第5話 妹が怖いです
「おっはよーお兄ちゃん!」
翌日は始めっから不思議ちゃんモードだった。
昨日ちょっと照の天才さを垣間見てしまった僕はこれも何かのための演技なのだろうか、と思ってしまう。いや、たぶんそうなのだろう。
「おはよう照」
でもまあそんなことを考えなければ普通の妹なので僕は普通に接することにした。
「ご飯できてるよー」
「あ。ありがとう」
不思議ちゃんになっても家の中でのしっかりさんは変わらなかった。いつもご飯を用意してくれたり洗濯を手伝ってくれたりしたりする。
「いっただっきまーす」
席につくと照の大きな掛け声で朝ご飯を食べ始める。
「ふわぁー……」
そんな時、照が大きなあくびをした。人前ではまずしないだろうと言うくらい大きく。
「昨日夜ふかしでもした?」
「ちょっとねー……UFOの観測と星座による魔術の実験をしてたら朝になっちゃってー」
今日の不思議ちゃん度もなかなかに高い。UFOに魔術とはかなりのものだ。
「ああそうなの」
ここで全力ツッコミするのは野暮だと思って適当に流した。……のに、照はプクーと膨れた。
「今日のお兄ちゃんは冴えてないなー」
「ええ?」
「いつも的確にツッコむのがお兄ちゃんの仕事でしょー」
「えええ?いつの間に僕はそんな仕事を」
「しーらなーい」
平凡キャラだと思ってた僕のキャラっていったい……。
いずれにせよ、異常があったらとにかくツッコむのは僕の仕事らしい。よし、了解。
「でさーお兄ちゃん、今日ってテストじゃなかったー?」
「え、そうだっけ?」
「うん、今日だよー」
僕たちが通ってる高校はかなりの進学校でなんと高一始まって間もないのに中学の復習ということでいきなりテストがある。
……ということは知ってたんだけど、まさか今日だったとは。
「……まあいいや初めだし」
ま、まあ初っ端のテストなんてあんまり関係のないことだろう。今回は諦めよう。
「いいのかなー」
「ああ、もうやるよ!」
今日はいつもより早く学校を出て少し勉強をしよう。そう考えてご飯の残りを手早くかきこんだ。
*
小走りで学校へ到着すると、手当たり次第持ってきた参考書を開く。教室にいた面々はほとんどの人が勉強していた。やはりテストは今日らしい。
そして照はと言うと余裕綽々で口笛を吹いてスマホ片手にゲームをしていた。
……随分と余裕だな。不安なんて一つもありませんって言いたいのか。
いや待てよ。これで点数低く取ることにより不思議ちゃんキャラをさらに定着させようとしているという考え方もある。
どっちなんだこれは。昨日照が全て計算ずくで行動をしていることを知ってしまったから裏の裏、さらに裏に見てしまう。裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の……。
そんなことを考えていたらチャイムがなってしまった。あ、結局何も勉強できてない。
「はぁ。もう腹を括るしかないな」
さんざんな結果を覚悟して僕は気持ちを切り替えた。
朝のホームルームも終わってしばらくするとテスト用紙がくばられてテストが開始された。
……うーん、わっかんないなー……。
半分くらいの易しい問題こそ解けたものの、ここからが問題だ。
とりあえず空白は埋めておこうと頭から捻り出してなんとか解答を記入した。
そして、テストが終わりふぅ、と一息ついたところで正面に照の背中が見えた。
ん、んん!?
照の右手は止まることなくバババと動いていた。たぶん解答を記入しているのだと思う。
これはまだ普通。
そして左手。
超高速でペン回しをしている、だと?
しかも、よく見ると足はタタンタンとリズムを刻んでいるし頭もリズムに合わせて揺らしている。ゆさゆさと揺れる髪の毛はまるで音を具現化したようだ。
つまり、照は同時並行で違うことをやっている。しかも普通にその一点集中でやっているのと同じクオリティで。
なんなんだこいつは。
思わずそんなことを思ってしまった。
そしてなぜかハッと問題の答えが閃いた。
適当に解いていた答えを消し、閃いた正答であろう答えを記入する。
そこでまたハッとなった。
まさか……。これもお前の計算のうちだというのか照!?
