23翽▶這々の体












気温もわからない空間の中、ほうっと肩の力を抜いた。青い足場と青い水は体感温度を下げる視覚効果をもたらしているらしく、春にしては、異常な程に寒いような気がした。

番が目を閉じるのを見送って、そっとその髪を耳にかけてやった後に両の腕で抱き上げた。

謎は山ほどある。思慮深かったはずのアルクが突然襲いかかってきた理由だったり、明らかに許容範囲をオーバーしているだろうとわかる傷をシリルがその身に受けたかだったり。

まぁ、シリルに関しては自分の限界など考えるか、と問われてしまうと首を捻る他ないのだが、それにしたってあの切羽詰まった様子は異常な気がしてならなかった。

ちゃぷ、ちゃぷん、揺れる水面に両の足を突っ張って、足元に転がる白い巫覡と一本のガンブレードを見下ろす。

檳榔子玉の腹の上に自分の持っていたガンブレードを置いた。そのまま檳榔子玉とガンブレードを落とさないように気を付けながら手を伸ばして、もう一本のガンブレードを拾い上げる。水に濡れた引き金は氷のように冷たくて、ミュカレの指先をキンと冷やす。

アルクの服ごと裂けた胸元にぴしりとヒビが入るのを見たけれども、それを最後に、ミュカレは檳榔子玉を抱いたまま、踵を返して行ってしまった。まだ付近にロウがいるかもしれないのだ、長居する訳にもいかないだろう。


そうして、いきものなんかいなくなった空間に、白い球体がその身を現す。まるで孵化するように、ぱきぱき、機能停止してしまったボディから、コアがひとつ。孵化するようと形容したけれども、コアの方が卵に見えるものだからその表現には言いようもない違和感を覚えてしまうのだが。

コア。ドールの心臓で、脳で、心で、そのドールそのもの。

ニンゲンの一種哲学地味た論争のひとつに、魂とはなにか、どこに宿るかを考えるものがある。目に見えないものであるから、決定的な証拠だとかはどこにもない。その論争、とうとう結論なんてものは出ないままにニンゲンが世から消えてしまった。ドールも同じ。ドールの、もとよりニンゲンだったというその存在は?ドールとなってから養われたろうその人格は?コアを魂としてそこに宿るか、コアと魂は別として宿るのか、また、そうならばコアと魂どちらに宿るのか。そもそも、どちらでもないのか。きっと永遠に答えがつかない。

兎にも角にも主を失った真珠のようなそれは、剥き出しのままに薄暗がりの中、煌々と眩く白い光を放っていた。裂け目の奥にもふたつ、順を待つように光を放っている。


上空、その光のそば目掛けて、小さな天使が降ってきた。



「うあぁああああぁぁぁぁッ!!」



限界まで膨らませていた白い翼が着水して、水しぶきとともに白い羽をあちこちに散らす。上層の空中廊下から、奇しくもアルク達が飛び降りた箇所と全く同じ場所で足を踏み外したデライアがそこへやってきたのだ。

空中廊下でマルクとの戦闘に入ったものの、暗闇で強みを発揮するらしい相手のアビリティに押されて立ち回りをしくってしまい、かなりの高度から落下してしまった。

咄嗟に“ 殻破り ”で身を守ったから、デライア自身は無事だった。怪我もなくまったくの無傷であるし、腕に抱いたなまめかしい黒の卵もヒビひとつとない。ただ、翼の羽毛量の減少が著しいことだけが気がかり。この翼は武器であり盾だ、薄くなっては盾にならないし、武器にするにもより慎重に扱わなければいけなくなる。



「し、しぬ、しぬかとおもった……!!」



ほとんど球状になってデライアを覆っていた翼を退かす。そっと顔を外界に出して、あたりの様子を伺った。すぐにマルクが追ってくるに違いない、ゆっくりゆっくり、されど急いで、脚先を水面みなもへ。羽が減って軽くなるはずだったのに、水を吸って逆に重くなってしまった翼を揺すった。


相対する。殺気立っていた気配が揺らぐ。マルクの方がアビリティか何かを発動したらしい、動いていないはずのマルクの様子を伺うのが困難になった。そこにいるはずだと言うのに、そこにいるだけだというのに、視認するだけでも相当な集中力を割く。気を逸らしたら終わりだと、デライアのこめかみに冷たい汗。

もう、ほとんど反射。視覚でとらえることも、聴覚で捉えることも難しかった。“ 夜想曲ノークターン ”がもたらす闇の加護は目前の刺客を淡々と守っていて、星望む鳥に牙を剥く。目を潰しにかかったのだろう切っ先が僅かに前髪を掠った。姿勢を逸らして身を守ったデライアを追う刃を、必死の思いで避けて、避けて。回避にばっかり努める。

マルクの武器のような、短刀のような出血を促しやすい戦闘スタイルを持ちえていないデライアは、なるべく相手との直接接触が避けられるよう少ない手数で手を打たなければ不利になる。殴る蹴るを何度も出したのでは、ここまで対人戦に手馴れたドール相手となるとパターンを読まれてしまうだろう。

