第11話 私の脳内
今日も目が覚めました。
活動、開始です。
私――陽薙照は早起きさんです。
五時前に起きて、そこらへんを散歩します。この習慣は中学生からずっと続けているのですが、どうやらお寝坊さんのお兄ちゃんには知られてないようです。
早朝の街はいいものです。肌にあたる涼しい風が私のスイッチを入れてくれます。
「よーし」
最近は、少しジョギングもするようになったんですよ。何故かって?それは乙女の内緒です。ふふふ。
一汗かいて家に戻るとシャワーを浴びます。
洗い流した後のこのサッパリ感がたまりません。
さて、スッキリしたところで朝食を作ります。
料理はもうお手の物です。今では母より上手くなったんじゃないかと思うこともあります。
「おはよう……」
朝食を作り終わると、お兄ちゃんが降りてきました。
いつもは私も挨拶を返すのですが、今日はシカトです。可哀想かもしれませんがお兄ちゃんには昨日のことを反省して欲しいのです。
本当、昨日はさんざんでした。思ったことが口に出るとか言い始めていきなり私が美人だとか言って……恥ずかしくなって来ちゃった。
「……はあ……」
お兄ちゃんは私のそんな態度を見てため息をつきました。でもそんなことしても無駄です。今日一日は絶対口をきいてあげません。
美術部の人も然りです。昨日の話し合いの結果、『今日はお兄ちゃんに構わない』ということになりました。いじめではありません。これは教育です。
私はそれを確認してはむはむごはんを食べます。お兄ちゃんは何か言いたそうだったけど気づかないフリをしました。
一番一緒にいる時間が長い私が一番構わない難易度が高いのでしっかりミッションを遂行しなければいけません。
そんなことを考えていると意識してしまうので違うことを考えましょう。
今日は普通の学校だった気がします。今日も不思議ちゃんキャラを演じていきましょう。
なんだかんだで不思議ちゃんキャラは心地よいものです。
人は寄り付かないし先生に指名されることもない。しかもお兄ちゃんが構ってくれます。……って、あ、いけない。
私は中学校の頃、それはそれは窮屈な生活を強いられてきました。
それは学業が優秀だったからで、運動が優秀だったからで、容姿端麗だったからです。……自分で言うのも恥ずかしいですが。
でもそのせいでスピーチなどを色々とお願いされて断るにも断れなかったり、いい友達だったけどちょっと一緒にいる時間多すぎだったり、お兄ちゃんと家でしか一緒にいられなかったり。とにかく、私にとって望んだ結果ではなかったのです。
そんな時、高校に進学することになりました。
私は考えました。どうしたら面倒ごとを背負わず、お兄ちゃんと楽しく暮らせるか、と。
それで思いついたのがこれ。不思議ちゃんキャラを演じることでした。
これなら、今の問題すべて解決できます。……後からお兄ちゃんには怒られましたが。
でも、私は今の生活に満足しています。お兄ちゃんは大変そうですが、今の状況が一番みんな楽しく過ごせている気がします。
だから私の当分の目的はこの日常を守ることです。
……と、そんな大それたことを考えていたらごはんが食べ終わってしまいました。
食器をしまって制服に着替えます。私はここで心のスイッチを切り替えます。カチリ。はい、これで私は不思議ちゃんになりました。
さあ、今日も頑張って行きましょう。
*
さすがにお兄ちゃんを置いて学校に行くのは気が引けたので無言ではありますが一緒に登校しました。
教室に着くと、もう亘理くんがいました。今日は声をかけず、手を振っています。
「亘理くんおはよー!」
私は大声でそれに応えます。彼も今日はお兄ちゃんには構わない方向です。
亘理くんは、私にとっての要注意人物です。
どこから仕入れたかもわからない情報を振りかざしてきます。初めて会った時手を繋いで登校していたことを言われた時はかなりびっくりしました。表情にこそ出しませんでしたが。
しかも燈さんや江成さんまでの情報も知っていたのです。警戒しておいて損はないでしょう。
まあ、最近知ったことですが私のことはあまり知られていないようです。日頃からあまり目立ちすぎないように行動したおかげかもしれません。
「……はあ」
私と同じような態度をとった亘理くんの態度を見て、お兄ちゃんはため息をつきました。お兄ちゃんはしっかり罰を受けているようです。正直、『わーやったーこいつらと関わらなくて済む』とか言わないかそわそわしてました。
