを教わった。
だから、自分が他者と違うことも分かっていて。だから、異端扱いされるのも仕方ないと思っていた。
自分がルーフィルの城に置いてもらえているのは、ルーフィルの中でも数代に一人しか現れないとされている『始祖の力』の持ち主だからだ。その力が無ければ、きっと今頃あの孤児たちと同じような生活を送っていたことだろう。
「ひぃっ」
考え込んでいると、突然どこかから兄の小さな悲鳴が聴こえてきた。今度は何だろうと、アーサーはフランクの居る方向に目を向ける。
小さく肩を震わせる情けない兄の姿、その向こうには、指先ほどの大きさの蜘蛛が一匹。彼がこの程度のものに怯えるのは、いつものことだ。
やれやれと息を吐き出し、アーサーはフランクに歩み寄った。
「兄上、動かないでくださいね」
すっかり足が竦んでしまった様子のフランクの横を通り過ぎ、アーサーはそっと蜘蛛を掬う。窓から外へと逃がしてやって、再度兄の方を向いた。
「もう大丈夫ですよ、兄上。ただのハエトリグモでしたし」
あんな小さな蜘蛛一匹にここまで怯える情けない領主が居て良いのか。思ったことは飲み込んで、微笑んでみせる。
「ふ……ふん、分かっている! オレ一人でも大丈夫だったところを、勝手なことをしてくれたな!」
こんな強がりさえ、いつものことだ。最早言葉も出ない。
呆れ果てながらもため息を堪えていると、フランクは目を吊り上げた。
「何だその目は。言いたいことでもあるのか」
権力を振りかざして、臆病なくせに、威張ることばかりは立派。そんなフランクの姿に、文句が無いわけがない。それを何とか言わないようにまた飲み込み、アーサーは人好きのする笑みを浮かべた。
「何でもありません」
それだけを返し、一礼してフランクのそばを離れる。自室への道すがら、深いため息がこぼれた。
どうして世界は、こんな風になってしまったのだろう。創世主たる先祖達は、こんな世界を望んでいた筈は無いだろうに。
あの子供たちを救いたい。だが彼らだけを救ったところでどうなる? 世界には同じような境遇の者達が、どれほど居るかも分からないのに。全てを救えるわけではない、ただの自己満足に終わってしまうのに。
「少しでも住みやすい世界に、変えようとする領主が居れば……。そんな世界を望む者が、世界全てを統率する王になれば……」
そのためには、自分ではあまりに力が足りなさすぎる。
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