左脚を引く。引いた左脚を軸にすると見せかけて、右を軸に、半ば無理矢理、前傾に。ぐんっと迫る形で姿勢を低めたデライアと距離を取ろうと、バックステップの為に力が込められたマルクの脚をパンッと横に薙ぎ蹴った。体制を崩したそこに、“ 殻破り ”で大きく膨らみ強固さを増した翼を叩き込む。

左の鎖骨辺りからモロに入ったのだろう、ぐんっと加速度を上げて背後に飛ぶ体。マルクはその瞬間、仮面の向こうで顔を歪めたのだろうが、そんなことはデライアからはわからなかった。

吹き飛んだ後にもう一撃が来ても迎撃できるよう、宙でひっくり返った体をさらに捻って掌で着地、そのままバネみたく、ぐんっと身体を起こして、今度は掌からではなく足から。

暫くそうやって読み合いながら互いに牽制しあっていた。けれどもついさっき、デライアが右の翼でマルクを吹っ飛ばしたと同時に、足場が崩れて真っ逆さま。


入れ違いざまに、殴ってきたデライアの右の翼へ深く刃を立てたのだろう、羽の先端から3割程度がほとんど皮一枚で繋がっている状態だった。しかしそれもまた、先程の落下から身を守ったことで限界を迎えたらしい。



「い゙っ、痛……ぅ、う~……」



ぶちり、ばちゃん、なんて聞き苦しい音と共に翼の先が水の中に沈む。ぼたぼた零れた黄金をなんとかしたくて、逆の翼で切り口を抑えてみたけれど、完全に流血が収まるまでには時間が必要そうだった。

ちらりと付近を見渡す。水中で抉れて飛び散った青い足場、あちこちに花咲かす黄金、足元に転がる見覚えのあるジャンク体。白いコアが剥き出しになったアルクのボディに、ヒッと小さく悲鳴をあげる。

なんで、どうして、別れた時はにこにこ笑っていたのに、どうして?争った形跡があちこちにあるのは、アルクと誰かが繰り広げたものなのだろう。じんわりと水面に広がる黄金色はそこまで広くなかったから、ついさっきのことに違いない。どうして?泣きそうになる目元にぐっと力を込めて、ゆっくりアルクの方へ寄った。

ピカピカ光る白いコア。

いきている証がデライアの青い瞳に光を差して暗がりを照らす。身体が死んでもコアが輝いているならばまだ生きているのだ、そっと、黒い卵を左腕に抱えて、空けた右腕をそれに伸ばした。放ったらかしの白いコア。


​────お前、コアいくつ持ってる?


レヴォの言葉が頭に蘇る。持ってうまれたコアの数なんてひとつに決まっているだろうに、まるで他にもいくつかのコアを持っていなければ目的を成し遂げられないとでもちらつかせるような確認の仕方。もし、コアが、鳥籠を開けるのに必要なら。

滑らかな白に指を這わす。やわらかく、まろい表面を撫でるように持ち上げて見せたゴルフボールサイズのそれは、デライアの手の中で一等星のように自ら光を放っていた。

きれい。星みたい。

ドールは死んだらどこに行くんだと、保育所のセンセイに、一世代に一人、一度は誰かが尋ねるが、答えはセンセイによって変わってくる。デライアはきっと、死んだドールは星になるのだろうなと、ゆめをみる子供のような頭の部分で思って__否、そうであって欲しいと願望じみた形で持って考えていた。

薄い唇を開く。少々苦しかったけれど、案外躊躇いもなく飲み込めてしまった。ちらり、視線を落としたらあとふたつ。そのふたつを視界に入れた途端に、胸の内がぽうっと温まったような気がした。

アルクさんの中にあったこのふたつが誰なのか、デライアは知らない。けれどもなんでか、連れていこうと心に決めてしまった。あったかくなったから、きっと、一緒にいたいのかなぁなんて思って。

ふたつを手に取る。どちらも煌々と白く輝いていた。真っ白で、表面を僅かに滴る黄金以外は汚れもヒビもなんにもない。きれいな、星の卵のようなそれを口に運ぶ。飲み込んだ。もうひとつ。口に。

コアを食べるだなんて、考えたこと無かったのにな。ぼうっとする頭の奥で、そうぼやく。


3つめを飲み込んだ時に視界がぐわりと歪んだ。



「あ、あれ、ぃ……兄さ……」



一瞬意識が飛びかける。というか、飛んだ。自分で身体を動かしている自覚がないのに、視界がぐるりとまわって、手を見て、足元のアルクさんを見て、それからデライアの胸元を、誰かの__まぁ、デライアのものなはずなのだが、制御出来ない左腕がぎゅうっと強く握って。今飲み込んだコアのどれかが、デライアに変わってこの身体を操作していることは明白だった。

けど、すぐにふわりと意識が戻る。ちょっぴりクラクラするけれども、特に違和感が残るでもなくて、寧ろそれが心に引っかかる。


今の、誰だったんだろう。


上から気配。マルクが追ってきたと、さっきまでの不可思議な体験を忘れたがるかのように頭上を警戒して構えて見せた。きつく腕で抱いたままの黒い卵を手放さないように、ゆっくり、アルクのジャンク体を挟む形で向こう側に降りてきたマルクの姿を視線で追う。

