25翽▶一筋の光明















『貴方のアビリティは素晴らしいですね』


『ふふん、そうでしょ、そうでしょ!』


『あ、アビリティ解いてからお願いします、アルク先生そのかおでそれはちょっと、解釈を違えるといいますか』



これは過去の話。年を越すか越さないかのさかいのあたり。越冬が始まる2月の半ばはまだまだ先の頃のこと。

ヴォルガ立ち会いの元、“ Mimicry ”を使った特別な特訓を受けていたロウが、パーテーションの裏に隠れてアビリティを解除した。鏡に映ったアルクの姿は本物のアルクそっくりで、仕草さえ間違えなければイミテーションだと暴かれることもないだろう出来。満足そうに口角をあげたその顔が、見る見るうちに揺らいで、小さな妖精のような愛らしいあの姿へ。

ひょいとパーテーションから顔を出したら、ヴォルガがもう一度チェックをしましょうとにこやかに椅子へ腰掛けた。



『では始めますね』


『なんだってなれるよ!』


『おや、頼もしい。それでは……ニアン』



得意気な表情を浮かべたあと、パーテーションの裏へ。ヴォルガの視界からロウが消えた。

正面から見てパーテーションの右にいたロウがその裏に姿を隠し、ちら、と左からニアンが顔を出す。よく出来ている。おずおずとパーテーションの後ろから大きな猫背の身体を出してくる様はさながら本物のニアンのようで、ここ数週間ですっかり擬態が上達したな、とヴォルガが黒手袋に覆われた左手を口元にすっと持っていく。

翼の色、よく着る衣服の衣装、髪の先のクセから髪飾りのたなびく様まで。ほんの少しのズレも見逃さないように。ヴォルガの視線に、ほんのちょっぴり居心地悪そうに身じろぐ仕草もそっくりだ。深い頷き。部屋に差し込む光でうまれたヴォルガの影が揺れる。



『ルフト』



びく、と肩を震わせたニアンがパーテーションの裏へ引っ込む。そうして反対側から気だるげに、首の裏に手を当てて、大きく欠伸をしながら翼を揺らすルフトの姿が現れた。長い尾羽、錆色の髪、欠伸の際にちらりと覗いた鋭い歯。

腰に手を当ててつまらなそうに、それでいて笑みを絶やさないその姿。



『上々ですね』


『そぉ?あんま褒めてもなんにも出ないよォ?』


『ふふ、では次です。コラール』



はいはい、と軽く手のひらを揺すったルフトがパーテーションの奥に身を隠して、反対側からコラールが現れる。長い髪を揺らして、小さいながらも自信に満ちた__というよりいっそ高慢に見える程存在感のある立ち姿でもって、腕を組みながらつまらなそうにヴォルガを見ていた。

ヴォルガの前のコラールと、それ以外のドール達を前にしたコラールでは随分と印象が変わる。その為ヴォルガはコラールの擬態に関してだけ、他者とコラールが会話している様子を観察し、それを元にロウへ修正指示を出していた。ヴォルガはコラールから、こんな風にこちらを見下すような振る舞いをされたことがない。故に自信は少し薄れるが、見目も仕草も、態度以外の全ては本物と遜色ないなと頷いた。



『梦猫』



コラールがふい、とヴォルガから視線を外して視界の陰へ。出てきた梦猫が陽の下へ。

アビリティまでは擬態できないため、本物の梦猫のように髪を蛇のように操ることは出来ない。ロウは対象となるドールに擬態することはできるけれども、そのドールになることは不可能だから。

少し俯いて、脚先でフローリングをくすぐり、それからすっとヴォルガに顔を向けて。



『ねぇ、もうマオお部屋にかえっていい?』


『ふふっ、あぁ、ではデライアを呼んでください』


『えぇー……わかった』



デライア。アイアン。カーラ。スティア。アルファルド。ラフィネ。シルマー。

かわるがわる、ひらひら、蝶が身を翻してよく似た別のいきものになるように。



『では、ヴォルガ』


『はい、なんでしょう?』


『ああ、よく似ている。ですがこればっかりは慣れませんね』


『私は気になりませんが、貴方からすれば不思議でしょうね』


『ええ。双子の兄弟がいたらこんな感じだったのでしょうか……』



パーテーションの裏から出てきた自分そっくりのドールに苦笑を浮かべたヴォルガが、談笑も程々に目を伏せた。

しんと静まった部屋の中、ヴォルガの姿をしたロウがそっとパーテーションの裏に脚を引き、身体を引き、影の中で“ Mimicry ”を解除する。指示は受けていないが、こうしてヴォルガの姿になった後、ヴォルガはしばらく黙ってしまうから。白い小さな天使のような姿に戻って、それから何も知らぬ無垢な子のように、ヴォルガの足元へ寄っていく。



