24翽▶存在意義と取捨選択



















昔から気弱で、大した才能もない自分が嫌いだった。

鳥籠には歌が上手いドールなんてごまんといて、ほんのちょっと上手いくらいじゃちやほやされることはない。容姿だってそうだ、ドールという生き物は皆が皆美しいから、とびっきり、それこそ前世か何かから絶世の美青年でもない限り、見目で持て囃されることもない。アビリティだって、そう。豪奢で視線を独り占めできるようなアビリティを持っている訳でもないならば、誰もソレを見ようとはしない。

注目されない、誰も僕を、カーラを見ない。見つけて貰えないということは、愛して貰えないということ。愛してくれる人がいたとしても、見つけて貰えなければ意味が無いのだ。

昔に見たあのドールは派手な髪色によくまわる頭脳で、人の目と手を引いている。

通りで踊るドールは真っ白な翼を、戯れに耽ける天使のようにはためかせて衆目を独り占めしている。

別のドールはとびきり可愛らしい、まぁるい目の瞬く小鳥のような容姿で誰も彼もを魅了している。

また別のドールは神秘すら感じるような素晴らしいソプラノで空に歌って、また別のドールは金に輝く炎を散らして辺りに祝福をばら蒔いている。


全部もっていなかった。


自分のぼさぼさの、暗い黄土を帯びた髪。

可愛らしいとも屈強とも言えない大柄な身体。

決して天使のようとは形容しがたい、灰色の広い翼が一対。

つぶらとは言えないツリ目に収まる、深い鈍みを帯びる金眼。

下手ではないけれどもとびきり歌がうまいというでもない、自信の欠片もない歌声。そこから紡がれる、誰かの自由を奪うようなアビリティ。

嫌いだった。

鏡に映るその姿が憎くて憎くて仕方がなくて、誰の目にもとまらない、そこらの石ころみたいなちっぽけな自分が嫌いで仕方なかった。

ニンゲンもドールもそうだが、何かを好きになる上で最も難しいのは、自分を好きになることだろう。異論も異例もあるだろうが、少なくともカーラはちっぽけな自分を好きになることが出来なかったから、ソレを真理としていた。


いつだったか、宝石を作り出すという煌びやかなアビリティを持ったドールが開いていた露店の前でふと足を止める。

きらきら、ぴかぴか、突き詰めてしまえばただの石だとわかっているのに、その美しさから目が離せなくって。並ぶ色鮮やかな宝石達に目を奪われて、気まぐれにひとっつ買ってしまった。


___綺麗。ずっと見ていられる。


大して分厚くもない財布が薄くなったけれど、そんなのは気にもならなかった。本当に心奪われたものには、こうしてなけなしの財産だって打ち出せる。それはドール同士でもそうで、本当に心奪われたドールには、なんでもかんでも差し出せてしまう。

鏡を見ていたら心が軋んでソレを割ってしまったというのに、この石を見ていたら心が安らいで身体が浮つく。

この石のように、カーラの心を、視線を奪った綺麗なもののようになりたい。綺麗なものになりたい。誰かの心を、視線を奪えるようなドールになりたい。ちっぽけな自分が嫌いだから、それとおさらばしたくて堪らない。


『僕が、一番素晴らしいドールだ』


ボサボサだった髪を梳いて柔らかく結って、大嫌いだったオリーブドラブの髪をビロードのように整えた。

大きな身体が嫌で丸めていた背をピンと伸ばして、長躯を活かした歩み方をするようになった。

灰を被ったような色味の翼を丹念に手入れした。鉛みたいな嫌いな翼が銀の色味になるまで手間をかけて、宝石が収まる台座のようにはためかせた。

死に物狂いで高みへ登って、そこいらのドールとは一線を画す歌唱力を手に入れた。ソプラノもバスも、全てカーラ1人で補える。7色の声を手に入れたのだ。


『“ カーラ ”が、一番素晴らしいドールだ』


まるでかつての自分を滅多刺しにして打ち殺すみたく、ガラリと変わったカーラの周りには人の熱が絶えなかった。

第5期ドールの周囲にはドールが集まると言うが、カーラはそれを知らずして、己が力で成してみせた。完璧な軌跡。誰も知らない、あまりの憎さに鏡を叩き割って、利き手をズタズタにした哀れなカーラ。誰にも見せずに終わりたい。



