ひとりぼっちの牡丹(6)



「サイゾー君。こっちだよ」


 サイゾーというのは、ユウリの偽名だ。ユウリという響きはハイラントでは男性名となる。そのままでもおかしくないのだが、彼女の名前は、ほかの会員にも知られている可能性がある。

 想い人と同じ名前の小姓を連れて歩いている、というのも悪趣味だ。だからエルネストは、偽名を使うことにした。

 ちなみに、サイゾーはユウリの曾祖父。ヒノモトから渡ってきた、初代ワトー商会会長の名前だった。


 その響きは、彼女にまったく似合っていないと、エルネストは思う。やはり、彼女にはユウリという名前以外に、ふさわしいものなどない。


「はい、旦那様。ただいま参ります」


 彼女は意外にも度胸がある。いざ本番になれば一生懸命、少年になりきろうとしている。

 もともと西国の人間が、異国人の身体的な特徴をよく知らないということもあり、ユウリの年齢や性別を見抜く者はいないだろう。


 二人は、紳士クラブのエントランスホールに入り、バラの間というプレートがかけられたラウンジの扉を開く。問題の掛け軸がある場所だ。


「ほらサイゾー君。見てごらん? 君の祖国の絵画だよ」


 変に見ないふりをするのは、逆にあやしい。東国の少年が、祖国の絵画を素通りするほうが不自然だ。


「わぁ! 素敵ですねっ! 掛け軸って言うんですよ、旦那様!」


 ユウリは彼女なりに、真面目に少年のふりをしている。エルネストの身の回りの世話をするぶんには自然だが、演技力は皆無だった。

 そもそも、無駄に明るい性格設定にする必要はなかったと、エルネストはため息をつく。


「へぇ……。サイゾー君は絵に詳しいのかな? この鳥、なんだかわかる?」


「へへっ! ぜんぜんわかりませんっ。旦那様!」


「そうかぁ。ははは」


 ユウリは引きつりながら、笑っている――――つもりのようだ。二人はこれ以上ボロが出ないうちに、掛け軸から離れることにした。

 疑われないように、しばらくほかの会員と雑談をしたあと、樫の木の間という部屋へ移動する。この部屋は、図書室になっていて、芸術分野の蔵書がやけに多く集められていた。主催者が芸術に対して、並々ならぬ思い入れがあることがうかがい知れる。


 エルネストは、無人のその部屋の書架に隠れた最奥まで、ユウリを連れていく。


「絵が、変わっていたよね?」


「……ちょ、近いです!」


 これは密談なのだ。急に誰かが入ってきたときのために、声をひそめる必要がある。当然、二人の距離は近くなる。


「仕方がないだろう? で、なにかわかったのかな?」


「あの掛け軸ですが、モチーフは……ヒノモトのトランプのようなもの……花札の柄と一緒なんです。私も、祖父母と一緒に遊んだことがあります」


「花札、ね」


 ハイラント人のエルネストにはまったく馴染みのない名前だった。


「すすきに月、梅にうぐいす、菊にさかづき、牡丹に……あれ? 牡丹だけはちょっと違いました」


 ユウリの話から推測すると、ほかの掛け軸には二つのモチーフが描かれているのに対し、牡丹だけは単品だという。


 東国の掛け軸は、季節や気分次第で掛け替えるものなのだと、グローヴズ侯爵は語っていた。そのこと自体、嘘ではないとエルネストは思う。けれどだからこそ、なにかが隠されているような気がしてならなかった。


「じゃあ、私が見た、鳥ともぐらはなんだったのかな?」


「鶴は、松に鶴です。エルネスト様がもぐらとおっしゃっていたのは、萩にいのしし……かもしれません。でも、変ですよね? うぐいすは春を告げる鳥なんです。季節を無視しています」


「ユウリ殿は本当に頼りになるよ。よし! 考えるのはあとでいいから、もう少し、時間を潰して、不自然ではない程度の時間に帰ろう」


 ユウリがこくんと頷く。

 今は、描かれたモチーフが花札であること、そして四枚のうち、二枚が変えられていたことに気づいただけで十分だ。

 おかしな行動を賭博に関わる者たちに悟られる前に、掛け軸の調査はやめるべきと判断をした。


 二人は雑談をしながら、バラの間に戻った。


 ユウリがエルネストのために飲み物を取ってくると言って、そばを離れる。すると一人になった彼女に、奇妙な視線を送る者がいた。それも、何人も。



(彼女を連れてきたのは失敗だったな……。他人に見せびらかすつもりではなかったんだけど)



