螺旋

@emin_tenma

螺旋

 失敗自体が悪であると考えている人は少なくはない。だが失敗が悪という考えは誤った考えだ。正確には失敗から生じる負の連鎖こそが悪なのだ。細かい過去の失敗一つ一つが常日頃私を苛んでいると考えると、これも失敗から生じた負の連鎖の一つの形と言えよう。負の連鎖の行き着く先は破滅。ならば連鎖は何らかによって断ち切られなければならない。即ち私は心の蟠りを取り除く事を欲していた。蟠りとは、きっとそれは言葉にすれば愛や憎悪にも劣るちっぽけで喜怒哀楽の何れにも当てはまらない特異な感情なのだろう。だから私は敢えてそれを表現する事、その正体について自分の中に答えを見つける事を幾度と無く躊躇ってきた。故に未だに蟠りは取り除かれぬまま少しずつ私の心を蝕み、連鎖の上で私を転がし続けている。刃物に付着した血液を私は眺めながら内心考えた。最早幾度の夜を超えたとてこの蟠りを取り除くには至らない。肉を抉る感触、臓物を捌く感触、命を屠る感触。受け取る報酬も銀行に預けたら唯の数字で表された、いとも簡単に増減するデータになってしまう。其処から生活費を引き出す度に数字が減るのを見ると心も擦り減って行くのを感じる。最早数字の増減に喜びを見出せなくなった頃、私は殺し屋は廃業した。気軽に話し合える人間も居ない地方へと移り住み、そこで余生を終えようとハンモックに揺られていても常に心の蟠りが私の心を蝕んで止まないものだから、結局私は何かせずにはいられない様だった。だから密売人を始めてみたがこれは中々面白かった。紙に溺れて落ちて行く人々の姿は見ていて非常に面白い。最後は胡蝶の夢の様に現実と非現実の区別も付かなくなって破滅してしまうのだから負の連鎖の典型を見ている様な気分で楽しめたが、やはり三年も続けると全てが予想出来てしまう様になった。サラリーマンは如何にして破滅するのか。公務員は、フリーターは、主婦は。少年少女は。そこに何の喜びも見出せなくなった時、私は密売人も廃業した。真っ当な生き方は私には出来なかった。何故なら私が金や性欲、やり甲斐の為に動く人間ではなかったからである。私を動かしていたのはきっと好奇心に近いもので、蟠りを解消する手段を手探りに探す事に近いものだったのかもしれない。或いはきっと蟠りから目を背ける為の逃避行だったのかもしれない。或いは、きっと蟠りなんてものが最初から無く、私の空虚な中身を満たす為の行動だったのかもしれない。或いは、きっと、私は本心では破滅を望んでいたのかもしれない。飛行機に揺られながら私は自分史を考えていた。私には特別中身がある訳ではない。不意に機内を見ると、親御連れやビジネスマン等様々な人間が座っている。彼ら一人一人にも親が居て、祖父母が居て。人によっては子供や孫も居る。兄弟や友人、親戚も居る。そして驚くべき事に一人として例外無く自分史を持っているのだ。不意に脳裏に好奇心が囁いた時、私は既に行動を起こしていた。母親の首が跳ねるのを何が起こったのかわからない様子で凝視する少年。悲鳴を上げる乗客達。私を取り押さえようとする者も居た。結局私はその首から鈍い音が鳴るまで力を緩める事はしなかった。私は獄中で私の存在とこの行動によって生じた世界の変化について考えた。まず私のあの行動によって彼女の息子は母親を、夫は妻を、両親は娘を失う事になる。葬儀代に数百万は掛かるのだろうか。金銭面はあの身形の良さから憶測するに然程困っていない様子だったから問題は無いのかもしれないが確かな出費だ。私が彼女の首を絞めなければその金でもしかすると救われる命があったのかもしれない。もしかすると彼女と夫との間には第二子が出来たのかもしれない。もしかすると彼女が、或いはその第二子が後世で多くの人を助けたかもしれない。そう考えた時、私は私の手で何十人もの命を結果的に奪う事になったのかはわからないが、この世のあらゆるものが因果によって構成されているのだと再確認した。余罪だの死刑だのそんな言葉は法廷に立っている間、獄中に居る間、幾度と無く聞こえたが私は然程気にも留めず、唯々この世の不条理について考えていた。私がこうなったのにもきっと何か理由があり、それによって負の連鎖が生じて結果的にこうなってしまったのだから私は結果に過ぎず、原因は連鎖を作り出したものにある筈だ。一体何が連鎖を作り出したのだろうか。連鎖の根源を考えると私がこうなってしまったのには両親の死があるのではないかと考えたが、仮に両親が生きていたら私が真っ当に生きられていたかと問われれば、私はそれを否定したい。中学生の頃にクラスメイトを苛めていた事が今でも私を苛み続けているとすれば、私が苛めた事は結果に過ぎず、原因はそのクラスメイトにあるのだから私に非は無いし罪悪感も感じないので直接的な根源とは言い難い。寧ろこれらは連鎖の一過程だ。殺し屋の道に進んだのも密売人になったのも全ては連鎖の一過程に過ぎない。従って私の心の蟠りは、或いは失敗により始まり今も尚私を苛み続ける負の連鎖の原因はもっと前にあるに違いない。それは何か。幼少期のミルクを零した経験か。或いはカエルを痛めつけた末に殺して母に叱られた事か。それもまた一過程だとすると、最早残っているのは私が始まった瞬間である。精子と卵子の遭遇。その段階から私の負の連鎖は始まっていたのだ。絞首台の前に立った私は笑みを浮かべた。安堵した。良かった。やっと見つかった。負の連鎖の起源は私が産まれた事、そしてこの蟠りは私自身だったんだ。ならば私は蟠りを取り除かなければならない。これで私を長年苛み続けたものは解消され、晴れて私は自由の身だ。足元が宙に浮く感覚と同時に、私は首に巻いたロープが絞まるのを感じた。やがて私の蟠りはとうとう取り除かれた。

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