魔女が素直になれるとき(3)



 血をもらったおかげで、この日のユウリは活動的だった。ワトー商会からの依頼の品を仕上げて、外で昼食を取ってから納品に行く。

 事前に訪れる予定を告げていたので、従業員に渡すだけで終わるはずだ。


「ユウリ様、本日は奥様がいらっしゃいます」


 古参の従業員がそう告げる。

 二人が出会えば、お互いに冷静ではいられない。だから、彼女が訪れる予定の日に母親が商会にいそうな場合、日程をずらしてばったり出会わないようにしている。

 普段なら、父や兄が調整してくれるのになぜ? 彼女の頭にそんな疑問が浮かぶ。


「そうですか。では、早く帰ります」


 名前を聞くだけで、握りしめた拳がじんわりと汗で湿る。ユウリがとにかく早く立ち去ろうとすると、従業員がそれを止めた。


「それが、ユウリ様がいらっしゃったらお連れするようにと、仰せつかっておりまして」


 母のほうからユウリに会いたがっている。もし相手が関係修復を望んでいるのなら、話だけでもしたほうがいい。ユウリは冷静にそう考える一方で、やっぱり一歩踏み出すのが怖かった。


「……お兄様か、お父様は?」


「本日は商談で、ここにはいらっしゃいません」


 せめてどちらか一人でも、一緒にいてくれたら。そう考えたユウリだが、答えはわかりきっていた。

 もし二人がここにいるのなら、母の行動を止めるか、必ず同席したはずだ。彼らがいないから、こういう事態になっている。


「無理です! ごめんなさい。……このあと、急いでやらなければいけないことがあるので、帰ります」


「さようでございますか。では、そのようにお伝えいたします」


「申し訳ありません、私的なことを仕事に持ち込んで」


 従業員がユウリを引き止められなかったことで、母の不興を買うことはないはずだ。けれど経営者一族とはいえ、公私混同で従業員を煩わせてしまっていることを、彼女は詫びた。


「いえ。馬車を手配いたします」


 彼はそう言って、ユウリを引き留めずに家に帰してくれる。ところが――――。


「ユウリ様」


 商会のエントランスに向かうため、階段を下りようとしたところで、女性の声が響く。

 ユウリが振り返るまでもなく、母の声だった。


「……っ!」


「お久しぶりね」


 母は無表情だった。それはユウリにとって、まだマシなほうと言えるのかもしれない。母が彼女に向ける感情は怒りか侮蔑か、そんな負の感情ばかりだったから。


「は、い」


「一つだけ、いいかしら?」


「…………」


「最近、親しくしている殿方がいらっしゃるそうですね? その方と一緒に夜会に出られたとか」


「はい、なにか問題があるのでしょうか?」


 父親の許可もなく、特定の男性と親しくしている、それはハイラントの常識からすれば、慎みがないと言われても仕方がないことだ。

 けれどそもそも、ユウリだけが両親の監視がない場所で離れて暮らしているのは、母親に原因がある。

 ユウリはエルネストのことだけは否定される筋合いはないと、声を震わせながら語気を強めた。なにか言われたら、言い返そう。彼女がそんな気になったのは、はじめてだ。


「そう。お話したいのは、その件ではないの。……とある貴族の方の茶会で、ハーコート公爵子息があなたのことをたずねてきたわ。お知り合いかしら?」


「いいえ、存じ上げません。私がお話したことのある高貴な身分のお方は、セルデン伯爵様とそのご友人だけです」


 面識のある上流階級の人間は、すべてエルネストが持ち込んだ依頼で知り合った者ばかりだ。もし魔女の彼女に用があるのなら、彼を通じて話がくるはずだ。


「あなたは、純粋なハイラント人よりも目立ちます。気をつけることね」


「…………」


「わたくしがあなたを受け入れられないのは、もう変わりません。ですが、それは……わたくしの心が狭く醜いせい。旦那様やサイモンに言われるまでもなく、わかっているの。それでも、無理なものは無理ですから。けれど、ユウリ様がわたくしと関わりのない場所で幸せに暮らすのだとしたら、それを邪魔するつもりもありません」


