はじめての依頼、はじめての報酬(3)



「伯爵様、こんにちは。ですけど、まだ約束の日じゃありませんよ」


 怒らせて以降、ユウリは危機感を持ったのか、きちんと店主として客を出迎えるようになった。その代わり、エルネストが手を伸ばせば届く距離に入ろうとすると、すっと逃げる。


 彼女を怒らせて以降、エルネストが魔女の店を訪れるのはこれで三度目だ。彼は、三日と開けずに彼女の店に通っている。普段は職務中や仕事を終えた夕方に、進捗確認、という理由で訪れていた。

 今日は休日だから、完全に任務とは別で、なんとなく会いに来ただけだった。


「……一応、営業中なんだから、いつ来てもいいはずだよ」


「なにも買ったことないですよね? 冷やかしだけの方は、残念ながらお客様ではありません!」


「そういえばそうだね。はははっ! ……で、なにをしているのかな?」


 エルネストは冷たい眼差しを受け流し、カウンターのところで作業中の彼女の様子を眺める。彼女から「邪魔をしないで」という非難の視線を向けられたが、彼は気がつかないふりをした。


「お茶を調合しています。お客様のご要望に合わせて」


 ユウリは天秤ばかりの上に薄紙を敷いて、茶葉や花びらを計量していた。カウンターの上には、商品と思われる手のひらに乗るくらいの大きさの、陶器の壺がある。


「へぇ……」


 シンカ国の茶は、おもに貴族の夫人のあいだで流行している。今のところ、流通量が少なく、庶民が嗜好品として口にできる値段ではない。

 エルネストは、この店に貴婦人が訪れる様子を想像してみた。が、まったく思い浮かばない。


「ここ、客が来るの?」


「失礼ですよ! 直接いらっしゃることはありませんが、……これでも私、働いているんです」


「やっぱり来ないんじゃないか」


「ワトー商会で、お得意様の症状をうかがって、商会の名前で売っています。東国の職人の技術を受け継いだ者が調合している、というふれ込みで、とても人気があるんです。……嘘ではありません」


 魔女の店の商品棚にも、同じような容器に入った茶葉が置いてある。

 店の商品はまったく売れないのに、ワトー商会の名前で売っているものはよく売れるというわけだ。

 彼は商会とユウリの関係を、そして誰も訪れない魔女の店が廃業せずにいられる理由を、なんとなく察した。


「なるほど、君はきちんと働いていたのか! それでは、私もなにかお茶をもらおうかな? 茉莉花茶ジャスミンティーがいい」


「ここは喫茶店カフェではありません」


「じゃあ、終わるまで待っているから喫茶店カフェに行こう。この前、失礼をしたお詫びをするよ。甘いものは好きかい?」


 甘いもの、という言葉に彼女は反応した。それからレースのカーテンがかけられた窓の外をじっと見て、首を横に振る。


「……行きません。外に出たくないですし、男性には気をつけるように、ご忠告いただいたばかりなので」


 外を見つめる彼女の表情は暗い。めずらしい異国人が街を出歩けば、当然注目を浴びる。そんなことは彼にも容易に想像がつく。けれど、カウンター側の壁には、女性ものの上着や日傘が置いてあって、外に出かけている形跡はある。だったら、エルネストと喫茶店カフェに行くくらい、いいのではないか。


「つ、つれない。……でも、こんなによい天気なんだからいいでしょう? 大丈夫、私は怖くないよ?」


「天気のよい日は嫌いです」


「じゃあ、雨の日ならばいいのかな?」


「雨の日も嫌い」


「嫌いなものばかりじゃないか!」


 エルネストはいったん引き下がり、窓際の長いすに腰を下ろす。

 彼が居座る気でいることを察したユウリは、不服そうな顔をしながらも、結局お茶のを用意しに奥へ下がった。

 しばらく待っていると、エルネストが飲みたいと言った茉莉花茶ジャスミンティーが出てくるのだから、律儀なものだ。


「お願いした仕事のほうは順調かな?」


「はい、伯爵様が邪魔をなさらずにいてくれたら、期限までには終わります」


 作業に戻ったユウリが、わかりやすい嫌みを口にする。


「それは頼もしい。……ところで前から気になっていたのだけれど、その服、ヒノモトのものなのかな?」


「ええ。羽織と言って、ヒノモトの上着のようなものです。いただきものですが、外で着たら目立つので部屋着にしています」


 ユウリが着ている赤い服が誰からもらったものなのか、エルネストは非常に気になった。おそらくはワトー商会の会長か、関係者かのどちらかだろう。彼女の黒い髪には、はっきりした色合いがよく似合っている。彼女のことをよくわかっている者が選んだのだ。


 エルネストが店を訪れるのは五回目で、毎回違う色を着ていることから、かなりの数を持っているらしかった。

 誰からの贈り物なのか、そして姓から血縁だとわかっているが、ワトー商会の会長との関係や、彼女の家族はどこでなにをしているのか。

 彼はユウリに聞きたいことがたくさんあったが、なんとなく聞いても答えてはくれない予感がして、別の質問をする。


「その花は、ヒノモトに咲く花なのかな?」


 赤い地に白や金色の花が鮮やかに描き出された羽織。細い花びらの模様は、ダリアのようにもマーガレットのようにも見えるが、少し違う。


「菊……ですね。東国ではお茶としても飲まれるんですよ。……ほら、これです」


 ユウリは小皿の上に薄黄色の綿のようなものをのせて、エルネストのところまで運んでくる。

 お茶として飲むために乾燥させたものだから、羽織の柄と同じ花には見えなかった。


「どうかしたの?」


 ユウリは、菊の花を見つめたまま、黙りこんでいた。


「あの、伯爵様。問題のお茶は今、どうなっていますか?」


「飲まずに、宮廷の医師が管理しているよ。さすがに王妃様が二度もお倒れになった原因だからね」


「それを少し、持ってきていただくことはできませんか?」


「できると思うけど、お茶は大勢の人間が飲んでいるんだ。大使が毒茶を持ってきた……なんてことになったら、下手をすれば戦争になりかねない」


「そうですね。でも、気になって」


「まぁ、でもハイラントの薬学とは違う観点を求めているのは本当だし、一度見てもらったほうがいいのかもしれない」


「本当ですか?」


「だが。……深く関わるのなら……」


 エルネストは胸のポケットから分厚い封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。



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