ひとりぼっちの牡丹(8)
翌朝、ユウリはエルネストが用意した夏物のワンピースを着て朝食の席に現れた。
普段、彼女が着ているものよりもフリルがたくさんついている、花柄のワンピースだ。男装のユウリもよかったが、やはり彼女にはかわいらしい服装のほうが似合う。エルネストは、服選びのセンスを心の中で自画自賛し、つい顔がにやけてしまう。
「やあ、いい朝だね」
「おはようございます。昨日、どうして起こしてくれなかったんですか?」
「あまりにも気持ちよさそうに眠っていたから。君は軽いし、別に問題はなかったよ。それにしても、ユウリ殿はよく寝るね? 本当に猫みたいだ」
夜に帰ってきて、彼女は食事もせずに朝まで寝ていたようだ。そのうち起きるだろうと思い、軽食の用意だけ指示を出し、彼は雑務を片付けていた。ユウリは結局、食事に手をつけずに、そのまま朝を迎えたらしい。
「知らない場所に行って、疲れていただけですから」
つん、とそっぽを向きながらも、彼女はエルネストの向かい側に腰を下ろした。
一食抜いてしまった彼女のために、朝食は多めに、甘いパンケーキを用意してある。はちみつと、リンゴのコンフォートをたっぷりかけて、甘い香りが食欲をそそる。
なんどかもぐもぐと口を動かすと、ふわっと表情が柔らかくなった。
感想を聞くまでもなく、伯爵邸のシェフの味を気に入ったのだろう。
「あの、エルネスト様は、二日もお仕事を休んで大丈夫なんですか?」
彼女は、冗談や嫌みでそんなことを言っているようには見えない。きっと本気でエルネストを心配している。だからこそ、たちが悪い。
「ユウリ殿はひどいなぁ。昨日は出かけるのが仕事。今日はコンクエスト少佐と秘密会議をするのが仕事だよ」
そう言いながら、いつもの慌ただしい朝とは違う、のんびりとした気持ちでユウリと過ごす朝を楽しんでいる。だから、エルネストのさぼり疑惑は、半分真実だった。
§
約束の時間ぴったりに、コンクエストがやって来た。伯爵邸の応接室で、彼を出迎えると、彼はユウリのほうを見て、微動だにしない。鉄面皮の彼なりに、驚いているのだ。
昨日会った少年と同じ顔の女性がいたら、誰でもそうなるだろう。
「昨日はありがとうございました。お怪我の具合はどうですか?」
ユウリはコンクエストの動揺に気がつく様子もなく、ただ傷を心配している。
「…………セルデン伯爵」
「なにかな?」
「小姓に女装をさせるなど、悪趣味にもほどがある」
彼は最初に会ったときの性別が正しいという先入観で、そう結論づける。その言葉でユウリはやっと、コンクエストがなにに動揺しているのか、わかったようだ。
「あっ、違います。私、男の子じゃありません。昨日は女性が入れないところだったので仕方はなく。こちらが一応、本当の姿なんです」
「そうそう、彼女の名前はユウリ・ワトーというんだ。どうせ少佐のことだから、私と関係のある人物くらい、把握しているんだろう?」
国王ロードリックの信頼が厚いエルネストだからこそ、今回の密命が下った。
けれど、疑り深そうなコンクエストが王の言葉を鵜呑みにして、エルネストの身辺調査を怠るはずもない。
「それは……。ユウリ・ワトー殿? 知らぬこととはいえ、失礼した」
彼の謝罪を、ユウリは小さく笑って受け入れる。
「本当に、濡れ衣を着せないでほしいな。私は悪趣味なんかじゃないよ」
「セルデン伯。一つ言っておく」
「なにかな?」
「女性に少年の服を着せるのも、少年に女装させるのも、どちらも悪趣味で変態のすることだ。貴殿には、それがわからないのか?」
エルネストは内心、つまらない男だなとしらけた気持ちになる。彼のようなタイプの人間とは友人にはなれないのだ。けれど、悪趣味だという自覚は十分にあるので、指摘に腹は立たない。つまらない男と称されるよりは、よほどいい。
「手厳しいね。似合っていたからいいでしょう? 彼女を連れて行ったからこそ、手がかりを掴めそうなんだから」
「手がかり、だと?」
「ユウリ殿。花札だよ、説明を頼む」
「どっ! どこから持ってきたのですか?」
昨日まではなかったはずの花札がエルネストの手元にある。ユウリはあんぐりと口を開けて驚いている。
「君が寝ているうちに、サイモン殿に使いをやったんだ。もちろん、密命の件は言っていない。楽しそうだからほしいとお願いしたら、すぐに用意してくれたよ。彼はなんでも持っているよね?」
「よかった……」
ユウリの「よかった」は、「魔女の店に不法侵入されたわけじゃなくて、よかった」の意味だろう。