『おわり?よくできてた?』


『ん、ええ。それはもうとても。また他にもうひとつドールの容姿を覚えてもらいますが……それは来週からにしましょう。さぁ、次で最後です』


『なぁに?』


『クラウン』



ぴたり、アホ毛を揺らしてキラキラ笑っていたその顔が、一瞬凍る。唇をとがらせて抗議してみるけれど、ヴォルガは穏やかな笑みを浮かべるばかりだった。

ヴォルガは部下となるドール達全員のアビリティと、それらがいかに強力で有用かを知っている。有用なアビリティは狙われる。ロウやアルクのようなデメリットのほとんど無いアビリティなら尚更に。

ヴォルガは警邏隊のドールとして生活を送りながらも、自分の属する“ 警邏隊 ”という組織を信用しきってなんていなかったから、ロウをはじめとした部下達全員のアビリティを誤魔化したままに上へ報告した。知っているのは仲間達だけ。その仲間達すら知らないことはヴォルガだけ。決して他に教えてやるつもりなんてなかった。警邏隊のいちばんうえには、赤い鳥の息がかかった何かがいるような気がしてならなかったから。

パーテーションの裏から現れた長躯のドールに、申し訳なさそうにヴォルガが笑う。



『すみません。でも、どうしてもその姿を見ておきたくて。あなたがその姿を好ましく思っていないのは知っていますが……』


『……わざわざワットをやめさせるなんて、ひ、酷いと思います…………あ、いや、な、なんでもありません……!』



今にも泣き始めてしまいそうなクラウンをなだめすかして、ヴォルガが座っているもの以外で3つある椅子のうちひとつにクラウンを座らせた。居心地悪そうに俯くクラウンが落ち着くまで、ほんの少しそっとする。

窓から差し込んできた光がクラウンの義足を通って透けて、質素で暗いフローリングの上をキラキラと彩り煌めかせていた。

ロウは、クラウンは常にアビリティを発動して生活しているにも等しい。自室で眠る時だけはアビリティを解除してクラウンの姿で眠っているが、それ以外の時間はほとんどロウとして生きている。彼の生活はまず自分を偽るところから始まるのだ。

兎にも角にも、四六時中アビリティを発動しての生活は多少なりとも負荷がかかるから。時折こうして特訓中にアビリティを解除させていた。クラウン本人が元の容姿を忘れない為でもあったが、醜いと自称し、嫌ってやまない自身の姿をそう簡単に忘れる訳はないだろう。後者についてはあまり問題なさそうだった。



『クラウン、あなた、決して死んではいけませんよ』


『なんでそ、そんな話……いくらわたしが他人からも怪訝な視線を向けられて生きていて自分自身で自分のことも嫌いだからって、み、自ら命を絶つほど愚かな生物だと……!?』


『言ってないですし思ってないですよ』


『わたし、他のドールに迷惑かけないように生きてるんです、存在してるだけで迷惑かもしれませんけど、これ以上って……』


『私は、あなたの存在は他人に迷惑をかけるというよりも救うことができると思っていますけれどね』



嘘偽りない。

ロウの、クラウンのアビリティは必ずどこかで誰かを励まし、誰かの狂いを阻み、誰かの命や人生を救う。

だって、ロウは全てを覚えて生きることが出来るのだ。腕の節から鎖骨のくだり、輪郭の曲線からまなじりの鋭さまで、全てをその身に降ろすことができる。まさに他者の生き字引、きっとどこかで光を放つことがある。



『そのうちわかりますよ。あなたのアビリティが、あなたという存在が、心次第で亡者にも生者にも変われるドールといういきものの暮らす、鳥籠のあった世界で、どれだけ光明となるのかが』



亡くなった人の存在のうち、最も最後まで覚えていられるのは香りだそうだ。

反対に、最も早く忘れてしまうのは、声。

声を、顔を、そして思い出を、しまいには鼻腔をくすぐったあの香りも。

鳥籠という世界で、光となれると。そう言ってクラウンに労いの紅茶を淹れたヴォルガの声を、クラウンはよく覚えていた。あまり意味は解していなかったし、自分が光になれるなんて、と疑心暗鬼であったけれども。

お部屋までお送りします、戻りましょう。そう言って差し出された手は、“ ロウ ”に向けて差し出されたものではなく、紛れもなく“ クラウン ”に向けて伸ばされたものだった。

