第9話 またいつもの日々に戻る…と思った?

 少し時は飛んで火曜日。

 僕は目覚めてしまった。

 寝ている状態から起きるという目覚めるじゃない。

 僕の中に眠っていたものが目覚めたのだ。

 もう後戻りはできないだろう。

 僕は新たなキャラクターを手に入れた。


 闇(病み)キャラを。


 *


 遡って月曜日。僕は珍しくいつもより遅れて起きた。

 いつもほぼ決まった時間に起きる僕がこうなったのは考えるまでもない。

 昨日疲れてしまったのだ。

 ついでに言うと今まで味わったことのない精神的疲労が溜まってもいたのだと思う。

 まあそんなことは気にしなくても大丈夫だ。しっかり疲れは取れている気はするし。

「おはよお兄ちゃん」

 あれから照はいつも通りだ。というか本当に何事もなかったかのように接してくる。その切り替えのメリハリは拝みたいくらいだ。

 その前に昨日何を話したんだっけ。ああそうだ、僕がダサいところを見せつけて照が励ましてくれたんだっけか。うん?記憶が曖昧だ。

 それはともかく照がいつもと違くなる要素は一つもないな。むしろ僕がいつもと違くなる要素がてんこ盛りだ。

「うん、おはよう」

 だけどここで変に態度を変えるのもそれはそれで変な気がして、僕はできるだけいつも通りを装って返事をした。

「今日からまた学校だね」

「ああ……早く土日来ないかな」

「気早すぎだよ」

 まとも照からツッコまれた。なんだろうこの新鮮な感じ。僕はいつもこんなことをしてたのか。

「僕は今、みんなの気持ちがわかった気がする」

「ん???」

 いきなりこんな言葉を言われても意味がわからなかったようだ。照はいつもの三倍くらい疑問符がつくような顔をしていた。

「今日は何かあったっけ」

「たしか……身体測定かな」

 おおう。通常のなんの面白みのない授業を期待していたのに。新学期というのは色々と特殊でいただけない。

 それはともかく。

「僕は身長伸びたかな……」

 若者の特徴。話題にあがったものをいきなり気にし始める。……まあいいじゃないか。僕だってれっきとした若者であるわけだし。

 そして僕の身長は倦怠期を迎えていた。160センチを越えたあたりから急激に伸び率が停滞。一年に1センチ伸びればいい方だ。

「あ、それと健康診断も兼ねてるらしいよ」

「へー」

 実際こっちはあんまり気にするべきことではない。僕はいたって健康……のはずだ。

「あ」

 そこで僕は気づいた。

 朝食の食卓。僕の場所には普通なご飯と味噌汁、それに魚やサラダがあるのに対して照の方にはサラダしかない。

「体重気にしてるな」

「それは女の子には言っちゃ駄目!」

 僕と二人きりの時だけ見せるまとも照は恥ずかしさに顔を赤くして頭にチョップをかましてきた。……普通に痛い。


 なんだかんだいっても照も普通の女の子なのだ。

 そんなあたりまえのことが僕にはホッとする事案だった。


 *


「血がぁ、血がァー!」

 どこぞの大佐のように叫んだのはまさかの僕だった。

 頭がクラクラする。

 今は健康診断の真っ只中。僕が叫んだ通り僕は血を抜かれていた。

 とは言っても採血だけど。

 でもそんなたかが献血に僕は卒倒寸前まで陥っていた。

 中学校でやったときはなんもなかったはずなんだけど。

「だ、大丈夫ですか?」

 担当の看護師さんが心配して声をかけてくる。僕はうんともすんとも言えなかった。もうそんな気力がなくなっているのだ。

「は、運びます!」

 看護師さんが他の人たちを呼んで僕は朦朧とした意識の中運ばれていくのがわかった。

 ……ああ、最悪。これから採血で倒れたやつというレッテルが貼られる。でもいいや、なんたって僕はもう落ちるところまで落ちているのだから。はっはっはー。

 そんなやけくそ気味な思考の後プツリと意識が切れた。


 目を覚ますとそこは前にも来たことがある保健室だった。

「なんで僕は倒れたんだ……」

 呆然と呟くと見守っていた看護師が先生と誰かを呼んだ。

 しばらくして白髪の名医っぽいおじいちゃんが入ってきた。

「いきなり気を失ったらしいけど大丈夫かい?」

「は、はい、大丈夫、です」

