ひとりぼっちの牡丹(5)
翌日の午前中。エルネストは一度出仕したあと、職務の一環ということにして、魔女の店に向かった。
もともと王命なのだから、さぼりではないし、やましいことなど彼にはない。
エルネストが勢いよく店の扉を開けると、驚いてガバッと身を起こしたユウリと、ばっちり目が合う。
絶対に誰も来ないと油断して、また昼寝でもしていたのだろう。
真面目な彼女がよく昼寝をしているのは、本人いわく「眩しいと眠たくなる」とのことだった。
夜目が利くというのは、自然界では夜行性動物の特徴だ。彼女の祖先は夜型だったのかもしれないと、エルネストは考えている。
「やあ! 一週間ぶりだね? 私の魔女殿」
「こ、こ……来ないんじゃなかったんですか!?」
突然の訪問をよろこんでもらえると思っていたエルネストは、肩を落とす。寝起きの彼女は、すこぶるご機嫌斜めだ。
「うん……。君に教えてもらいたいことができてしまって」
「なんでしょう?」
髪が乱れていないか、彼女はやたらと気にしている。きっと彼が最初に魔女の店を訪ねた日を、思い出しているのだろう。
コホンと咳払いをしたあとに、ユウリが長いすの片側を空けてくれる。エルネストは、その空いた部分にいつもどおり座った。
「じつは、密命で違法賭博の証拠を集めているんだけど」
「あの、密命をここで話さないでほしいのですが? 変なことに巻き込まれるのは嫌です」
彼女が国家の機密事項に関わるのは、これが二度目だ。今回はきちんと上の許可を得ているのだが、ユウリはあからさまに嫌な顔をする。
「大丈夫、今さらだから」
渋るユウリを無視して、エルネストは一方的に今回の調査内容のあらましを話す。
「それで私の直感では、東国の絵画があやしいと思うんだ。なにかの暗号とか、隠し扉の入り口とか。たしか、ワトー商会でも同じ形の絵を見た気がするんだけど。薄い紙で、丸めて保管ができるものだよ」
「掛け軸というものですね。それでしたら、ヒノモトにも、シンカにも同じようなものがあります」
エルネストはテーブルの上に何枚かの紙を広げて、それをユウリに見せた。
昨晩、侯爵の別邸にあったものを思い出しながら、彼が描いたものだ。
「これは……? 荒波と日の出、……でしょうか?」
「太陽と麦畑のつもりだよ」
ペンで描いただけの簡単な絵では、上手く伝わらない。ユウリは風に揺れる麦を、波と勘違いしてしまったらしい。
「じゃあ、この二つは恐竜でしょうか?」
「いや、どうみても鳥だ! あとこれは、草むらからひょっこり顔を出すもぐらだから」
彼はたしかに、画力に自信がなかった。けれど、ここまで伝わらないとは予想外だ。これでは話が先に進まない。
「エルネスト様は、絵がお下手なんですね。……ふふっ、ふっ」
こらえきれず、ユウリが口元を抑えながら笑う。彼女が声を出して笑うのは、はじめてだった。
「なぜ、嬉しそうなのかな?」
「弱点があったほうが、かわいらしくて親しみが持てますから」
それはつまり、エルネストに対して親しみを持ちたい、という意味になるのだろう。指摘したらきっと笑顔が消えてしまう。だからエルネストは黙って、しばらく彼女の貴重な表情を堪能する。
「この絵を見て、君はどう思う? 問題のクラブにあった掛け軸を思い出しながら描いたんだ。なにかわからないかな?」
「え……? すみません。ヒノモトにはあまり麦畑がないそうです。米でしょうか? それに、恐竜の絵は博物館でしか見たことがありません」
よほどエルネストの絵がおもしろかったのか、彼女にしてはめずらしく恐竜の話を引きずる。
「ちょっと君! これは恐竜じゃなくて鳥なんだ。あれは絶対に、頭が赤い鳥だった」
「頭が赤い鳥? それだったら鶴ですね。東国では縁起がよいとされる鳥です」
「じゃあ、バラみたいないくつもの花びらのある花といえば?」
彼女はエルネストの書いた花の絵をじっと見つめた。
「菊にもそういった品種があるみたいですが、葉の形から……牡丹でしょうか? 牡丹は着物の柄としても好まれます。私も持っていますから、ちょっと待っていてください」
ユウリは一旦店、二階の私室に向かう。しばらくすると、暑くなる前によく着ていた羽織を抱えて戻って来た。
「ああ! そうそう、こんなかんじだった」
彼女が見せてくれたのは、大輪の赤い花の羽織だ。花も、特徴的な葉の形も、エルネストがサロンで見たものにそっくりだった。
「牡丹も鶴も、東国では絵のモチーフとして好まれます。それだけではおかしいかどうか、判断できませんね」
結局、鶴と牡丹以外は、描かれているものがなんだったのか、よくわからないままだった。そしてその二つは、掛け軸の題材としてはありきたりで、おかしなところは見当たらない。
「ユウリ殿。一度、掛け軸を見てくれないか? どうも私が描いたものでは伝わらないようだ」
「え、ええ。見るだけなら、とくに問題は……」