急降下での攻撃に気を配っていたデライアは、少し肩透かしをくらったような気分になる。降りてきたマルクが水面に足をつけて、たぷんと青を揺らしつつこちらをじいっと見据えていた。長い金髪が、落下の時の反動で、小さくたわんでなびいていた。



「皆邪魔ばっかり……」


「まって、ボクは鳥籠を開けたくて」


「じゃあよこすすっよ」


「それはむり……」



ブレひとつない声。デライアのことをただ単に、永朽派のドール程度にしか思っていないのだろうその声に弱々しく返事をした。

マルクに、重苦しい過去だとか、そういうものはない。いじめられていたとか、永朽派のドールと熾烈な争いを繰り広げたとか、鳥籠ではよくある話に成り下がってしまう悲劇の影はそこにはなかった。ただマルクにあるのは、執念深いまでの愛と、使命感。自分の思う自分の使命を果たすのには、黒い卵が必要だ。手に入れなければならない、あのひとのゆめを叶えて、その隣で自分が笑うには。



「なら、力ずくで取るまですっから……!!」



構えた右手にナイフ。黄金の滴るそれは、必要最低限しか抜いたことがないはずだった。振り回したその先に、焦がれた背中がある訳でもないと分かっていたけれども、それでも足掻かずにはいられなくって。

ぐっと前のめりに、最高速度でデライアへ飛びかかろうと翼を開く。そのまま、前へ。

前へ、飛び出すはずだった。

力めど力めど、思うように動かない脚。



「っえ、は?何、動けな……」



ミュカレのアビリティ、“ 蜘蛛の巣 ”。アルクの背後を中心に半円状に広げられた罠のエリアに、マルクは脚を降ろしてしまったのだ。

檳榔子玉が前から押して、ミュカレの罠で絡め取る布陣がアルク相手に成功しなかった理由はふたつ。

まずアルクが基本、“ 移動 ”という戦略を積極的にとるタイプではなかったこと。元来アルクは腰を据えて傍観を楽しむ気質であるし、動かずとも近くに寄ってきた敵対生物はアビリティで滅することができるポテンシャルを持っている。

その上ふたつめに、シルマーとガーディアンの存在。アルクは他者の能力に対して用心深いたちでこそあったが、二体の能力や関係については絶対的な信頼を持っていた。近接戦においては、本当に危険になった瞬間、ガーディアンがアルクを守る。中距離戦ではシルマーが、その猛威でもってアルクを守る。2人が居るからと、あまり逃げに徹する気を起こさなかった。

このふたつが原因でアルクは最初の位置からほとんど座標をずらすこともなく戦闘を続け、ミュカレの罠はアルク相手に作用することなく終わってしまっていた。まぁ、別の獲物がこうしてかかったわけなのだが。



「動けないっ、なんで、なんでこんな時にっ!!」


「……よ、くわかんないけど、戦わなくても……いいなら、そうしたい!!ごめん、ごめんね!!」


「ッ、待つすっよ!!」



ぎちぎちと鈍い体に鞭打つマルクに背を向けて、デライアが一息に駆け出した。

戦わなくて済むならそれでいい。誰かを傷つけたい訳では無いのだから。ただ、ただデライアは、星が見てみたいだけだった。



「巣箱、巣箱まで……!!」



ばしゃばしゃ、水の重みに足が引っかかる。けれども止まらず駆けた。ほとんど無我夢中で、ただ星を見る為だけに。

あぁ、地上に出たかったのに、逆に深みの方に落ちてきてしまったなぁと頭のどこかで考えながら、マルクの声が聞こえなくなるよう必死に必死に東の方へ。

夜明けまではあと、どれくらいかかるだろうか。
















​───────​───────














蝋燭の火に風を送ると、潰えて消える。

稲藁いなわらに灯った火に風を送ると煽られて、それはそれは火事の如く大きくなる。

鳥籠の中に渦巻く思念と絶望とは、稲藁の中で燻っていた火種だったのだろうか。ばあっと燃え広がったそれはおぞましくって、それでもその炎の影の向こうに見える愛憎劇は美しいものに見えてくるのだから不思議で仕方がない。

あまり関係の無いことを考えているな、とぼやぼや曇る頭で思う。関係の無いことを考えるのは得意だったのだが、こんなに詩的なことを考えたことはあっただろうか?思い返してみたけれど、なかった。自由奔放に生きてきたと思う。特に辛い過去を持つでも何でもなかった。ただ、近くに灯った明るい光に温められて、思うがままに生きてきて、幸せな日々を送っていた。

12年前のあの日に、革命の薫風を頬に受けたその瞬間から。



「直りそうかい?」


「直せる。ただ、ここまで酷いと細かいところまでは……オレの目も万能じゃない」


「でもホルホル、君の目には皆何度も助けられたんだから。気負わないでおくれ」



ほんの少し女性的な滑らかさを帯びた声と、落ち着き払った芯のある声とがシリルの鼓膜を揺らしていた。



「シリル!目が覚めたんだぞ、よかった」


「シリル、無事……では、ないかもしれないけれど……よかった……」



視界の左端で、ゆるく息を切らしたホルホルが目元を擦った手をそのまま額にまわし、額に浮かんでいた汗を手の甲で拭うのがよく見えた。右には、アジアンビューティーと称するのがピッタリだろうルァンの端正な顔。