 本当に大丈夫なのかはわからなかったから少し詰まった。

「今までで採血で倒れたことは?」

「ありませんでした」

「朝食とか抜いてきたかい?」

「全然。普通に今日も食べてきましたけど」

 そんな僕を見たおじいちゃんは一通り僕を観察してからふむ、と思い立ったように言った。

「まあひとまず他の検査も済ませようかね」


 このおじいちゃん、見た目通りかなりの医者のようで内科や眼科など多彩なことができるようだ。

 血圧や聴力検査、視力に耳鼻科検査などをパッパッとひとつずつ僕の検診を終えていく。

 そんな結果を見ておじいちゃんはまたふむ、と零した。

「まあだね、簡単に言えばストレスだね」

「ストレス、ですか」

「君、最近精神的に疲れることなかったかい?」

 はい、あります。個性が濃い人たちによく振り回されました。

「そりゃ新学期なんだ、疲れるのはしょうがないことだと思うけどね」

「はあ」

「でももう少し自分を大切にね。休息も時には必要だよ」

 それは金曜日に言って欲しかったなあ。それなら理由もできて合法的に日曜日も休めたことだろうに。

 いや、日曜日がつまんなかったというわけではないよ?

「そうですか」

「休息する暇がないなら精神安定剤をおすすめするよ。色んなものが入ってるからあまりおすすめはしないけど」

「わかりました。ありがとうございます。では」

 僕は帰りにでも買いに行こうと決めて保健室をあとにした。


 *


「大丈夫だったかい?」

 昼休み。いつも通り照と亘理と一緒に昼食を食べているとそういえばというように亘理が口にした。

「大丈夫って何が」

「決まってるでしょ。倒れたやつだよ」

「だと思った。うん、全然大丈夫」

 特に倒れたあとは何ともなかったので僕はピースサインをして見せた。

「だいじょーぶそーだね」

 今まで黙っていた照も口を開いた。学校モードの不思議ちゃんキャラだ。

「何事もないようでよかった」

「そんな大事じゃないって」

「いや、倒れるのはかなり大事だよ」

「そんなこと言ったら前だって倒れたことあるだろ」

「あ、そうだったね」

 亘理は前倒れたときのことを思い出したようだ。

「でもこんな短期間で二回も倒れるなんて……光くんって貧血?」

「自覚はないけど……そうなのかも」

「そんな時はバリウムだよ」

「絶対違う」

 いつもの不思議節にしっかりとツッコミを入れて苦笑いした。

「バリウムってかなり辛いみたいだよ」

「それはよく聞いたことある」

「元素を取り入れるのは大変なことなんだよ」

「マグネシウムを取り入れてたくらいだもんな」

「そう、マグネシウムは私には欠かせない元素なのだ」

 照の独特なトークは留まることを知らない。

「月の砂も魅力的なんだけどやっぱり私の中では水銀みたいな有害物質説が濃厚だからなあ」

「わかったわかった!」

 延々と終わりなく続きそうだったので無理矢理に打ち切った。

「なあ」

 と、打ち切ったタイミングで話しかけられた。

 ん?この声は……。

「陽薙さんよお」

 苗字を言われて僕と照が振り返る。やはり、思った通りの人物がそこにはいた。

 照に告白をして華麗に振られたチャラ男だ。

「ああ、妹の方」

 といって前みたいにしっしと手を振ってくる。失礼なやつだ。……だが今回は僕はそれに従わなかった。

「ああ?」

 不機嫌さを隠しもしないで僕にガン飛ばしてくる。

 僕は内心で少し微笑んだ。

 この程度なら行ける。

「こっちがああ?だよ」

 語調を強めて言ってやった。

 僕は昨日の一件で味をしめていたのだ。自分が一番とか思ってそうなやつらに反抗する楽しさを。

「は?」

「さっきから一文字しか言ってねえな。なんだあ?語彙力乏しい人間ですかあ?」

「……なんだと?」

 よし効いてる効いてる。強がってはいるが内心怯えてるな。

「さっさと要件だけ言って帰れよ」

 まあ照にことごとく振られたこいつが何を言うのかは興味があった。

「チッ……まあいい。あんた、こいつらと遊園地に行ったそうだな」

 なんだその情報の早さ。亘理くらいの早さは現代の若者にとっては朝飯前なのか?