「うん。見るだけなら、問題はないよね?」
問題は、その掛け軸が、女性の入れない紳士クラブに飾られているということだ。
エルネストは、ユウリの頭のてっぺんからつま先まで、よく観察する。
「なんですか?」
「うん、大丈夫だろう……。明後日、午後二時くらいに迎えにいく。着替えはこちらで用意するからね? 約束だよ?」
「わかりました」
方法はある。けれどそのことをユウリに話したら、絶対に一緒に来てくれないだろう。あとでどんな反応をするのか予想がつくのに、黙っているエルネストは、ずるい人間だ。
§
約束の日。伯爵邸のゲストルームからユウリの悲鳴があがった。
「聞いてません! ひどいです! 私、大人なんですよ!?」
逃走されると困るので、エルネストは部屋の外で見張り役となり、怒れる彼女をなだめた。
「大丈夫だよ。君なら絶対似合うから。子供……少年、それも美少年に見えるはずだ! 間違いなくかわいいから、安心したまえ。私が保証する」
「…………」
「年頃のお嬢様になんということをっ! ううっ、育て方を間違えました」
黙り込んだユウリの代わりに、ターラがエルネストを責める。彼としても、どうせ彼女を着飾らせるのなら、豪華なドレスのほうがいいに決まっている。
この一件を片づけて、日常を取り戻したいという気持ちは、エルネストだけの思いではない。ユウリだって、同じはずだ。
「え、……く、苦しい……です……」
「ユウリ様、申し訳ありませんっ! ご辛抱を」
きちんと少年に見えるように、胸にさらしを巻いて潰したり、肩に布を充てて身体の線を矯正している。扉一枚隔てた向こう側で行われていることを想像し、エルネストの口の端がつり上がる。
「まぁ、なんてかわいらしい小姓さんでしょう。旦那様、もういいですよ」
「失礼するよ」
エルネストは、わくわくしながら扉を開けた。
大きな鏡の前には、男装のユウリがもじもじしながら立っている。袖口にレースがたっぷりついたシャツ、金ボタンのベスト、キュロット……そこから伸びる細い脚。髪は三つ編みにして、黒いリボンが毛先の部分で揺れている。
「ユウリ殿! とてもかわいいよ。どこからどうみても、少年だ」
「……この前のドレスのときよりも、嬉しそうにしていませんか?」
ユウリは怒りを通り越して、死んだ魚のような覇気のない目になっている。
小姓というのは、高貴な者の、身の回りの世話をする若い使用人のことだ。ただし、ファッション感覚で連れ歩く者が多く、めずらしい異国の少年を飾り立てて、小姓にしている者は多い。
紳士クラブでも、小姓や侍従を連れている者が多くいた。だからエルネストは、ユウリに男装をさせて連れて行くことを思いついた。
長い髪を三つ編みにするのは、シンカの高官の髪型と一緒だった。ユウリがシンカ出身なのかヒノモト出身なのか、ハイラント人には判断がつかないので、大きな問題にはならない。
彼女はもはや、どこからどうみても、東国の美少年だった。
「エルネスト様、騙しましたね?」
問題は彼女が少年でもなければ、少女と呼ばれる年齢ですらないことだろう。十九歳はこの国では立派な
「いやいや! 私は着替えを用意するとは言ったけど、今回もドレスだなんて言ってないよ。君が望めば、そういう場にはいくらでも連れていってあげるんだけどね?」
「そんなことより、帰りたいです!」
「ユウリ殿、君が協力してくれれば、絶対に早く片付くから。それに、お礼はたっぷりする」
お礼という言葉に反応した彼女は、しばらく迷ったあとに、その誘惑に負ける。
「……一度だけですよ?」
報酬として血を受け取るのは、おそらく彼女のけじめのようなものなのだろう。
エルネストとしては、彼女が望めば対価なしで血を与えるつもりがある。そのときは、二人の関係に別の名前をつける必要がある。きっと彼女はまだ、エルネストには“依頼人”でいてほしいのだ。
だから多少無茶な仕事でも、彼女には断ることなどできない。
「約束する。そうそう、君は小姓だから、私のことは“旦那様”と呼ぶように」
「だ、だだ、だんな、さ……?」
使用人のターラも、エルネストのことをそう呼んでいる。けれどきっとユウリは、
「本番で間違えたらいけない。今のうちに練習しておくといい」
「嫌です! 必要になったらちゃんと呼びますから」
その後エルネストとターラで、ユウリに小姓の仕事を簡単に教える。
ワトー商会と深い関係があると周囲に思われているエルネストが、東国の少年を雇っていても、不思議ではない。そして雇ったばかりということにすれば、多少の失敗も問題はない。
ユウリに上着を着せてもらったり、タイを直してもらったり……エルネストが新婚気分を堪能していると知れば、きっと彼女は真っ赤になってへそを曲げるのだろう。
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