魔女が素直になれるとき(5)



 シューリス男爵邸は、絢爛豪華な豪邸だった。廊下にも、応接室にも世界各国の美術品が飾られている。それらすべてが価値のあるものだとわかるが、ユウリの好みからはかけ離れていた。

 現代の著名な画家の手がけた作品のすぐ横に、南方の銅像が置いてあったり、ヒノモトの水墨画を金縁の額に入れていたり、センスが感じられない。

 使用人の借金を立て替えてくれるのだから、優しい主であるはずなのに、趣味は悪いようだ。

 ユウリは落ち着かない気持ちで、通された部屋でお茶をいただく。

 使用人とその婚約者と、赤の他人のユウリという三人の組み合わせにもかかわらず、通されたのは応接室だった。


 そこで家令と思われる人物と借用書についてやり取りをする。


 ユウリが想像していた以上に、借用書はしっかりとした内容だった。

 現在の給金、そこから天引きする金額が記載されているのはもちろん、自己都合で辞めた場合の扱い、病気や死亡した場合の対応まで、しっかりと決められている。

 彼女はその内容を二人に説明し、間違はいないか、疑問点はないか、時間を掛けて確認した。

 最後に、ダンが書類にサインをして、無事ユウリの仕事は終わった。


「ユウリ・ワトー様。このたびは屋敷の者が迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。わが主が直接謝罪をしたいとのことで、どうぞこのままお待ちください」


「いいえ、それには及びません」


 ユウリが辞退しようとしても、家令が男爵を呼びに行ってしまったので、その場にとどまることになった。


 しばらくして、応接室に男爵と二人の男性使用人が姿を見せる。

 屋敷と同様、昼間から装飾過多な衣装に身を包んだ人物。その顔を見て、ユウリは思わず目を見開く。


 ――――シューリス男爵は、紳士クラブで小姓姿のユウリに絡んできた貴族だった。


「まだいたのか? 下がってよい。用があるのは、そこにいる東国の娘だけだ」


 男爵はダンたち二人に向けて、冷たくそう言い放つ。

 ユウリの額に冷や汗がにじむ。この出会いが偶然とは到底思えなかった。


「ふふっ、やっぱり君だ。どうりでいくら探しても見つからないはずだ。……そうか、女性だったのか」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、男爵が近づいてくる。

 ユウリがあのときの小姓だということが彼にばれていた。彼はユウリに興味を抱き、探していたのだろう。


「どういうことですか?」


「え……? 知り合いなのか? 男爵様が町で見かけて、一目惚れだって。知り合う機会だけ作ってほしいって……。貴族に見初められるなんて悪い話じゃないと思ったから俺らは――――」


 ダンもロージーも、状況がわかっていない。ダンが余計な言葉を口にすると、男爵が彼をにらんだ。


「くだらないことをペラペラと! 立て替えの話はなかったことにするぞ! 失せろ」


「それでは、私も帰らせていただきます。もうダンさんからの依頼の件は済みましたから」


 ユウリは男爵に軽く会釈してから、なんでもないことのように扉のほうへ一歩踏み出す。

ところが、彼女の進行方向を塞ぐように、男爵がまた一歩、ユウリとの距離を詰めた。


「東国の姫はつれないな。ユウリという名なんだね。男の子みたいだけれどよい響きだ。……ユウリ、ユウリ。ふははっ」


「そう呼んでいいのは、家族とエルネスト様だけです。本当に、もう帰りますから!」


 エルネストに敬称なしで呼ばれたときは、心が満たされて、耳がくすぐったくて、どれだけ嬉しかったかわからない。目の前の男に同じように呼ばれ、ユウリは大切な人との思い出を穢された気分になる。

 だんだんと怒りがこみ上げ、語気が強まる。ユウリは心の中で「冷静に、冷静に」と何度も唱えた。


「エルネスト……あぁ、セルデン伯爵か。でも残念……私は男爵を名乗っているが、父親は公爵だ! 実質、あの男より身分は高い。針子を呼ばなければならないだろう。あの男の用意したものよりもっと豪華な衣装をいくらでも与えてやる」


 その言葉で、母が言っていた「公爵子息」と目の前の人物が繋がった。


「卑怯な方は嫌いです。それに、ドレスなんて自分で買えますから」


 ユウリは彼の言葉に屈する必要はないとわかっていた。彼の言うとおり、身分が絶対だとしたら、あのときユウリを助けたコンクエストも、そしてエルネストもとっくに彼の父親から報復を受けているはずだ。


「反抗的な瞳も悪くない。君を手懐ける過程を楽しむのも、また一興」


 彼は最初からユウリと対等な立場で好かれようなどという気持ちはないのだろう。ただ従属させたいのだとすぐにわかる。


「あなたのお父様が、出来の悪い息子を罰してくれる、立派なハイラント貴族であることを祈ります。身分の差でなんでも思い通りになると思っている子供なんて、私は相手にしない」


