21翽▶奪い方から与え方

















『取った後、大体6時間で鳥籠中の電力だとか、浄水システムだとかが全部とまる』


「そ、の6時間は大丈夫なの?」


『緊急時の為の予備電源が働くはず。蓄電も千年以上ずっとしてたわけだから、多分大丈夫だ』


「わかった……」



手を伸ばす。“ 黒い卵 ”はぽかぽかと暖かかった。まるで卵の中に眠る雛鳥が自身の存在を知らしめようとしているかのよう。まだ手をつけていないというのにその温もりが妙に生々しくて、デライアはついつい伸ばした手を引っ込めそうになった。

たじろいでいるとレヴォが怒鳴ってくるものだから、手を引っ込めそうになったその瞬間に怒鳴られる。台パンされるのはこれで3回目だ。しゅんと、ふかふかの白い翼がちょっぴりしぼむ。

滑らかな石の表面は艶々とあでやかにきらめいて、黒の向こうには自分の顔が映っている。バスケットボールよりも一回り小さいくらいだろうか、そこそこの大きさがあったけれども、不思議と重みは想像よりも遥かに軽かった。相応の質量はある。けれども、鳥籠の中の全てのエネルギーをこれ一つで補っているとは信じられないくらいに重々しさがなくって、呆気なかった。



「……きれい」



黒の中に虹が潜むようななまめかしさを帯びる石。卵型のそれは、宇宙の、星を孕んだ闇を溶かしこんだような美しさを持っていて、ついつい深みに視線が囚われてしまうよう。暖かいそれをふんわり抱き締めて、それからほうっと息をついた。



『……落ち着いたか?』


「うん、大丈夫……これを、コアをいくつか持ってる人が巣箱に持っていけばいいんだよね?」


『それだけじゃ鳥籠は開けられない』


「え……」



マザーに黒い卵を届けて、それで鳥籠は開放されるのではないのか。焦りの色が浮かんだデライアの様子を見ていたのだろうレヴォが、慌てて落ち着かせるみたく声をあげる。



『黒い卵はあくまでも鍵だ、それを使って鳥籠をあけられるドールがいないと話にならない』


「黒い卵を使って鳥籠をあけられるドール……そ、んなひと、いる……?マザーに届けるんじゃ……」


『母様は……いや、いい。後で話すよ。あけられるドールはいるし。1人だけな』



ならそのドールも連れていかなければならないだろうと思ったけれど、気にしなくていいなんて曖昧なレヴォの言葉で問いも消えた。急かされるままに、ああそうだ。外に出ないとなんて頭を回して主電源装置室を後にするべく足を引く。扉をくぐって、元来た道へ。

力なく首を下げた鉄の竜のような面持ちをする機関銃達の間を通り抜け、それらに背を向けて行くのも恐ろしいから後ろ歩きで進んでみたりなんかして。



『何やってるんだ』


「ひぁっ!ぅう、え、えっと、銃がこわくって……」


『ガラクタだって言っただろ……加工所を出たら僕とは話せなくなるし、僕からも見えなくなる。そんなんで大丈夫なのか?』


「が、がんばる……」



それからほんの数歩歩いただけで、ずずんと地鳴りが遠くから響いた。音は遠くからだと言うのにその揺れは相当の大きさで、デライアの視界が縦に揺れた。ここは地下3層で、地表よりも遥かに揺れを感じやすいからこんなに大きくゆれただけなのか、震源となった何かが近いのか、デライアからはわかりかねる。

カコウジョは頑丈だ。それこそ千何年と無傷のままに動いて務め、鳥籠の中を飢えと渇きから守り抜いていた実績がある。ちょっとやそっとで崩れるような施設では無いのは明白だったが、それにしたってここまで揺れが酷いと恐ろしく思ってしまうだろう。