「それと、クラウディオ。それから君も動いていい」



パチン、軽い指打ちの後に、ふわっと身体が楽になる。クラウディオとアンドの身体麻痺が解けたのだ、動けるようになったことでほっと息をついたけれど、危機は今だ去っていないと拳にぐっと力を込める。白んだ指先が内側に織り込まれて、手のひらに爪のあとを残した。

睨みつけるようにこちらを伺う二人を意に介することもなく、カーラは淡々とその場の音頭を取って見せる。粛々と。高潔にすら聞こえる声音で。



「ニアン、アルファルドさんから武器を取り上げろ。時間が無い」



武器を持っていて錯乱状態に近いドールは非常に危険だ。まず真っ先に牙を捥ぐのが定石だろうと、カーラの指先が孤独を謳う蛇の心臓をぴんと指す。頷いたニアンがミュカレの仕掛けた蜘蛛の巣にかからないよう、慎重にガンブレードを回収するのを誰もが冷や汗のままに眺めていた。

ニアンは猫背だが、190cmを超える大柄なドールだ。アルファルドよりも高い身長、長い手先ですんなりと、ガンブレードを柔く奪って取り上げてしまう。ニアンは決して自分から他人を傷付けようとはしないし、仮に誰かから指示されて戦闘に入ったとしても、積極的には攻撃したりなんかしない。けれども身体は大きい上、警邏隊としての業務は淡々とこなせる程度の体力もある。本来ならばニアンにとって、動けないドールから武器を取り上げるのも赤子の手をひねるようなもの。しないだけ。できないだけ。



「クラウディオ、そこの……」


「……ルァンさんっスか?」


「あぁ。上に……地上にでも連れて行ってくれ、そんな状態では次に何をするかわからない。君なら暴れても止められるだろ」



どうにも歌による行動制限が効かなかったらしいルァンが、頭を抑えながら恨み言のようにも聞こえてしまう小さな声を紡いでいる。腹の内の誰かと主導権を争う内に、精神状態がすっかり悪い方向へ転じてしまったのだろう。

ドール同士の依存性は高い。ただしそれは相性が良ければの話であって、相性が悪いならば悪いほど、反発するようにドール同士の拒絶反応が高くなる。相反するふたつがひとつの身体の中で争う内に互いに削り合い、ルァンも、中にいるクレイルも互いに機能停止寸前だった。

ちらり、背後に視線をやる。未だに瞬きだとか、呼吸だとか以外では動けないであろうスティアがゆっくり目を開いたのが視界に映った。

薄い肉の縁を彩るように伸びた、髪色と同じ紅茶色の長いまつ毛がゆるり、持ち上がる。

ポピーのような鮮やかな赤。

内に花火が咲いたようにも見えるその赤は、実に数年ぶりに望んだ色。



「ティア……」



年単位で離れていた幼馴染の顔を薄暗がりの中でようやっと捉えたのだろう。スティアが目を見開いて、それからほんの少しだけ眦を緩めて笑って見せた。下がった眉が困ったような、それでいて何かを信じて託すかのような色をそのかんばせに乗せている。


僕は大丈夫です。


小さく、小さく。目が痛むほどにスティアを見ていたクラウディオくらいしか気付けない程に、スティアが小さく頷いて。



「……わかったっス」


「時間が無いんだ、はやくしてくれ。そこのアンタはシリルの様子を確認して上に持っていってくれ……というよりそれ、生きてるのか?」



恐る恐るルァンに寄っていって、ほとんど茫然自失としているその身を担ぎあげたクラウディオを尻目にカーラが再び指示を出す。指さされたアンドがえぇ、と不満げな声を出したのに対し、カーラが少々厳しい視線をなげかけた。



「みるのは構わないけど、運ぶのは無理〜。俺今ミュカレの蜘蛛の巣でうごけないしぃ」


「……引っ張り出せるか?これ」


「無理だよ」



よく通る声が、誰に当てるでもないカーラの問に答えを返した。ふたつのアビリティをその身に受けて地面に叩きつけられたにも関わらず、ほとんど傷のない状態のミュカレが仰向けのままこちらを見ていた。水の中に半分沈む、黒髪に絡んだ蔦の装飾がシャラシャラ揺れて、まるで熱帯魚のヒレのよう。