眩む頭を抑えてゆっくり身体を起こした。



「ぼく……」



粉々になりかけていた頭が、危なげなくくっついている。浅い水に沈んでいた右手を持ち上げて、鼻筋、頬骨、唇、確かめるようにその指を滑らせてみたり。

浅い傷が山ほどあったが、深くて、少しの衝撃でもっと酷いことになるだろう程の傷はどこにもなかった。ホルホルの修理の手腕は実にみごとだ。きっとその高い志から確かなアビリティの能力、どちらかをとって鳥籠の中をどれだけ探そうとも、彼ほどのドールは滅多に現れないだろう。



「ホルホルさん、次、お願いできるっスか?」


「大丈夫だぞ、クラウディオ達が決めたことだからな。オレはできる限り手伝うだけだ」


「ありがとうございます」


「ほんとに、ありがとうっスよ」



引っ張りだこなのだろうホルホルがシリルの視界を去った。首を捻ってそちらを見遣ったら、クラウディオの隣で俯いていたスティアの顔を持ち上げさせて、ホルホルがチェックしている所。怪我でもしたのだろうか。ホルホルが呼ばれるということはそうなのだろうが、いまいちシリルの頭では飲み下すことができなかった。



「ねぇ、ちょっと」



頭上、さっきまでホルホルがいた所からアルファルドの声がして、応えなければとそちらに向かって視線をあげる。冷たい、底のない黒がシリルのディープマリンアイを見下ろしていた。



「“ リーダー ”が壊れた時のこと詳しく教えてくれない?」



ちらり、流された視線の先にいたルァンは、にっこり笑ってその場を離れた。話に混ざる気はないらしい。アルファルドは何か言いたげにその姿を見送っていたけれど、思い直したのか、切り替えたのか、つぅっと視線を外して今度こそシリルに集中させた。

なんだか、責められているよう。

びちゃびちゃに濡れた背中がぞおっと凍ったような気がしたし、左の翼の付け根の傷がピリピリ疼いたような気がした。この場にあの人がいないのは自分のせいだとでも言われているようで、呼吸が突然難しくなる。アルファルドへの答えをしくれば、何が返ってくるかわからない。



「僕、は、何も知らないんだ……ごめん……」


「見てなかったの」


「僕は庇ってから、その、庇い方が悪くて、意識を失ってたんだよ!起きたら、コアがどこにもなかったから、お、黄金を使って直したって……」


「そこじゃなくて……あぁ、もう、いいよ。で?センセーがそう言ったの」



苛立ち混じりの声。冷たい視線と困ったような視線とが逸らされることはなかったが、気まずさだけがシリルの胸に募っていく。



「そうだよ……ぼ、僕、リーダーのこと見てたのに助けられなくて……」


「見てないくせに」



強い語気。黙らされたとわかった。それ以上喋るなと暗に制されてしまったのだ。反射的に視線を逸らして俯いたらば、興味を失ったのかなんなのか、アルファルドがじゃぷんと、ほんの少し強めに水を蹴ってその場を離れる。蹴られて波を作った水がシリルの腰元に当たって返る。水を吸った翼が、背負わされた罪に思えてくるほど重かった。

離れていったルァンの後を追ったらしいその背中に目をやる気になれなくて、俯いていたらまた波が寄る。隣にかがんだアンドの顔は、すんなり見上げることができた。



「変人さん大丈夫?」


「アンド……」


「うわぁ、変人さんのそんな顔と声初めて見たぁ。キツイ?無理しなくていいと思うよぉ」


「え、ぁ、ええっ!?無理なんてしてないよ!!」


「いやいや、ムリあるって。うそでしょ」



笑ったアンドの声色に、嫌味なんかはなかった。引き攣っていただろう口角をゆっくりおろす。いつだって笑みを浮かべていた目元も口元も、悲壮感に覆われていて死化粧のようだった。

あのねぇ、とアンドが続ける。

ハッとしたようにその顔を目で追って言葉を待った。



「クラウディオ見える?」


「うん……」


「笑ってるでしょ」


「そうだね?」


「俺親友だからわかるけど、結構がんばってるんだよぉ、あれ」



もう飛沫を浴びて全身びしょ濡れなのだ、水の中に座ることも気にならないのだろうクラウディオが、同じく水の中に座っているスティアの肩を支えて、ホルホルを混じえた会話に笑みを浮かべている。その笑みは自然で、どこにも不自然さなんてないはずなのに、アンドは作り物だと言った。

そりゃ、スティアと再会できて、再び共に歩くことを決めたのは嬉しいに違いないだろう。会話が楽しいのも事実に違いない。けれども、ショックに耐えかねた睫毛の震え、やるせなさに追い詰められた肩の震えは、隠しているけれども隠しきれるものでは無い。