 ユウリは「出来の悪い」という部分を強調して、言い放つ。彼を怒らせるのが悪手だとわかっているのに、嫌悪感からどうしても言葉を我慢できなかったのだ。


 年下の小娘にばかにされたシューリス男爵は、目を血走らせ、ユウリの手首を捕らえた。


「生意気な! さっそくしつけが必要なようだな」


 シューリス男爵がユウリの頬を殴打した。手首を掴まれて、逃げることすらできない彼女は、それをまともにくらう。痛み、そして口の中に血の味が広がった。

 もうユウリにできることは、なにがあっても泣かないこと、目の前の男を許さないことだけだ。


「わぁぁぁっ!」


 叫び声をあげて、ダンが男爵に飛びつく。ユウリを掴んでいた手が離れ、男爵とダンが床に転がった。


「なにをする! 使用人が高貴な私に触れるとは!」


「逃げろ。二人とも! ロージー、早く! 他人を巻き込む……ぐっ」


 すぐに、家令と二人の使用人がダンを引き剥がす。引きずられ、みぞおちを何度も殴打される。

 一方的な暴力に、ユウリは目を逸らしたくなり、その場にしゃがみ込んだ。


「行くわよ」


「追いかけろ!」


 ロージーが床に座り込むユウリの手を引っ張り、必死に立たせる。そのまま部屋の入り口のほうへ全力で走る。

 けれど、家令と使用人に阻まれ、すぐに二人とも取り押さえられた。


「くっ、離しなさい! こんなの犯罪です……」


 ユウリは冷たい床の上にうつ伏せの状態で、使用人に取り押さえられた。

 笑いながら近づいてくるシューリス男爵の気配を感じ、悪寒で鳥肌が立つ。怖くて、気持ちが悪くて、涙が出る。


「そこまでだ!」


 扉が外から開け放たれ、凜とした声が響く。

 ユウリは、なんとか顔を上げて声の主の姿を確認する。彼女のよく知っている、けれどこんな場所にいるはずのない人の声だ。


「……エル……ト様?」


 間違いなくエルネストだった。その後ろには、なぜか憲兵のコンクエストとその部下と思われる数人の男性が一緒だ。


退け」


 今までユウリが聞いたことのないような低い声だった。殺気立ったエルネストに怖じ気づいた男爵家の使用人が、ユウリを解放する。


「誰にやられたの?」


「……シューリス男爵です」


「ふーん。ということですよ少佐? 現行犯なら逮捕できるよね?」


「監禁と暴行、結構な罪だな。捕らえていい。……そこの男の手当も頼む」


 コンクエストが指示を出すと、彼の部下が一斉に部屋に踏み込み、男爵や使用人が捕縛されていく。ダンは腹を押さえながら、なんとか憲兵と会話をしてけがの具合を伝えている。


「き、貴様ら! 不法侵入だぞっ、ここは私の屋敷だ!」


 シューリス男爵が足をバタバタをさせて抵抗する。


「私は正面から、堂々と名乗って入ってきたから大丈夫。……犯罪者と話す気はない。邪魔しないでくれる? ユウリ、けがを見せなさい」


「あ、の……ごめんなさい」


 エルネストが床の上に膝をついたままのユウリの前まで来て屈む。

 いつもと違う雰囲気が怖くて、ユウリはとっさに謝罪の言葉を口にした。

 よく見ると、彼は額に汗をかいていて、呼吸も荒い。

 まだ状況を把握できないままだが、彼が急いで助けに来てくれたということだけ、十分にわかった。


「歯や骨は折れていないみたいだね。君、私の護衛から逃げたでしょう?」


「護衛……?」


「ここは空気が悪い。詳しい話は屋敷に戻ってからにしよう」


「二人も一緒に! 助けようとしてくれて」


 ロージーとダンは、すべてを知っていてユウリを罠にはめようとしたわけではない。シューリス男爵とユウリの関係を察してからは、むしろ逃がそうとしてくれた。


「こうなった原因でもあるけどね。お人好しもほどほどに」


「……でも」


 エルネストの雰囲気がいつもと違っている。決して語気は強めず、口調も変わらない。けれど、彼は本気で怒っていた。ユウリにはそれがわかっているので、強く主張できない。助けられたうえに、わがままを言っているのだ。


「わかった。コンクエスト少佐、もう帰りたいんだけどいいかな?」


「あとで参考人として、事情を聞く。それまでセルデン伯の責任で保護できるのならかまわない。こちらの男は医師に診せる必要があるから、預かる」


「帰ろう。変態犯罪者と一緒の空気を吸うのはハイラント紳士には耐えがたい」


 そう言って、エルネストがユウリを抱き上げた。

 いつもユウリには笑顔しか向けない彼が、今は無表情。澄んだ青い瞳に感情が伴わないと、ひどく冷たい印象になる。


「ごめんなさい……」


「君に怒っているわけじゃない」


 エルネストはユウリが怯えてることを察して、ふっと笑ってみせた。その笑みはどこかぎこちなく、彼女の心の中から不安は消えないままだ。

 彼を心配させ、そんな表情をさせている原因はユウリで、とにかく申し訳ない気持ちだった。


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