「どういう意味ですか?」


「いろいろと気をつけなさいという意味です。あなたは目立ちすぎるわ」


「わかりました。ほかにお話がないのなら、私はもう帰ります」


 そう言って、母親に背を向け、足早に馬車に乗り込んだ。

 帰りの馬車の中でも、魔女の店に戻ったあとも、ユウリの心はずっと落ち着かないままだった。

 あれが母ときちんと会話をする最後の機会だったら。彼女の中でチャンスを逃してしまったことへの後悔が募る。

 もしかしたら純粋な忠告だったのかもしれない。それなら、もう少しましな態度で接したほうがよかったのではないか。

 けれど、受け入れられないのは変わらないとも言っていた。そんな相手に、わずかでも希望を持つのは、馬鹿げている。

 気がつけば母のことばかりを考えて、本を読んでも家事をしても、もやもやする気持ちのままだった。


 ユウリが奥の部屋にいると、扉の鈴が高い音を鳴らす。

 ここを訪れる客人は、金髪の青年ただ一人。そう思った彼女は、慌てて店のほうへと向かう。

 手紙では、数日後に会いに来ると書いてあったのに、どうしたのだろうか。彼女の沈んでいた心は、エルネストに会えるというだけで浮上した。


 期待は裏切られる。扉の付近に立っていたのは、エルネストではなかった。

 赤い髪の、二十歳前後の女性が、腰に手を当てて立っている。ユウリの姿を見つけると、ジロリとにらみをきかせる。


「あなたが“不幸を食い物にする魔女”かしら?」


 明らかに敵意のある視線、そして呼び方。普段のユウリなら、初対面の人物にあだ名で呼ばれても、そこまで憤慨しないはずだ。けれど今の彼女は、とんでもなく機嫌が悪かった。


「その名前、嫌いです! どちら様ですか?」


 ユウリは、赤毛の女をにらみ返した。この人物は明らかに客ではない。そして、服装から貴族ではないとわかる。

 親や知り合いの権力をあてにするのは情けないが、少なくとも身分絡みでユウリが窮地に陥ることはないはずだ。だから、敵意には敵意を。それで問題はないはずだ。


「ロージーと言えばわかるかしら?」


「心当たりがありません。どちらのロージー様ですか?」


「ダンの婚約者のロージーよ!」


「ダン……?」


 ユウリは余計に混乱する。赤毛の女とは初対面だし、ダンという名も聞いたことがない。


「あら、しらを切るのね。この泥棒猫!」


「泥棒猫? すみませんがお帰りいただくか、きちんとこちらの言っていることを聞いて、冷静に説明していただけませんか? 私はあなたのことも、ダンという方のことも存じあげません。……人の話を聞かない方は嫌い!」


「ふん! い、いいわ……。そんなに言うのなら、説明してあげる」


 ロージーはあくまでユウリを敵視しながら、長いすのほうへ移動し遠慮もなしに座ろうとする。


「そこはだめです。ちょっと待っていてください」


 ユウリにとってその場所は、エルネストだけが座っていい特等席だった。だから、奥の部屋からダイニングで使っているいすをわざわざ運んできて、店のカウンターの前に置いた。


「こちらへどうぞ」


「わかったわよ」


 長いすがあるのに、木製のいすに座らされたら相手は不満だろう。ロージーは口を尖らせて、しぶしぶ腰を下ろす。

 ユウリにとって、彼女は厄介者であって客人ではないので、非難の視線を向けられてもなんとも思わないのだった。


「あんたはダンのことを恋人だと思っているかもしれないけれど、私は結婚の約束をしているの!」


「……ですから、そのダンとはどういった方ですか?」


 一瞬、もしかしたらダンというのはエルネストの偽名なのではないかという考えが、ユウリの頭の中をよぎる。ユウリの恋人――――かどうかは不明だが、該当しそうな人物が彼しかいないからだ。

 けれど、どうも目の前の人物とエルネストが楽しく会話をする様子が、まったく想像できない。なんとなく、彼の趣味はもう少し、おとなしい女性なのではないかと考えた。


「シューリス男爵家の料理人のダンに決まっているじゃない!」


「あの、その方の容姿は?」


「髪は茶色ね。ついでに瞳の色も同じ色よ」


 茶色の髪の知り合いは父と兄くらいだ。少なくとも、ダンという人物がエルネストではないことがわかり、ユウリはほっとする。髪の色はともかく、瞳の色は変えられないのだから。


「私が家族以外で親しくさせていただいている方に、そんな方はいらっしゃいません」


「嘘おっしゃい! ダンがここの魔女と付き合っているから、もう別れようって……」


「言葉だけですか? 口から出任せではないという証拠があるのですか?」


「ダンが嘘をついたと言うの? 何のために!?」


 ロージーと別れたい理由は別にあり、こんな感じで詰め寄られて、ついた嘘なのではないかとユウリは目の前の女性を観察しながら考えた。なぜこんなに話を聞いてくれない人間がいるのだろうかと、うんざりする。


「……知らない方の事情なんてわかりません。では、こうしましょう? ダンさんという方に、私と会った日時を正確に聞いてください。そうですね、直近十回くらいでしょうか? それくらいあれば、一日くらいは、私が別の人物に会っていたことを証明できるのでは?」


「時間稼ぎ? 逃げるつもり?」


「どうやって逃げるのですか? ここは私の家ですから。こちらは、なにかを証明しなければならない立場ではありません。疑われるのが煩わしいので、協力して差し上げると言っているだけです」


「ず、随分強気なのね! いいわ、こっちが出直してあげる」


「もう来なくても結構ですよ」


 めずらしく魔女の店に来客があったと思ったら、ろくなものではない。昨日、いいことがあり過ぎて、今日はその反動だろうか。ユウリは真剣にそう疑った。


「いいことと、悪いことが交互に起こる……。確か、シンカのことわざでそんな言葉があったような?」


 憂鬱な気持ちで考えても、思い出せない。ユウリは疲れ切って長いすにもたれかかり、大きなため息をついた。


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