エピローグ

「かはは、そうかそんなに心配してくれてたんか。それは申し訳ないことをした、堪忍な」

 大口を開けて笑うご老人。ここは病院、ではなく水口さんの知り合いのお宅の居間。だというのにこの水口さんはお茶菓子に出された煎餅を遠慮なくばりぼりとむさぼっている。その横で控えめに座るのが才崎さんだ。

「でもまさか、英梨ちゃんが男をつれて病院に駆け込んでくるとは思わなんだ」

「男なんて! そんなんじゃないです。彼にはただ、おじいちゃんのことで相談していただけで……」 

「あー、それについては申し訳なかったの。なにせ英梨ちゃんがこの老体をそんなに心配してくれるとも思っとらんかったもんで。一言くらい言っておくべきじゃった」

 水口さんが知り合いの病院にお世話になっているところまでは僕の推測通りだった。ただ、そこで回復した日から、三日三晩医者のお知り合いと酒を飲み交わしていることまではさすがに予想できない。誰が僕を責められようか。

 なんでもこの家の主、水口さんと才崎さんのお母さんがお世話になった先生は水口さんの学生時代からの友人らしい。それを思えば、この遠慮のない態度も納得がいくというものだ。そうでなかったらドン引きものだ。

「それにしても、そこの皐月くん。君はすごいな。わしが救急車でなくサポートカーを頼んだことまで見抜くなんて」

「いえ、そんなことは……。たまたま知ってただけです」

 これは本当だ。僕の頭のなかにたまたま偶然、ピースが揃っていた。それを繋ぎ合わせる作業を行ったに過ぎない。

「あの、僕たちはそろそろ……」

 学校帰りにここにお邪魔してからすでに一時間以上が経っていた。お酒を飲めるほど回復しているとはいえ、あんまり体に触るようなことは避けるべきだろう。

「皐月くん」

 そう思い立ち上がると水口さんに名前を呼ばれた。

「英梨ちゃんを連れてきてくれて本当にありがとう。妻を亡くして親戚なぞいないも同然のわしじゃ。心配してくれる人などもういないと思っとったが……。君と英梨ちゃんが来てくれて嬉しかった。明日には帰るでの。よかったら家にも遊びに来てくれ」

 目を細めて笑う水口さんは心の底から嬉しそうだった。僕は軽く会釈をすると才崎さんを促して、外に出る。途中、隣接する病院へ。お邪魔した旨を伝えてほしいと告げると、受付の看護師さんは笑顔で伝言を頼まれてくれた。

 さきほどからだんまりの才崎さんが気になって様子を伺うと、彼女は僕の視線に気がついたのか、ぼそりと呟くように言った。

「誰からも心配されないって感じるのは寂しいんだろうね」

「……うん」

「自分がそうなったらって思うと、ちょっと怖くなる」

 才崎さんはいつも真っ直ぐだ。真っ直ぐに行きたいところへ続く道を進んでいる。故に、誰かと道を行くことを考えていない。独りぼっちの道。だからこそ、たまには振り返りたくなるのだと思う。

「大丈夫だよ。才崎さんなら」

 僕は言う。主観的なことでしか判断できないけれど、自分の道を行くということは独りになることを必ずしも意味しない。誰かと道、いや目的地をも共有することができるはずだ。才崎さんは、まだそれを探している途中なんだ。

「それに水口さんだって。心配してる人はいないと思ってたけど、ここに、ほら。いたじゃないか」

 僕が大げさに手を広げると、才崎さんはぷっと吹き出して、笑う。

「龍、ベタすぎ。ちょう恥ずかしい」

「ちょっ……」

「でも、そうかもね。あたしたちなんかまだおじいちゃんの半分もも生きてない。そんなことを考えるよりも目の前のことに一生懸命にならなきゃ」

 やっと完全な通常モードにカムバックした才崎さんだけど、僕は妙に納得がいかない。けれど、まあいいか。気にすることでもない。持ち前の性格でやり過ごすと、夕焼けは黒に変わり、夜空には星がちらほらと見えた。風は少し冷たいけど、頭を回転させた日にはそれも心地いい。僕は後ろ姿からでも機嫌の良さがわかる才崎さんと共に、帰宅の途についた。 


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皐月龍の日常 ichi @ichi

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