その手を取るのに酷く気が引けたのを、いやにはっきりと覚えている。










必ずどこかで誰かを励まし、誰かの狂いを阻み、誰かの命や人生を救う。



「マルク」


「あ、あ……」


「ちょっと頑張りすぎだぜ?人とぶつかったのもわかんねーなんて、疲れすぎじゃねーの?ほら」


「りーだー、リーダー……!!」



ふわふわ揺れる大きな__といってもドールの翼羽の中では小さめな方なのだろうが、風切り羽を下げていたからすぐにわかった。きっと使い道がありますよ、と言われて覚えた、上司の師匠だったというドールの姿をその身に降ろす。

効果は覿面で、ナイフを持ったまま駆け寄ってきたそのドールが広げた両腕の中に突っ込んできた。危ないから離そうな、と優しく奪うようにナイフの柄を握ってやったら、するり、すんなり手放される凶器。嗚咽混じりにこのドールの役職であろう単語を綴るその身をぽんぽんとあやしてやる。

クラウンはこの、“ Mimicry ”で擬態したドールのことを詳しく知らない。ヴォルガの指示通りに巡回していた街中でちらりと見かけたことと、言葉伝に聞いた人柄と、ヴォルガの指導で修正を繰り返した話す時のクセは知っていたけれど。マルクにとってなんなのかなんて知りやしない。



「……っひ、ぅ、っうううあ……」


「うんうん、頑張ったんだなぁ、あんま泣くなよ、目が溶けるぞ?帰ったらコーヒーでもついでやるからさ」


「こ、ここあっ、ココアがいいすっ、いつもの、あのココア……!!」


「あー、“ いつもの ”な。悪い悪い……」


「リーダー、永朽派のドールが、黒い卵、持ってっちゃったんすっ、し、しらせなきゃって。し、知らせるのが、ぼくの……ぼくの役目で……!」


「うん、頑張ったな。ちゃーんと届いたぞ」



ぽん、ぽん、背を叩くリズムを落としていく。数分はそうしていただろうか、どっと解けた緊張の糸に、泣き腫らして消耗した体力問題が重なって、とうとうマルクは穏やかな呼吸と共に動かなくなってしまった。

届いたかどうかだって、知りはしないけれど。

力の抜けたマルクの身体を支えたままに、そうっと辺りを見回す。呆然とこちらを見やるサファイアに、困ったように、クレイルの形をした何かが笑った。



「仲間割れは嫌だろ?」


「…………あぁ」



頷いたサファイアへとマルクを差し出す。どう受け取ったものかよくわからなくて、赤ん坊を担ぐときのような受け止め方になってしまった。兄さんならどうするか。どうしたら刃を交わさず、刀に頼らず、マルクとの争いを避けることが出来るのか、結局サファイアには、青玉にはわからなかったし、結局出来やしなかった。

青玉にはできないそれを目の前でやってのけた、その鳥の正体は、なんとなくだけれども。ここまで来れば察せるだろう。



「……わーちゃん、凄いや」



ロウはいつだって自信に満ちたドールだった。いっそ高慢でもあるほどに、自分の白い小さな身体を誇っていて、そのアビリティだって誇っていた。ぼくにできないことはないと誇らしげだったその顔を思い出す。

武器を持たずして争いに勝って見せた彼。

凄い、と、心の底からそう思った。

ついつい口をついたその賞賛に、虚ろな青い双眸を模倣していた目の前の鳥が目を見開く。



「青玉さん?」



変わりきったその姿が信じられないとでも言うような声。はにかむように頷いた青玉の前で、その鳥は一瞬表情を曇らせる。迷うような、悩むような、そういう決して明るいとは言えない表情かお逡巡しゅんじゅんして、それから意を決したように、小さく頷いた。

目を閉じて、と紡がれた細い声は目の前の“ クレイル ”の姿とは相容れない弱々しい声。かつて聞いていたロウのものとも違うような気がする。それが誰の声なのかはわからなかったけれど、青玉は素直に目を閉じた。

微かに、空気の揺らぐ感覚。



「…………わぁ……!」



どうぞ、と、消え入りそうな、蚊の鳴くような声で開眼を許された青玉の前に、すらりと高い長躯が聳えて立っている。華奢な首の先に乗ったダークゴシック調のビスクドールのようなかんばせは、ロウの面影を残していながらもロウのものとは全く違った印象を受ける大人びたもの。


手汗が滲む。

すっかり変わった青玉の前でこの姿を披露したのは、クラウンなりのケジメのようなもの。

こんな醜い姿は他人に見せられないと自ら自身を殺して生きてきたクラウンにとって、あのデライアからの戴冠式が与えた衝撃は凄まじいもので、あれから、あれ、私おかしくなったのかな、なんて思う程には視界がすっとひらけていた。

