からくり箪笥と恋文(7)



 ユウリとエルネスト、二人だけの空間は沈黙が支配していた。

 エルネストが話をしてくれないと、自然とそうなってしまうのだ。ユウリは段々と居心地が悪くなり、ちらりと彼をのぞき見る。


「報酬をあげようか?」


 唐突な提案だった。たしかに、ジョエルからの依頼をエルネスト経由で受ければ、報酬がもらえることになっていた。


「でも……、今回はお兄様に聞きに行っただけで、魔女の知識は関係なかったので」


 ユウリの言葉は本気ではない。それなのに、わざと拒否するようなことを言ってしまう。エルネストからなにか言葉を引き出したくて、ずるをしているのだ。

 吸血鬼の末裔は一途な人間のはずなのに、それは素直さとは別ものだった。


「君は、たくさん働いたでしょう? それに私の友人の秘密も守ってくれた」


 もっと、もっと、これは許されている行為なのだという証明がほしい。だからユウリの身体はいつまでも動かない。


「大丈夫だから、こっちにおいで」


 いつまでもただ座っているだけのユウリの手を優しく引いて、エルネストが彼女をひざの上にのせる。それでちょうど視線の位置が同じになる。

 いかにもハイラント貴族というような輝く金髪も、宝石のような青い瞳もユウリとは全然違う。彼女は、彼と視線を合わせるのが嫌だった。

 それなのに、エルネストはユウリの異国人の部分、そして人間ではない部分を探しては興味深そうな顔をする。


 探らないでほしい、見ないでほしい。ユウリは自分の見た目も、体質も好きではないのだ。


「見えないところがいいかな?」


 エルネストが片手だけでタイをするすると緩め、シャツとベストのボタンを外す。ユウリのものとはまったく違うつくりの男性の身体があらわになっていく。


 彼女はごくりと唾をのみこんだ。

 首の太い血管は避けて、服で隠れる肩の部分。彼女は狙いを定めて青年の身体に顔を近づける。


「あの、伯爵様。……いただきます」


「だめだよ」


 エルネストがユウリのくちびるに人差し指をちょんとあてる。ユウリはそれだけで拒絶されたような気持ちになり、不安になる。

 さっきは報酬をくれると言ったのに、意味がわからなかった。


「エルネスト、でしょう? きちんと名前で呼びなさい。君の願いを叶えてあげているのだから、少しは私の願いも叶えるべきだよ」


 ユウリのくちびるをなでるように、エルネストと指が動く。彼は待つことになんの苦痛も感じないのだろう。ほしいものがすぐそこにあるのに、おあずけをくらっているユウリの苦しみなど、きっと彼にはわからない。

 何度、唾液を飲み込んでも、血を吸いたい衝動を抑えられない。

 心の中ならば、いつも名前を呼んでいるのだから、声に出すことになんのためらいがあるのか。


 ユウリは涙目になりながら、口を開いて、心の中では何度も呼んでいた彼の名前を音にする。


「……エルネスト様、血をください」


 彼の薄いくちびるが弧を描く。勝ち誇って、自信に満ちあふれた表情に腹が立つ。ユウリは彼に、どうやっても負けてしまう。


「どうぞ、私の吸血鬼殿」


 彼女は噛みつく場所を確かめるように、一度肩にくちづけをしたあと、ぐっと歯を立てた。

 その瞬間、ユウリの口の中に甘い血の香りが広がる。鼻から吸い込む空気も、舌の上を滑る液体も、エルネストの与えてくれるものに、代替は存在しない。


 最初に彼の血を口にしたときは、血に酔ってしまいユウリの記憶は曖昧だった。ユウリが理性を保ったままの状態で、好きな人を傷つけるのは今回がはじめてだ。

 こんなひどいことをする自分が嫌で、彼女は泣きながら、それでも血をすすり続ける。

 途中でエルネストが何度か身を固くしたのは、痛いのかくすぐったいのか、どちらだろう。ユウリはどちらでも嬉しかった。嫌なこと、不快なことをを、自分のために耐えてくれているのだと思えるからだ。


 時間としては五分も経っていない。彼の血が傷口からにじみ出る程度になった頃、ユウリも満たされて、顔をあげる。

 心が満たされているのに、後悔もしている。ざわざわと胸の中が落ち着かない状態だった。


「……手当、しますね」


 用意していた手当の道具を取ろうと、ユウリは少し腰を上げて立ち上がろうとした。


「ユウリ殿? どうして泣いているの?」


 エルネストが離れようとしたユウリを引き止め、ぐっと腰に回していた腕の力を強める。


「だって、嫌いなんです。私、普通じゃない……こんなひどいことしたくない、エルネスト様を……傷つけたいわけ、じゃない」


「私の血を少しだけ飲むことが、そんなに悪いことかな?」


 彼がユウリの涙を手で拭い、顎に手を添えて無理やり正面を向かせようとする。


「見ないで!」


 泣いている顔なんて見られたくない。ユウリは拒否する代わりに、エルネストの胸にしがみつく。乱れた服に顔をうずめて、彼のシャツをぎゅっと握る。


「私がいいと言っているんだから、それでいいんだよ?」


 ユウリは首を横に何度も振る。

 飲んでいるときは、喜びのほうが大きかったのに、それが終わると後悔のほうがどんどんと大きくなる。


 母が怖がるのは、彼女としても納得ができる。自分自身でも、恐ろしいと思っているのだから。ユウリは本当に、人の血をすするバケモノなのだから。


「ユウリ殿?」


 エルネストが髪を撫でる。ユウリは、血を啜る姿を見せても受け止めてくれる青年から離れたくなくて、彼に抱きついたまま離れない。


「君……、私に甘えるのは一向にかまわないんだけど。あとで私が同じことをしたときに、怒らないでね?」


 ユウリが頷くと、エルネストは大きなため息をつく。それでも髪を撫でる手は、そのままだった。

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