夏に届いた花便り(7)



 ハナがレオンを選ばなければ、レオンは庭師としてこれからも安定した生活が送れるはずだった。けれど彼はすべてを捨てていなくなった。

 彼が出て行ったのは、ハナと顔を合わせると気持ちが揺らいで、ずるずる関係を続けてしまう可能性があるからだろうか。


 レオンの行方について当てのない彼女は、親方や両親、そしてウォルトに本当のことを話した。十六の少女が一人で都中を探し回ることなどできない。ハナはここでも自分の未熟さを痛感した。

 両親はハナの想いを知って、怒るというより落胆している様子だった。

 そしてレオンを諦めることを条件に、彼の捜索と仕事の斡旋を約束してくれた。

 血さえ口にしなければ、まだ相手は定まっていないから。

 父も母も、未熟で世間知らずなハナの言うことを、深刻には受け止めていなかった。長い人生の中の、経験の一つだと受け止めているようだ。


(こんなに、強い気持ちなのに……。いつか消えてなくなるの?)


 一つの恋しかしらないハナには、まったくわからない。レオンがいなくなっても、忘れることなどできず、だんだんと飢餓感に苛まれるようになった。


 彼への気持ちも、血を飲みたい衝動も、何一つ変わらない。


 二週間経っても彼が見つからないまま、時間だけが無駄に過ぎていく。

 だんだんと無気力になっていく彼女を心配して、ウォルトが買い物や観劇に誘ってくれた。

 両親の望みを叶えるために、ウォルトと一緒にいるべきだとわかっているから、断らない。けれど街へ出かけると、馬車の窓から紅茶色の髪の青年を探してしまう。

 彼女は、誰よりもウォルトに対し、ひどいことをしている自覚があった。

 頭では理解しているのに、街行く人々のなかに、レオンの姿を追い求めるのをやめられない。


 そして――――。



「止めて!」


 馬車が普段通らない道を進んでいる気がしていた。富裕層の集まる住宅街でもなければ、商業の中心部でもない。

 おかしいと感じはじめた直後、ハナは探していた人物の姿を見つけた。血が騒ぐ感覚。後ろ姿でも間違えるはずがない。


「ハナ様、いけません。才蔵様とのお約束はどうされるのですか? 悲しまれますよ」


 ウォルトはハナの視線の先にいる人物の姿を確認し、大きくため息をつく。

 ハナは目の前の青年を牽制しながら、馬車のドアに手をかけた。


「ごめんなさい、ウォルトさん。止めてくれないのなら、飛び降ります! 本気ですから!」


 ハナは自分の立場を最大限に利用した。もうこの機会を逃したら、一生レオンに会えない。一度取らなかったレオンの手を、再び握ることができるかどうかは関係ない。

 彼に会いたいという気持ちだけが、ハナを突き動かす。


「……あなたは昔から、変なところで強情だ」


 ウォルトは寂しそうに笑っていた。普段通らない場所を通るように、馭者に指示をしたのが誰なのか。会いたい人物に偶然出会えるほど都が狭くないことがわからないほど、ハナは子供ではない。


「ウォルトさん……。ごめんなさい、ありがとうございます」


「早くしないと見失いますよ」


 ハナは兄代わりだった青年に深く頭を下げてから、馬車を飛び出した。遠ざかるレオンを追いかけ、全力で走る。


「レオン! レオン!!」


 彼は一瞬足を止めたあと、早足で走り去ろうとする。

 ほとんど走ったことのないハナが、彼に追いつくのは不可能で、どんどん背中が遠くなる。

 最初に拒絶したのはハナのほう。だから、もう二度と会ってくれなくても仕方のないことだった。それでも、ハナは走る。


「きゃっ!」


 かかとの高い靴では走るのには向いていない。倒れて、ひざが擦りむける。痛みは我慢でできるのに、追いつけないもどかしさでハナの瞳に涙がにじむ。


「ばか……」


 ばかなのはレオンのほうなのに、とハナは少し笑ってしまった。立ち去るつもりだったのに、相手が転んだくらいで戻ってくるのだから、彼はお人好しの大ばか者だった。


「だって、居なくなってしまうから。置いて行かれると、追いかけたくなるのは仕方のないことでしょう?」


「で、今さらなんの用?」


 あくまで、用件を聞くだけという冷たい視線だ。けれど、ハナにはそれだけで終わるつもりはない。そんな気持ちで馬車を降りたりはしない。さようならを告げるために彼を追いかけたのではない。


 何度か深呼吸をして、彼女は正直な気持ちを伝える。


「私、レオンと一緒にいたい。それだけ、それだけを言いたくて! 今度は絶対に、なにがあっても、一緒にいる」


 一度は今の生活を選んだのだから、レオンが許してくれるかどうかはわからない。それでも、たとえわがままだと思われてもいいから、ハナは彼と一緒にいたかった。


「本当に、ばか」


 彼はひざをついたままのハナに手を差し出し、引き上げるのと同時に抱きしめた。それが、彼の答えだった。



 §



 レオンが借りているのは一階が酒場になっている集合住宅の一室だった。ギシギシと音の鳴る急な階段を上がり、小さな扉を開ける。

 陰気な印象の日当たりの悪い部屋。ベッドの大きさはハナがいつも使っているものの半分しかない。壁際にはかまどや調理台、その近くには簡素なテーブルが置かれていた。

 ハナは台所と寝室が一緒になっている家をはじめて見た。めずらしくてきょろきょろとしていると、レオンが苦笑いを浮かべる。


「狭くて驚いたか?」


「うん。でも、日当たりが悪い場所は好きよ?」


「それはよかった。褒め言葉じゃないけどな」


 もし屋敷に戻ったら、もう外へ出してもらえない。レオンと一緒にいるのなら、ここがハナの新しい住まいになるはずだ。

 その前に一つ、彼女は今まで秘密にしていたことを、彼に告げなくてはいけない。


「レオンに一つだけ隠していたことがあるの」


「……隠し事?」


「私、普通の人間じゃなくて。驚くかもしれないけど、吸血鬼の末裔なの。……えっと、歯が尖っているでしょう? それに知っていると思うけれど日の光が苦手なのも、そのせいで……」


 どう説明したら、驚かせずに話を聞いてもらえるだろうか。おかしなことを言いだす女だと思われずに済むだろうかと考えながら、ハナは秘密を打ち明ける。

 結局へたな説明になってしまい、それ以上どう言えばいいのかわからなくなる。


「そんなこと、随分前から知ってるけど?」


「え?」


「おまえが忘れて、思い出したくなさそうだから黙っていた。芙蓉の花が咲いていた頃、おまえは俺の血を口にしている。それから、限界超えて倒れたおまえの部屋に二回忍びこんだ」


 ごくり、と喉を鳴らすと、知るはずのない彼の血の味を思い出せる。頭痛と冷や汗が不快だった。それと同時に、ハナの頭の中にあるもやが晴れていく。


「ハナ……? ごめん。多分俺が嫌がったから、おまえは忘れたんだ。でも、本気で嫌だったんじゃない。知らないものは誰だって怖いだろ? ……今はもう、怖くない。全部知ってるから、もういいんだ」


 もういい、と言われたことが切っ掛けになり、ハナの記憶はよみがえる。

 芙蓉の花が咲いていた暑い夏の日の朝、彼女は確かに大切な人を選んでいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る