エルネストは、彼女の家に正面から侵入できる魔法の道具を持っている。だから、彼女の言葉に傷ついても文句を言えない。かなりやましい事実を隠しているのだから。
ユウリは花札をテーブルの上に並べていく。
「一月から十二月まで、それぞれ四枚のカードがあるんです。遊び方にもよりますが、こちらのカードが一番高得点です」
一月は松に鶴。高得点のカードには松と鶴が描かれ、二枚目には「短冊」という紙の札、残りの二枚は松だけという法則だ。
「へぇ。じゃあ、私が太陽と麦畑だと思ったススキのカードは八月。ちょうど今の時期を指すよね?」
「鶴といのししは一月と七月、それが二月と九月に変わっていました」
「十七日と二十九日のことではないのか? つまり賭博の開催日。十七日が過ぎたから次の日付に変わったということだろう」
花札をまったく知らなかったコンクエストでさえ、絵が示すものがなんなのか、ほとんどわかっている。
一つ目の掛け軸は、月を、二つ目と三つ目は日付を表している。描かれたものの法則さえ知っていたら、なんのひねりもない暗号だ。
「随分、単純だね」
ハイラントでは東国の品物が流行しているが、花札はまったく知られていなかった。トランプだけでもかなりの遊び方があるから、ほかのカードゲームが入り込む余地がないのかもしれない。
堂々と開催日をわかるように掲げて、知らせる方法としてはよくできている。芸術を愛するグローヴズ侯爵らしい嗜好だった。
あとは、秘密を共有できそうな者にだけ、暗号の解き方をこっそり教えればいい。
「残りは、四つ目の牡丹か……」
エルネストは思考をめぐらせる。四枚目の掛け軸に描かれていたものは、牡丹だけ。そこにどんな意味が隠されているのか。
牡丹が示すのは六月。今までの法則どおりに考えるのなら、これは時刻を表す。朝の六時、ということはないから夕方の六時だろう。けれど、蝶がいないことにも、意味があるはずだ。
「牡丹の札。これだけが違うんです。ひとりぼっちでかわいそう。……蝶はどこへいったのでしょうか?」
ユウリの言葉で、エルネストはハッとあることに気がつく。紳士クラブの扉の横に掲げられたプレート。そこに描かれていたものは――――。
「なるほどね。蝶は、飛んでいってしまったんだよ」
侯爵別邸には蝶の間という
これでエルネストの密命は終わりだ。違法賭博が開催される日時さえわかってしまえば、あとは憲兵隊が踏み込めばいい。
「さすが、私の魔女殿は頼りになるね!」
エルネストは、隣に座るユウリの頭を撫でた。
純粋に、依頼をちゃんとこなす彼女をほめたい、という気持ちもある。だが、半分は特別な距離にあることを、周囲にアピールするためでもあった。
もちろんコンクエストに下心があると疑っているわけではない。けれど、ユウリに関わった人間すべてに、彼女が自分のものだと宣言しておきたいのだ。
独占欲の強い小心者だと、自身の行動にあきれながら。
「やめてください! も、もう私の仕事は終わりでしょう? ……家に帰ります!」
真っ赤になったユウリが、エルネストの手から逃れる。そのまま出て行ってしまいそうな勢いなので、彼は慌てて引き留めた。
「送るから! ちょっと待っていて」
「セルデン伯。今後について細かい打ち合わせをしたい」
「今後? 私はもういいでしょう? あとはコンクエスト少佐にお任せする。荒事は専門外だからね」
「なにを言っている? 賭博の現場に潜入して、ほかに誰が関わっているのか調査するところまでが、貴殿の仕事だろう? むしろこれからが本番だ」
つまり、次の開催日に憲兵が乗り込んでも、その場に居た者しか処分できない可能性がある。だから、潜入を続け、背後関係を徹底的に洗えということだ。
「へ、へぇ……?」
いくら紳士クラブに潜入しても、憲兵であるコンクエストが、違法賭博に誘われることはないはずだ。だから、今後もエルネストが密命を続行するしかない。
「では、エルネスト様、コンクエスト少佐。私はこれで失礼しますね」
「協力、感謝する」
ユウリは軽く会釈をしてから、部屋を出ていく。
掛け軸の暗号を解いても、結局ほかのメンバーから誘われなければ、賭博場に出入りするのは不自然だ。
これでは、危険を冒してまでユウリを連れていった意味がない。
こんなことになるのなら、昨晩報酬をあげるのではなかったと、彼はがっくり肩を落とした。
エルネストが穏やかな日常を取り戻したのは、それか一ヶ月も先になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます