素直になれる魔女の秘薬(6)



 エルネストからの報告によれば、互いの両親からのフォローもあり、二人は仲直りをしたということになっているが、依然ぎくしゃくしたままだという。

 ユウリは魔女特製の“素直になれる薬”をエルネストを通してレナルドに渡した。

 エルネストに任せておけば、次の夜会のときにレナルドがその薬を使うはずだ。彼は人を丸め込むのがとても上手いのだから。


 エルネストからの手紙で二人が夜会に出る、とされた日の翌日。ユウリの店をレナルドが訪ねてきた。そのすぐ後ろにはエルネストもいる。

 レナルドが不機嫌な顔をしているのに対し、エルネストは相変わらずの笑顔。これは、彼が悪巧みをしているときの表情だとユウリは知っていた。

 今回に限っては、ユウリもおせっかいな伯爵の共犯者ということになるだろう。


「あなたが魔女か? ……あの薬だが、まったく効果がなかった! 飲んでも本音など、一言も出てこない! また彼女を傷つけただけだった」


 自己紹介もしないまま、レナルドは半分怒鳴りつけるような態度で、ユウリをにらんだ。


「魔女の薬に間違いはありません。それがあなたの本音ということでしょう」


 ユウリは自信を持って、断言する。年上の男性が相手だとしても、魔女のユウリがひるむことはない。


「いんちき魔女め! そんなはずはない。俺はリシューを愛している。いつも美しいと、心からそう思っている! ほめたいと思っている! それなのに、美しい彼女を前にすると、呪いのように言葉が消えていくんだ!」


 それは、ユウリとエルネストが彼から引き出したかった言葉で、おそらくリシューが聞きたかった言葉だ。

 つかみかかる勢いのレナルドを、エルネストが割って入って制止する。


「……ということです、リシュー様。これがレナルド様の本音です。魔女の薬に間違いはありません。……効き目が現れるのが少し遅かったみたいです」


 ユウリは店の奥につながる扉のほうに向かって呼びかける。その扉は少しだけ開いていた。

 ユウリがさらに扉を開くと、その先にはリシューが立っていた。


「なっ! なんでリシューが……」


「私がお呼びしました」


 こうなることが予想されていたので、ユウリは事前にリシューを呼び寄せておいたのだ。


 レナルドに渡した“素直になれる薬”の中身は、滋養によいとされる薬草を砂糖漬けにした、ただのシロップだった。飲んでも身体が温まる程度で、それを飲んだからといって素直になれるはずもない。


 つまりは偽物だ。


 ユウリは二つの想定をしていた。一つは薬を飲んだという思い込みから、彼が素直になれる予想。いわゆる偽薬効果と呼ばれるもので、彼女としては、こちらになってくれることを願っていた。そのほうが面倒くさくないからだ。


 もう一つの想定は、現在進行しているとおり。すべてが彼女の想定内だった。エルネストも当然すべてを知っていたので、余裕の笑みを浮かべていた、というわけだ。


「レナルド様……、本当に困った方ね」


 リシューはレナルドの前に立ってほほえんだ。その瞳には涙がにじんでいる。


「や、あの、……その」


 彼女を想う気持ちがばれても、やはり本人を目の前にすると言葉にできない。レナルドの病は重篤で、完治にはほど遠い。


「よいのです。あなたの気持ち、本当はまったくわからないわけではないの。わかっているはずなのに、自信がなくて、不安になってしまったの」


「リシュー」


「あのね、わたくしは不器用なあなたのことが好きなのよ? もしあなたが毎日愛をささやいてくれる人なら、それはもうわたくしの好きなあなたとは違う人だわ。それなのに、おかしいでしょう?」


