第7話 《玉兎》

魔物に憑かれて生ずる精神錯乱、怏々として楽しまない鬱病、月にうたれて生ずる狂気――ミルトン『失楽園』


「なんと! この月の重力と同程度に軽く、羽の生えたようにふわりとした食感の卵! 舌の上で滑らかにそして、ほどけて、とろけてゆく! 溶き卵を半熟にして食べると言うことの恩恵を最大限に受け取り、月光の輝きのように美しい色をしていて、見ているだけでも美しい! そして、その下に隠れる肉汁たっぷりのカツ! こちらは先と違ってしっかりとその重さを主張し、口の中でずっしりとその存在が際立っている! だがしかし、こちらも先ほどの卵を通すことで、風味が増し、ツウッと鼻の中を幸せの風が抜けてゆく! さっくりとしたこの音を聞くと同時に感じるこの肉のうま味! まさしく美味である!」

 グルメリポートの如く饒舌に、月からの使者『ソロス』はカツ丼を語る。

「てめえはもう少し静かに食え! ってか最初はあんなに朴訥だったのにどうしたんだよ!」

 痛ッと、夕影隊長に小突かれたソロスだったが、

「最近は食べ物を食べて感想を言うだけで、需要がある時代なんだろ? だからこうして俺もレポートを……」

「だから、黙って食えってんだよ!」

 言葉の通じない未確認生命体を想像していた俺たちだったが、月からの侵略者はカツ丼で逆侵略することができていた。

「『ケチとうなぎ屋』って話みたいに、俺もカツ丼のにおいだけでごはん何杯も食べれる気がするぜ! 地球の食べ物って最高!」

 落語も嗜んでいるなんて、このソロスと言う人間はあなどれない。俺はそんなソロスに親近感を覚えた。

「こいつ……本当はイイやつなのかもしれない……」

――だが、そんな一時の気の迷いなど、水泡に帰すことをすぐさま知ることとなる。


 俺たち、『月光対策本部』はこの月からの使者の事を『玉兎』(ぎょくと)と呼称することにした。『玉兎』は『ソロス』という少年一人に、地球の侵略を任せたらしい。月から見た地球は、そこまで安く見られていたようだった。月の《ガイナリッター》、《ルシーン》は厳重に本部地下で保管されることとなり、ソロスもしばらくは事情聴取ということで、地下室での幽閉が決定していた。

「ところで、俺はいつ……殺されるんだ」

 極めて冷静に彼は言った。死を恐れぬその態度は肝が据わっているというよりは、諦めが早いと言う印象を受ける。

「有益な情報を伝えた後、俺は処分されるのだろう?」

 それが当然、自然の摂理だと言わんばかりに、ソロスは俺たちを捲し立てる様に発言する。ソロスのその生への執着が全くないことに俺たちは驚かされるばかりだった。

「殺すって、まあ、そんな真正面から言われてもな。まだ正式決定したわけでもないし」

 そう言って夕影隊長がお茶を濁そうとする。

「そんな甘ったれたこと言ってるようじゃ、いけないね。弱いものが淘汰されるのは世の理だ。そうやって昔から脈々と続いてきたんだろ、そこに情けなんていらない。長々と続いてるからだとか、昔からのしきたりだからとか言ってダラダラと続けるのは嫌いだ。そこに有益なものが無ければ、消したって、壊したっていいじゃないか。古きは良きだって? 笑っちゃうね。強い方が生き残る、それで良いんだよ。どうせ俺がやられたとしても、新たに援軍がやって来て、月と地球の全面戦争は避けられない。だから俺も月の住人として、できることはやっておこうと思ってさ」

――じゃあな、地球の《ガイナリッター》乗り、月翔。

 ピカッと視界が真っ白になったと思ったら、そこにソロスの姿はなかった。

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