魔女が素直になれるとき(序)
グローヴズ侯爵を筆頭に何人もの逮捕者を出した違法賭博の一件を、新聞社が一斉に報じた。一流の新聞社からゴシップ紙まで、一面の記事が同じ内容で揃うのは、年に数回あるかないかだ。
『ハイラントの名門貴族の末路。美術品を買いあさるための資金か?』
『あきれたハイラント紳士の裏の顔。グローヴズ侯爵、違法賭博で逮捕』
きっとユウリも新聞を読んで、エルネストの密命が終わったことを知るはずだ。彼はさっそく、宮廷で仕事を終えてから彼女の店に行こうと、高く積まれた書類と格闘していた。
最近、便利屋のように使われているが、本来の職務は国王の側近であり、国王の執務室で書類の決裁を補助するのが通常業務のはずだった。
「エルネスト、顔がにやけているが……?」
同じ部屋で、たまった書類に印を押す国王ロードリック二世は、しらけた表情で部下であり、友人でもある青年に指摘した。
「濡れ衣です。私ほど爽やかなハイラント貴族はおりません」
「よくも実際と真逆の自己評価を下せるものだな。どうせワトー家の令嬢に会いに行くんだろう?」
「一仕事終えたので、誰に咎められることでもありませんしね」
エルネストは隠そうとしていることを、他者に悟られるような迂闊さとは無縁だ。
じつを言えば「今日はなにがなんでも定刻で帰ります、察してください、邪魔しないでください」というアピールだった。
わりと真面目で素直な性格の国王は、きちんとエルネストの気持ちを察して、律儀に指摘してくれたというわけだ。
「一つ、相談があるのだが、いいか?」
「なんなりと」
「リーンウェスト川の橋建設を含む、新交通路の件だ」
それは長年検討されている、ハイラントの西に位置する国家、フォスダンとの国境に橋を建設するという計画だ。国境を流れるリーンウェスト川の幅が広く、費用が莫大になる。
既存の橋を使って迂回するか、船で渡るか、今まではその二択だった。
互いの都や商業都市から効率よく交易品を運ぶことができれば、それぞれにメリットがあるはずだ。
橋を架けるとなると、費用の分担比率、作業員の割り当て、関税の見直し、など交渉ごとが増える。
ハイラント国内でも、橋のたもとにある小さな農村を商業の拠点にするための再開発が必要で、検討しなければならないことが多い。
「特命全権大使としてフォスダンに行ってくれないか?」
通常の大使は、相手国に対する政治的な窓口や、そこに住む自国民の保護を担っている。それに対し、特命全権大使というのは、交渉ごとに専念し国王の代わりに調印することもできる。国王の名代のことだ。
ロードリックは、リーンウェスト川の橋の建設に関するフォスダンとの交渉すべてを、エルネストに任せるつもりなのだった。
「陛下は最近、私を使いすぎではありませんか? そろそろバカンスにでも行きたいんですが……」
「すまないとは思っている。一時的な人員不足もあるからな」
違法賭博事件で逮捕された者の中には、
「……困りましたね」
エルネストがためらう理由は、単に働き過ぎて休みたいわけではない。大使となってフォスダンに赴任するのなら、数ヶ月、状況によっては年単位で戻って来られない。
そうしたらユウリがどうなるか、彼にはほぼ予想ができている。
「まぁ、まだ先の話だ。三ヶ月準備期間を与える」
「三ヶ月ですか……。わかりました、大使であれば妻の同行は当然許されますよね?」
いつ戻ってこられるかわからないとしたら、彼女を一緒に連れて行くしかない。発想としてはとても単純だ。
ロードリックは唖然として、手にしていた書類を床に落とし、眉間にしわを寄せた。
「私の記憶違いでなければ、貴卿は独身だろうっ!?」
「もう少し時間が欲しかったのですが、敬愛する陛下の
「なにが御ため、だ! でもまぁ、好きにするといい。……本人の同意があれば、だぞ?」
エルネストは、ちょっとしたことですぐに機嫌を損ねる黒髪の魔女を思い浮かべる。彼女がエルネストに対し素直になれないのは、身分の差や、人ならざる部分を気にしているからだろうか。
しばらく留守にするから、一緒に来なさいと誘っても、素直に頷くとは考えにくい。
なにか仕事を――――たとえば侍女か専属の薬師として同行させることもできるが、それは最後の手段だった。
これ以上逃げ道としてなにかの役割を与えると、彼女はそれで満足してしまう懸念があるからだ。今がまさにそうだ。エルネストは彼女に“報酬”という逃げ道を用意してしまった。
「はたして素直に頷いてくれるか。それが問題ですよね。……さすがに急すぎるので」
「問題があるのか!? なら諦めたらどうだ?」
「まさか! 絶対に連れて行きますよ」
そうと決まれば尚のこと、宮廷での仕事をさっさと片付けて魔女の店へ行かねばならない。エルネストは姿勢を正し、目の前にある書類と対峙した。
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