 言葉にできないのは、愛する人だから。レナルドが彼女を特別に想う気持ちを、リシューはきちんと知ることができた。それが彼女の不安を消し去ったのだ。


 不器用な二人の問題はとりあえず解決したのだろう。

 しばらく照れくさそうにしていたレナルドが、ユウリのほうに向き直る。


「ところで、薬の代金はいくらだ? 礼もしたい。怒鳴ってしまい悪かった」


「……あ、あの……もうおわかりだと思いますが、あれはただの滋養によい薬ですから、銅貨五枚です」


 それは少し高級な店でいただく紅茶一杯と同じくらいの値段だった。


「いいや、魔女の薬としての代金を支払いたい。そうさせてくれ」


「でしたら報酬は――――」


 この茶番はすべておせっかいな伯爵が仕組んだこと。だから報酬はいらない。そう説明しようとした口を、エルネストが手で軽く塞ぐ。


「レナルド。結婚の前祝いとして、ここは私が払っておくよ。……もともと依頼したのは私だからね。私が払うべきだ」


 それでもなにかをしたいと食い下がる二人を、エルネストは追い払う。彼は、魔女へ報酬を払いたがる変わり者の伯爵だから。



 §



 閉店の看板が吊された扉。「東方より来たりし魔女の店」は臨時休業になっていた。店の中は昼間だというのにカーテンで閉ざされ、様子をうかがい知ることはできない。


「さあ、魔女殿。……報酬をどうぞ」


「エルネスト様。結局、今回はあなたの考えたお芝居の中で“魔女役”をやっただけでしょう? 報酬はいりません」


 ユウリは少し怒っていた。レナルドが本音を話しているところを聞かせるという台本シナリオなら、わざわざ魔女が登場する必要性などなかった。登場人物はレナルドとリシュー、そしておせっかいな伯爵だけでも成り立ったはず。

 台本ができあがっている芝居のなかで、役者だと知らされないまま行動するのは、まるで道化のようだ。ユウリの魔女としてのプライドが、ひどく傷ついた。


 彼女としては、レナルドに偽薬を渡すという考えは、自分で考えたことだと思いたかった。けれど、本当はそうではない。

 エルネストは、ユウリならこうするだろうと予想していて、わざわざ相談に来たのだ。それが、彼女にとってはひどく腹立たしい。


「魔女の力は借りなかったけれど、君の時間を借りたのだから、私には支払いの義務がある。……たくさんあげるから、許してほしい」


 一つしかない長いすに深く腰をかけるエルネスト。ユウリがエルネストの前に立つと、彼は引き寄せるように腰の当たりに手を回してくる。


 彼女はその手を振りほどかない。


「じゃあ、首もとをゆるめてください」


「君がすればいい。吸血鬼なのに、そんなこともできないのかい?」


 ずいぶんと意地の悪い言葉だった。


 ユウリはエルネストのタイに手をかけて、するりとそれをほどく。シャツのボタンを外そうとするが、自分の服とは勝手が違って上手くできない。


「むきになって……。そんなに私の血が欲しいのかい?」


 彼の挑発的な言葉を無視して、四苦八苦しながらシャツのボタンを外していく。上から四つまで外したところで、襟の部分を引っ張り、シャツをはだけさせる。

 女性のものとは違う太い首。鎖骨や引き締まった胸元まであらわになる。ユウリが少し視線を上げると、エルネストが嬉しそうにしていた。


「……怖くないのですか?」


 ユウリは怖かった。いつかエルネストに嫌われてしまうかもしれないと、いつも怯えている。


「どうかな? これは君への報酬なのだから遠慮はいらないよ。どうぞ召し上がれ、かわいい吸血鬼殿」


「……はい、いただきます」


 ユウリは吸血鬼の末裔で、本物の吸血鬼とは違う。きっとご先祖様はもっと尖った犬歯を持っていたのだろう。ユウリの歯は“人にしては尖っている”程度。あまり鋭くない歯で、血が出るほど噛まれるのだ。エルネストが誇り高い貴族の青年だとしても、痛いものは痛いはず。

