閑話~ある兄と妹~
エルネストと一緒に、サイモンへの贈り物を選んでから四日後。ユウリはワトー商会本店へやって来た。「東国の職人から技術を受け継いだ者」の薬草茶を納品するためだ。
この日は事前に、サイモンと会う約束を取りつけていた。
彼は妹思いの優しい青年だ。人がよすぎて、変な方向にこじらせている部分もあるが、それももはや、個性となっている。
わかっているのに、今まで二人きりで会うのも、目を見て話すのも、避けていた。今日はそんな状況を終わらせるために来た。
ユウリが兄と向き合おうと思ったきっかけは、やはりエルネストの励ましがあったからだろう。
「ユウリッ!」
商会の従業員と仕事の件でやり取りをしている最中に、サイモンが飛び込んでくる。
相変わらずの袴姿だが、素材が麻になっていた。
今日は、ユウリのほうから会いたいと言ったので、彼のはしゃぎっぷりが凄まじい。
「お兄様、こんにちは」
抱きついてくる勢いの彼を、申し訳なく思いながらすっと避けて、ユウリは挨拶をした。
「今日は店を予約しているんだ。昼食は一緒にとるだろう?」
「はい」
ほかの従業員がいなくなったところで、サイモンがそう提案する。
前回、ここを訪れたとき、彼女は兄の申し出を頑なに拒否した。今日はそのやり直しのつもりだった。
「シンカ国料理の店なんだ。僕がよく行くところだから味は保証する」
諸外国との貿易が盛んなハイラントには、シンカや南方の国の料理人が営む店がある。
とくにワトー商会本店の近くには、自然とそういう店が多く集まる。兄がシンカ国の料理店を選んだのは、近くにあるというだけではなく、そこでならユウリが悪目立ちすることがないからだ。
「あの、お兄様。これ、お礼です」
昼食の時間には少しだけ早い。ユウリは、とりあえず兄への贈り物を渡すことにした。ずっと荷物を持ち歩くのも面倒だ。
「ん?」
「髪飾り、ありがとうございました。だから、お礼です」
今日も、夏らしくまとめられた髪に添えられている髪飾り。サイモンは妹の頭をしばらく眺めて、それから両手を広げて突進してくる。
「ユウリ――――ッ!」
二度も避けるのに罪悪感を覚えたユウリは、その愛情表現を受け入れた。常識的に考えて、とっくに成人した兄妹きょうだいがこんなことをするはずはない。けれど、幼い頃、不仲だった期間を取り戻すためには、きっと必要なのだろう。
「苦しいです!」
やめてほしいと言わないと、彼はいつまで経っても妹にくっついていそうだ。ユウリは気恥ずかしさと息苦しさを感じて、兄の胸を強く押した。
「あぁ、すまない」
「それよりも、開けてみてください」
ユウリは化粧箱を兄に手渡した。
サイモンは丁寧にリボンをほどいてから箱を開け、中に収められていたものを手に取る。
「……帽子か?」
先日、エルネストと一緒に買いに行った帽子。細かいチェック柄のハンチング帽は、サイモンによく似合っている。ただ、白の上衣に藍染めの袴という涼しげな姿に、温かみのある羊毛の帽子は不格好だった。
「秋用の生地なので、まだ早いですよ?」
ユウリがそう指摘しても、彼は帽子をかぶったまま、脱ごうとしない。
「いや、いいんだ! ユウリが選んでくれたのか?」
「……え、えっと」
「…………」
「選んだのは、私です」
言葉を選びながら、ユウリはそう答える。エルネストと一緒に買い物に出かけて、帽子がいいと提案したのは彼だった。けれど、種類や柄を選んだのはユウリだ。
人の助けを借りたのは、兄によろこんでもらいたいという気持ちから。それなのに、少しだけ後ろめたさがあるのは、どうしてだろう。
「もしや、伯爵閣下が?」
さっきまで、太陽のようなきらきらとした笑顔だったサイモンの表情が、一気に曇る。
「エル、じゃなくて伯爵様が帽子はどうかとアドバイスをくださいましたが、決めたのも、柄を選んだのも、私です!」
「あぁ、えっと、すまない。咎とがめるつもりはないし、成人している妹の交友関係に口を挟むのはだめだな」
「いえ、心配してくれているのはわかっています」
ユウリはエルネストとの関係――――つまり、彼の血を飲んだという事実を父にも兄にも告げていない。エルネストが頻繁に魔女の店を訪ねていることは察しているようだから、薄々感づいている可能性はあった。
命に関わることなのだから、本当は話すべきだと彼女はわかっていた。
けれど父も兄も、ユウリにとっては遠い存在で、どう切り出していいのかわからないままだ。
成人しても現れなかった吸血衝動をはじめて感じた。それは、本当に父や兄とは違う生き物だったと宣言するようなもの。ユウリにとっては誰にも話したくないことだった。
「食事に行こうか?」
サイモンのブルーグレーの瞳はどこまでも優しい。見つめられると、別の人物の冷たいまなざしが脳裏に浮かび、まだ落ち着かない。
それでも、差し出された手をとれば、少しずつ変わっていける。ユウリはそんな気持ちで、兄の手に自分の手をそっと重ねた。
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