それにしても、お兄ちゃんは行動を起こす気配がありません。『なんだよ』とか『なにそれ、やめて』とか一言くらいは言いそうなのに。
まさか、昨日のダークサイドお兄ちゃんでみんなに嫌われたって思ってるのかも……。
あれは演技だって言ってたのに。自分でもやり過ぎたと反省してるのかもしれません。
これは明日甘やかさなきゃ駄目だな、と決めて、今日はとことんいじめ抜こうと思います。
*
美術室は落ち着きます。
美術部は落ち着きます。
今日も私の周りは平和でした。
キャンバスに向かいながら私は今日の振り返りと反省をしていました。
なんと、今日は絵の具で絵を描いちゃってます。あたりまえですが鉛筆で描くのとはまるで勝手が違うので最初は苦戦しましたが、今ではスムーズに筆を運ぶことができるようになりました。
私は加点減点方式で今日の総括をします。
お兄ちゃんを無視。マイナス3。
亘理くんは今日は大人しかった。プラス1。
なんだかんだでお兄ちゃんは反省していた、と思う。プラス1。
今日はあまり不思議ちゃんキャラを出せなかった。マイナス2。
「お、上手いじゃん」
燈さんが褒めてくれた。プラス3。
……このくらいかな。計算すると……プラマイゼロか。
実はこれが一番好ましい数値です。
なぜかって?
だって、いつも嬉しいことばっかりだったらそれは日常ではないですから。
もちろん悪いことばっかりでも気分が沈んだりしてしまいますから、やはりプラマイゼロが一番好ましいのです。
というわけで、今日もプラマイゼロをキープすることができました。こうしてゼロを保つことが私の毎日の日課です。
ちなみに今お兄ちゃんは一人でスケッチブックに鉛筆を走らせています。その背中からは哀愁が漂ってきています。
そんなお兄ちゃんをチラリと各々見て、お兄ちゃん以外の美術部一同は顔を突き合わせました。
「……どうする?」
「それは、お仕置きを終わらせるって、こと?」
「そうですね、あのオーラはちょっとやばそうです」
「うーん、明日からガラッと変える手も」
議題は最初から決まっています。『お兄ちゃんへのお仕置きはいつ終わらせるか』。
「どのくらいがベストかな」
「塞ぎ込む直前には行っておきたいですね」
「部活終了後は?」
「そーですね……それがいいと思います」
朝から今まででこれだったら明日に持ち越したらどうなることやら。そう思い直して私は同意しました。
「じゃあそういうことで。じゃあ解散」
燈さんの取り仕切るような掛け声で私たちは散り散りに散りました。私は再度キャンバスと向かいあいます。
部活終了時刻まではまだ一時間ほどあります。その時には何もかもが元通りにすると決めて、私は目の前のことに集中することにしました。
絵に集中してしまうと時間はあっという間です。いつの間にか部活終了時刻になっていました。
「はい、もうそろそろ片付けてー」
時間を見た燈さんがパンパン、と手を叩きながらみんなを急かします。私は筆を洗いに水道へ向かいました。
ふと気になってチラリとまたお兄ちゃんを見ると机に突っ伏していました。
……あれはかなり重症ですね。今まであんなお兄ちゃん見たことありません。
筆を洗い終えると私はテキパキと荷物を片付けます。
……もういいですかね。
「お兄ちゃん」
「……ん?」
私が声をかけるとピクリと動いてからゆっくりと顔を上げました。
「なんで今日こうなったかわかってる?」
「ん……まあ一応」
一応とは何でしょうか。私はそこに何か裏があることを感じましたがそれは置いておきましょう。
「お兄ちゃん、反省した?」
「あ、ああ」
つっかえながらもお兄ちゃんは頷きました。
「……今度はこんなことしないでね」
……はあ、私はとことんお兄ちゃんに甘いようです。
「本当だよ光くん」
「いきなりズバズバ言い始めないでよ。そっと心にしまっておけるのも光のいいところだよ」
「優しい光くんでいて」
どうやら、甘かったのは私だけではなかったようですね。
結局、私たちはお兄ちゃんあっての私たちだったのです。
「……ごめん。僕、昨日はおかしかった」
そしてお兄ちゃんは私たちの熱意を感じたのか今日初めて謝罪をしました。
……もう。朝からこう言ってくれればここまで引きずることもなかったのに。