ラクリマがいなくなってしまったことは、革命派の若いドールたちにとってあまりにも影響が強すぎた。ドールの群れの中で存在感を放つドールは、群れのコミュニティとしての質をあげてくれる。ただ、それと同時に失われた時の喪失感も生半可な物ではないのだ。

ラクリマの訃報を聞いて、狼狽えないよう努めるのが精一杯だっただろう。再会したばかりのスティアの手前、皆に追いついたばかりの青玉がいた手前、遠慮もなく泣けるほどクラウディオは子供ではなかった。

アンドは、自分の持つ死生観が周囲のドールのソレとはズレていることを自覚している。自分はそこまで悲しくなかった。それはラクリマに訪れたのは本当の死ではないと考えていたからで、まだラクリマはアンドの中に生きていたから。ただ、クラウディオはどうだろう。アンドの死生観とクラウディオの死生観では話が違う、自分にはわからなくとも、クラウディオからは受け入れ難い部分があったのだろうとなんともなしに察している。



「無理なら泣いていいんだよね」



にっこり笑ったアンドだったけれども、シリルは、いや、シリル以外の革命派のメンバーもそうだろうけれど、他の仲間たちはアンドが泣いているところを見たことなんてなかった。



「…………ぼ、僕……」


「うん」


「すきだったんだとおもう……」


「俺のこと?」


「ちが、うけど違わないよ!」


「冗談~」



ぼたぼた落ちてきた塩水を拭った。アンドはへらへら、いつもと同じ笑顔を浮かべて泣きじゃくり出すシリルを見ている。

気が付くのには遅すぎた。全部手遅れになって、自分で気が付くどころか、他者の言葉でようやっと気付いた歪な感情。もうちょっとちゃんと見ていたら、ここまで歪んで、歪んだが故に弾けて出来てしまった刃物が胸に刺さることもなかったのだろうか。



「青玉達大丈夫かなぁ」


「んぐ……リベルもいるし、大丈夫なんじゃないかい?」


「でも昨日までちっちゃかったんだよぉ?もう俺より大きいけど」



成長抑制、“ 変質 ”。ニンゲンには決してありえないソレは、ドールの足枷であり、特権でもある。

アンドと話していたら、ほんの少しだけれど肩が楽になったような気がした。こんなに苦しい思いをしたことがないシリルはどう振る舞うのが正解かなんてわからなかったものだから、アンドから泣いてもいいと言葉を貰えたことに確かな安心感を得ていた。ほうっと、軽くゆるぅく息を着く。息をつけるのもいつまでだかはわからない。


スティアの暗い眼孔を、ホルホルが左の瞳でじいっと覗いた。じわじわ、眼孔の奥が熱を持つ感覚。新しい眼球を拒絶していたスティアの心が変わった今、いつまでも暗闇の世界に引きこもっている訳には行かない。これは、スティアなりのケジメで、クラウディオのワガママで、ホルホルにとっての職務。



「ティア、目が昔のと違ったって俺はティアの隣にいるっスからね、ぜ、絶対前みたいなことしちゃダメっスよ!」


「クラウ、わかってますよ、ちょっと静かに……」


「だって!俺と離れてる間に、な、直したらとって直したらとってってしてたってさっき聞いたら……」


「クラウディオうるさいんだぞ」



ホルホルが胡乱気に声を放つ。スティアのことが心配で仕方ないのだろうそのオッドアイがうぅ、なんて声と共に目尻を下げた。



「大丈夫ですよ、クラウ」



もう、ひとりだった時の僕じゃないから。クラウがいるから。鮮烈な赤を失った暗い両眼はホルホルに向けたままにして、淡い桃色の唇だけに笑みの色を乗せた顔。

ちょっと離れててください、と言ったスティアに、どうして!?と慌てたクラウディオをホルホルが今一度制する。なかったはずの組織が、泡立つみたく金の塊から形を得つつ再生していくのは見ていて気分がいいものとは言えないだろう。好いた人物に見られたくないというスティアの気持ちを汲んだホルホルが、ちょっと首の角度を変えてやる。

ずっと望んでいたけれど、怖がってもいた。

クラウディオの顔を見たかったけれど、クラウディオの褒めてくれた眼とは違うソレを自分自身が受け入れられなかった。けど、再会したクラウディオの言葉で遅れながらも目を覚ます。彼が愛していたのは赤い目ではなくて、スティア本人だったことを、長い期間を経て理解した。馬鹿だったなぁなんて思いながら、じわじわ、薄暗さの中に光を取り戻していく視界を。



「……よし、目を閉じてみるんだぞ」


「はい」


「少ししたら馴染むから、見えるようになるぞ。クラウディオ、一番最初に顔を見せてあげるといいぞ、多分馴染みやすくなる」


「そ、そうなんっスか!?」


「あの……ホルホルさん」



ありがとうございます。

細いけれども、ブレのない声が返ってきたことに、ホルホルがほんのちょっぴり目尻を和らげる。



「いっぱい色んなもの見るといいんだぞ」



恐ろしさから目を逸らしていたものは、案外美しいものだったりするのだから。

逆も然り、ホルホルは美しいと思ったものを見ていたら、おぞましい部分を見たことがあったりもしたけれど。今のスティアにはクラウディオがいるのだから、大丈夫。


コラールが街を落とした落石から、優に30分は経っていた。シリルとルァンがホルホル達と合流してからというもの、随分長いことシリルの修理をしていたのだ。ホルホルの左の視界はとっくにぼやけてしまっていて、もし何かを直すことができたとしても、次が最後だろうと気を引き締める。