いつの間にか昔の姿を捨てていた青玉相手に、ああ、彼はこんなにも綺麗に羽化してみせたのに自分は、と、悲観的にならなかったのだ。不思議で不思議で仕方なくって、この心持ちの正体が知りたくなって。

今なら、できる気がする。

ゆっくり、ゆっくり、ほんの少しずつでも、醜い自分との在り方を、もう少し柔らかいものに変えられる気がする。


ライと呼んで。

デライアは言った。

サファイアと呼んで。

青玉は言った。


自分は、自分の名前を誰かに、こう呼んでと請うたことがあっただろうか。



「わーちゃん、その姿も素敵だね」


「わー……わ、私、わーちゃんじゃないんです……!私騙してたんですよ、綺麗で小さくてっ、か、かわいいわーちゃんじゃないんです、わ、私らしく、って姿をとったって青玉さんみたいに綺麗な変わり方はできないんですよ、わーちゃんじゃないんです!」


「えっと……すまない、なんて呼んだらいい?」



今なら、少しずつなら、きっと決して蔑んだりなんてしないだろう人相手なら、“ クラウン ”のことを生かしてやることができるのではないだろうか。



「な、名前は……クラウン、です」


「あいわかった。よろしく、クラウン」



差し出された手。

“ クラウン ”に向かって差し出された手はこれでみっつめ。

最初はわるいことをしているような気でその手を取った。

次はたすけをもとめるような気でその手を取った。

今度は、自分なりに、少しでいいから、“ クラウン ”のことも愛せるようにその手を取ろう。



「よろしくお願いします」



小さな声だったけれど、青玉にはしっかり聞こえたらしい。微笑んだその顔は随分低い位置にあって、あぁ、これがクラウンの目線か、と自分のことのはずなのに、他人事のような心持ちになった。

そういえば、青玉は子供の頃の幼い容姿を大切にしていたように思える。着替えこそすれども、髪型ひとつ、服の装飾ひとつ乱すことなく、会う度変わらずずっと同じ姿だったその暮らしぶりは、なんだかロウとして日々を生きていた自分にほんのちょっぴり似ていた気がする。

髪が伸びるのすら嫌なのかなんなのかはわからなかったが、ロウから見ていた小さな青玉は正しく“ 不変 ”の生き字引のよう。自分とは大違いだ。そう思っていた。

黒いが、悪感情は一切なく、何かを真似続けるように不変を貫く小さな青玉を、自分は心のどこかで仲間のように思っていたのかもしれない。



「……あの、クラウン?」



きゅっと握り返していた手を離すタイミングをすっかり逃しきっていたらしい。困ったように首を傾げた青玉を見下ろしてはっとなり、ほとんど弾くように握っていた手を引き戻した。



「早く言ってくださいよォ!!」


「す、すまない!?」


「あ、違、青玉さんは何も悪くないんです……ま、また八つ当たりみたいなことを、ロウなら許されても私にはそんなことする権利ないのに!」


「クラウン、クラウン、落ち着いて!マルク兄さんが起きてしまったら……」


「っ……!!~!!……、​────!!」



声にならない叫びで自分を責めるクラウンに慌てふためく青玉が、落ち着くようにと必死でなだめる。さっきまでの決意はどこへやら、早速自己嫌悪がはじまってしまったクラウンが、ああ私はダメだとまたまた勢いを失ってしまった。さっきまでの勢いが奇跡で、元に戻っただけだと言われてしまえばそれまでだが。



「落ち着いて……あちら側から複数人こっちに向かって来ているから、ひとまず様子を……」


「誰か来るんですか!?」


「うん!?足音が聞こえるが」


「早く言ってくださいよぉ!!」


「!?、す、すまない!」



あちら側、と青玉が視線をやった方へガッ!!と__マルクを連れているから実際はもっと控えめだが、青玉の身体をそちらに向けさせる。背後に隠れたらしいクラウンを見ようと青玉が後ろへ首を捻ったら、もうそこにディープターコイズの艶やかな長い髪は無かった。代わりに、足元に小さな白い星。



