素直になれる魔女の秘薬(1)
夏のはじまり。ユウリの嫌いな季節がやって来た。熱いし、日差しが強くて外に出られない。朝起きるとすでに太陽が地面を熱していて、照り返しだけで、彼女の目は眩む。
これで、本格的な夏のピークはまだ二ヶ月も先なのだ。
暑いからといっても、一人暮らしのユウリが家から出ないで過ごすのは不可能だ。野菜や肉は傷みやすくなるから買い物に出かける回数も自然と増えてしまう。
朝の
このくらいなら大丈夫だと思って買ったものが、歩いているうちにやたらと重たく感じられる。そんなことは誰にでも起こりうる。
彼女の自宅のある通りは道幅が狭く、そのおかげで日陰が多い。ユウリはそこで一度汗を拭い、気合いを入れ直す。再び歩き出せば、蔦の絡まる陰気な魔女の店がだんだんと見えてくる。
彼女がやっとの思いでたどり着いた店の前には、背の高い青年が腕を組んで立っていた。ユウリの姿を見つけると、嬉しそうに手を振る。
「おはよう、不幸を食べる魔女殿。また会いに来てしまったよ」
極上の笑みを浮かべるエルネストに対し、ユウリは無表情で応対する。
どうせ現れるのなら、あと少しだけ遅く来てほしかった、と彼女はつい考えてしまったのだ。そうしたら、馬車で通りを走っているときに、乗せてもらえたかもしれないから。
「おはようございます、伯爵様。……でも、その呼び名は嫌いだと、言いました」
彼は宮廷に出仕している貴族で、伯爵の地位にある高貴な人物だ。
偉ぶったところがなく優しげな風貌で、身分の高い人物にありがちな近寄りがたさを感じさせない。その代わり、なんとなく軽薄そうな印象を与えてしまう、ちょっと残念な青年だ。
まっすぐな黒髪と黒い瞳、というこの国ではめずらしい容姿のユウリとは真逆で、輝く金髪にサファイアのような瞳をした青年。
そんな彼を日の当たる場所で見ると、眩しすぎて、ユウリは勝手に距離を感じてしまう。
彼はほかの女性にも、同じような態度で接するのだろうか。交友関係が極端に限られている彼女には、なかなか想像しづらい。
そして、がんばって想像しても不愉快になるだけなので、途中でやめた。
「そうだったね。でも、ユウリ殿こそ、私のことはエルネストと呼んでくれと言ったのに。君はいつになったら、
馴れ馴れしい態度でおどけてみせるエルネストは、自然な手つきで荷物の入ったバスケットを奪う。
手が自由になったユウリは、首からぶら下げていた鍵を取り出し家に入る。つい先日、彼が勝手に取り替えた鍵だ。
「それにしても急に暑くなったね。服も髪も、よく似合っている」
今日のユウリの服は、涼やかなワンピースだ。そして彼女の長い髪はヒノモトの着物と同じ生地で作られたリボンでまとめられている。
彼女はいつも、室内では兄から贈られた羽織を着ているが、今の時期には不要だ。代わりに、リボンだけはヒノモトを感じさせるものにしている。
当然リボンも兄からの贈り物だった。
ほめられたのだから、素直によろこべばいいのに、ユウリは真っ赤になった顔を見られないようにするために、下を向いた。
「エルネスト様、今日はなにをお求めですか?」
棚には、瓶に詰められた植物の根、酒に漬けられたカエル、得体の知れない粉末、異国の言葉で書かれた書物……と、まさしく魔女の店にふさわしい品々が並べられている。
けれど、エルネストはそれらの商品を買うことなどめったにない。
「うーん、とりあえず、レモネードを一杯」
荷物の入ったバスケットを店のカウンターに置いたあと、彼はいつもの指定席に腰を下ろす。
長い足を組んで、自宅にいるときのようにくつろいでいる状態だ。
「当店は魔女の店なのですが、お忘れですか?」
ここは
「ん? ユウリ殿は私にそんなことを言っていいのかな?」
「どういう意味ですか?」
ユウリは嫌な予感がした。彼は相変わらずの笑顔だが、なんとなくなにかを企んでいるような気がしたのだ。
「この前、君が寝込んだ時に、確か君は――――」
「い、言っていません! なにもしていません。よく覚えていません! レモネード、用意してきます」
彼女の中では風邪を引いたときにうっかり口を滑らせた内容は、なかったことになっている。ユウリは店のカウンターに置かれたバスケットをさっと取り、奥の部屋へ逃げ込んだ。
朝の
といっても、レモンのシロップ漬けはもうあるので、それを水で割るだけだ。
彼女特製のレモネードは、苦みを抑えるために、レモンの皮を剥いてから砂糖をまぶして寝かせたものだ。
好みの問題だが、子供っぽい味だと笑わないかユウリは急に心配になる。少し考えて、出来上がったレモネードにミントの葉を浮かべる。これで、爽やかさと少しの刺激が加わり、男性でも飲みやすいはずだ。