ざあっとその場を見渡した。シリルとアンドは控えめに談笑していて、両者共に時折笑顔を見せこそするものの疲労の色は随分濃い。カーラとルァンと、アルファルドとが話すのをニアンがぼうっと眺めていて、そちらは少々剣呑な雰囲気だった。



「ホルホル」


「……お前達」



ほんの少し離れた箇所から、ほんのちょっぴり懐かしい声。

長い黒髪を三つ編みにして左の肩に流したミュカレの姿を見とどめる。けばけばしくなんてないのに、ふわりと華やかな微笑を浮かべたかんばせはその場で一際目立っていた。

手の内に抱えられた満身創痍の檳榔子玉は瞳を閉じていて、ホルホルからその青い双眸を望むことは叶わない。

直して欲しい、ということだろうか。

ホルホルの眉間にシワが寄った。ミュカレと檳榔子玉が革命派を裏切ったことは周知の事実で、本人達も自分達の立場を知っているはず。まさかそんな要求を通しに来たわけでは無いだろう、なんて思ったけれど、ミュカレは恋人を連れて敵陣に寝返ってしまうような行動力と精神性を持ち得るドールだ。ありえなくはないと気を引き締める。



「どうしてここに?」


「セレンが怪我をしてしまったから、地上に戻ろうと思って。偶然だよ」



にこにこと無害そうな笑みを浮かべるミュカレを迎撃する気は無い。というより、できない。付近のドール達は基本的に全員戦意喪失のようなもの。その上ミュカレは戦闘に不向きでそう好戦的な個体でもなく、彼と共にいる檳榔子玉こそが戦闘向きでこそあるが、当の本人はミュカレの腕の中で静かに息を潜めている。

直して欲しい訳では無いらしい。ホルホルは、無干渉のまま放置されればそのドールの命が危ういだろうという場面においてほとんど完全な中立である為、直せと言われたら断る理由がない。見殺しなんて、ホルホルの志と決意に反する。直せと言われたら直すが、正直彼自身も限界に近かった。ミュカレのように歩ける個体が介抱できる状態ならばなるべく後に回したいと思う程。

地上に続く通路はもう少し南東だと、エネルギー切れも近付いてしまって水分が飛んだ喉を、ほんの少し掠れた声で震わせて言葉を紡いだ。

ありがとう、なんて柔らかな礼を述べながら、ミュカレがするすると人混みの中を歩いて抜ける。

じいっとミュカレを伺うみたく見ていたアルファルドと、驚いたように顔を上げたシリルやアンドの横を抜けていく。まぁとにかく、永朽派のドールとルァンを避けるような形で、踊るような滑らかな歩き方をするのをぼうっと見ていたけれど、すうっと、急に頭が冴えた。


アビリティを広げている。



「そこから動くな!」



ぴたり、ミュカレがすっかり足を止めて。

その場のドール達全員の視線が大声を出したホルホルに注がれる。

踊るように、それでいて滑るように、優雅な足取りでこちらへ距離を詰めてきていたその足先が、ほんのささやかな仕草を添えた歩法だけでこの場のドールの殆どの行動を制限してしまったことにようやっと気がついてその歩みを制した。制したけれど。

どうしてすぐに気が付かなかった!!

長時間酷使された頭脳にとって、色濃い疲労は足枷以外の何物でもない。浅はかだった、一度展開した箇所からそこそこの範囲を自分のテリトリーに変えてしまうミュカレのそれは、ほとんどゼロ距離にいたシリルとアンドはまとめてひとつの“ 蜘蛛の巣 ”にかかっているだろうし、アルファルドもその餌食だろう。ルァン達はアルファルドと距離を置いていたから、そちらは大丈夫かもしれない。

動けるのは、自分と、クラウディオ、スティア、それから永朽派のドール2人。



「ふふ、そう怒鳴らないで、僕は無闇矢鱈誰かと戦いたいわけじゃないんだから」


「アビリティを解除するんだぞ」


「それは僕にもできない」


「なら武器を捨ててくれ」


「それもできない。これはセレンのものだし、特別なものだから……」



害意はない。少なくともホルホル達には。

攻撃してこないというのか?

争う気は無いというのか?