「そーだけど?」

 そう答えたのは照だ。質問の意味がわかりかねると言いたげに首を傾げている。

「あんた、こんなやつのが好みなのかよ」

 と言ってビシッと指をさした。

 ……亘理に。

「はい?」

 当の亘理も意味がわからないようすだ。

「とぼけるな。美術部で優等生行ったってことはもう知ってるんだよ。こいつは兄だから男はお前しかいねえだろうが」

 ……ああなるほど。こいつは亘理に負けた気分を味わっているのか。

「言いたいことはそれだけか?」

「さっきからお前はなんなんだよ」

 さっきからキャラが豹変した僕に凄んできた。まあこの手の輩に言うことはだいたい決まっている。

 はい、せーの。

「早く失せろ」

 目をできるだけ鋭くして言ってやった。

 わーい。一度は言ってみたかったんだよね。今まで勇気が出なくてできなかったけど昨日の出来事が僕に勇気をくれたから。

 とはいっても反撃が怖いな。昨日みたいに殴ろうとしないでくれると助かるけど。

「……チッ」

 チャラ男は忌々しげに舌打ちをして去っていった。

 お。これは完全勝利というやつか。

 これは最高に気持ちがいいな……。

「光くん危ないことはやめろよ」

「勝ったからいいだろ」

「そうだけど……。これから何されるかわかったもんじゃないよ」

「大丈夫だ。いざとなれば先生という後ろ盾がある」

 自信に満ち溢れた僕を見て、亘理はため息をついた。

「それにしても、なんでそんな強くなったの。昨日もそうだったけど」

「うーん、説明しにくいけど、行動に移すハードルが低くなったっていうか」

「やっぱりお兄ちゃんはナイトだね!」

「ヒーロー属性が際立ってるね」

 これはいいこと……なのだろうか。

 なんだか最近、僕までもが平凡から遠ざかっている気がする。


 *


 放課後は美術部にてお絵描きタイムだ。

「なんだろうな……」

 とはいってもガチガチピリピリに緊張感のある時間ではなくぽわわーんとした緩い時間なので全然発言は容易かった。

「どうしたの光?」

 そんな呟きに気づいた燈が僕に反応した。

「なんだか僕のキャラがあやふやな気がして」

「あー、たしかにそうだね。普通と言ってる割には普通じゃないところもあるし……たしかになんなんだろうね?」

「それは僕が聞きたいよ」

 平凡ではないならなんなのだろう。亘理はヒーロー属性とか言ってたけど……。

 そんなことを考えているとふと視界に見てはいけないようなものを捉えた。

 椅子に膝をついて机の上に乗っているオブジェクトを観察している照だが、前のめりになりすぎてスカートの中のものが見えている。

 なんだか今日は既出ネタが多いな。

 まあ高いところの荷物を取るとか苦戦しているわけではないので放置しておくことにした。

 僕がスケッチブックとまた向き合おうとすると照が頬を膨らませて近づいてきた。

「なんでツッコまないの!」

「え、えー」

 やっぱり計算の内だったのかよ。まあ考えなしにそんな間抜けなことをするくらい日和っているやつではないからな。

 それにしてもツッコめとはこれまたワガママな相談だな。

「僕をツッコミ量産機と思わないでくれ」

「でもそういう役割ではあるの」

「はあ……」

 思わず僕はため息をついてしまった。


 やっぱり僕はみんなのツッコミ役とかまとめ役なのか。


 *


 帰りに僕は用があるからとみんなと別れた。

 そう、精神安定剤を買うために。

 今日もストレスが溜まったという実感はある。

 高校の坊主が精神安定剤を買うのはおかしいとは思うけどまあ応急処置だ。良くなったらやめるつもりだし。

 コンビニで適当なものを買ってから僕は帰路についた。


 家でも変わり映えしないいつも通りがあった。

 やはり家での利点は照がまともに戻るということか。

 夕食と風呂を済ませた僕は早々に自分の部屋に向かった。

 まだ疲れは完全には取れていない。今日よく寝て明日は万全の状態で起きよう。そう考えたのだ。

 だけどその前にやることがあった。

「せっかく買ってきたこれを試さずにはいられない」

 僕は精神安定剤を一本飲んだ。

 一気飲みしたあとは頭がなんかぐわんぐわんして変な気分になった。

「これが精神の安定か……」

 ベッドに飛び込みながら僕は眠気に呑まれていった。

 どこかから何かが落ちてきて後頭部に激突したけど気にしなかった。


 *


 今思うとそんな精神安定剤の効能が効いている状態で頭に何かが当たったのが原因だと思う。

 朝起きると僕の思考パターンに変化があった。

 なんだかネガティブなことしか思いつかないのだ。

 僕はあと90年以内には死ぬんだとか今日は交通事故に遭うかもしれないとか。

「なんだこれ……」

 とにかく暗いことしか思いつかなかった。

「おはようお兄ちゃん」

「はあ……」

「どうしたの!?」

 照と会うだけでため息が漏れた。

 うーん、本当におかしいなあ。

 試しに僕は鏡の前に立ってみた。

 そこに映った僕の顔は心なしか影がさしているように思えた。


 こうして僕は漆黒の光となった。

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