「うぇええ…………は、はやく、アルクさん達と合流しないと……」



震える脚を叱咤して、微かに開けっ放しだった扉を身体で押して向こう側へ身を投じた。



『気をつけろよ』


「うん、ありがとう」


『母様と、その卵を頼む。無茶はしな……いや、やっぱ多少は無茶しろ。どうせなんだかんだお前なら大丈夫だろうから』


「う…………へへ、わかった」



少し遠くなった、スピーカーを通じて荒れてしまった若い声。顔も名前も知らないけれど、最後の言葉は柔らかくって暖かいものであったから。デライアもぎゅっと手元の卵を抱き締めて、深く、こくりと頷き、それからだあっと駆け出した。

巣箱に行くには地上へ出るのが一番だろう、思い当たる経路は、地下3層の明るい街並みに聳える連絡階段かエレベーター。そこから上へはどう行くか知らないが、とにかく地表に出ねば話は進まないのだろう。雄彦たちと別れた研究施設の扉を超えてから薄暗くなった世界に、寂しくぶら下がる連絡通路を駆けていく。靴底が滑らかな地べたを撫でていて、ごくまれにきゅきゅっと革の擦れるような音がした。

レヴォは最初から最後まで姿を見せなかった。

徹底してスピーカーとカメラ越しにデライアへ接してきていたあの声を思い返す。雄彦や、偽りの友人だったレヴォと同じで、鳥籠の真髄に近い個体なのだろうか。恐らく、というよりかはほとんど間違いなくそうだろうとは思いながらも、断定も良くないと程々に。もう少し話を聞いておけばよかったかもしれないと思いこそすれど、あまり長く留まってしまってはいけないとも思うから。

デライアは飛べない。けれどもその脚は誰よりも確かに地面を踏み締めることができるし、ふわふわと抜け落ちた細やかな白い羽は星屑達の軌跡のよう。飛べるか、飛べないかだけが全てではないことを知ったドールの脚は、足取りだけが確かだった。

地が揺れる。視界が揺れる。それでも走って、元来た場所へ。

雄彦が開け放ってくれたあの灰色の扉が見えてきた。その扉の向こうには、つい先程散り散りになってしまった花園へ続く廊下があることをデライアは知っている。

そこへ。そちらへ。外へ。



「はっ、は、あ」



切らした息もひゅうっと止まる。眼前にいきなり三日月が降りてきたかのようだった。

にんまりと歯を見せて笑う三日月の向かいに日輪が輝く模様の仮面。金の髪がゆらりと風に揺れて、そのドールの右手がデライアの首を狙って振り出される。

黒い卵を抱えていて、少なからず緊張状態にあったのが幸いしたのだろう。ブレーキをかけて、一思いに翼を胴体の前へ押し出すみたく大きく広げ、迫り来た敵対者を吹き飛ばす。間に合った。

相手の持っていた小刀が左の翼に傷をつけたけれども、このくらいならば抜けた羽が傷を塞ぐからと気にもとめない。襲いかかってきたドールの身体は相当軽かったらしく、ドンと跳ね飛ばされるみたく虚空を飛んで、それからくるり、空中で身をひねり体勢を整え着地する。随分と対面戦に手馴れた個体らしいことは、素人なはずのデライアからだってひと目でわかった。

突然目の前に現れたソレ。微かな殺気を極度の緊張状態で察知するその瞬間までは、姿どころか気配を認識することも難しかった。アビリティだろうと察したけれども、だからといって手の内が全てわかったなんてことはなく。



「永朽派の……抱っこしてるそれ、こっちに寄越すすっよ」



ゆらり、ふたつに括った柔らかな金髪を揺らして細い影が立ち上がった。

永朽派、とこちらを呼称する声には温度がなくて、画面の向こうの表情が無であることをありありと伝えているようだった。簡単に渡せるほど軽んじていいものではないし、そも、渡して、それで穏便に終わりそうな様子でもない。



「渡したらどう、なる?」


「機能停止で済ませてあげるすっ」



身の安全は保証されない。こめかみから冷や汗の垂れ落ちる感覚がした。見知らぬドールだ、卵を渡したらどうなるかなんてわからないけれども、きっとこれは、話したところで話を聞いて貰えないだろうことが伺える。