 それを笑顔で受け入れてしまう彼の気持ちが、彼女には理解できない。理解できないから、恐ろしいと思う。


 けれど彼が与えてくれる報酬が、欲しくて、欲しくて、たまらない。


 誰かを傷つけてしまう自分自身のことが嫌なのに、彼女の行動は止まらない。だって、彼が嫌がらないのだから。

 ユウリは彼の首すじに、だらしなく半開きになったくちびるを近づけて、ためらわずにガブリと噛んだ。その瞬間、エルネストの身体が強ばる。

 きっと痛いのだろう。そうだとわかっても、ユウリはもう首筋からあふれ出すごちそうの香りに狂わされて、どうすることもできない。


 甘い果物をかじるのと一緒だ。一度果物の甘い汁が流れ出したら、それをこぼさないように、舌でからめ取ろうと必死になる。

 エルネストの血が舌に触れると、どんなお菓子よりも甘い。その香りは高級な茶よりもずっとずっとかぐわしい。ユウリにとって最高のごちそうだった。


 息を荒くして、熱い吐息を男性の首筋に吹きかけるのも、獣のように舌を使って食事をすることも、たまらなく恥ずかしいことだ。

 浅ましいユウリの姿を目の当たりにしたエルネストは、いったい彼女をどう思うだろう。

 エルネストの血がもたらす強い刺激になれてきたユウリは、突然我に返り、もう終わりにしようと顔を上げる。


「もったいないだろう? 血が完全に止まるまで、そうしていていいよ」


 エルネストの大きな手が、ユウリの頭を撫でる。軽く押されてさっきまであった場所に戻される。

 彼が許してくれるのだから、これはやっていいこと。彼の望んでいること。そう思うと、おいしいごはんを食べているときに感じる気持ちとは、まったく別の感情で心が満たされていく。


 いつのまにかエルネストのひざに座るように身を預け、彼の背中に手を回していた。彼も頭を撫でる手を止めないのだから、この行動も許されている。


 やがて血が止まると、ユウリはそのまま乱れたシャツに顔をうずめた。おいしいごはんを食べた満足感、それだけでは説明できない多幸感。このまま少しこうしていられたら、と彼女はつい考えてしまう。


「お腹がいっぱいになって、眠くなったのかい?」


「…………」


 そんなことはないと答えたら、彼から離れなければならないだろう。だからユウリはなにも答えず、眠くなったふりをした。


「そう。……また二ヶ月くらいは血を飲まなくても大丈夫かい? お腹がすいたら、君はほかの誰かから血を貰ってしまうのかな?」


 ほかの人の血なんていらない。たぶん飲めない。それを告げたら、彼はどう思うのだろうか。あるいは二ヶ月後にはユウリに興味がなくなっているかもしれない。依頼がこなくなったらどうしようと思う一方で、依頼もないのに飲ませてほしいと頼む勇気がない。ユウリはとても臆病だった。


「エルネスト様には、関係のない話です。……私の勝手です」


 二ヶ月も待てない。あなたの血しかいらない。彼女の心の中にある想いはいつも声にならずに、別の言葉が紡がれる。

 素直ではないあの青年と、同じような呪いをかけられているのかもしれない。


「君は本当に悪い魔女だね。そうだ、今度は私のために本物の“素直になれる薬”をお願いしようかな。……作ってくれたら、また報酬を支払おう。どうだい?」


「いや」


「拒否するということは、その薬を誰が飲むのか予想がついている、ということだよね? それって、君が素直ではないと認めることだってわかっているのかな? 不幸を食べる魔女殿は」


 不幸を食べる魔女。それは彼女の祖母のあだ名だった。もともとの意味は「食べられたら、幸福だけが残る」という祖母に対し親しみを持っていた人々がつけた名だった。時が流れ、名前だけが残り、つけられた意味が忘れられてしまった。だから彼女はその名が嫌いだ。

 嫌いなはずだった。けれど、エルネストは皆に親しまれた正しい意味で、その名を口にしている。


「この町の不幸を君が食べ尽くしてしまったら、いくら私でも依頼を探してこられない。その前に、素直な君を見せてくれ……」


 そうして彼は一月ひとつきも経たないうちに、また新たな依頼をたずさえて、魔女の店の扉を開けるのだろう。

 彼は、どこからか厄介ごと、困りごとを探してきては、魔女に会いに行く、変わり者の伯爵だから。

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