からくり箪笥と恋文(4)



 サイモンはブルーグレーの瞳、栗色の髪の青年だ。少し小柄ということ以外に、ユウリとの共通点はまるでない。

 ヒノモトとの関連性を感じさせるのは、彼の容姿ではなく服装のほうだった。

 彼は日常的に袴を着ている、風変わりな青年だった。そして、ユウリに大量の羽織を送りつけている人物でもある。

 彼は部屋に入ってくるなり、妹めがけて突進する。ユウリはとっさに、エルネストの影に隠れた。


「お兄様、お仕事中に突然申し訳ありません。……お客様をお連れしているので……、その」


 やめてほしい、とユウリが訴えると、捨てられた犬のような表情で離れていく。


「すまない。ユウリのほうから会いに来てくれるなど、今までなかったから。つい」


 サイモンがほかの二人の青年に視線を動かす。


「お兄様、こちらはセルデン伯爵とウェラー男爵です。今日は、お兄様のお知恵をお借りしたくて、来たんです」


「ユウリの兄、サイモン・ワトーと申します、どうぞよしなに。……セルデン伯爵、妹が大変お世話になっているようですね?」


 サイモンは急にぴしっと姿勢を正し、商人らしく好感の持てる挨拶をした――――と、思ったら後半からエルネストをにらみはじめ、あからさまに棘のある言い方に変わってしまう。


 ユウリの嫌な予感は当たってしまったのだ。この二人は気が合わない者同士だ。


「いいや、むしろ私のほうがユウリ殿のお世話になっている。どうぞ、私のことはエルネストと名前で呼んでほしいな……義兄上あにうえ


「だ・れ・がっ! 僕は閣下より年下のはずです!」


「お、お兄様、お客様ですよ。それも高貴な身分の……」


 ワトー商会は貴族並の力を持っているが、あくまで平民だ。一方のエルネストは名門貴族の当主で、しかも現国王の側近という立場にある。

 エルネストの人柄から、ユウリもつい気安い態度で接してしまっているが、本来ならそんな態度が許される身分ではない。

 客商売をしている、ワトー商会の跡取りであるサイモンが、初対面から悪意をさらけ出したことに、ユウリは驚いて、そしてあせる。


「大丈夫だよ、ユウリ殿。私は全然気にしていない。……サイモン殿は君を心配しているだけなんだから」


 にっこりと笑い、大人の余裕を見せるエルネストだが、逆効果だ。サイモンは挑発されているのだと受け取ったようで、拳を握りしめて震えている。


「ところでサイモン殿の服はもしかしてヒノモトの?」


「ええ! ご存じのこととは思いますが、私にもヒノモトの血が流れていますのでっ!」


 敵意を見せているのに、相手に受け流されることは恥ずかしい。サイモンは顔を赤くしながら、なんとか質問にだけは答えている。


「もしかして、ユウリ殿の羽織という服は、サイモン殿からの贈り物なのかな? すごく似合っているよね? 私はとくに鮮やかな青に真っ赤な花の羽織が好きだな」


 ユウリの羽織の話になった瞬間、サイモンの眉間のしわが消え去る。


「椿の花ですね。……そうでしょう。あれは僕がヒノモトに渡ったときに、自分で選んだものですから」


「あの、お兄様。そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか? 今日は男爵様からのご依頼で、お兄様に相談したいことがあるのですが……」


 兄の機嫌が急上昇したところを見計らって、ユウリはなんとか、話題を切りかえてしまおうと、必死になる。


「ん? あ、すまない」


「お兄様、じつはウェラー男爵家所有の、船箪笥の隠し棚を探してほしいんです」


「船箪笥?」


「ヒノモトの職人が作ったもので、シンカの高官から贈られたとのことです」


「ヒノモトのからくり細工ならば、いくつか法則があってだな、僕にかかれば、どんな複雑な細工だろうと簡単だ!」


 サイモンは、ヒノモトの工芸品や美術品の蒐集家コレクターだ。当初、東国との交渉を進めやすくするために、シンカ国やヒノモトの服を好んで着ていたはずだった。それが、だんだんと拗らせて日常的に袴姿で過ごすようになってしまった。


「本当ですか? ありがとうございます。サイモン殿」


 やたらと自信のあるサイモンの様子に、依頼人のジョエルはよろこぶ。



(でも、先代が捨ててほしいと言っていた手紙なら、見つからないままでもいいのではないのかしら……?)



 ジョエルが他人を頼ってまで必死に手紙を探すのは、どうしてだろうとユウリは考えた。

 もしかしたら、先代男爵が隠したがっている内容に、心当たりがあるのかもしれない。故人が処分を望んでいる内容を、暴いてよいものか、ユウリは疑問に思う。

 けれどジョエルの真剣な様子から、興味本位で暴きたいわけでもないのだろう。

 家族の問題に、第三者が口を挟むことは、はばかられる。だからユウリは、見つかった手紙をどうするつもりなのか、聞かないことにした。


 三日後に、ウェラー男爵邸を訪問することを約束して、話はまとまる。 いろいろしているうちに、いつの間にか日が傾きはじめていた。そろそろ帰ったほうがいい時間だ。


「ユウリ。今日は夕食を一緒にしていかないか? 屋敷ではなく、外でなら」


 ユウリが帰ろうとすると、サイモンが焦った様子で引き止める。


「い、いえ……私、用事があるので」


 彼女は、兄と二人きりになるのを避けていた。サイモンが、一人で暮らしているユウリを心配していることも、できれば一緒に暮らしたいと願っていることも知っている。

 悪意を持っていない相手に優しくしてあげられないユウリは、きっとひどい人間なのだろう。


「用事? まさか伯爵閣下と一緒に!?」


「違います! お兄様には関係ありません。あとで、あの方・・・からなにか言われたら……」


 兄に対し申し訳なく思いながら、ユウリはやはり彼を拒絶する。


「言わせておけばいいだろう。母上がなにか言ってきても、それがなんだというんだ?」


「……それでお兄様たちが言い争うのも、すごく嫌なんです!」


「ユウリ、僕は間違ったことは言っていない!」


「お兄様が私をかばって、お母様を責めても、どうにもならないんです。お母様が傷ついて、今度はお母様とお兄様の仲までぎくしゃくしてしまうでしょう? 私、全然嬉しくありません」