あれは掛かっている獲物に触れた人もアビリティの影響を受けるのだと説明するミュカレに、カーラがはぁとため息を着く。

僕なら出せるよ?と暗に解放を求めたドールに今一度息を着き、カーラはとうとうミュカレのことも解放してやった。自由になった手を軽く開いてまた閉じて、起き上がると直ぐに檳榔子玉を抱き上げる。傷一つない。自分も、セレンも。

全てシリルが請け負ったから。幾度となく直されては壊れてを繰り返していたシリルもそろそろ限界だろう。否、もう限界だとか、そういう次元の話では無いほどにズタズタであるが。

問答が途絶えた瞬間にしゃがみこんで、じいっとシリルの様子を見ていたアンドがその身を揺らす。



「変人さん、起きてるぅ?大丈夫?」



返事はない。蜘蛛の巣がある以上まだ平気だとは思うが、こんな所でコアを出してしまってはどうなるかわかったものではないからホルホルの眉間にシワが寄る。

アルファルドはシリルのものだと認知している以上コアに手を出そうとはしないだろうが、問題はクラウディオの手元にいるルァンの中身。恐らく中にあるもうひとつのコアはクレイルで間違いないだろうとホルホルは踏んでいるが、そちらの方が危険度が高い。シリルとくだんの彼は12年来の付き合いだ、先程の錯乱したルァンの様子と発言から見るに間違いなくシリルのコアを回収しにかかるだろう。そうなればまた取り返すのに時間がかかる。

それにそもそも、今は革命派の方が圧倒的に不利なのだ。可能性は低いが、ミュカレやカーラがその気になれば「厄介だから」のたった一因でシリルを殺してしまえる状況。

治すのが最善策。だけれどホルホルのアビリティはもう、酷使し過ぎてシリルが負っているレベルの大怪我を治すことはできない。かと言って状況的に、ここでシリルがジャンクになっていくのを黙って見ている訳にもいかない。

ミュカレが白魚のような手を伸ばす。シリルがバラバラにならないよう、翼で支えるように、片手で抑えるようにその身体を包んでやったアンドが空けておいた手でミュカレの手を取った。



「クラウディオ、行け。僕達は別の穴から地上に出る。ミュカレさん達は北西の方から来たんだから、そっちにもあるんだろう?」


「うん。あっちにもあるよ、大きいのが……ふたつ、だったかな。三層にいくやつ」


「ミュカレさんとセレンディーブ達はニアンを連れて先に上に行ってくれ。道中誰かと合流したらそれも連れて行って欲しい」


「みゅかれくん、達に……ついていけばいいんだね。わかった……」


「…………わかった。おいでニアン」



アンド達を起こしきったミュカレが、ちらりと視線だけニアンにやって誘導する。カーラ以外の永朽派ドールは全て地上に撤退させられるらしい、ちゃぷん、たぷん、足並みに合わせて揺れる水面が奏でる軽やかな水音が、その場にそぐわず清涼だった。



「アル。僕もセレンも、あの子も嫌だから……後で返してもらうからね」


「……その内返すよ、これは俺の欲しいものじゃないからねぇ」



ルァンと引き離されたことに心内で舌打ちを。離れていく足音、ルァンを連れて飛び立つクラウディオの羽音。ばさり、翼持つ者が空へ飛び立つ時特有の、あの羽のこすれる音が妙に頭の中にこだました。

ふっと、身体の力が抜ける。強ばっていた身体が楽になったのだ。動ける。ホルホルが両手をグッと握り、パッと開く仕草をするのを見とめたアンドが早足で寄ってきた。



「間に合う〜?」


「……少し厳しいんだぞ、オレは怪我は治せてもエネルギー切れまではどうにもできない。最悪、治ったはよくても意識が戻らなくて、枯渇したエネルギーを補うために黄金を総入れ替えとかになるぞ。そうなると……」


「1ヶ月はかかっちゃうかなぁ。ていうか、ホルホルの目。もつの?」


「ギリギリなんだぞ、恐らく治してる途中で失明する」



カーラがこちらに害を加える気がないのをちらりと確認して、それからシリルの怪我の手酷さをチェックする。

カーラの“ 声連 ”は、自身の歌を聞いた効果のあるドール全員を自分の支配下に置く洗脳型と、1分間移動や運動を不可能にする麻痺型の、ふたつの使い方がある。どちらも一度使ったあとは、3日か4日の間を挟まなければもう一度アビリティをかけることが出来ない、クールタイムの長いもの。