ならば何故アビリティを展開した。わからない、不可解なことが多すぎる。いくら聡いホルホルでも、他個体の感情を完全に把握できる程の心理掌握能力は持ち合わせていないのだ。

一体何の目的で。

立て続けに起きる襲撃地味た環境の変化に、そろそろ頭脳が根をあげたがっていた。ホルホルは賢い。一度に処理できる情報量が並の個体とは違うのだ。ただしそれは、考えることをやめる、という選択肢を無意識に潰されているようなものでもあった。群れのブレインとして稼働することが身に染みてしまったホルホルは、命を天秤にかける行為を不本意ながらも繰り返している彼は、休むことを許されない。

とうとう困憊もピークらしい、どうして、なんでだと思ううち、ずきんずきんとホルホルの頭が痛みに疼いた。

ホルホルが苦悶の色をうっすら口端に乗せるのとほぼ同時に、背後でクラウディオが立ち上がったらしい。ばちゃんと水の揺れる音に被さるみたく、ぱちぱちと静電気のはじける音がする。今この場、動ける革命派の中で身体能力、アビリティ共に戦闘能力と呼べる力を併せ持つ個体はクラウディオだけだ。

水に浸かったドール達が決して感電しない程度に軽く電気を走らせる。そのたび響く乾いた音は、威嚇音と呼ぶに相応しかった。



「確かめたいことがあるからね……」



長い髪に水面の揺らぎが映り込むのを睨みつける。完全にクラウディオのことなど眼中に無いらしいミュカレが、動くなと言われたにもかかわらずその座標をふわりとずらした。アルファルドの方へそっと寄って、檳榔子玉を抱いている右手とは逆の左手を。白い指先を眼前へ。くっつくように曲げられた薬指と小指にはガンブレードの引き金部分がかかっていて、銀の切っ先がぷらぷら、二人の間に揺れていた。

ミュカレとアルファルドは幼馴染だ。

同じ保育所で育ち、同じ景色を見て半生を過ごした存在。



「アル。幼馴染のよしみで出してあげる」



アルファルドの黒い瞳が、ちらりとミュカレの腕の内のドールに向けられた。

ふと、ミュカレが自分の元を離れて行った時のことを思い出す。兄弟同然__にしてはかなり淡白なコミュニケーションをとっていたのだが、まぁ、それほど親密だった仲の彼が、余りにもあっさりとどこかへ行ってしまったから、今頃どうしているかと柄にもなく時折思い起こしてはいたのだけれど。

手を取る前に、ミュカレの腕の中に目をやる。ボロボロのドールが一体、大事そうに抱えられていた。

ボロボロのドール__檳榔子玉の顔は穏やかだった。やや博愛気味なスキンシップを取りこそすれど、誰も彼もに執着を表へ出すようなスキンシップをとることのなかったミュカレが大切そうに、奪われまいとするようにそのドールを抱いていたものだから。檳榔子玉とは初対面のアルファルドでも、ミュカレにとって檳榔子玉がなんなのかがよくわかった。

檳榔子玉の表情が穏やかであるように、愛する人を手の内に収めたミュカレの表情もまた穏やかで。

愛して愛されたのだろう。愛されることは幸せで、愛することも幸せ。わかっている。恐れて手を出せなかった“ 愛 ”とやらの真価を。自分は手に入れられなかったが、幼馴染の彼は持っていた。妬ましくも憎たらしくもなく、否定的な感情もないのだが。いつの間にか溝ができていたような気がしてしまった。



「それはどうも」



アルファルドの交友関係は浅く広い。深い部分なんて片手に収まる程度で、その数少ない一角がミュカレだった。右手で、眼前の左手を取る。

冷たい指先同士が触れ合って、触れ合ったその、ほんの少しの隙間から、青い鎖がじゃらりと伸びた。互いのことをよく知っている。ただ、それと同じくらい、互いのことを知らない。

手が冷たい人は心が暖かいというけれど、青い鎖が幼馴染の指先から伸びてきたのをみとめたミュカレの心の内も、ようやっと踏み出す覚悟を決めた光を見失ったアルファルドの心の内も、ただただ冷たく澄んでいた。


“ 束縛 ”が発動した瞬間に、気にしないでと口にしようとしたアルファルドの手をミュカレがばちんと思いっきり打ち払う。そのまま、手に下げていたガンブレードを掴み直して横に振り上げた。

息を飲む間もない。ただ、ブレードが自分の首を落とす為に持ち上がるのを、スローモーションのような視界でもって眺めていた。なんで。知らない。わからない。わからないままもっていかれてしまうのか。


アルクとの奮戦の後、南東へ下ったミュカレ達はコラール達と合流した。へぇ、生きてたんだ、と、らしくもなく覇気のない声でこちらを見たコラールの髪は乱雑に短く切り落とされていた。

そこでリベル達にいたく警戒されながらも、ほんのちょっぴり情報を共有する。アルクを無力化したことだったり、出口の場所だったり。出口がわかり次第、さっさと檳榔子玉を連れて地下四層を出るつもりだった。コラールの零した言葉を聞くまでは。



「間違いであって欲しかったかも」



ミュカレにとっては、檳榔子玉と、檳榔子玉とミュカレの愛あふるるくらしを支えてくれる人だけが全て。

なんのてらいも躊躇いも、容赦もなく、ブレードを勢い任せに振り下ろした。

はずで。



「あ____」



でも、それより早くけものが吠えた。




「あ゙あ゙ぁぁあ゙あぁぁぁああァァァアッッ!!」




巨大な梵鐘ぼんしょうを叩き鳴らしたことはあるだろうか。

教会の鐘の音を間近で聞いたことはあるだろうか。

低い、轟くような衝撃が大気を伝播する、あの体の底から震えるような感覚を、知っているだろうか。それに近かった。

ドンとその場のドール達の身体が一息に痺れて竦み上がる。攻撃をされただとかそういうものではなかったけれど、余りにもインパクトのあるその慟哭どうこくが、僅かな間、ほんの一瞬とはいえ、その場のドール達の自由を根こそぎ奪って食ってしまった。