身を引く。構える。それだけで答えは通じたのだろう、目の前で仮面の奥に素顔を隠したドール__マルクが、今一度切りかからんと小刀を握った右手を構えた。

見当がついていた訳では無い。黒い卵を抱えた永朽派のドール__デライアと遭遇したのは偶然だった。アビリティで闇に溶けたまま地下4層へ降りこそしたが、アルファルドや青玉、それからコラールに外部のドール。そのまた先ではルァン、シリル、檳榔子玉、ミュカレやアルクが戦闘を始めていたものだから、その場を避けたらかち合った。ただそれだけ。

マルク本人の目的を達成するにあたって、手助けは不要と判断した。故にそれらの争いには参戦をしないまま、天井付近を飛行。やがてアルク達の真上辺りに位置していた、3層へ繋がる別の穴を見つけたから、たまたまそこへ。そうして、その奥を偵察していたらば。

鳥籠を開ける鍵。焦がれた鳥の夢を叶える卵。それを、永朽派の、邪魔者たるドールが。



「ごめん、これは任されたものだから、渡せない……!!」



夜空を溶かして固めたような卵をとりあって、星の鳥と、月の鳥が相対し合った。














​───────​───────













双子機。兄弟機。

基本、うまれながらにして繋がりを持つのはマザーだけであるはずのドール達にとって、それはそれはもう、替えのきかない、比べようのないほどに大切な存在。

失えば壊れる。受け入れたとしても、きっとどこかに歪みが残る。

目の前に聳える氷の壁が、アルファルドと青玉の身を瓦礫の雨から守ってみせた。手袋の脱げた白い指先が水面を撫でて、獲物を求める蛇の如く迸った青白い光は、瞬く間に空虚な空間へ氷の城壁を築き出す。視界を覆った氷壁は水晶のように美しかったけれども、足元の青が溶けた水でできているせいか、どことなく濁っているかのよう。



「危なァ!青玉、メガネのあんちゃん、怪我はないですか!!」


「大丈夫」



ほとんど反射で身を守ったのだろうユムグが青玉の方を振り向いた。深く頷いて簡潔に返したら、どこかほっとしたような表情をしたユムグの頭の向こう側、形を成していた氷達が一瞬の合間に淡い光の粒子となって、蛍の群れが荒らされたかのように消えてしまった。上に乗っていたのだろう瓦礫が、三体の付近にバシャバシャ、遠慮なく水飛沫をはね上げながら落ちていく。

ユムグのアビリティは“ 氷結 ”。素手で触れたものを5秒間凍らせるものだった。足元の水を凍らせて、操作して、壁へとソレを転じさせて身を守ったのだろう。5秒を過ぎれば消える壁。開けた視界をぐるりと見遣る。

見渡した青い水の世界に、見慣れた色合いの片翼ひとつ。



「ぁ、あっ、しゅ……秋ちゃん!!」



荒らげた声のままに水面を蹴り上げてそちらへ。

腰から下はすっかり失せて、左の頬は大きく欠けて、そこらじゅうヒビまみれになってしまったそのドールに素手で触れないよう、慎重に、けれども慌てながら身体を抱き上げた。膝を着いてしまったから、脚はもうすっかりびしょ濡れだ。けれども気にならない。大きな傷口から黄金をこぼし続けるそのドールの傷に右の手を伸ばして、凍らせすぎない程度に軽い調整をしつつ凍らせていく。ずっと触れてさえいれば、ずっと凍らせたままにできるのだ。ただし、5秒を過ぎるごとに、ユムグの頭が痛みに襲われるけれども。



「秋ちゃん!!秋ちゃん……」



ばさり、翼をはためかせて、黒いブーツの先を水面につける。ぱしゃんなんて軽い音。コラールが水面に降り立って、よく知った顔と鏡写しのそのドールを呆然と眺めた。似ている。かの人に、“ 似ている ”という言葉がみすぼらしく感じてしまうほど酷似していた。



「何、この薄気味悪いくらい青い場所……」



気の違っているドールに声をかけ続けるその顔を見ていられなくて、すうっと視線を横流し。



「こ、れは」



薄ら目を開けたオータムイエロー。秋が掠れた声でコラールの飛ばした色濃い疑問に答えてみせる。死にかけだと言うのに対話を止める気は無いらしい、ユムグの呼び掛けも無視してその問いに答えた。