先ほど使用したのは後者の麻痺型で、たった1分。ただ、1分もあればその場にいたドール全員を殺すことだってできたはず。



「ねーえ、カーラ。なんで俺達のことさぁ、戦わなくて済むような感じに分けたの?殺せさないわけ?革命派だよぉ、俺達」



アンドの間延びした声が響く。カーラはその暗金の瞳をほんのちょっぴり細めて、澱みなくソレに答えて見せた。



「生かす殺すじゃ解決しない問題があるだろ。間に誰かが入って取り仕切り、最悪他者の尊厳や、プライドや、譲れないものを踏み滲ってでも全力で避けないと避けきれない、無益で無用な殺生がある」



僕が弱かったなら、それを止めることはせず、ただ呆然とそれを見ていただろうなと。カーラが、遠くを見ながら嘲った。



「僕は弱い“ 僕 ”を全力で否定するだけだ」



今、この場でつける必要が無い争いはできる限り排する、と。僕の望まないことだからと。戦わなくても済むのなら、戦いたくはない。落ち着いた頃に話し合って解決できるものならば、そちらで解決しておきたい。言外に闘争をんで見せたカーラの言葉に、アンドがにやりと笑った。



「なぁんだ、全然似てないと思ったけど、俺とカーラ、そっくりじゃん」


「どこがだよ」


「んー、弱い……っていうか、納得いかない自分を徹底的に否定したい、ってとことかぁ?あはっ♡」



へら、へら。笑うアンドがするりと、もう興味が無いとでも言うようにカーラから視線を外した。

自分だけじゃないのだろうか、弱い自分が、納得のいかない自分が憎くて、嫌いで、鬱陶しくてたまらないと感じるドールは。当たり前なのだろうか。



「ホルホル!ホルホル、どこ!?」



カーラの背後、ミュカレ達が去っていった方角から、普段は聞き取りやすいはずの声が僅かに掠れたリベルの声。ここなんだぞ、と大声を返したホルホル達に向かって、ばさりばさりと重たい羽音が慌てたように近付いてきた。すれ違ったミュカレ達から居場所を聞いたか何かしたのだろう。

脱いだマントに何かをくるんで、それが壊れないようにほんのりきつめに抱き込んでいる。びちゃり、重厚感のある黒のミリタリーブーツが水面を破って地に足着いて、体勢を整える為に僅かに右へ身体が揺れた。

息を切らしている。普段はいつも余裕綽々と言ったていで、表情も声も崩さないはずのリベルが、焦燥感に駆られたような色を瞳に浮かべて、掠れた声でホルホル、と小さく零した。すぐに顔を“ リベル ”のものに変えてみせるが、その顔色は見ているこちらが悲しくなるほど蒼白で。



「ねぇ、治せる?」



こちらを試すような、バカにするような声色だ。ただ、僅かに震えている。恐る恐る、捲られたマントの向こうを見やると、ヒビだらけで、ほとんど腕も脚もちぎれかけの、華奢な身体を黄金まみれに汚した梦猫の姿。



「梦猫!」



カーラが咄嗟に名前を呼んだ。反応はない。息もしていない。

服は“ 青 ”を含んだ水を吸って重くなっていたし、ちぎれ掛けのボディからは今もじわじわと金が流れ出ている。ジャンクになる。シリルも、梦猫も、こんな所でジャンクになってしまったら治ったとしても朽病にかかりかねない。機能停止状態とはそこはかとなく無防備な状態なのだ。それは病原菌に対しても一緒で、ここで、こんな触れているだけでも体力をじりじりと削るような“ 青 ”の滲む水で満ちた場所で機能停止になれば、朽病を患う確率はぐんとあがる。そうなればもう助からない。

ホルホルがこの場で治せるのは、確実に命を救えるのは、ひとり。



「なに、治せないって言うの……?」


「シリルと、梦猫、両方は無理なんだぞ」


「……どっちか諦めろってワケ?この状態じゃシリルも梦猫も上に連れて行けない、連れてってる最中に身体が崩れてコアまで壊れたら」


「オレは今、左目だけじゃお前がどんな顔してるのかも見えないんだぞ!」



早口になったリベルを制する。リベルはホルホルの目の前だ。梦猫をマントで包んだまま屈んでいるから顔も近い。この距離でも、左目だけではリベルの表情が分からない。ごねられても、できないことはできない。