視覚情報、聴覚情報に特殊な刺激を与えると、脳を伝って思考などにも影響を与える……そんなことを意識して今の行動をしていたのではないか。
これは僕の考えすぎかもしれないし、合ってるのかもしれない。
だけど僕が照におののくことは避けられなかった。
*
「頭使ったら疲れた……」
もう昼休みの日常と化している食堂での食事で僕は疲れを全面に出していた。
「たしかにテストっていうのはいつも疲れさせてくれるよね」
「そうだよなー」
「二人とも元気ないねー?」
頬に人差し指をちょこんと当ててあざといくらいに可愛い仕草で照は聞いてくる。
「かなり春休みボケしてたからなー」
「あ、僕も同じく」
「テストのこと?」
「そうだけど」
「あれはここを使うんだよー」
と言って、照は自分の頭を指し示した。……お前らのような足りてない頭をフル回転させろ、とでも言うように。
だけど照が言ったのは少し違った。
「ビビビ、って来るでしょー?」
「……ちょっと何言ってるかわからない」
「来るの。遠い宇宙からのテレパスが!」
そっちの方の話だった。僕は学校では照が何がなんでも不思議ちゃんキャラを貫く、と頭の中にメモした。
「へ、へー。それはどんな?」
これに少し興味を示したのは亘理だ。まあよくわからない相手に少しでも情報が欲しいだけなのかもしれないが。
「えっとねー、例えば☆$○9¥☆〆,=○=^とか」
……今、照は明らかに人外の言葉を発した。ただの地球人程度の僕では到底理解はできなかった。あ、そういえば照が壊れた日もこんなこと言ってたっけ。
僕と同じで種族地球人の亘理にも理解はできなかったらしい。信じられないものを聞いたみたいに目を見開き、口を開けて黙っていた。頭に『???』の文字が見えるようだ。
「日本語に訳してくれないか」
「無理だね。これでも日本語に近づけた方なんだよ?」
わーお。それじゃあ人間は一生かかっても理解できないや。
「ねえ」
と、僕たちが楽しい会話を楽しんでいると昨日よろしく声をかけられた。……今度こそは振り返らないぞ。
「君、のこと」
昨日のようにしっしされるのはごめんだとそのまま食べていたら僕の肩に手が置かれた。
「!?」
予想外の不意打ちに僕は心臓が飛び出るかと思った。その反動で口の中のものを飲み込んでしまい咳き込んだ。
「だ、大丈夫?」
僕に手を置いたであろうやつの声がする。
ああ、もう。無礼なやつが多すぎる。一度この目で確かめてやろう。そう考えて振り返る。
「あれ?」
どんなやつだろうと思っていたらまさかの見知った顔だった。
「江成さん?」
「こ、こんにちは……」
顔を真っ赤にして――たぶん頑張って話してるからだ――江成さんは言葉を紡ぐ。
「珍しいですね。なにか用ですか?」
「ちょっと、困ったことが」
「?」
*
僕はご飯が食べ終わると江成さんの招集に応じて美術室まで来ていた。
ちなみに僕だけ、だ。亘理と照は呼ばれていない。
本人いわく、『まともな人と話がしたい』だからだそうだ。うん、大いに同意だ。
だから江成さんは食堂では僕に内緒話してから去っていった。亘理や照にはつけられる可能性があるので二人が食べ終わる前にご飯を完食してさっさとここまで来た、というわけだ。
「お、おまたせ」
辺りを確認しながら、江成さんは入ってきた。おそらく僕と同じようにつけられていないか警戒しているのだろう。
「改めてこんにちは」
「う、うん」
江成さんは僕が座ってるところから少し遠いところに腰を下ろした。僕もまだ警戒されてるっぽい。ちょっとへこむなあ。
「で、話ってなんでしょう」
へこんでいてもしょうがないので僕は本題を切り出した。
「あ、うん……」
本当にこの人人見知りが過ぎないか?後輩相手、しかも照とかの変人ではなく平凡な僕に上手く話せないって結構重症では。
それでも辛抱強く待っていた僕はカタコトの江成さんの声を聞く。
「あのね、その、光くん以外の、一年生、もう少し、まともに、なった方が、いいと、思って」
要は『あなた以外にまともな人がいないから人格矯正しましょう』ということだろう。
「……ごめんなさい」
だけど僕はここで頷けなかった。
だって、照は裏で色々と考えてやっていることだし亘理も悪さをしなくなったからただの情報通と化している。そこまでする必要はないだろう。特に照は僕以外は知らないとは思うけどしっかりまともなのだし。
「……そう」
僕の堂々とした態度に何かを感じたのだろう。江成さんはなんで、とかの質問をせずに相槌を打った。
「しかも、美術部には江成さんがいるじゃないですか」
僕は親指をぐっと立てた。これは適当に考えたセリフだけど少しでも江成さんが自分に自信を持てるように言ってみた。
