からくり箪笥と恋文(5)



 三日後、ユウリはエルネストに連れられて、ウェラー男爵邸を訪れた。 彼女にとってはあいにくの晴天。外に出た瞬間、まぶしさでユウリの目がくらむ。エルネストが馬車で迎えに来てくれなければ、出かけようなどとは思わなかっただろう。


「本当に苦手だったんだ! 君、溶けたりしないよね?」


「チカチカして嫌いなだけです。残念ですけれど、そういう愉快なことにはなりません!」


 まぶしさを嫌って目を細めるユウリを、エルネストが笑うので、彼女はさっそくそっぽを向く。


「そもそも、私や伯爵様が同席する必要があったんでしょうか? よく、そんなにたくさんお休みがもらえますね?」


「同僚の一大事なのだから当然だよ。私は優秀だから、仕事くらいどうにでもなるんだ。請け負った依頼は、最後まで見届けようじゃないか」


「……結構、お暇なのですね」


 平静を装って、なるべく三日前の別れ際のことを意識しないように、話題にしないように、ユウリは必死だった。そのせいでいつもより、さらに冷たい態度になってしまう。


 男爵邸の応接室で、屋敷の住人、そしてサイモンの到着を待つ。エルネストのほうを見ることができないユウリが視線を泳がせていると、壁に飾られた肖像画が目にとまる。そこには、夫婦と思われる男女が描かれていた。


「あれ? この方は」


 ジョエルではない。肖像画の中の紳士は四十代くらいの人物だ。けれど、容姿も雰囲気も、どことなく彼に似ていた。


「……先代の男爵。私の夫ですよ」


 ちょうど部屋に入ってきたのは、喪服にジェットという首飾りをした年嵩の女性で、服装から未亡人だとすぐにわかる。ジョエルの義母、イザベラ・ウェラーだ。

 ハイラントでは未亡人が喪服を着用する期間が異常に長い。だから、先代が亡くなって一年経っても、イザベラはまだ黒い服をまとっている。


 肖像画はかなり昔に描かれたものだった。絵の中の夫人は、金髪の美しい女性だ。それに対し、実際のイザベラは白髪で、顔には深いしわが刻まれている。


「これは、イザベラ様」


「ごきげんよう、セルデン伯爵。そちらが、噂の魔女殿ね?」


「ユウリ・ワトーと申します」


 外交官の妻として、シンカ国をはじめとする異国の人間と顔を合わせる機会の多かったイザベラは、めずらしい黒髪黒目のユウリを見ても、にっこりと頷くだけだ。


「わざわざご足労いただいて、感謝いたします。……私がどうしても手紙の中身を確認したいと言ったから、ジョエルがあなた方に無理を言ったのではなくて? 申し訳なかったわ」


「そのようなこと、ございません」


「ジョエルはきっと、私の頼みだから、ないがしろにできなかったのよ。養子だからよけいにね」


 ジョエルとイザベラには血縁関係がない。だからこそ、義母として敬い、彼女の願いを叶えるために必死になる。それが、引き取ってもらった恩に報いることなのだ。

 だからジョエルは、義父が消し去ろうとしていた手紙を探しているのだろうか。


「イザベラ様は、手紙を見つけたら、お読みになるつもりですか?」


 ユウリがたずねると、イザベラは寂しそうにほほえんだ。


「ええ。……亡き夫が隠したがっていた手紙を探そうだなんて、ひどい妻よね?」


 先代の男爵が隠したがっていたと知っていて、あえて手紙を探し、読もうとする。ひどいこと、なのだろう。けれど、ジョエルもイザベラも、興味本位でそんなことをしようとしているふうには思えない。


 ユウリはなにも答えられないまま、イザベラを見つめた。


「ねぇ、あの肖像画を見て、あなた方はどう思うのかしら? セルデン伯爵は先代のこともよく知っているでしょう?」


「なんとなく雰囲気が似ているのは、ジョエルが尊敬する父君を真似ているのだと思っておりましたが?」


 エルネストは、ジョエルと先代男爵が似ていることを否定しなかった。二人をよく知っているエルネストも、出会ったばかりで先入観のないユウリも、そろって義理の親子が似ていると感じていた。


「夫は、私にこう言ったのよ。『私に髪と目の色がそっくりな子供のほうが、親しみが持てるだろう?』って。そう言って、ジョエルを連れてきたの。でもあの子が大人になって、若い頃の夫にどんどん似てきたような気がするの。血は繋がっていないのに、どうしてかしらね?」


 それは質問ではなかった。イザベラは、ジョエルと先代が、じつは血縁関係にあるのではないかと、疑っているのだ。

 つまりジョエルは養子ではなく、先代とほかの女性との間に生まれた実子ではないか、ということだろう。


「夫がずっと隠していて、でも死の直前まで無かったことにできなかったのは……なんなのかしら?」


 すでに故人となっている先代男爵の秘密を暴くことは、残されたイザベラやジョエルにとって、いいことなのだろうか。そもそも彼らに協力していることが正しいのかどうか、ユウリは不安になった。

 もしかしたら、手紙なんて探さないほうが、イザベラ自身が幸せでいられるのではないかと彼女は考えた。


 イザベラは夫婦の肖像画を見つめている。その表情はどこか寂しそうで、けれど愛おしむようにも見える。


 やがて部屋の外で人の話し声が聞こえはじめた。

 イザベラは「もうこの話はおしまい」とでも言うように、人差し指を軽く自身の口にあてる。


義母上ははうえ、こちらにおいででしたか」


 部屋に入ってきたのは、ジョエルと船箪笥ふなだんすをかかえた二人の使用人、そしてサイモンだった。


「ええ、あなたが遅いものだから、少し世間話をしていたのよ」


「すみません、意外と移動に手間取りまして」


 船箪笥はいざというときに持ち出せるように、人の手で運べる大きさになっている。とはいえ、大型のものだと一人で動かすのは厳しい。


「二人とも、わざわざ申し訳ない。……サイモン殿、よろしくお願いします」


「いや、その、めずらしいものを拝見させていただけるだけで、僕は満足ですから」


 そう言いながら、サイモンは男爵家へのみやげ物を手渡す。取引のない相手とお近づきになる機会を、商人である彼は逃さない。

 少しのあいだ、サイモンが持参した東国のめずらしい工芸品についての話が弾む。

 ユウリはその様子をエルネストの隣で見守っていた。すると、しばらくしてサイモンと目が合う。


「ユウリ、あの……その、先日はっ!」


「ごめんなさい、お兄様。私のほうが、悪かったんです。あの……」


「おまえは悪くないと思うが……その、僕は……」


 お互いにもじもじとしながら、なかなか言葉にならない。実の兄妹なのに、二人の距離は少し遠い。

 兄がいつも、一人で暮らしている妹を心配してくれていることを、ユウリは知っている。ずっと彼から逃げているわけにはいかないのに、心はなかなかついてきてくれない。


「あの! お兄様、今日は頑張ってくださいね。頼りにしています」


 彼女はいろいろ考えて、結局そんなことしか口にできなかった。サイモンが笑顔になってくれたから、今日のところはそれでよしとするのだった。


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