魔女が素直になれるとき(6)



 セルデン伯爵邸に着いたユウリは、まずは風呂に入れられ、着替えをしてから再びエルネストと話をすることになった。

 打たれた頬が赤くなっているのを、鏡で確認したユウリは、改めて自分がどれだけ危険だったかを思い知った。もしエルネストが来てくれなかったらと想像すると、恐怖でじんわりと涙が浮かぶ。


 ターラに手伝ってもらい支度を整えると、いつもユウリが使っているゲストルームで、エルネストが待っていた。


「お腹はすいていない?」


「今は、あまり……」


 事件のせいで昼食を抜いてしまった。けれどユウリは胸がつかえて食事をする気になどなれなかった。

 しばらくすると紅茶と焼き菓子が運ばれてくる。エルネストからせめて飲み物だけでも口にするようにと促され、ユウリは砂糖がたっぷり入った紅茶を飲み干した。


 魔女の店でそうしているように、エルネストはユウリの隣に座っている。

 彼女は今まで感じたことのないほどの居心地の悪さに戸惑っていた。

 エルネストが嫌なわけではない。頬の腫れを彼に見られるのが嫌だった。そして男爵に掴まれた手首のあたりが、汚れているような感覚が消えてくれない。だから彼のそばにいていいのか、迷いが生じた。


「話をしてもいいかな? なにもなければと思って、知らせていなかったけれど、店の周辺は念のため私の私兵を配置していたんだ」


「どうしてですか?」


「違法賭博の件で、私が潜入捜査をしていたのは皆が知るところだから。君は、私の弱点……人質になりうる。わかるね?」


 エルネストは関係者を洗い出すために、違法賭博場に出入りしていた。そうなると、王命による潜入捜査だったと明言しないと、彼だけが処分されないのはおかしいということになってしまう。

 逆恨みされている可能性が捨てきれないから、近しい人間には念のため護衛をつけていたということだ。


「じゃあ、私は保護しようとしてくれた護衛の方から逃げてしまったのですね?」


「説明しなかった私が悪い。それに今回君を狙ったのは、予想とは別の者だった」


 昨日の時点で、魔女の店に来客があった事実は、エルネストの知るところだった。ロージーが間接的にシューリス男爵とつながっていると知ったのが、今朝になってから。

 念のため、ユウリを伯爵邸に呼び寄せようとしていたところで、彼女の逃走を知ったのだ。

 そこでエルネストはコンクエストに働きかけ、彼の部下と一緒に「友人の訪問」を装って、堂々と男爵邸に乗り込んだ。


「捜査には令状が必要だけれど、たまたま訪問した家で誘拐監禁暴行事件が発生していたら、その場で鎮圧していいでしょう?」


「本当に、軽率でした。ごめんなさい」


 エルネストからは、何度か迂闊さを咎められていた。それなのにユウリは簡単にロージーたちを信用し、あっさり騙された。


「君は、周囲の人間……とくに男が君にどういう感情を抱くのか、真面目に考えるべきだね。今回は、もともとの原因が私にあるから、強くは言えないけれど」


 シューリス男爵は、サイゾーという名の小姓に興味を抱き、手に入れようとした。エルネストの連れであることから、ワトー商会の関係者だとすぐに知れる。

 探りを入れても黒髪黒目の少年は見当たらない。少年を探しているうちにユウリにたどり着いたのだろう。

 男爵の様子からすると、ユウリがサイゾーと同一人物でも、そうでなくてもどちらでもよかったようだ。彼は人形遊びでもするように、ユウリを飾り立てて、めずらしい黒髪黒目の人形を周囲に見せつけたかっただけなのだろう。


「ロージーさんは?」


「一応こちらでも事情を聞いたけど、婚約者に借金があることは最初から知っていて、芝居をしていたそうだ。ユウリの店を訪ねたのは偶然じゃない。悪気がないからたちが悪い」


 結局、シューリスが持ちかけた借金を立て替えする条件が、ユウリを男爵邸に連れてくることだったらしい。台本シナリオを考えたのは男爵家の家令で、ロージーもダンも、最初から承知で演技をしていた。

 けれど二人に悪気はなく、男爵とユウリに出会いの場を演出している感覚だったらしい。


 だから、男爵がユウリをどうしようとしているのかを知り、逃がそうとした。


「悪意がなかったからこそ、君は騙されたんだろうね」


 真相がわかったところで、エルネストがじっとユウリを見つめてくる。

 今日の彼にはいつもの軽薄さがない。彼の軽さは、優しさと似ていた。いつも冗談めかして、ユウリに逃げ道を用意してくれる。そんな優しさが今はない。


 それくらい彼女は、エルネストを心配させ、困らせた。「君に怒っているわけじゃない」というのは、嘘だった。彼は本気で憤っている。


「かわいそうに、アザになっている」


 頬に触れる手から逃れることも、彼から目をそらすことも、きっと今のユウリには許されていない。


「今、私に触れられるのは嫌かな?」


「今日のエルネスト様は少し怖いです。でも……」


「でも、なに?」


「甘えたいです。……すごく嫌だったの。私に触っていいのも、名前を呼んでいいのも、エルネスト様だけで……だから、だから……」


 ユウリはエルネストの胸に顔を埋めた。そうすれば、嫌な感覚も感情も、すべて書き換えられるきがしたから。


「そうだね、君は私だけのものだよ」


 また、エルネストがユウリの所有権を主張する。とても傲慢な考えだ。

 けれど、実際にユウリは彼のもので、彼がいなければ簡単に死んでしまう弱い存在だ。

 血の宿命なのか、ただの性格なのかは彼女にもわからない。彼が望むものをすべて与えたい。それと同じくらい、彼のすべてが自分のものだと言いたい。


 もう秘密にしておくのは限界だとユウリは感じていた。


「私、ちゃんと話していないことがあって……。聞いてくれますか?」


 血を与えられなければ、ユウリはそのうち死んでしまう。了承のないまま勝手に背負わせた枷を、正直に打ち明けるのは怖かった。けれどずっと黙っていることも裏切りで、ユウリはそれに耐えられなくなっていた。

 エルネストは誠実で、いつもユウリのことを考えて、誤解のしようがないほど想いを語ってくれる。だから同じようにしなければならないと、ユウリは覚悟を決める。


「いいよ」


 この日、はじめて彼がいつもの笑い方で、ユウリを見つめる。


「吸血鬼の末裔にとって――――」


 彼女がそう言いかけたとき、廊下のほうから人の気配がした。扉がノックされ、ターラが来客を告げる。


「話は夜にしよう」


 ユウリやロージーから事情を聞くために、コンクエストが訪ねて来たのだ。

 夜に話をしようとエルネストは言う。そのときにもう一度、今と同じ勇気が持てるか、ユウリには自信がなかった。


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