「そ、そんな……」
でも江成さんは喜ぶんじゃなくて恥ずかしがってしまった。慣れていないしゃべることによって赤くなっていた顔をさらに赤くしてプスプス湯気が出そうなくらいになって俯いている。
「ああ、いや、僕は江成さんに自信をつけてもらおうと……」
「あ、そう、なの」
相変わらずカタコトで言いながら江成さんはいくらか回復して顔を上げた。
「所属している部の部長の言うことなんです。誰でも言うこと聞きますよ」
「そう、かな?」
「そうですそうです。だから自信持ってください」
「……わかった」
江成さんは決心したように表情を真剣なものに変えた。
どうやらいくらかは自信をつけてくれたようだ。
「じゃあ僕の出番はここまでということで」
「待って」
平凡モブな僕にもう用はないだろうと腰を浮かせると江成さんに引き止められた。
「……なんですか?」
「あ、あのね、実は……!」
そこでキーンコーンとタイミングよく昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
僕たちはその鐘が鳴り終わるまで、しばし沈黙をした。
「あのー、もう一回いいですか?」
沈黙がやけに気まずかったので僕は聞いた。
すると江成さんは急に顔を赤くしてしまった。
「も、もういいや。なんでも、ないよ」
「そうですか。じゃあまた放課後に」
「う、うん」
僕は自分の教室に向かった。
結局、江成さんが何を言おうとしたのかは今になってもわからない。
*
テストを終えたあとは燃え尽き症候群で何にも手につかず、気づけば放課後になっていた。
「お兄ちゃん部活行こー」
「あ、ごめん先行ってて」
「何かあるの?」
「トイレだよ」
ニヤッと聞いてくる亘理に僕は投げやりに答えを返した。この単語を言わないために言葉を濁していたのに。
「ちぇ、つまんないの」
「亘理はことあるごとに面白さを追求するな」
ビシッと亘理に注意してやってから、僕はトイレへ向かった。
トイレに行ってから照や亘理に遅れて僕は美術室へ向かった。
人間関係を構築できていない僕は特に話しかけられることもなく、スムーズに美術室へと到着した。こういう迅速さは嬉しいけど、それでいて哀しいから嫌だ。
「こんにちはー」
そんな挨拶とともに美術室へと足を踏み入れる。そこにはいつも通りキャンバスに筆を走らせている江成さんと真剣にスケッチブックと向き合っている亘理、亘理に何かを教えている燈、そして高いところにあるものを取ろうとして椅子に登ってうんうん呻いている照がいた。
僕はそんな照に絶句してしまった。集中している三人は気づかないかもしれないが、今入ってきた僕は気づいてしまったのだ。
照が伸びをするたび、スカートの中が露わになっていることに。
まさか計算でやっているんじゃなかろうか、と一瞬思う。
でもそのままにしておけるほど放ってはおけないので僕は照に近づいた。
「お、おい照、何を取ってるんだ?」
「んー!あの道具ー!」
照は届かない手でどこかに指をさした。そこにはなぜそこに置いたのだろうか、とにかく太い筆があった。
「あれで、私も絵の具デビュー!ってうわっ!」
「ちょ!」
そこまでめいいっぱい体を伸ばしていた照がバランスを崩す。僕は落ちそうになった照の脚を全力で掴んだ。
「うわわっ!」
だけど脚だと不十分だったらしい。照は上半身からこちら側に倒れてきた。
「うおっ!」
僕も思わず声をあげてしまう。そしてその直後に僕に体重がのしかかってきた。
ガタババン、と椅子の倒れる音と人の倒れる音が重なった音がした。
「痛たたた……」
背中を打ちつけられて激痛に襲われながらも僕は目を開けた。
そして目の前には。
僕の胸のあたりに馬乗りになっている照が。
「だ、大丈夫?」
すごい音で気がついたのか燈が心配するように声をかけてくれる。
「う、うん、なんとか」
「私も全然大丈夫だよー」
心配をかけまいと体を起こしたのが間違いだった。
僕の胸に馬乗りになっている照のスカートははだけていて、中のモノが丸見えになっていたのだ。
「っ!」
僕が慌てて顔を逸らすと照はまたバランスを崩して今度は床に横になった。
僕と向き合う格好で、江成さんや燈、亘理には背中を向けた状態だ。
そんな状態で、照はニッコリと笑って僕にしか聞こえないような小さい声で言った。
「少しは妹もそんな目で見てくれるようになったかな?」
してやられた。やはりこれは全て照が仕組んだことなのだ。
照に想定外の文字なんてない。この転落事故も想定内。
……お兄ちゃんは照が怖くなってきたよ。
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