ホルホルの目はどちらか片方を最低限守って、その瞬間光を失うのだろう。拳に力が篭もると同時に、底知れない悔しさが滲んだ。これが自分に課せられた役割で、生涯舐め続ける辛酸の味なのだ。慣れている。知っている。一度はこうして片方殺めた事がある。

どちらか、諦めなければ。






















───────​───────












ドールは皆、誰かに望まれてうまれてきたと誰かが言った。

だが、レヴォは__革命をうたう名の青年は、それを否定するようなニュアンスばかりを連ねて見せた。もうどれが本当で嘘なのか、話に聞いたニンゲン達の病が過去の世界にどう影響を及ぼしたのか、デライアにはよくわからない。

ただ走る。デライアの足元はブーツに覆われていたから、重くまとわりつく水が染み込むまでにも時間がある。

走ることは得意だ、だってデライアは空を飛べなかったのだから。ずっと下を向いて生きてきたけれど、ある日を境に“ 星 ”を見つけて、上を向いて生きていた。“ 星 ”を己の手で落とした日を境に、ちらちらと上を見るだけになってしまったが。

上も下も、見ている暇はなかった。前だけを見て走る他なかった。



「はっ、はっ……っへ?わぁ!?」



前方に瓦礫の山が広がっているのを少々遅れて視認する。余りの暗さに前方が把握しづらくなっていて非常に危険だ、慌てて速度を落とし勢いのある身体へブレーキをかける。聳えた、墨を溶かしこんだようなまだらがかった岩岩を見上げて困ったように眉を下ろした。迂回するか、乗り越えるかの二択だろう。

範囲はそこそこ広いらしい。上から落ちてきたのだろうかと、更に上へ視線をやる。局所的なものとはいえ、高い位置からこれだけの量の瓦礫が降ったのだ、それは散らばりもするかと一人得心し、辺りの様子を伺って。

パッと見た感じ、登って超えた方が早そうだ。

こういう時空が飛べたらなぁと思わないこともないが、とっくの昔にたられば話。黒い卵を落とさないようしっかり抱えて、時折片手で身体を支えながらゆっくり瓦礫の山を行く。瓦礫がそこまで細々していないのを見るに、砕かれたとかそういう原因で落ちてきたのではないらしい。どこか一箇所から大きなヒビが入って、それが原因で元々脆かった所が丸ごと落ちてきたように見える。

瓦礫の中になにか居たらどうしよう、なんて幼稚な不安が脳裏をよぎった。そういえば、今まで勢いと咄嗟の覚悟だけで駆け抜けてきたが、自分が置かれているこの状況はかなり危険なのではないだろうか。

友人だと思っていたドールにおとしめられてこの鳥籠の深淵を覗き、前人未到__ではないだろうが、公には知られていないようなカコウジョの内部で謎の少年と言葉を交わし、銃口を向けられ、黒い卵を手に入れ、それを抱えて襲われながらも暗い地下世界を駆けている。思い直すと、今日一日だけでとんでもない密度の人生を歩んでいるようだ。ちょっぴり恐怖が蘇ってきていっそ落ち着いてしまったことで、自分の立ち位置を再認識する。

結構、ヤバいのでは。

両派閥共に長らく探していた黒い卵片手に、空も飛べない、翼にもそこそこの深手を負っているドールが、わけのわからない地下をさまよっている。カモだ。革命派とあたれば先程のマルクのように襲いかかってくるかもしれないし、なんなら永朽派に至ってはほとんど裏切りのようなものだろう、ただで済むとは思えない。



「な、なるべく、確実に協力してくれるような人以外とは誰とも会わないように行くしか……」


「あ、でーちゃ……えっと、警邏隊の」


「ひゃあぁぁあぅわぁぁぁあーッ!!!!」


「えっ!?あ、危ない!」



瓦礫の山の頂点に差し掛かった頃、向こう側からひょいと見知らぬ端正な顔立ちが現れる。あまりにも急だった上に、なるべく誰とも会わずに行くにはどうすべきかなんて考えていたデライアにとってはとんでもない不意打ちで、バランスを崩して背中から倒れそうになったのを青年__青玉がぱっと手を伸ばし捕まえた。

引っ張りあげられながら、震えた声でありがとうとか細く告げる。恐る恐る下を見やると結構な高さを登ってきていたようだから、落ちていたなら死にはせずとも、背中に怪我を負っていたに違いない。青玉が安堵したように、手が届いてよかったと口角を上げた。