「次ああいうときに人が来るときはもっとはやくいってよね!」


「ご、ごめん、えっと……わーちゃん」


「いいよ、サファイアさん。許したげる!」



次があるんだね、と口をつきそうになったけれど、ロウの姿をとった彼からは何を言われるかわからなかったから。微笑むだけにして口を噤んだ。

かつん、かつん、ざり、ざり、足音が続けてやってくる。

マルクが突っ込んできた時のような勢いはないが、あちらも警戒しているらしいことは伺えた。重み、人数、ひとつだけ、ほんの少し足を引きずるような足音。



「______こんばんは」



薄暗がりの奥、檳榔子玉を抱きあげたミュカレが、いつも通りの薄い笑みを浮かべたままにやってくる。



「こんばんはミュカレさん」



ミュカレの笑みは柔らかだったが、視線は酷く剣呑だった。当たり前だ、ロウは檳榔子玉を危機にさらした張本人である。突き刺すようなキツい視線を嘲るように、ロウが満面の笑みで応えてみせて。



「ひとりでさっさか行かないでくれる?怪我人連れてる自覚あるの?ニアンもいるんだから突っ走んないで」


「こらーるくん、おれは……べつに、だいじょうぶだから……」


「別におまえのこと心配してるわけじゃないし」


「ぅ……」



ミュカレ達と共に行動を取っていたコラールとニアンも薄暗がりから顔を出す。闇の中でも存在感を放つ、夜光石のような瞳が胡乱気な色をまとってロウを見下ろした。



「おまえ、セレン達のこと危ない目に合わせたらしいね。何。裏切り?お前までヴォルガさんとかボクらに楯突くの?」


「そんなことしないよ!」


「うらぎりは、わるいことだよ、ね……?」


「別に裏切ってるわけじゃないし!ぼくがしたいことしただけだもん、革命派とか関係ないし!」


「それでも永朽派のドールを、僕のセレンを危険な目に合わせたのには変わりがないよね」


「謝ればいいの!?ごめんね!ほら!許して!」



はぁ?と納得のいかなさそうな顔をしたコラールは勿論のこと、ミュカレなんかは今にもその長い脚を振るって足元のロウを蹴飛ばしてしまいそうなほどに刺々しい雰囲気。ニアンだけが不安げに首を傾げるばかりで、相当な四面楚歌になっていた。



「まぁ、今は君に酷いことしたりしないよ。今はね」


「なにそれ!あとでするの?」


「君の働きによる、かな」


「……ぼくに何して欲しいの?」



働き、とは。唇を尖らせて首を傾げたロウに向かって、ミュカレが淡々と答えてみせる。



「君のアビリティがあれば、資料も予備のパーツもないヴォルガ様のボディを寸分の狂いなく直せる。ヴォルガ様が大事にしていた他の仲間達もね」


「……そうか、わーちゃ……ロウがいれば、コアの残ってるみんなのことを直せる!」



永朽派にも友人の多かった青玉が、ぱっと表情を華やかなものに変えて足元のロウに視線をやった。



「ぼくにしかできないこと?」



きょとんと、逆さハートのシルバーグレイがその場のドール達を順繰りに見上げる。資料も、予備のパーツも、型も何も残されていない永朽派のドール達の直し方。一度でも見た事のあるドール達をその身に降ろせる、ロウにしかできないこと。危険を承知で、支配を逃れる為に、ヴォルガがロウに全てを託したその役目。

あなた、決して死んではいけませんよ。

その言葉の真意。



「……ふふ、いいよ、ぼくがいないとだめなんでしょ!手伝ってあげる!」



きっと誰かの、何かの光になる。

にんまり、いたずらっ子が新しい悪戯を思いついた時のようなとびっきりの笑顔は、愛しさ余って憎さも、なんとやら。いっそ憎らしいほどロウの姿に合っていた。








​───────​───────










ずっと考えていた。

自分に出来ることとは。

自分のするべきこととは。


梦猫もシリルも一刻を争う状態だった。

諦めた方が確実に朽病になるという訳では無いが、かかってしまえば致死率は100パーセント。

基本、不調は病というよりも故障のようなものであるドール達が暮らす、病という概念の薄い鳥籠の中で、ほとんど唯一“ 病 ”として恐れられているおぞましい病だ。

今、ここで救った方はほとんど患わないで済むだろう。救わなかった方は別の話であるが。



「直せるのは片方だけだ」



ぎゅっと、半分水に浸った太腿の上で拳を握る。ホルホルの健康的な褐色の肌に、どこかから跳ねてかかっていたのだろう水滴がつうと伝って水面に落ちた。

もうホルホルの左眼はが写す世界はすっかりぼやけてしまっていて、シリルと梦猫の酷い怪我も右眼がなければ認知することができないほどだ。

そんな視力で直せるのか、と聞かれても、直せるか否かではなく直すのだとしか答えられない。見えている。知っている、片方救わなければどちらも手遅れになるが、片方救えばどちらかが手遅れになることを。