私たちが計画した『お兄ちゃんお仕置き計画』はあくまで反省させるためにすることだったので謝られたらそこで終了、となっていました。けれど、何を思ったのかお兄ちゃんは謝ってきませんでした。……まあ私たちが露骨に無視し始めたのも悪かったかもしれませんが。
「それでよしだよ光くん」
そんな謝罪を聞いて亘理はニッと笑いお兄ちゃんと肩を組みました。おお、男の友情というやつですね。
「じゃあ、今日は、もう終わり」
そんな微笑ましい光景を見ながら部活を締めたのはいつもやっている燈さんではなく、なんと江成さんでした。
「江成さん成長したんですね!」
お兄ちゃんは賞賛の声をあげました。私もパチパチパチと拍手をしました。
江成さんは照れ笑いをしていました。……以前なら顔を真っ赤にして俯くか逃げ出すかの二択だったのに。日々成長しているんですね。私も見習いたいくらいです。
「ほ、ほら、帰るよ」
「「「「はーい」」」」
お兄ちゃんの件も一件落着して和気あいあいとした雰囲気で部活が終わりました。
*
「照だけには話しておこうと思うんだ」
夜も深まるころ。夕食や入浴を終えた私はお兄ちゃんにリビングに呼び出されました。お兄ちゃんは椅子に座って机に肘をつき、手を組んでそこへ顔をのせる元帥風な格好をしていました。
「なに?」
私には何の話か皆目見当もつきませんでした。
お兄ちゃんは話し出す前に一度深呼吸をしました。
「怒らないで聞いてほしいんだけど」
「うん?」
「昨日のあれ、実はわざとじゃないんだ」
「んんん?」
言っている意味が少しわかりかねました。なぜならそれは私たちが今日したことの大義を否定するものだったからです。これが真実ならお兄ちゃんは無実の罪で私たちからシカトされたことになります。
「いや、別に冤罪だなんだと喚き立てるつもりはない」
そんな私の思考を呼んだようにお兄ちゃんは付け足しました。
「実はな……」
そこで私は昨日の真実を聞きました。
精神安定剤に頭部強打で頭がおかしくなったこと。だから昨日のはわざとじゃなくて不可抗力だったということ。
それは常識的には信じ難い話でした。だって、精神安定剤と頭部強打で思ったことを垂れ流すようになってしまうなんて聞いたことありません。
「へー、そんなことが」
でも私は無理やりにでも納得しました。
だってお兄ちゃんが言うことです。真実に決まっています。お兄ちゃんはいつも平凡で辛そうにしていることも多々ありますが一度も嘘はついたことがありません。これも私がお兄ちゃんを信じる理由です。
「すまん、信じられないよな」
「いや、信じるよ」
「だってこんな馬鹿げた話があるわけ……」
「だってお兄ちゃんが言ったことだもん」
こう言ってやるとお兄ちゃんは感動したように目をうるうるさせました。
このセリフはとっさに出てきたものですが思わぬところでお兄ちゃん好感度を上げれたみたいです。
「照……」
「もうこの話はみんなの中で終わったことだから気にしないでもいいと思うよ」
「そうだな」
大きく頷いたお兄ちゃんの顔はさっきの哀愁漂うものから打って変わっていつものものになりました。
これでもうお兄ちゃんレートも平常に戻りました。
明日からはまたいつも通りの日常が来ると思うとホッとしました。
今日も気持ちよく寝ることができそうです。
*
さて。
私が不思議ちゃんキャラになったのはもう一つ理由があるのです。
それはお兄ちゃんにもっと見て欲しかった、ということ。
今まで、お兄ちゃんが私に向けていたのは素っ気ない他人を見るような目でした。それを変えたかったのです。
……くどいことはやめましょうか。
私がしてほしいのは二つに一つどちらかでいいのです。
妹としてしっかりと可愛がったりしてくれること。
それか、私のことを女として見てほしい。この二つです。
今現在、未だにお兄ちゃんはどっちつかずです。
色々とアプローチしてもただ恥ずかしがるだけだし、ちょっと吹き込んでみたらお前は全てが計算ずくなんだと言われる始末。私のことは身近な超人とくらいしか思ってない気がします。
別に恋愛対象として見ろなんて強制しませんが。
もうちょっと、お兄ちゃんにはお兄ちゃんとしての役割を思い出してほしいものです。
だから、私は続けます。この生活を。
いつかお兄ちゃんがどちらかになってくれる、その日まで。
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