翁の消失④
結果から言うと病院回りは空振りに終わった。どの救急病院も救急車を受け入れる大きなところだけあって懇切丁寧に対応してくれたが、水口さんどころか、その手がかりさえも手にいれることはできなかった。沈鬱な表情でうなだれる才崎さんを励ますこともできず、僕らはバスに揺られ、彼女の自宅へと向かっていた。
窓の外を見ると駅から延びる大通りをたくさんの人々が行き交っている。太陽が沈み、辺りはすっかり暗くなっていたが、通りに立ち並ぶ街灯は、夜を明るく照らしあげている。
僕は才崎さんの家を出るときに感じた不安が疑問に変わっているのを自覚していながら、それを口にすることもせず、ただ黙って後ろに流れていく景色を眺めていた。
「ねえ、龍」
最後に訪れた病院を出てから初めて才崎さんが口を開く。
「おじいちゃん、どこかに出掛けてるだけだよね……。すぐ帰ってくるよね」
「…………」
悲痛な声に返す言葉に迷う。無責任なことは言えないけれど、何か励ますようなことを言った方がいいのだろうか。
こういうとき、普段自分が会話のなかでどれほど軽率に発言しているのかを実感する。そして、人付き合いの浅さに辟易する。僕はけして人を遠ざける質ではない。でも、こんなときにどう声をかけてあげたらいいのか、もっとよく人と関わっていればと悔やむのだ。
才崎さんの家の前で出会ったご婦人の証言。僕は急いで病院へ向かおうとする才崎さんを宥めて、周辺のお宅にその救急車が水口さんの家の前で止まっていたという情報を得た。それが本当に水口さんを乗せていたのであれば、彼が旅行に出たという短絡的な考えはできなさそうだ。
さんざん悩んだあげく僕は「大丈夫だよ」と呟くように返す他なかった。それでも才崎さんは、ちょっとだけ笑ってくれた。
「……そうだよね。うん、龍がそう言うなら大丈夫だ」
「ありがたいけど、僕が言ったから大丈夫って言うのは……」
安直では、といいかけてやめる。わざわざ不安にするようなことを言う必要はないだろう。そう思ったのだけど、才崎さんにはお見通しだったようだ。
「龍が言ったからって信じるのはおかしい? でもね、龍は根拠がないときに大丈夫だ、なんて言わない人よ」
それは買いかぶりだ。そんな言葉に値するほど僕は立派な人間じゃない。嘘をついたこともあるし、軽い発言で人を傷つけたこともある。それらの過去が槍となって、自分に向かってくる。才崎さんの顔をまともに見ることができず、僕は再び窓の外に目をやる。
恥ずかしさと気まずさを紛らわすために、才崎さんに話を振る。
「そういえば、ご両親が水口さんにお世話になったって言ってたけど……」
「うん、ママがね。あたしがお腹のなかにいるときにひどい風邪を引いちゃったらしいの。そのときはまだここに家を建てたばかりで、周りのこと何にも知らなかったらしいのね。そんなときに腕のいいお医者さんを紹介してくれたのが水口さんなの」
「そうなんだ……」
ということは才崎さん一家は家を建てて早々にアメリカへ引っ越したことになる。そこから十年以上経っているわけだから、新築にはほとんど住めなかったということだ。お気の毒に。そんなことを言うと、
「あの家、アメリカにいる間は親戚に貸してたらしいわ。綺麗に使っていてくれたみたいで、どこか傷んでたりってことはなかったし、それにパパもママも日本にまた住めるってだけで喜んでた」とのこと。
その後もアメリカでの生活だったり、才崎さんが意外にも野球が好きでメジャーリーグをよく見に行っていた話だったりを聞きながら、目的のバス停までの時間を過ごした。
才崎さんは最寄りのバス停で降りる際、いくらか元気になった様子で別れの挨拶をくれた。そのときに、
「何か気づいてるんでしょ。明日、考えがまとまったら聞かせて」
僕は明日という言葉に驚きを隠せなかった。あの<知りたいことへは最短距離>の才崎さんが答え合わせを先に伸ばすなんて。疲労で推測が纏まりきっていない僕にとっては嬉しいことだったが、少々気味が悪い。
「心外ね。あたしが、餌を待てない動物だとでも思ってるの? どんなに早く答えを知ったとしても、それが間違っていたら意味ないじゃない。あたしは、あたしのために待つの」
そう言いつつ彼女は「またね」と手を振ってバスを降りていった。
「あたしのため」と言ってはいたが、知りたいことの発端が他人の心配であるあたり、今回は僕も文句を言いづらい。端から文句を言うつもりもないけれど。
僕はバス停を離れ家路についた才崎さんを目で追いながら、自宅までの残りのバス停の数を数えた。
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