きっと以前治療にあたった番のドールのように、なぜ片割れを助けなかったと憎まれることはないだろう。シリルと梦猫は派閥が違う、親密だったという話や深い接点は伺えない。


どちらを。


実際は十数秒にもならない沈黙だったろうが、ホルホル達にとってはまるで一種の拷問のように感じられるほど、重苦しくって長い十数秒だった。

か細く息をしてヒビまみれだろう胸を上下させるシリルも、壊れたままで眠るように意識を失っている梦猫も、どちらも特質の違いこそあれど大きな差異なく善人であろう。

手遅れになる前に、片方だけでも。



「あの」



ぴんと、あちこちに不可視の糸が張り巡らされたような空間に、柔らかな声がするりと溶ける。唐突に発せられた声に、その場の誰もが僅かに肩をふるわせた

視線をやれば、このじめったくって仄暗い籠の底でぼんやりと煌めく真っ赤な双眸。ついさっき自身の視界に光を取り戻したばかりのスティアが、ゆっくり立ち上がって波をうみながらこちらに向かって歩を進める。

彼の素足に絡む水の揺らぎが、辺りの冷えきった空気を和らげたような気がした。



「すみません。状況を、説明していただけませんか。お力になれるかもしれません」


「絶体絶命~」


「そういう意味じゃないだろ……!」



間延びした声で、手短とも称せないような返事をしてみせたアンドにカーラがきつく食ってかかる。

振る舞いや植物から伝聞いたアンドの死生観は独特だ、この場で最も、彼らの肉体的な死を恐れていないのだから多少ゆるいのも当然かと、リベルが軽く表情を尖らせる。

ホルホルのアビリティでドールを直すことが可能だということ。ただ、ホルホルの左目が限界に近いためどう頑張っても片方だけしか直せないこと。片方直したら、ホルホルのアビリティ源はきっと使えなくなってしまうということ。



「……ホルホルさん」


「どうした」


「僕の眼を使ってください」



スティアの言葉に視線が集まる。

真っ赤な、光を求めて花開く真紅の雛罌粟ひなげしのような瞳を、ホルホルの深まる新たな月のような瞳が真っ直ぐとらえた。直したばかりの真紅の眼。色んなものを見るといいと、ついさっき与えたその瞳。



「僕のアビリティは、僕の眼が映すものを他人の視界に共有することもできます。貴方に貰ったこの眼を、貴方の左眼にしてください」



スティアがとんと、ホルホルの肩に軽く手をやる。細く白い指先に震えなんてものはひとつもなくって、そこには芯のある固く暖かな意思だけがあった。



「……驚いたんだぞ、てっきり眼をくり抜くとか言い出すかと」


「……そちらの方がよかったですか?」


「まさか。こっちの策の方がもっといい。よりよく、より沢山のドールを救える方法があるなら、オレはそっちをとるんだぞ。手伝ってくれ」


「はい」



くり抜かれて差し出された眼を、きっとホルホルは拒絶しない。その眼を使うために、自分の左眼を抉ることだって厭わないだろう。けれどもホルホルは、進む者を、先の未来がある者を光ある方へ導くことこそ自分の役目だと信じている。より良い策に頷かずして、誰が革命派の頭脳派と名乗れようか。

ぼやける視界で、まずは自分の持ちうるできる限りを全て出し切る為に、梦猫の修理に取り掛かり出したホルホルの横顔をじっと眺める。

クラウディオの為にあると信じて疑わなかったこの眼を、外を望むだけじゃなく、クラウディオの大切にしていた人達の為に使えるとしたら。自分にもまだできることがあるのならば。


スティアのアビリティ、“ 共鳴 ”。

その真髄。死すらも誰かと分かち合う、他者の追随を許さない絶対的な道連れ能力。


ずっと思っていた。

大して戦えない自分は、必要とされるのならば、誰かひとりでも、敵を巻き添えにして死ねさえすれば役に立てると。要された時はそうしようと、自分の死をもって何か意味を成そうと、ずっとずっと思っていた。

けれど、こうして、クラウディオと再び合間見えて、手を取り合うことが出来て、世界を見る為の瞳を自分なりに受け入れながら取り戻して。足掻く革命派を、揺らぐ永朽派を目の当たりにして、自身の考えを改めた。

自分が死ぬことでできることもあるかもしれない。けれど、自分が生きていることでできることは、それよりもっと多いのかもしれない。

ホルホルの額からぽたりと汗が落ちるのを、誰もが黙ってただただ眺めていた。

梦猫の身体が、ヒビまみれで、黄金がじわじわと流れ出すのを止められなかったその傷が、ゆっくりゆっくり塞がっていく。

スティアは頭の端っこで、傷んだ本を直した時のことをぼんやり思い出した。裂けたページをつまびらかに整えて、擦れて色を失い始めた表紙の感触を滑らかに直していくあの感覚。嫌いじゃなかった。何かを直すのは、知識の鉱脈がここにあると確かめるようなその行為を、スティアは嫌っていなかった。