 掛け軸の件については、彼女の知識がなければ、糸口すら掴めなかった。けれど、エルネストの予想以上に、彼女は目立つ存在で、連れてきたことを後悔した。

 彼には、少年を愛でる趣味がないからわからなかったが、先ほどから彼女をいやらしい目でチラチラと見ている者がいる。


 エルネストとしては、そういう者たちがユウリの姿を目に焼き付けていると、想像しただけで腹立たしい。

 他人に見せることすら嫌なら、連れてくるべきではなかったと、自身の軽率さを呪った。


 小さなお盆にグラスを乗せて戻ってくるユウリの姿を、誰かが遮る。


「そこの君。こぼれたらいけない。私が運んであげようか?」


 男は明らかに、下心を持って近づいてきた。

 それがわかっているのに、エルネストはひとまず様子を見守ることにした。


 彼女が目立つのは、小姓の服装をしているときだけではない。町中でも、今後彼女が関わるはずの上流階級の社交界でも、注目を浴びる存在となる。

 こんなことはこの先、いくらでも起こりうる。エルネストがべったり張り付いていなくても、上手くあしらえるのが理想だ。


「お気遣いありがとうございます。……ですが、これは私の仕事ですから、どうぞお構いなく」


 ユウリは落ち着いて、男に会釈をしてから通り過ぎようとする。


「遠慮しなくていいよ。ほら、こちらへ渡しなさい」


「え……?」


 男が、ユウリから無理やりグラスを奪おうとする。急なことに驚いたユウリはお盆を少し傾けてしまい、グラスが倒れた。


「……なにをする! 使用人のくせに、貴族の私に飲み物をかけるなど!」


 あらゆる意味で相手が悪かったとエルネストは思う。

 仮にも紳士クラブに入会が許された知識人が、こんな幼稚な手段を使うとは、彼には予想もできなかった。

 エルネストに予想できないことが、ひきこもりがちのユウリにわかるはずもない。

 見かねて立ち上がり、二人のあいだに割って入ろうとしたとき――――。


「気の引く手段としては、醜悪だ。というより、子供の気を引く……というのが、そもそも紳士のすべきことではない」


 エルネストより早く、がっしりとした体つきの青年が、二人のあいだに割って入る。エルネストたちと同じ目的で潜入している憲兵、コンクエストだった。

 彼は、男の頭にわざと酒を浴びせ、空になったグラスを手で握りつぶした。


 パリンと音を立ててグラスが砕け、彼の手のひらからは血が流れる。


「どうだ? 頭は冷えたか?」


「ひっ……」


 彼が静かに怒りをはらんだ瞳で一瞥するだけで、男は震え上がった。

 コンクエストは武人で、しかもグラスを素手で割って、怪我をしても平然としているような人物だ。男に勝ち目などなく、すぐに立ち去る。


「コンクエスト少佐だったかな? うちの子を助けていただいたようで、感謝する」


 できるだけ無関係を装っていたはずの憲兵が、ユウリをかばった。仕事人間で、冷徹な彼の行動としては意外だった。


「セルデン伯爵、か。あるじなら、使用人を危険から守るくらい自分でするべきだろう」


 出遅れただけ、という言い訳はいくらなんでも格好が悪い。だからエルネストは、笑ってごまかすしかない。完全な自業自得だが、ユウリを助ける王子様役を奪われたことに、少し腹を立てていた。


「あの! お怪我の手当をさせてください」


 ユウリはコンクエストの手を取り、傷口をじっと見つめる。


「手の皮が厚いから、たいした傷ではない。もうほとんど止まっている」


 普通の人間なら、縫合が必要になる怪我をしてもおかしくはない。けれど、コンクエストは自己申告どおり、本当に手の皮が厚いのだろう。幸いにして軽傷で済んだようだ。


「いいえ、そういうわけにはいきません! ガラスの破片が入っていないか、ちゃんと確認させてください」


 ユウリは屋敷の使用人から水や清潔なタオル、道具をもらい、手際よく手当をしていく。さすがは東国の魔女、といったところだ。


「ユ……サイゾー君は手際がいいね。……そうだ、少佐殿? この子を助けてくれたお礼がしたい。明日、職務のあとでいいから我が家に起こしいただけないだろうか?」


 たった今、知り合いになったということにして、エルネストは彼を屋敷に誘うことにした。

 掛け軸の件を話すのなら、ユウリがいたほうが手っ取り早い。ユウリを宮廷に連れていくこともできるが、それだと彼女が萎縮いしゅくしてしまうだろう。


「わかった。明日は非番だ、午前中ならば」


「サイゾー君、今日のところは帰ろうか?」


「はい、旦那様。……コンクエスト少佐、ありがとうございました」


 エルネストが歩き出すと、ユウリは青年にぺこりと頭を下げてから、一歩下がってついてくる。


 予想外のトラブルを起こしつつも、ユウリは今回もきちんと仕事をこなしてくれた。エルネストは“報酬”のことを考えながら、クラブをあとにした。


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