素直になれる魔女の秘薬(3)



 日が沈み、三日月が空にぼんやりと浮かぶ。

 ユウリとエルネストは、星が見えなくなるほどたくさんの明かりが灯された、貴族の屋敷までやって来た。着飾った男女が馬車で乗りつけ、談笑しながら屋敷の中に吸い込まれていく。


「まだ拗ねているの? 往生際が悪いよ」


「どうして、事前に言ってくれなかったのですか!?」


「だって、話したら絶対に逃げたでしょう?」


 なぜ独身のエルネストが、女性用のドレスや首飾りを持っているのか。なぜユウリにぴったりなのか。

 こういった夜会に、恋人でもない女性を連れていくのは、彼にとってなんでもないことだとでもいうのか。

 ユウリの頭の中は、エルネストに問い正したいことでいっぱいだったが、一つも言葉にはならない。


 彼女はまだ、魔女と依頼人という関係のままでいたいのだ。


 黒の正装に身を包み、髪を整えたエルネストは、普段よりもさらに上機嫌でユウリの手を取る。


「今宵の魔女殿は、本当にきれいだよ? はっきり言ってほかの男に見せたくないのだけれど、そんなことはできないしね」


「……あ、ありがとう……います、ドレスも」


 ユウリは下を向き、消えそうなほど小さな声で、なんとか礼を言う。


「どういたしまして。どうせなら、私を賞賛する言葉も追加してくれないかな?」


「そんなこと、無理です」


 エルネストは、立ち振る舞いが洗練されていることも、自分の容姿が整っていることも、きっちり自覚しているのだ。ユウリは、彼の自信が腹立たしく思う。


「ははっ、赤くなっちゃって」


「依頼の一環なんでしょう? あまり調子に乗らないでっ!」


 ドレスに隠れたつま先で、彼女は思いっきり青年の足を踏みつけた。


「伯爵、よい夜ですな。……あなたが女性を、それもどこぞの異国の姫君をお連れになっていると、さっそく噂になっておりますぞ」


 エルネストに声をかけてきたのは、夜会の招待客と思われる壮年の貴族だった。


「そうですか? ははっ、困ったな。紹介します、こちらはワトー商会のご息女でユウリ殿。……ユウリ殿、この方はルニャール子爵だよ」


 ルニャール子爵、というのは今回の依頼にでてきたレナルドの家だ。この紳士はレナルドの父親、ということになるのだろう。


「ワトー商会のご令嬢でしたか! たしか東国の品物を扱っているという……」


「はい、以後お見知りおきを」


「子爵、ところでレナルド殿はどちらに?」


「リシュー殿と一緒にバルコニーのほうへ行ったきりですよ。……まったく、あの二人はいつもいつもいつも。この前も破談にする、などと言っておりましたし。幼い頃から決まっているものを、今さら覆せるはずもないとわかっているでしょうに。と言っても、たちが悪いのは、あの二人は本当のところ仲が悪い、というわけでもないことでしてな」


「……え、ええ。あの二人はわかりやす――――」


「そう! それが一番の問題なのですよ。知らぬは本人だけ、というやつですな。本気で仲が悪いのなら、私としても無理に結婚させるつもりもなかったのです。ですが、あれは引き離すわけにもいかんのですよ。まったく! もう式の日取りも決まっているというのに。だからこそ、悲観的になるというのは誰でもあることですが、あの二人は度が過ぎますな。そもそもあの二人は――――」


「子爵! 私が二人の様子を見てきましょう。それでは失礼」


 長引きそうな子爵の話を、耐えられなくなったエルネストが遮る。ユウリも一瞬気が遠くなりかけたが、おかげでレナルドと彼の婚約者、リシューの関係は、なんとなく察することができた。


 男爵邸の広いバルコニーにはレナルドとリシュー以外、誰もいない。いないというより、ただならぬ雰囲気を察してほかの人間が立ち去った、といった様子だ。


 バルコニーに出たところで、エルネストがユウリを柱の影に引き込む。そして、ユウリの背後に立ち、逃れられないように手をまわした。ユウリは動揺して、彼の手を振りほどこうと抵抗する。


「静かにしていて?」


 ユウリの耳元で、低くささやく声。彼女の心臓がどくん、どくんと音を立てる。


「エルネスト様は、いろいろ趣味が悪い……」


 痴話げんかを盗み聞きして、恋人でもなんでもないユウリにこんなことをする。それで楽しそうに笑っている彼は、間違いなく悪趣味だ。

 それなのに、結局彼の言うことに従ってしまう。小さな声で抗議するのが彼女の精一杯だった。


 ユウリは、後ろが気になって集中できないまま、離れた場所にいる調査対象二人のほうへ耳をすませた。





「それだけではありませんわ。今夜、つい先程だって!」


「さっき? とくになにもしていないだろう?」


 レナルドに対し、リシューが一方的に腹を立てている。レナルドは怒った婚約者を外に連れだし、彼女を落ち着かせようとしている。そんな様子だ。


「なにもしていない、ですって? 同僚の方の妹君に色目を使っていたではありませんか!」


「頼まれて、一度ダンスのお相手をしただけだ。まさか、誰とも踊るなとでも? 狭量すぎやしないか?」


 エルネストの話によれば、今夜レナルドはリシューと和解しようとしている、とのことだった。けれどユウリからすれば、まったくそんな雰囲気ではないような気がした。


「そういうことではありません。『そのサファイア、瞳の色と同じなのですね? よくお似合いですよ』などと、ほめていたではありませんか!」


「社交辞令くらい、誰でも言うだろう? ……少し、冷静になってくれないか?」


 リシューの声に引きずられるように、レナルドの声もだんだんと大きくなっていく。


「社交辞令? 冷静に!? レナルド様……あなた、一度だってわたくしをほめたことなどないでしょう!」


「そんなことはない。……では言おう。きょ、今日の、ド、ドレスは……」


 彼が最後まで言い終わらないうちに、リシューの平手が飛んできて、彼の頬の上で乾いた音を立てる。相手に言われてからほめるというのは、いくらなんでもあんまりだ。


「本当に最低ですわ! ……帰らせていただきます」


 リシューは目に涙を浮かべて、走り去ってしまった。レナルドは彼女を追いかけることすらせずに、立ち尽くしている。

 長い沈黙。そのあと、大きくため息をついたレナルドがバルコニーの手すりに拳を打ちつける。


「くそ……! なぜ『君は美しい』と、言えないんだっ! 俺は、俺は……くそっ!」


 何度も拳を打ちつけて、恥ずかしいことを叫びながら、レナルドはどこかへ去っていった。

 ユウリたちには、和解どころか、二人の仲はますます悪化しているようにしか見えなかった。


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