「び、びっくり、した」


「驚かす気はなかったんだ、すまない」


「うん、こっちこそ大声あげちゃってごめんなさい……ボク、デライア」



名乗ったらば、ちょっぴり青年の雰囲気が和らいだような気がした。少し、間を開けて。



「ライって呼んで」


「あいわかった。僕のことはサファイアと呼んでくれ」



足音がしたから気になって様子を見に来たんだと語る青年に手を引かれ、瓦礫の山を降りていく。足元を見ながら瓦礫の山を降りきって、じゃぷんと、水音混じりに着地した。

きらきら光る羽が鈴なりに生え揃っていたのだろう翼は中腹あたりからズタズタになっていて、所々滴り落ちて来ている黄金の色を交えていた。



「それは何?」


「……? あっ!これ、これは……だいじなもの!」


「はは、そうか……どこに持っていくの?」


「……サファイア、さん。永朽派?革命派?」


「革命派だよ。あと、僕はライより歳下だから気楽に呼んで欲しい」


「えっ!?」



抱えていた黒い卵について言及されて、忘れかけていた警戒心が表に出る。なんでもないように口元を手の甲で抑えながら笑った彼の姿を信じ難いようなものを見る目でじいっと眺めて。

革命派。しかも、恐らく害意はない。帯刀しているが敵意も何もないのならと、ふっと肩の力を抜いた。

巣箱まで、と答える。星を見に行くんだと付け加えて。

サファイアは少し驚いた顔をした。けれどそれもすぐ、納得したような柔らかな表情に変わってしまう。こんなドールは見たことがないはずで、こんな表情を向けられた覚えもないのに、なんでか前から知っている人物のような気がした。

巣箱まで行くなら外に出なければならない。サファイアが裾をたなびかせてデライアを手招き、瓦礫のはけた辺りへ歩を進める。


ミュカレ、檳榔子玉、ニアンと合流した後、撤退するという3人__檳榔子玉は動けそうにもなかったからカウントすべきではないだろう。ともかく、ミュカレとニアンに暴れるコラールを地上に連れて行ってもらった。あの大怪我をしていて尚戦おうとするのだから、彼には計り知れない熱意がある。

もし彼とデライアが接触していたらまた一悶着あっただろうなと思い至って、誰とも知らず安堵した。きっと、一悶着どころでは済まないのだろう。



「困ったな……」


「……どうしたの?」


「いや、地上にライを連れていってあげたいんだけど……僕は今他の人を抱えて飛べる状態じゃないから。シア兄さんもいつの間にか居なくなってるし……どこ行ったんだろう」



なんでも、デライアの方へ向かったわずかな時間の間。少し目を離した隙に、連れがいなくなってしまったらしい。困ったようにキョロキョロと辺りを見回すサファイアにつられて、デライアもくるくると辺りを見回した。



「​──い──くくーん!!」



開けた場所の向こう側、暗がりの奥から真っ白な髪を揺らすシアヴィスペムが一直線に飛んできている。あの人?とそちらを指差し示したら、サファイアがパッとそちらに振り向いて大声を上げた。



「サファイアー!!!」


「あ!ごめん!!」



ばさり、翼を大きくはためかせてホバリングを開始したシアヴィスペムを、わぁ、と感嘆まじりに見上げてみる。真っ白な翼に真っ白な髪。ぴょんと立ったアホ毛は天使の輪の名残のようにも見える。デライアも天使のような見目をしているが、空は飛べないから。

少し視線を落とす。

見覚えのあるアホ毛がピロピロ揺れていて、

シアヴィスペムの腕の中でもがく妖精のような、けれどもやっぱり天使のようなドールの姿にあっと声を上げた。



「クラ……っ、ロウ!」


「デライアさんー!はなせ!はなせよーお前!」


「さっきからずっとちょろちょろしてたの!追いかけてたら時間かかっちゃった。せ……サファイアくん、その子誰?知り合い?」



シアヴィスペムは永朽派のメンバー全員が書かれた紙をチェックしていない。シアヴィスペムの遠慮して人の群れから離れる性質が、デライアとロウにとって幸をなした。



「うん。デライアって言うんだ。鳥籠を開けに行きたいんだって」


「!! じゃあ……! っと、はじめまして、ぼくはシアヴィスペム!よろしくね」


「えっと……ボクは、デライア。よろしく」



握手をしようとシアヴィスペムが手を伸ばす。緩んだ一瞬の隙を狙って飛び出したロウが、間髪入れずにデライアの懐へ飛び込んだ。右手に卵、左手にロウ。むすっと膨れるロウはデライアから離れる気がないらしい。両手がふさがってしまいシアヴィスペムとの握手に応えられなくなって、見て分かりやすく慌てているデライアの姿にふたりが笑った。