彼はそれを、ドール相手に施している。

クラウディオと共に過ごすことの出来なかった時間を共にした人達が、どれだけ暖かな人物なのか、その落ちる汗と眼差しで、なんとなく思い知ったような気がした。

自分の手を取ってくれたクラウディオに、彼に見合うドールになりたい。クラウディオとスティアの意思を重んじて、光を与えてくれたホルホルへの、ほんの少しの御礼。



「く、あ゙ッ!」


「ホルホル!」


「ホルホル、大丈夫?」



ずきん、鋭く走った左目の痛みに、反射で目を閉じ瞼を抑える。失明寸前、ただでさえ暗い視界が半分だけもっと暗くなった。手の甲で汗を拭い、息をついて、それから今一度。



「梦猫はもう大丈夫だ、カーラ、クラウディオ達の所に……上に連れていくんだぞ」


「言われずともするさ」


「助かるんだぞ。アンド、アルファルドのことを頼む」


「任せてよぉ、」


「ありがとう。リベル、シリルが直ったら上に運ぶのを任せても大丈夫か?」



少しずつ、少しずつ、夜が明けるまでのか細い息を紡ぐように。燃え上がっていた火が燻り落ちて、柔らかな行燈の中の火種のように変わるみたく。



「はっ、そういうの、直してから言ってくれない?」


「……全くだぞ。スティア、眼をかしてくれ!」


「はい、ご助力致します」









「寂しい?」


「…………まさか。寂しいのには慣れてるんだよねぇ」


「じゃあ平気?」



平気に見えるのか。にこやかな笑みを浮かべるアンドにじとりと視線をやったが、臆することも無くアンドはその手を差し出すだけ。

もうミュカレのアビリティは根を張っていない、動けるでしょうと差し出された手を取る気になれず、肩を竦めるような仕草の後にそっぽを向いてそれを拒絶した。

あれ、無視?

そう言って笑うアンドの向こう、ホルホル達が懸命にシリルの修理を続けているのが視界に入る。

ああまでして他者を救おうと思ったことなんてなかった。だから、わからない。自分の為にならないことをする意味が、アルファルドには到底理解できなかった。



「修理、珍しい?」


「そういう訳じゃないけど」


「まぁ自分で脚直したって言ってたもんね」



ニンゲンとは違って身体は直せても、ニンゲンと同じように心は簡単に直せない。

ドールとはそういういきものだ。

この空虚な感覚も、アンドのような死生観を持てたならば多少はマシになったのだろうか。

行こうよ、と先を行くドールの轍をなぞって上を目指す。なんだかもう、後のことを考えるのも億劫だったけども、不思議と脚だけは前に進んだ。















​───────​───────











聳え立つ白を目前に、デライアは震える脚を叱咤した。

シアヴィスペムが降ろしてくれた地上の有様は酷い状態で、暗くて良く見えやしなかったけれど、闇に立ち並ぶ影の様子からして崩れた建物の棟数は相当なものであろうことが伺える。遠くに光る孔雀の街の明かりもほんの少し減っているような気がした。

降り立った鶉の街を、シアヴィスペムが故郷なのだと短く語った街を抜け、母の平原に歩を進める。

ブーツの底が、春の陽射しを待ち望んでかすかに背丈を伸ばした草原を撫でて潰して。さく、さくり、一歩一歩、真夜中の平原を進んでいく。

シアヴィスペムとの会話も途切れない程度に軽く続いていたから、暗くて怖かったけれど、恐ろしくって立ち止まるなんてことはなかった。夜風が滅びの街を撫でて回って、それからデライアの頬を食み、続けざまにシアヴィスペムの髪を梳く。そうして夜の空気に晒されながらやって来た“ 巣箱 ”は、鳥籠の中で最も異質で最も近しい建造物。



「緊張してきた……!」


「ここで、マザーに会える……?」


「た、多分。でも、出入口も何も見当たらないよね……」


「暗くてよく見えないし……」



巣箱の前の草原は、まるで誰かが何度も何度もここを歩いたり立ったりしたかのように、歪な丸を描いて葉の揺れない砂地を晒していた。きっと雛鳥達が保育所のセンセイ達の迎えを待つところなのだろう。自分もここに立っていた時があったのかと思うと、デライアはほんの少し不思議な気持ちがあった。