なぜ話すのか。なぜ答えるのか。今際の際と称するに相応しいだろうに、そんなボロボロの身体で口を開くのは何故。なんだか、自分のしてきたことを正当化したがる子供が、必死になって弁明しているようにも見えた。


おおよそ5、6年程前のこと。地下街二層に、ある科学者がいた。

科学者だとか、研究者だとか、とにかく知識欲に取り憑かれてしまったいきものは、ニンゲンだろうとドールだろうと極めつけてしまったらば頭がおかしくなるらしい。

ジオールと言ったそのドールは、秋が恐れていた真っ赤なドールが目をつけるほどに研究意欲の強いドールだったそう。幼いドールから身体の一部を取り上げて、私利私欲を満たさんと使ってしまうほどには、何かが欠けてしまったドール。

真っ赤なドールが目をつけていたそのドール、ジオールは、こんこんと青を垂れ流す脚が生み出した巨大な青にのまれて死んだそう。やがてその青は地下街二層を飲み殺して、脆くして、崩れて落ちた二層は“ 脚 ”を抱えたままに貯水層に沈んで。

じくじくと鳥籠を蝕んだ。

真っ赤なドールにプライドも、親しいドールの命も売って、生き延びる為に手先になるにあたって顛末を教えられた秋は、それを知っていて放っていた。



「これ、ね、鳥籠だけじゃなくて、ドールもしぬんです。動物もぜんぶしぬんです。戦争用ドールのアビリティって、だい、なり小なり、ころすためだったり、ころすためのドールを守るためにあるんですから、しかたないんです」



へらへら笑った秋の顔の上をヒビから零れた黄金がつうっと伝い落ちて、なんだか気味が悪かった。



「戦争用どーるから、ボス、から、ユムグを守るためには、とられないようにするにはね、しかたなかったんですよ」


「お前、何言ってるの」


「ふたごきにとっての一番はかたわれなんでしょう、ボスがいたらオレ、ゆむぐのいちばんじゃないでしょう……」



ドールは執着するいきものだ。それは、観る場所によっては美しくって、醜くって、ずっと見ていたかったり、見ていられなくなったり。秋のように他個体だとか、自分自身の命へ執着するあまり、周囲を滅茶苦茶にしてしまうドールも少なくない。たとえ自分が好きだったものを、憧れていた警邏隊を滅茶苦茶にしていたとしても、執着する何かが守られているならば何だっていいと自暴自棄気味になってしまう。皆が皆揃って、大元の“ 心 ”は弱いいきものであったから。わからなくはない。きっと根本は、大元の理論だけ突き詰めてしまえば、コラールのソレと秋のソレは似通った物に違いない。

自分と、自分の想う特別な何かさえ無事ならば、それで。

青玉が苦しげに眉根を下げる。秋の言った、ふたごきにとってのいちばん。青玉は、それこそついこの間まではこの言葉通りのドールだったのだ。けれども秋の言うそれは違うだろうと今ならば思う。

確かに双子機にとっての片割れは、兄弟機にとっての片割れは、特別だ。特別だとか、格別だとか、他とは一線を画す存在なのには違いがない。けれどもそれは個を確立するまでの間に過ぎなくて、そのうちそれぞれにとって大切な存在を見つけることができるものなのだと青玉は思う。自分がそうだった。

現実を受け入れて、個を確立して、そうして現実に干渉しかねない程ぴったりと“ いちばん ”の座に収まっていた御影が別の特別と相成って、やがて今の青玉のいちばんには仲間達が収まった。確かに互いに大切だろうけれども、いずれはそれぞれにとってもっと大切な何かを見つけるのだ。

なれないなんて、そんなことはない。



「秋ちゃん」


「ね、ゆむぐ、オレと一緒がいいでしょ。帰ろう。オレしにたくない、だっこして、いつもみたいにつれていって」


「秋ちゃん……」



誰かの特別に、絶対なれないなんてことはないのだ。真心だとか、愛情だとか、そういうモノの形を真っ直ぐ向けていたならば、きっと誰かにはぴったり収まって、受け入れ合うことができるはずなのだから。

