夏に届いた花便り(1)



 エルネストが忙しい日々を送る中、ユウリのもとに一通の手紙が届いた。正確には宛名は彼女の祖父レオンと、祖母ハナ宛てになっていた。


「ウォルト・アルドリッジ? ……アルドリッジ家の方?」


 アルドリッジ家はワトー家の同じくハイラントの商家で、曾祖父の代から付き合いがある。

 だから当然、祖父母が亡くなったことは知っているはず。それなのに、今更手紙が送られてくる理由がわからない。

 ユウリは、仕方なく手紙の封を切り、中身を確認する。



『レオン殿、ハナ様。今年も我が庭に、芙蓉ふようの花が咲き始めております。ぜひお孫様と一緒に、いらしてください』



 その一文で、ユウリは幼い頃に何度かアルドリッジ家に行った記憶を思い出した。


 手紙のぬしのウォルトは、祖父母よりも年上の老紳士だった。芙蓉の花の咲く庭で、しわくちゃの紳士が、手招きをしてお菓子を差し出す光景が彼女の頭に浮かぶ。たしか、ユウリは彼のことを「アルドリッジのおじいちゃま」と呼んでいた。


「私のことをお祖母様にそっくりだと……、芙蓉の花はお祖母様の好きな花だと、おっしゃってたような?」


 祖父母の葬儀には、彼の息子の現当主が来てくれたはず。もしかしたらウォルト自身はかなり体調が悪いのかもしれない。もし祖父母の死を忘れているのなら、そのまま放っておいたほうがいいのか。

 ユウリは考えあぐねてサイモンに相談することにした。サイモンや父からアルドリッジ家に連絡をしてもらうのだ。


 そして数日後、ユウリはサイモンと一緒に、アルドリッジ家を訪れることになった。


 ウォルト・アルドリッジはほとんど寝たきりの状態で、親しかった人物の孫の顔を見たいと、彼の息子からの申し出があったからだ。

 最近の彼は物忘れがひどく、手紙を出したときは気持ちが若い頃に戻っていたのだと、息子のトレイシーが教えてくれる。


「昨日は、レオン様とハナ様が亡くなっていることをちゃんとわかっていて、ユウリ様に会いたいと言っていたんです。……誰も歳には勝てないのでしょうね。家族のことすらあやしいので、失礼なことを言うかもしれませんが……」


 トレイシーはそう言って笑う。どうやらその日の体調によって、息子の顔すら忘れてしまうらしい。


「今日はワトー家のお孫さんがお見舞いに来てくれると話をしたら、久しぶりにベッドから起き上がって、サンルームで待っているんです。まだ時間が早いと言っても、全然聞かなくて」


 トレイシーはさっそく、ウォルトの待つ部屋に二人を案内した。


 南側が全面ガラス張りになっているサンルームには、レースのカーテンがかけられていた。ユウリの目にも優しい、柔らかい光がその空間を包み込む。

 テーブルの近くに、車いすの老紳士がいて、にこにことほほえんでいる。ユウリの記憶の中の“アルドリッジのおじいちゃま”よりも、さらにしわが深くなり、かなりやせ細っている印象だ。


「アルドリッジのおじいさま……? お久しぶりです」


「ハナ様! 今日は曇りでよかった。あなたは強い光が苦手でらっしゃるから」


「おじいさま?」


 ウォルトは車いすから立ち上がる勢いで、腕に力を込める。ユウリとサイモンは、彼のもとへ駆け寄り、慌てて彼を支えた。ハナ――――ユウリがそばに来たことで安心し、彼はもう一度座り直し、彼女をじっと見つめた。


