からくり箪笥と恋文(6)



 男爵邸の応接室のテーブルの上には、異国の箪笥が置かれている。引き出しを一つ一つ取り外し、中を覗き込む。ユウリたちは、サイモンの作業を見守る。


「これは船箪笥の中でも、輸出用に作られたものですね」


「どう違うんですか?」


 持ち主のジョエルが、サイモンにたずねる。


「もっと実用的なものだと、たとえば、いくつもの鍵を順序通りに差し込まないと開かない仕掛けとか……。とにかく盗難防止の仕掛けが複雑なんです。これなら……」


 サイモンは物差しを使って、板の厚みを測ったり、トントンと叩いて、音の違いを確かめたりしている。ほかの部分とあきらかに厚みが違う場所があれば、そこには仕掛けがあるということになる。


「ここだな?」


 彼が目星をつけたのは、箪笥の側面の一部分だった。木目が完全に繋がっているのに、うまく力を加えて上へずらすようにすると、あっさりと板が外れる。

 ジョエルがいくら探しても見つからなかった隠し棚は、サイモンがすぐに見つけてしまった。


「ありましたよ」


 サイモンが開けた空間に手を入れて、中を探る。隠されていた棚から出てきたのは、やはり手紙だった。

 サイモンから手紙を受け取ったジョエルが、封筒から中身を取り出す。封はされておらず、切手もないことから、先代が書いて出さなかったもののようだ。





 ――嗚呼、イザベラ。美しき貴女を、なににたとえたらいいのだろうか?

 春ならば庭園に咲き誇る花、夏ならば水面のきらめき、秋は静かな月にしようか?

 冬、それは、ちょうど今の季節。色彩を失った寂しいこの季節には、貴女を思い起こさせる色が見つからない。

 だから、私は毎日貴女に会いに行きたいのだ。どうか、罪深い私を許して――。





「これ、詩? ……のような恋文ですね。筆跡は間違いなく義父ちちのものです」


 封筒の中はかなり厚みがあり、十枚以上の便せんが入っていた。そのすべてが、若き日の妻に対する恋文だった。あまりにも芸術的で情熱が溢れすぎた文章に、ジョエルとサイモンは赤面している。


「……これが先代の隠したかったことか……ふ、ふふっ、はははっ!」


 耐えきれなくなったエルネストが大きな声で笑い出す。


「エルネスト様、すごく失礼ですよ!」


「だって、あまりにも。これは捨ててほしいと願っても仕方ない! ……ははっ!」


 ユウリがたしなめても、エルネストは腹をかかえて笑うだけだ。

 続いてジョエルも、ふき出すように笑う。サイモンは下を向いてごまかしているが、肩が震えている。


義母上ははうえ?」


 ジョエルの声で、皆がイザベラのほうに注目する。彼女は、口元を抑えながら笑っていた。


「……ふっ、ごめんなさい。あまりにも愉快だったから。あの方からの手紙はいつも無機質で、用件しか書かれていなかったのよ? それなのに、おかしいでしょう」


 何十年も連れ添った相手なのに、イザベラは亡き夫の意外な一面を、たった今知ったのだ。彼女は涙目になりながら、しばらく声を抑えることもせずに、笑っていた。


「私は夫に愛されていたのね……」


「そうですよ。義父上ちちうえは、結婚する前から、義母上ははうえを愛していて、死の直前も愛していた。……それが全てです」


「疑って、隠したかった秘密を暴いて、悪いことをしてしまったわ」


「きっと、笑って許してくださいます。そういう御方でしたから」


 実際には、それでジョエルの出生についての疑惑が晴れたわけではない。けれど、亡き先代が大切にしてきた秘密が、言葉にできない妻への愛情だと知れたことは、イザベラの心の支えになるはずだ。