けれども、真っ直ぐ向けていたならばの話。



「だれかから、大切なものとったらダメなんですよ」



ぱきぱき、身体が凍っていく音。完全に氷漬けなんかにはならないように調整するのを止めてしまったユムグの手のひらから、青い氷が伸びていく。

全部とられたユムグにとって、誰かから何かをとりあげてできた幸せだとか、愛情だとかは、胸の内をちくちくと苛む毒そのものだった。

秋の顔がじわり、疑いと恐怖の色に歪む。死にたくないのだろうけれども、秋はそうやって警邏隊のドール達を危険に晒した。危険を撒いた赤い鳥に、他のドールを売っていた。



「秋ちゃん、オイラ、いらないよそんなの……だめなんです、やったらダメなことなんですよ」


「……ユムグ?つめたい、冷たい、痛いッ痛いよユムグ!!ユムグ、やめッ、て、ン゙ん、んぐ、ぅ゙、ッッ!!」



凍る身体に悲鳴をあげようとした秋の口を逆の手で塞ぐ。

愛情とは、互いの身を焦がして熱を増し、色を増し、育まれるものだろうけれど。一方的に燃え上がってしまって、そうして辺りを焼け野原にして得られた愛なんて、ユムグは欲しいと思えなかった。秋の身体が凍る。中へと伸びた氷柱がコアに沈んで傷でも刻んだのだろう、涙と黄金でぐちゃぐちゃになった、ぼろの身体がガクンと震えて、それから落ちた。



「…………俺は秋さんの言うこと、よくわかるけどねぇ」



ぽつり、アルファルドの低い声。

秋が動かなくなったのをぼうっと見ていたユムグも体制を崩して、青い水の中に倒れ込んでしまった。スリープモードか何かに入ってしまったのだろう、ピクリともしないそのボディは、顔パーツの半分以上が水に浸かってしまっているというのに、苦しげな表情ひとつだって浮べやしない。

コラールがザワつく胸奥のままにそれを見送って、ゆるり、視線をあげる。革命派なのだろうドールの横に並んだその身姿。姿眩ませた、信じていた数少ない仲間。

どの口が。2体の、もの言わぬドールが生み出した波紋も消えぬその内に、濁った桃色と透き通った桃色と、それから挟まれるように青いぎょく。逼迫する空気感が、嫌にトゲトゲしくって仕方なかった。



「お前、どこにいたの」


「関係ないでしょ」



じりじり焼けるようなその場の雰囲気。ピリつくコラールとは相対して、アルファルドの方は余り気負っているようには見えなかった。あくまでも平素。その実、目の前でユムグが動かなくなってからぎしぎしと腹が軋むような痛みがあったというのもあるけれど、コラール相手に純粋な戦闘力では勝てないことを悟っているが故に、試算をしていたから。

コラールのアビリティはシンプルで、そこまで直接的な攻撃力が高い代物という訳では無い。けれどもコラール自身の闘争心だったり、逆立つ感情だとかに煽られてアビリティの能力が通常時から底上げされたような威力を保っているものだから、類似アビリティとは一線を画す攻撃性を誇っている。

アルファルドのアビリティはとっくのとうに再発動ができるようになっているけれども、それはたった一回きりしか撃てないような正真正銘の切り札だ。手に入れたヴォルガのアビリティも、接触しなければ発動しない。そも、近付くのが難しいと言うのに。



「青玉」


「……何かな」


「俺、あんまりこの子と戦いたくないんだよねぇ」



そんなのは青玉もそうだ。彼が憎む革命派だと知られていなかったからこそ過ごせた時分の記憶ではあるが、子供の描いた、決して上手いとは形容できないだろう似顔絵を受け取って、少しだけ恥ずかしそうに笑った敬う兄を相手取るだなんて、決して心地いいもののはずがない。

自分はかなり愛されていたのだなと思い返す。永朽派だったドール達も、多少気性が荒いはずのドール達も、幼い青玉には優しくはにかんでみせたりだとか、多少の躊躇いがあったりしたものだ。けれども今の青玉はもう、子供ではない。コラールが翼を広げてこちらを睨みあげるその表情は、子供を慈しんでいたあの時の表情と程遠い。