「……ハナ様、お変わりないようでなによりです」


 ユウリは幼い頃に、祖父母に連れられてここへ来たことがある。だから、ウォルトの記憶の中に、年老いたハナの姿だってあるはずだ。

 けれど、彼の心に強く印象に残っているのは、若い頃の祖母の姿なのだろう。

 ユウリはこの老紳士を傷つけたくなくて、ぎこちなく微笑んだ。


「父上、この方はお孫さんのユウリさんですよ。ハナ様ではありません」


 見かねたトレイシーが、老紳士の勘違いを正す。

 ウォルトは何度か瞬きをして、首をかしげ、息子とユウリの顔を交互に見比べた。


「……ああ! そうだった……。ハナ様もレオン君も、もういないのだったね。最近物忘れがひどくて、困ったものだ。ユウリさんと、あ……才蔵さいぞう君だったかな?」


「サイモンですよ、ウォルト様。才蔵は私たちの曾祖父の名前です」


「サイモン、サイモン君……と。どことなく、若い頃のレオン君に似ているな? 眉毛あたりは彼に似たんじゃないか?」


 サイモンは母親似のはずだった。それでも、ほかの家族から引き継いでいる特徴もある。

 サイモンが祖父似だと話すウォルトの瞳は、とても穏やかだ。


「ウォルト様は、僕の祖父とも親しかったのですね?」


 ユウリもサイモンも、てっきりウォルトと親しかったのは祖母のほうだと思っていた。

 祖父のレオンはただの庭師で、アルドリッジ家の人間と親しく付き合う立場になかったから。


「あぁ。もちろんだ。私は十九のときから、ワトー家に住み込みで働いていたんだ。兄が早世して、結局この家に戻ることになったのだけれど、よく三人で庭いじりをしたものだ」


 ウォルトはトレイシーに命じて、サンルームの大きな窓を開けさせた。

 そこからスロープで庭に出られるようになっているのだ。

 曇りの日に、わざわざレースのカーテンで光を遮っていたのは、ユウリへの配慮。秘密を知っているかどうかまでは定かではないが、彼はユウリの体質をわかっている様子だった。


「じゃあ、僕がお連れしますよ」


 サイモンが車いすの背後にまわり、声をかけてからゆっくりと押す。


「日傘が必要かな?」


「いいえ、大丈夫です。今日の日差しはとても優しいですから」


 サイモンが車いすを押して、ユウリがその隣を歩く。ウォルトが案内したかった場所は、手紙にあったとおり、芙蓉の花が咲き誇る庭園だった。

 薄紅色、純白に中心だけ濃い紅になっているもの。ユウリの手のひらよりも大きな花が、いくつも咲いている。


 石畳の通路をガタガタと音を立てながら、車いすがゆっくりと進んでいく。


「あぁ、懐かしい。土の香りも、草の香りも。君たちがいるだけで、こんなにも鮮明に昔を思い出せる。ハナ様とレオン君がすぐに言いあらそいをはじめて……。私はだいぶ年上だったからね? それをそばで見守っているのが好きだった」


「お祖父様とお祖母様が? ……なんだか想像できません。二人はとても仲がよかったから」


 この人物は、ユウリやサイモンの知らない祖父母のことを知っている。彼女の認識では、祖父母は本当に仲がよく、争うところは見たことがなかった。けれど幼い頃の二人は違ったのだ。


「もちろん、二人はとても仲がよかった。だからこそ、よくけんかをしていたよ。……私は大人だったから、ただ見守っていた。ハナ様がレオン君を特別に思うようになっていく過程も、駆け落ちするときも……」


「駆け落ち、ですか? お祖母様たちが?」


「そんな話、僕も聞いたことがない」


 サイモンはもとより、彼らと一緒に暮らしていたユウリもはじめて聞く話だ。


「知らなかったのかい? まぁ、駆け落ちというほどのものでもないな。結局レオン君はワトーを名乗っていたんだし」


 ウォルトは手を伸ばし、薄紅色の芙蓉にそっと触れた。


「あの頃、私は大人で彼らの保護者のつもりだった。だからこそ……レオン君のようにはなれなかった」


「……お祖父様のように?」


「年を取ると、あのとき違う選択をしていたら……と思うことがある。私は家族を得て、幸せに暮らした。それでも、憧れは消えない。夢物語くらい見てもいいのだろうか? ハナ様に聞いていただきたいことがあった……」


「お祖母様に、ですか?」


 ウォルトは寂しげに頷いた。彼がいくら答えを求めても、ユウリが想像しても、亡き祖母の想いは、彼女にしかわからない。

 それでも老紳士は答えを求めて、ハナが好きだった薄紅色の花を見つめていた。


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