 義母の見ているところでは、父の秘密を笑っていたジョエル。

 それなのに、ふとしたとき、その表情が陰ったことに、ユウリは気がついてしまった。


 彼の視線の先には、先代の肖像画があった。



 §



 ユウリたちは男爵邸をあとにした。行きと同様、エルネストがユウリをしっかりと送りとどけてくれる。


 魔女の店まで送ったら、そのまま伯爵邸に帰ればいいものを、なぜか彼は指定席でお茶を飲んでいる。

 ユウリとしては、どうしてもさっきまでの出来事を、もう一度一人で考えてみたかった。だから正直に言えば、彼にはさっさと帰ってほしいと思っている。


「どうしたんだい? 魔女殿はさっきから浮かない顔をしているね?」


「エルネスト様がいつになったら帰ってくれるのか、考えていました」


 ユウリがはっきりと告げると、彼は何度かまばたきをして首をかしげる。そして、なにかわかったようにぽんっと手を打つ。


「君がなにを考えているのか、当ててあげようか?」


「当てるもなにも、今、ちゃんと言いました!」


 ユウリの頭の中にあるのは、エルネストに早く帰ってほしいという気持ちだ。わざわざ言葉にして告げたのに、彼にはまったく伝わらない。

 時々話の通じないこの青年に、ユウリは語気を強める。


「……ジョエルが墓の前で燃やしていたものは、なんだったのか……、じゃないのかな?」


 エルネストは、すべてを見透かしているような顔をする。

 帰れと言ったことは、おどけてわからないふりをしたくせに、その先にある彼女の気持ちをしっかりと言い当てた。


「ち、違います」


 ウェラー男爵家のごく個人的な話に、興味本位で関わってはいけない。ユウリはそう思って首を横に振る。


「大丈夫だよ。彼も私たちが勘づくことくらい、予想しているはずだ。言いふらすことはないと、信頼してくれているんだろうね」


「ウェラー男爵は、出生の秘密を告白する手紙を、燃やしてしまったのでしょうか?」


「たぶん、そうなんだろうね。先代が結婚されたのは三十年以上前の話だから、彼は不貞で生まれた子なんだろう。ジョエルは引き取られる少し前に本当の母親を亡くしているそうだから……」


 二人の推測はこうだ。本当の手紙は、イザベラの予想していたとおり、ジョエルの出生の秘密を告白するものだったのではないか。そしてジョエルは隠し棚の場所も、開け方もとっくに知っていたのではないか、と。


 病床の先代男爵が、近くに妻がいることに気がつかないまま、手紙を捨てるように懇願した。

 当初、イザベラは隠し棚の存在を知らなかったから、ジョエルは手紙が見つからないふりをして、病人の妄言ということにするつもりだった。

 ところがイザベラが、船箪笥には隠し棚や仕掛けがあるという話を、調べてきてしまった。

 だからジョエルは、母に手紙を読まれる前に本当の手紙を燃やし、父の遺品の中から、代わりになりそうな手紙を入れた。


 隠し棚が見つからなかったということを強調するために、ユウリやサイモンが必要だったのではないか。


 すべてはユウリの想像でしかない。けれど、ジョエルと親しいエルネストも、まったく同じことを考えているようだ。


「これでよかったのでしょうか?」


「うん。ジョエルの言ったことがすべてだよ」


 先代が結婚する前からイザベラを愛していて、死の直前も妻を愛していた。それだけでいい。それは先代の願いであり、ジョエルの願いだ。


「私には、よくわかりません。他人が口を出せることではないから、黙っていただけで、なにが正しいのか、どうすればいいのか、わかりません」


「簡単だよ。生きている人が、笑っていられるのが正しいんだ」


「真実を隠すことが、ですか?」


 イザベラは真実を知りたがっていた。それを考えるとジョエルの嘘が正しい嘘だとは決して言えない。


「そうだね」


「私……」


 ユウリもエルネストに隠し事をしている。とても大切なことを言わないでいるのだ。

 もし自身が消えてしまう日がくるならば、最後までどうか気づかないままでいてほしい。彼女はそう考えている。


 誰かのための嘘や沈黙なら許される。ずうずうしいと思いながら、ユウリはエルネストに許して欲しいと願った。


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