とにかく奥へもう少し進んでみようかと、その円状の砂地を抜けて、2人並んで巣箱の方へと先を行く。

デライアの足音に、シアヴィスペムの翼が立てる羽音が被さり鳴っていた。

それも、ピタリ、止まる。



「……? シアヴィスペム?」



急に静かになってしまった隣のドールを確かめるべく振り返った。羽ばたくのを止めて、脚先を地につけてぼうっとこちらを見ているシアヴィスペムの、生気のない表情が酷く恐ろしく思えた。

シアヴィスペム、シアヴィスペムと名前を呼んでも、ぼんやり虚空を眺めるその顔色に生気が戻ってくる予感はない。

どうしよう。

明るく声をかけてくれる頼もしいドールが目的地目前で生気を失い動かなくなってしまった!こんな真っ暗の平原で!

どっと冷や汗が噴き出す。どうしようどうしようと、とりあえずシアヴィスペムに駆け寄ったらば、彼がくるりと踵を返して、スタスタと背を向け巣箱から離れていってしまった。



「し、シアヴィスペム?ねぇ、どうしたの?」



その背を追う。返事はない。黙々と歩いて、先程までデライア達がやって来ていた砂地の上までその身を進めると、シアヴィスペムはぴたりと脚を止めてしまった。

軽く揺すってみるけれど、シアヴィスペムはぼんやりと遠くを眺めるばかりだ、返事はなく、その瞳に煌めきはない。

同行していた人物が急に動きを止めて、応答もなくなり、暗がりの中自分のことなんて見えていないように歩き出したら誰だって恐ろしく思うだろう。突っ立って動かなくなったシアヴィスペムを前に、抑えたはずの震えがぶり返す。

デライアは臆病なのだ。ここまで突っ走ってこれたのが奇跡だと自負しているくらいには。



「ねぇ、シアヴィスペム!シアヴィスペム!?ど、どうしよう、ねぇ、う、嘘でしょ……!!シアヴィスペム!!」


「……ぅ、うぐ、ぐえっ!?なに、なに!?」


「うわぁぁああっ!!あっ、あ!!よかった!大丈夫!?」



肩を掴まれてガクガクと揺さぶられていたシアヴィスペムが、舌を噛みそうになりながらもなんとか意識を取り戻す。

ぼんやりと、目を擦った後にデライアと視線を合わせて、それから何が起きたかわからないとでも言うように首を傾げた。



「えっと……シアヴィスペム、さっき自分が何してたか、覚えてる……?」


「……巣箱の前まで行って……あれ?なんでぼくここにいるの?」


「ボクにもよくわからないけど……急に返事しなくなって、ここまで歩いてきたんだよ?」


「お、覚えてない」



顔を見合わせ、巣箱を振り返り、それからもう一度視線を合わせる。深く頷いて、またもう一度、2人は揃って巣箱に向かって歩き始めた。

が、結論だけ言ってしまえば、シアヴィスペムは巣箱に近付くことが出来なかった。

三度は繰り返したが、巣箱に行って、そしたら意識を失って戻されてを繰り返すばかり。デライアだけはなんともなかった。シアヴィスペムが立ち止まってしまうポイントよりも奥へと進めるのだ。とうとう四度目、また戻されて丸い砂地に立ち尽くしていたシアヴィスペムが、デライアに向かってぽんと言い放つ。



「なんか、ぼくは入れないみたい……デライアくんは行けるんだよね?」


「うん、止まったりはしない……かな」



シアヴィスペムは進めない。

ぎゅ、と軽く下唇を噛むようなその表情に、デライアがほんの少しだけ怯んだ。悔しげな顔持ちにどう声をかけるべきか、デライアにはわかりかねる。



「……ぼく、みんなの所に戻るよ」


「そっ、か、わかった……」


「うん。ねぇ、デライアくん」



悲しげな表情がゆるく色を変えて、強い眼差しもつ顔へとその身を翻す。



「鳥籠が開いたら、みんなで一緒に外を見に行こうね」



シアヴィスペムのその言葉は、まるで自分に言い聞かせているようでもあった。



「……うん」



邂逅、別れて、繋がって、もう一度分かたれて。

全てのはじまりである巣箱の前で、デライアとシアヴィスペムは手を振り、互いに振り返ることも無く別れる。

言いたいことも、きっと一言や二言では済まないのだろうが、今は時間も何も無いから。


棺のような無機質な建物が、微かな月光でぼんやり浮かび、遠くからでもよく見える。春の一夜のことだった。








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Parasite Of Paradise

25翽─一筋の光明

(2022/8/13_______18:00)


修正更新

(2022/09/29_______22:00)



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