ユウリは二杯のレモネードをお盆の上に乗せて、エルネストのところへ戻る。さきほどの件をもう一度話題にされないか、どぎまぎしていた彼女だが、彼はもう忘れてしまったような様子でレモネードを受け取る。
エルネストは、ユウリが本当に困ることはしない人だ。そのくせ、わかっていて、わざとからかうようなこともする、不思議な人だった。
ほかに座る場所がないからと心の中で言い訳をして、ユウリは彼の隣に腰を下ろす。
「うん、やっぱり暑い日にはレモネードだね。おいしいよ、ユウリ殿」
エルネストがどれくらいの時間、外で待っていたのか、ユウリは知らない。かなり喉が乾いていたらしく、彼は受け取ったばかりのレモネードを一気に飲み干した。
「君に、お願いがあるんだ。魔女の力を借りたい。……今日はその相談にね」
「また、ですか?」
「うん、まただよ。私のところには、なぜか君の力が必要な厄介ごとがたくさん集まるようになっているんだ。……どうしてかわかる?」
急に真剣なまなざしで、エルネストが隣に座る魔女を見つめる。
「知りません。……それに、お役に立てるかわかりません。でも、お伺いするだけなら」
「ありがとう。……報酬は、
ユウリはごくりと喉を鳴らしてから、小さく頷く。
薄暗い室内なら、ユウリの頬が赤く染まっていることなど気づかれないだろう。
「私の親友……彼は子爵家の跡取りでレナルドという名なのだけど、結婚を控えた婚約者と仲違いをしてしまってね。簡潔に言えば、仲裁をしたいんだ。協力してくれないか?」
「そういう話は、あまりお役に立てそうにないです。男女のもめごとなんて、私が仲裁できると思いますか?」
ユウリが役に立てるとしたら、東国の薬学の知識や交易品に関することだけだ。
恋人どころか友人すらまともにいない魔女に、男女の仲裁など無理難題というものだ。
「この店に、惚れ薬は置いていないのかな?」
「ほ! 惚れ……?」
ユウリは飲んでいた液体を吹き出しそうになるのを、ぎりぎりでこらえた。男性の発想とは、なんと安直なのだろうと正直あきれてしまう。
エルネストがそんなことを言う人だとは思わなかったので、段々と腹が立ってくる。彼女は心を落ち着かせるために、レモネードをぐっと飲み干す。
それから、空になったグラスをドンとテーブルに置く。
「魔女の薬は高いですよ! それに、効果の切れない薬はありません。一時的に気分が高揚するたぐいの薬なら、知識としては知っています。ですが、いつわりの愛情なんて、最終的にお互いの傷が深まるだけです」
人付き合いが苦手なユウリは、怒りながら、一般論を述べてみた。
「それもそうか、では素直になれる薬は?」
「素直に……? たとえばですが、自白剤というものがありますよね。私よりも国政に関わる立場のエルネスト様のほうがよくご存じのはずです。そんな危険な薬が、こんなところで売っているわけないでしょう?」
この国の薬と、ユウリの先祖がすんでいた東国の薬には、根本的な部分での差はない。効果があれば、副作用がある。同じ植物が毒にもなれば薬にもなる。それはどの国でも同じなのだ。
東国に生息する動植物がこの国にはなく、この国にあるものが東国にない。大きな違いはそこだけだ。
「うん、魔女としては面白みに欠ける回答ばかりだ」
エルネストは残念そうにしている。残念なのはユウリも一緒だった。依頼に応えられなければ、彼から報酬はもらえないのだから。
「ご存じだと思いますが、私は物語に出てくる魔法使いとは違い、奇跡を起こせません。この国の医学や薬学とは異なる知識を持っている、というだけですから」
「あきらめるのは早い。一度、レナルドに会ってくれないか? 女性から見て、どう思うか意見を聞きたい。その前に私のところで準備をしなければ」
よし決定だ、とでも言うように、エルネストが立ち上がり手を差し出す。
「え、今からですか? 外に出るんですか……?」
引きこもり気味の魔女としては、外に出ることは非常に勇気がいる。朝のうちに出かけただけでも、すでに倒れそうだったのに、これからどんどん日が高くなるのだ。
「だから、こうやって早めに迎えに来たんだよ。大丈夫、通りに伯爵家の馬車を待たせてあるからね」
「え、ええっ!?」
エルネストは、空になったグラスをきちんと片づけてから日傘を持つ。ユウリが風邪を引いて以降、彼は奥の私的な空間に入ることにもためらわなくなった。
そして彼は、小柄な彼女を
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