「デライアくんもその子も革命派?」


「ぼくはけいら、むーっ!?」


「わーちゃ……ロウくんはまだ小さいから、派閥とかはわからないんじゃないかな?」



ばさっと広がった宝石のような翼で顔を塞がれロウが黙る。シアヴィスペムが極度の永朽派嫌いなのは知っている、ここでロウ達が永朽派だと知れてしまうと一体どうなってしまうのかなんて、容易く想像できること。青玉は半ば反射でロウの口を塞いだ。

不自然な口止めにデライアが軽く首を傾げる。どうしたんだろうと思ったのもつかの間、目の前のドールへ目をやって、ふと、思い出した。

そういえば、以前コラールが白い変な髪型の革命派ドールと揉めたらしい。その相手のことをそれはそれはもう手酷くぎゃんぎゃん罵っていたなと思い出す。変な髪型とは、このくるくるふわふわの髪型のことだろうか。確かに滅多に見ない髪型だが。

コラールは物凄く革命派が嫌いで、その揉めていた相手とやらは物凄く永朽派が嫌いだったらしい。

シアヴィスペムがそれなのか。

サファイアによる少々不自然な口止めも、それならば納得が行く。

黒い卵を持った状態で、いけしゃあしゃあと永朽派だなんて名乗ったらどうなるか。

デライアは間一髪で閃き、窮地を脱した。



「革命派っていうか、永朽派っていうか、派閥とかそういうのじゃない感じは……ある、かも?」



デライアのこれは、言ってしまえば“ 派閥放棄 ”だった。



「そうなの……?でも、鳥籠開けたいんだよね」


「うん」


「じゃあ、仲良くしてね!」


「うん、な、仲良くしてほしいな……!」


「……デライアさんー」


「しーっ、だよ」


「むぅ……」



少々不満げなロウだったが、すぐに興味が別のものに移ったのだろう。やがて傍できらきら揺れるサファイアの羽に手を伸ばし始めた。

美しいものと、それが壊れる瞬間が大好きなロウにとって、それはもう珠玉の品に違いない。壊れる瞬間こそ目にすることが出来なかったが、ズタズタの、半分壊れてしまった工芸品のような翼はロウのお眼鏡に叶ったらしい。

きれい!とはしゃぐロウに視線をやって、にこやかな笑みを浮かべたサファイアがシアヴィスペムに向き直った。



「……シア兄さん、ライを連れて巣箱まで行って欲しいんだ」


「巣箱まで……ぁ、あっ!!それ、黒い卵……!」



話に夢中ですっかり気が付かなかったのだろう。デライアの腕の中に収まる黒い卵を指さして声を上げ、シアヴィスペムが息を飲んむ。



「ほ、ほんもの? ……出られるの?外に、皆と外出られるの?」



黒い卵を指していた指先が震える。感極まったようにそのエメラルドグリーンをうるませて、涙が溢れるのを慌てて両手で拭って隠した。とうとう見えた外界への兆し。長らく夢にみた世界への鍵が、目の前に。



「……僕は飛べないから、ひ、ひとりじゃ地上に行けない。でも、鳥籠を開けて……星を見に行きたいんだ。夢を叶えに行きたいの」



飛べないことにも意味があると、何かの形で示したい。



「手伝って欲しい」



外が見たい。鳥籠の外へ行きたい。

他ならぬ、自分の脚で。

夢の在処を確かめに。



「……ぼくも、夢、叶えたいから。いいよ、一緒に行こう。鳥籠を開けに……!」



涙を拭いながら、強く強く、力強く頷いて見せたシアヴィスペムに頷き返す。サファイアがそっとロウを抱き上げて、デライアから引き剥がした。

何するんだよ!と子猫のごとく暴れるロウに、ほとんど抜け掛けの綺麗な羽を一枚渡してあやしてしまう。キラキラ、ちかちか、僅かな光を受けて半透明に煌めくそれにロウも一瞬で夢中になった。