 サイモンは、自分の中に流れているヒノモトの血を否定しないために、わざわざ袴姿でいる。海を渡るたびに、ユウリに似合う衣装を買ってきてくれる。

 兄の気持ちを少しは理解しているのに、彼女はどうしても優しくしてあげられない。


「ごめんなさい、お兄様」


 そう言って、ユウリは逃げるように立ち去る。

 馬車に乗り込む前、彼女は二人の青年に頭をさげた。


「お二人とも、申し訳ありませんでした。お見苦しいところをお見せしてしまいました」


「送るよ」


 エルネストはめずらしく困った様子だ。ジョエルと別れた二人は、馬車に揺られているあいだ、互いに黙ったままだった。あえてなにも言わないのがエルネストの優しさだ。それを感じとったから、ユウリは彼に、甘えてみたくなった。


 彼ならば、自分を傷つけるようなことは言わないと、彼女は知っていた。慰めの言葉がほしいのかもしれない。


「……聞いてくれますか?」


 当然のように先に馬車を降りて、魔女の店の中まで送り届けてくれた彼に、ユウリはそう話を切り出した。


「話したくないのかもしれないと思って遠慮していただけで、私はいつでも君のことを知りたいんだよ?」


 エルネストがいつもの長いすに腰を下ろす。ユウリもその隣に座る。

 そして彼女は、兄と自身の関係を語りはじめる。


 ユウリが先祖返りで両親にまったく似ていないのに対し、サイモンは母親似だ。母親はユウリを嫌うのと同じ熱量で、サイモンには愛情を注いだ。

 幼い頃のサイモンは、母の影響でユウリを嫌っていた。ほとんど祖父母の家で暮らしている、顔を合わせない兄妹きょうだいなど、そんなものだ。


 大人になって、母の心の中にある闇に気がついてしまった彼は、だんだんとユウリへの接し方が変わっていった。

 ある日、サイモンがこっそり祖父母の家に遊びに行っているのがばれると、母は狂ったような表情で、連れ戻しに来た。

 普段はユウリを忘れてしまっているはずの母が、久しぶりに見せた表情は怒りと憎しみだった。

 それ以来、ユウリはサイモンを避けるようになった。


「君は、兄君の後ろに、母上の影を見ているんだろうね。……似ているの?」


 言われたくないことを、エルネストに指摘され、ユウリの胸がちくりと痛む。

 ユウリとサイモンが親しくすると、母が機嫌を損ねる。それは事実だ。

 けれど、サイモンと二人きりになりたくない根底に、兄を見るたびに母を思い出す、というのがある。

 楽しく話をしていても、母と同じブルーグレーの瞳と目が合うたびに、心が冷えていく。


 母が、どうしてもユウリを愛せないのと同じ。ユウリは、兄と母をまったく別の人間だと、割り切れずにいる。そのせいで、兄を心から愛してあげられない。


「誰かが一緒ならまだいいんです。二人きりだと、なにを話せばいいのかわからなくて。お兄様といると、穏やかな気持ちでいられなくて。きっとどこかで、嫉妬して憎んでいるんです」


 同じ両親から生まれたのに、まったく似ていない、母に愛されている兄。彼女は羨んで、そしてきっと憎んでいるのだ。ユウリはそんな自分が嫌いだった。


「そうだったのか。でも君は、たぶん兄君が好きなんだよ」


「どうして、そう思うのですか?」


「兄君からもらったものを大事にしているでしょう? ……うーん、どうしようかな?」


「…………?」


 エルネストが身をよじり、できるだけ距離をとり座っていたユウリの手を取る。薄暗い部屋の中でも、目のよいユウリには、彼の表情がよくわかる。

 これは、なにか悪いことをしようとしている――――どう考えてもわかるのに、ユウリは彼からすぐに離れない。


「女性を慰める方法、どれがいいだろうか? ユウリ殿はどこまでなら、許してくれる?」


 まずは握った手を持ち上げて、爪の先にくちびるをあてる。

 ユウリは自身の心臓の音のうるささで、どうしていいのかわからないまま、固まっていた。

 片手はユウリの手を握ったまま、もう一方の手がユウリの頬に触れる。


「拒絶しなくて、いいのかな?」


 彼の指先が、ユウリの顎に添えられる。確認なのか、最後通告なのか、ユウリがすぐに拒絶すると思っていたのだろう。エルネストはちょっと困った様子だ。


「お、お帰りください!」


 すぐに、拒絶できなかったのが恥ずかしく、ユウリは真っ赤になって立ち上がり、エルネストから距離をとる。

 そのまま彼を強引に店から追い出して、長いすに倒れ込む。


「全世界で、安全な男は私だけと思っていて間違いはない……って嘘です……」


 嘘つきな伯爵のおかげで、彼女は疲れ果てて、母のことも、兄のことも考える余裕を失った。


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