第一項-1

 世界では、悪魔と呼ばれる存在がうごめいていた。

 大陸、島々の各地に『王』と呼ばれる存在は無く、ただその地の領主が全ての実権を握っている。貴族と貧民の差は開くばかり。親の顔も知らぬまま孤児となる子供も決して少なくは無かった。

 時はそんな頃。場所はルーフィルという名の領主が支配する土地。その貴族街からしばらく離れた薄暗い路地裏の一角。

 寄り添いあって何とか生きていた二人の少年が、一人の小さな少年に出逢った。

 小さな少年は言葉を発することなく、ただ二人を見つめる。一方で二人の少年は、「彼も孤児なのだろう」とただ思う。

「……俺、メルサ。アンタは?」

「……?」

 額にボロボロの包帯を巻いた少年・メルサが差し出した手を見て、小さな少年は不思議そうに首を傾げた。その様子を見て、メルサの隣に居た黒髪を全て耳の後ろで一つに纏めた少年が違和感に眉を寄せる。

「なまえだよ、ナマエ。オレはアドゥールってんだけど、オマエのなまえは?」

「……なま、え?」

 拙くたどたどしい言葉。差し出していた手を一度引っ込めて、メルサが「ふぅん」と呟いた。

「なんだよメルサ、いまのでなんかわかったのか?」

 何も分からなかったらしいアドゥールに、メルサは「まあね」と返す。

「たぶん、この子はことばをしらないんだよ」

「はぁ?」

「ありえると思うよ。こんなヨノナカなんだしさ」

 年齢不相応に達観した言葉を紡ぐメルサの言葉の意味を、アドゥールも理解する。以前、まだ孤児ではなかった頃に覚えたことだ。

 再び小さな少年に向き直ったメルサは、手を伸ばしその小さな手を取る。それから大袈裟な動作で握手をした。

「こうするんだ」

「! ……!」

 少し驚いたように目を見開き口をぽかんと開けた少年は、やがて嬉しそうにはにかんだ。その柔らかな笑みに、メルサもアドゥールも思わず頬を緩めた。

「俺、メルサ。メ、ル、サ。はい、リピート! メルサ!」

「め、るさ……?」

「そう!」

 か細い声で呼ばれた名に、メルサはにっと歯を見せて笑う。

「で、あっちはアドゥール」

「あど……あ……」

 流石にアドゥールの発音は難しいのか、口の中でもごもごと言いにくそうに音をこぼした。やがて言いやすい音を見付けたのか、ぱっと少年の表情が明るくなる。

「あーる!」

「ぶっはっ! アールだってよ、アドゥール!」

 始めと最後しか合っていないのに誰を指しているかすぐに分かるその響きに、思わずメルサは吹き出した。ため息をついたアドゥールは「もう何でもいい」と諦めた表情だ。

「めるさ! あーる!」と二人の名を覚えた少年は嬉しそうに繰り返している。

 きっと彼は、自分の名も知らない。だったら付ければ良いと、アドゥールが言った。

「めんどくせぇし、クラムでいんじゃね? 言いやすいし」

 随分と適当に考えたらしいアドゥールが付けた名前に、メルサも「それいいね!」と賛同する。

「君の名前は今からクラムだ。ク、ラ、ム。ね?」

 少年に向いてその名を繰り返すと、少年もゆっくりと口を開いた。

「くらむ?」

「そ。よろしくね、クラム!」

 今日から君はこの路地裏の仲間だ。

 破顔したメルサにつられるように、アドゥールも、少年・クラムもそれぞれに笑みを浮かべた。


 孤児は孤児なりに、子供なりに必死に生きていて。笑いもするし、泣きもする。

 生きて、いるのだ。

 確かに、そこに。



 ほんの数日後。今度はこの路地裏には不釣合いに綺麗な身なりの少女が馬車から転がり落ちてきた。明らかに誰かの手によって放り出された様子で。

 うずくまったままの少女に誰よりも早く駆け寄ったのは、クラムだった。

 この数日の間で、他の縄張りの孤児が訪れた時には怯えた様子でメルサの後ろに隠れていたクラムが。真っ先に少女の傍らに寄り添ったのだ。

 きっと彼の『ヒトを見る目』がそうさせたのであって、恐らくそれは確かな感覚なのだろうと、メルサもアドゥールもぼんやりと思う。だからこそ、二人はクラムに続いて少女に近付いた。

「あー……」

 言葉を知らないクラムは、こんな時に少女にかける言葉すら持っていない。その頭をアドゥールが軽くポンポンと撫で、メルサが少女に手を差し出した。

「君、だいじょうぶ? ケガはない?」

 ゆっくりと顔を上げた少女はつり目を潤ませ、今にも泣き出しそうな顔をしている。ぱっつりと揃えられた明るい色の髪は高い位置で一つに縛っていて、いかにも貴族街のお嬢様だ。そんな少女がどうして。

 しばらくメルサを見つめたまま動かなかった少女は、これもまたゆっくりと首を巡らせ、アドゥールを、クラムを見て、それからそっとメルサの手を取った。

 メルサの力を借りて立ち上がり、服についた汚れを払う。だがその綺麗な服を隠すように、アドゥールは薄汚い布を彼女の肩に羽織らせた。

「そのカッコはここじゃ目立つ。たかられたくなかったら、それきてろ」

「…………あり、がと」

 ようやく少女から絞り出されたのは、弱々しくかすれた声だった。

 遠くから四人の様子を見る他の孤児たちは、決して手を出さない。メルサとアドゥールは、この路地裏で一番腕っ節が強い、言わばリーダー格だった。彼らが目をつけたものには、決して手を出してはいけない。それがこの路地裏での暗黙のルールなのだ。

 ここはメルサとアドゥールの縄張り。侵入者・侵略者は許さず、だが敵対しない孤児たちは寛容に扱われる。他の者の縄張りでもその基本は変わらないが、中でもメルサとアドゥールの他の孤児への対応は優しかった。

 少ないパンを分け与え、見知っている知識を共有する。だからこそ、誰も二人には逆らおうともしなかった。

 捨てられた矢先に彼らの優しさを受け、少女はすっかり気を許した。名をレカと名乗り、彼らのそばに居るようになった。

 それから数ヶ月も経たないうちに、珍しくも同じこの路地裏に捨て子は続いた。

 ぱっつりと揃えられたセミロングの髪の少年・ヘンリーと、癖のあるショートヘアの少年・カムラ。二人も同じように迎え入れ、二人と遠巻きの数人の孤児たちだけだった路地裏が心なしか明るくなった。それまで遠巻きにメルサとアドゥールを見ていた他の孤児たちも、時折彼らに歩み寄るようになる。

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