ビリビリ、痺れた腕が動きを止める。驚いた表情のアルファルドに切りかかろうとするままの姿勢で固まってしまったミュカレの右手を、ルァンの白魚のような手が強く掴んだ。

さっきの叫び声はルァンのもの。こうなってしまってはルァンのものかどうかも怪しいが。ミュカレが見たそのアンティークゴールドの瞳は、酷く困惑したような、苛立ったような色を帯びていた。まるで目元と口元に違う人物が宿っているようなちぐはぐな表情をしてみせて、それから掴んでいたミュカレの右手にキスを落とす。


“ 墨染 ”。


キスと言っても、完全にアビリティをかける為だけの必要最低限の接触だった。

ミュカレはルァンのアビリティを知っている。くらえば翼の自由を奪われる。昔に地べたに叩きつけられたあの時みたいになってしまう。



「セレ、ッ」



セレン。巻き添えになる。

檳榔子玉を抱いていた手を咄嗟に離したら、その身体がばちゃんと水に落ちてしまった。傷はない。シリルが“ 代替 ”したのだろうか。わからないけれど、とにかくこれで檳榔子玉がミュカレの腕の中でぐちゃぐちゃになるようなことはない。一緒に叩きつけられることは無い。

ぐんっと身体が持ち上がって、変なところで急停止。そのまま、少し左にズレるように真下へ。



「あ゙ッ、ぇ゙!?げほ、ァ」



ダンッ!!と叩きつけられた身体。いじめっ子達に潰された感覚が蘇ってきて血の気が失せる。右手に握っていたガンブレードを手放してしまった、ずるずる、左下へ身体が引きずられて、また上へ行くのかなんて思考を走らせたらば、今度は真下に強い圧。

声も出なかった。


“ 加重 ”。


アルファルドが、また上へのぼって無理矢理下に降ろされるのだろうミュカレの身体をアビリティでもって抑えつけている。ばきばきと身体にヒビが入る感覚がしたけれど、叩きつけられる痛みが何度も襲うよりかはマシだろうかなんて。アルファルドがソレを繰り出したのが、縦横無尽に飛びまわる弾丸ドールの流れ弾を警戒してのことだったのか、それとも幼馴染のミューが必要以上に粉々にならなくていいようにする為の温情だったのかはわからない。

半狂乱気味のルァンがアルファルドのほうに視線を向けた。ギラギラ光るアンティークゴールドの瞳は、きっと青い鎖しか見ていない。今度はルァンを使って、こちらに破滅くちづけを贈らせる気なのだろう。



「おれのこ、俺の子返して__」


「そっちこそ、ソレ返しなよ!!!」



ただ“ 蜘蛛の巣 ”の中に落ちてきたガンブレードを鈍くなった身体に鞭打って拾い上げ、最小限の動きでルァンに向けた。錯乱気味の端正な顔を八つ裂きにしてやろうとブレードを振るう。

苦しげなうめき声をあげて後ろによろめいたルァンが偶然それを回避してしまったものだから、アルファルドのリーチからルァンが外れて行ってしまった。撃つか。銃弾はドールを殺すのに向いていない。仮に中にいるのだろう目当ての方を手違いで殺してしまったらと思うと。

思うと。

思ったけど、別にそれも悪くないかもなんて。



「俺の、俺の子?違、あぁあッッ私の邪魔を、この……!!」



ブレードを持ち上げ銃口をルァンの心臓部へ。今の叫びは、強烈な、知覚できるレベルのシグナルはクレイルのものだ。何がなんでも、手段を選ばず取り返したって何が悪い。

引き金に指をかける。かけた。あとはもう引くだけ。引くだけ、引くだけなのに。


引けなかった。

高い歌声がその場をぐっと支配したから。


“ 声連 ”。


コアだけになって暴発するしかなくなった、弱ってしまったクレイルのアビリティが齎した拘束よりも、誰より確固たる自我を備えたカーラのそれがまさっている。

アルファルドも、ルァンも、その場の全員がその歌に心奪われて、指の先だって動かすことを禁じられた。



「気分が悪いから今すぐやめてくれ」



“ 声連 ”。相手の動きを自分のものにしてしまう凶悪な手札は使ってしまったが、まだ、一つ。カーラには切り札があった。

歌声を聞いたドールの動きを止めること。

その場の支配権が、カーラの歌に委ねられる。全ての殺生がその瞬間、カーラの手中に収まった。

ぎち、ぎち、引き金を引きたくとも引けない。冷淡な表情ばかり浮かべていたアルファルドから、きつい歯軋りの音がした。



「ニアン、動いていい。僕の指示通りにしろ」


「っあ、う、うん……?」



ずっと待っていた。

主導権が我が物になるその瞬間を。














​───────

Parasite Of Paradise

23翽─這々の体

(2022/06/12_______22:15)


修正更新

(2022/09/29_______22:00)

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