素直になれる魔女の秘薬(5)



 伯爵邸に戻ったユウリは、その晩は屋敷に泊まることになった。遅くなってしまったので、エルネストが引き止めたのだ。


 ドレスは一人では脱げないので、また屋敷のメイドたちに取り囲まれる。動きを妨げるドレス、宝飾品や薄く施された化粧が取り払われユウリの身は軽くなる。それと同時に、彼女は急に疲れを感じた。


「もうお休みになられますか?」


 ターラの問いかけにユウリは首を横に振る。夜会は途中で帰ってきたので、寝る時間にはまだ少しだけ早い。それに、いろいろなことがあったので、眠れそうになかった。


「図書室に行ってもいいでしょうか?」


 何冊か本を借りて、ベッドの中で読めばきっと眠くなるだろう。吸血鬼の末裔としての特徴を嫌っているユウリだが、手元の明かりだけで読書ができることには助けられている。


「はい、もちろんです。では寝間着はベッドの横に準備させていただきます」


 最初に着ていたワンピースに袖を通し、ユウリはさっそく図書室へ向かう。彼女に与えられた客間は二階、図書室は一階にある。先ほどターラに言っておいたからだろうか。部屋の中には本を探すのに、十分な明かりが灯されていた。

 寝る前は、実用的な本よりも、ただ純粋に楽しめる物語がいい。ユウリはいくつかの本を選んでから部屋へ戻ろうとした。

 そしてとくに意味もなく、ビロードのカーテンの隙間から外の景色を見る。


 星空の中、美しい伯爵邸の庭が広がっている。


「薔薇園……。今なら」


 ユウリは一旦、本をテーブルの上に置く。そして持ち手のついたランタンをぶら下げて、図書室から外に出る。

 彼女の目なら、夜の庭でも危なげなく足を踏み出せる。暗闇を恐ろしく感じたことがないのだ。


「きれい……」


 ユウリは庭の中央に置かれたベンチに腰を下ろす。

 星空も、暗闇に浮かぶ手のひらほどの薔薇の花も、ユウリには幻想的で美しい光景に見える。とくに白い薔薇の花は周囲から浮いて見えて、いっそうきれいだ。誰かと……たとえばエルネストと、この光景を一緒に見られるのなら。彼女はつい、そんなことを考えてしまう。


 けれど、同族の祖母を亡くした彼女は、この光景を誰とも共有できない。


 ユウリの体質を知っていて、それでも好意的でいてくれるエルネストとも、同じ景色は見られない。一緒にいても二人の目に映る光景が、それぞれ違ってしまう。


 きっと、普通の人間が歩くことすら難しいこの暗闇で、楽しそうに笑っているユウリは、気色悪いバケモノなのだろう。


「ユウリ殿!」


「エルネスト様? どうされましたか?」


 屋敷のほうからエルネストが早足でやってくる。彼にしてはめずらしく、少し怒っているようだ。


「どうされました、じゃないでしょう。こんな時間に上着もなしで一人で外にでるなんて。おやすみの挨拶をしようと思ったらいないから、心配したじゃないか!」


 昼間より気温は下がっていても、今日は風が穏やかだ。だからそれでユウリが体調を崩すことなどない。それでも心配性なエルネストが、着ていた上着を彼女の肩にそっとかけてくれる。


「お屋敷の敷地内ですよ」


 脱いだばかりの上着からぬくもりを感じて、ユウリは耳まで真っ赤になる。


「それでもだめだよ。なにをしていたんだい?」


「お庭を見ていました。ここのお庭は、とてもきれいです……今度は嘘じゃありません。私にはこの景色が美しく見えるんです」


 昼間とは違う表情を見せる花々が、ユウリにはとてもきれいに思える。エルネストは、しばらくきょろきょろと視線を動かしたあとに、空を見上げた。


「星はきれいだよ」


「そうですね、エルネスト様は優しいです」


 ユウリの予想通り、手持ちのランタンの明かりでは彼にはなにもわからないのだ。

 彼が言いたいのは、違うところがあったとしても、共有できるものも確かにある、ということだろう。


 エルネストがユウリの隣に腰を下ろす。そして少しのあいだ、そのまま空を見上げていた。


「もし、星が見えない夜だとしても。ユウリ殿がこの光景を見て、嬉しそうにしてくれるのなら……、私はそれを眺めているだけでいいのかもしれない」


 そう言いながら、エルネストがユウリの肩を引き寄せる。


「…………は、はい?」


 気障きざなのか、変質的なのかよくわからない言葉に、ユウリは警戒する。


「別に私と同じになる必要はないということだよ。わかるかな?」


「でも……」


 すばらしい正論のはずなのに、ユウリの胸はざわつく。


「さあ、君は花と星空を愛でているといい。私は君を見ているから。遠慮せずにどうぞ」


 顔を近づけられて、食い入るように見つめられたまま、どうやって景色を楽しめばいいのか、彼女にはわからない。

 周囲をまったく気にしない性格のエルネストのような人ならば、もしかしたらできるのかもしれないが、ユウリには無理だ。


「なんか、嫌です」


「え? なぜ嫌なの? 君は好きにしていていいよ。私も好きにさせてもらうから」


 ユウリは胸に手を当てて、よく考えてみる。彼女はエルネストのことが好きだ。許されるのなら、できるだけ長く一緒にいたいと思っている。

 それなのに、彼が過剰にユウリのことをかまうと、少し怖い。彼の言葉はいつも嬉しいのに、全部受け入れたら、自分が自分ではなくなる気がして不安になる。

 ユウリはエルネストから逃れるように立ち上がろうとすると、簡単に彼の手はほどける。


 無理強いはしない。けれど、ものすごく不満。彼の表情はそう語っている。彼が不埒なことをしようとしていたのは間違いがないのに、なぜかユウリが罪悪感を抱かなければいけない。

 受け入れても、拒絶しても、彼はユウリの心をかき乱す原因であることには、かわりない。


「エルネスト様、今日はありがとうございました。一緒にいてくれて。それは嬉しかったんです。だから――――」


 血に酔っていなくても、少しだけ素直な自分を彼に見せたい。そんな思いでユウリは一歩彼に近づき、頬にそっとくちびるを寄せた。


「おやすみなさい」


 これはただの就寝前の挨拶。そう言い聞かせながら、彼女は笑ってみせる。


「素直になれるおまじないでもしたのかな?」


「おまじない……ですか?」


 まるで、ユウリはなにか特別なことをしなければ素直になれない人間だと言っているようだ。


「そう。それか、素直になれる薬でも飲んだのかと思った。まぁいいや、私からもおやすみの挨拶をしておこう」


 素直になれる薬――――。その言葉で、ユウリはいいことを思いついた。だから近づいてくるエルネストを思いっきりける。


「いえ、結構です。それよりも、依頼の件です!」


「依頼の件は明日ゆっくり……」


「だめです! ……魔女の力をお貸しします。そうですね、やっぱりエルネスト様の言うとおり“素直になれる薬”がいいでしょう」


 そしてユウリは、次にレナルドとリシューが会う予定を調査するように、エルネストに依頼した。


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