「僕は髪も服装も少し黒いけど、羽は気に入って貰えたみたいでよかった。僕はロウくんを連れてさっきの、ミュカレ姉……ミュカレさん達の様子を見てくる」


「……大丈夫なの?永朽派ばっかりの所に行って」



不安げにこちらを見るシアヴィスペムを安心させるように頷いた。

ミュカレや檳榔子玉は積極的に誰かを攻撃して回るようなドールでは無いし、ニアンも争いに関して、というか何事においても全体的に消極的だ。コラールはとてもじゃないが動けるほどではないし、万が一暴れるとしても、捕獲アビリティをもつミュカレや、近接戦特化の青玉、くわえて幼く同派閥であるロウがそばに居るならば問題ないだろうと。

それに、僅かに耳に入れたコラールやミュカレの会話が本当ならば、既に消息不明となっているコアがいくつも存在していることになる。彼等をどうにか元に戻す為にも、話は聞いておいた方がいい。



「必ず戻るよ」


「…………わかった……絶対だよ。行こう、デライアくん」


「う、うん。ロウ、まっててね、怪我しないようにね!」


「デライアさんのほうがあぶないんじゃないのー?」


「言えてる……」



こう?こうかな?と試行錯誤の後に、デライアを抱えたシアヴィスペムが飛び立った。シアヴィスペムも重いものを運ぶのが得意という訳では無いが、年中空中にいるようなものなのだ、多少無茶な飛行でもなんとか耐える意地がある。

地上に続く穴へ向かうため飛び立った二人を見送って、それからサファイアも後を追うように翼を広げた。流石にデライアを連れて飛ぶことは出来ずとも、ロウくらいなら連れて行ける。


地下四層は相変わらず温度のない空間だった。右を見ても左を見ても、底の方に青がかかるだけの暗い闇。

上に登れば三層。

青玉は三層を、四層に降りてくるまでの間にちらりと見ただけだったが、一目見ただけですぐに文明レベルの差を理解した。一体どうしてこんなものが。

今はそれこそ“ 鳥籠を開ける ”ことに皆全てを賭けていて、安寧か危機かわからぬ解放をとるか、滅びをとるかの二択だろう。だが、鳥籠を開けたあと。

外の世界にドールが踏み出せるならば、その外の世界についてだとか。ここで滅びを待つというのなら、中にいながら何か出来ることはないのかと。問題は山積みなのだ。

そも、何故こんなにも巨大な建造物が用意されたのか。

ニンゲンとドールがその中で外界と隔離されたのか。

きな臭い。警戒を怠っては行けない気がすると、青玉が僅かに口を引き結んだ。



「……ねぇ、サファイアさん」


「ん、どうかした?」


「誰か来るよ、見えないけど。下__」



三層に出る、その瞬間。下から弾丸のように上がってきた旋風。抜いている暇はないと鞘に入ったままの刀を前に出し身を守るが、旋風の主は青玉達など眼中に無いらしい。ロウも青玉も傷一つなく、やや弾き飛ばされるような形で三層の地面に着地した。

着地と言うよりもはや着弾と言った方が正しいだろう、ロウを庇って身体を回し、羽が飛び散るのも厭わずにその身を起こす。白い地面についた腕がほんのり痛む。コラールとの戦闘で負ったダメージがまだほとんど癒えていない。

隠れてて。囁いた言葉にロウが頷いたのをしかとその目で確認してから、刀に手をかけ立ち上がった。



「……マルク兄さん」


「……アオ、黒い卵はどこにあるすっか?」


「わからない、僕らはそれを探しに来たんじゃないか」



目の前で仮面を被ったままのマルクが俯く。

立て続けに襲うストレスで半暴走状態に近いのだろう、片手に握られたナイフがギラギラ、白い光を返していた。

仮面の奥のオッドアイは虚ろだ。随分消耗していることが見て取れる。どうすればいい。どうすれば争わずに済む。両者傷つかずに終わる。

兄さん達なら、どうする。












「なぁマルク」



兄さん達なら、リーダーなら。


ゆらり、視界の端から現れた橙色の錦。

白い街によく映えるソレは、そこにあっちゃいけないものだった。











​───────

Parasite Of Paradise

24翽─存在意義と取捨選択

(2022/07/23_______15:00)


修正更新

(2022/09/29_______22:00)

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