下唇を噛む。味のない、偽の肉の感触がした。

アルファルドの言う戦いたくないというのは、元々仲間だったのだから、というよりかは単に面倒だからだったり、勝算を見出すのが困難だからであるのだが。



「俺は今捜し物してるの。見逃してくれない?」


「捜し物って何。あぁ……黒い卵とか?」


「んー……残念ながらハズレ」



コラールが暗に、外へ出たいのかと問い質す。アルファルドは首を横に振った。くすんだ桃色に足元の青が反射して、淡く紫を孕んだような色を帯びながら揺れていた。

ほとんど膠着状態。コラール自身もこの場をどう制するべきか測りあぐねている。黒い卵を探しているのか、という問いに頷いたならば革命派に寝返ったと見て間違いないのだが、なんだかそういう訳では無さそうだ。

もう、コラールほど派閥に執着している個体でもなければ、派閥だとか、そういうものすらどうだって良くなるほどに混乱している現在の戦況。考えるのも億劫だ、アビリティで目の前のドール達を全員ジャンクにしてしまえば全てが解決するかのようにすら思えてしまう。ただ、コラールのアビリティは音を媒介に衝撃波を生み出すものだから、こんな脆い地下でそれを連発なんかしたら地形の方がもたなくなるだろうことが伺える。無闇矢鱈と争えば、瓦礫の雨に埋め立てられてしまうやもしれない。

それにアルファルド単騎ならばともかく、隣に佇む大柄なドールが見るからに厄介だ。刀を携えたそのドールは見慣れない個体だけれども、佇まいからして戦闘慣れしているのは一目瞭然。どんなアビリティかは知らないが、自身のポジションが危ぶまれる今、無闇矢鱈に争う訳にもいかないだろう。

ひとまずと言ったところか、ほんの少し前のめり気味にそちらを睨んでいた姿勢を正して、コラールがぴんと胸を張った。



「少しでも変なことしたらぶっ殺すから」


「はいはい」


「それと、そこの青くてでっかいの。お前何?」


「僕は……」



コラールの、左半分だけがボブヘアー程度の長さに変わってしまった薄桃色の髪が揺れる。色素が薄いせいだろう、淡く青の光を吸ったそれは毛先に行くにつれて薄桃よりも淡青が勝ってしまって、元の色を忘れていた。



「僕はサファイア」


「ふぅん、そう。お前も変なことしたらぶっ飛ばすから」



ぴっと白い指先が青玉を指し示す。本当にやられかねないな、なんて苦笑して、刀にかけたままの手から力を抜いて、それからぐるりと、広い空間を見渡した。

地下4層。ここが鳥籠だとは思えないほどに、異空間のような見目をした世界。暗くて、冷たくて、果ての見えない水面は焦燥感を煽っていく。もしここが明るい空のもとにあったというのならば、幻想的な風景を生み出していたことだろう。地下にできた滅びの湖。



「いた!もーやっと追いついたっスよ!!」


「いくら焦ってたって置いてくのはナシでしょ〜」



ばさり、翼の音。クラウディオと手を繋いだスティアに、その隣を飛ぶアンドの3人がひと足早く合流した。あとから続いて梦猫、ニアン、カーラ、ホルホルと、続々続いてやってきて、順繰りに水面へ脚先を下ろしていく。

全員が揃うまでの僅かな間も欠かさず好き勝手おしゃべりしてみせるアンドとクラウディオの口はくるくるとよく回っていて、まるでもうひとり__ラクリマが欠けたことでうまれる静寂を押し殺そうとしているかのよう。涙声と呼ぶまでには程遠かったけれども、声音に揺らぎがあるのがカーラからはよくわかった。

ニアンだけがほんのちょっぴり居心地悪そうに後ずさっていて、ちゃぷちゃぷ音を立てる沢山の波紋から距離をとっていた。

派閥。

それはある程度秩序が保たれているからこそ名乗れるようなもの。



「……なんでお前ら革命派と一緒にいるの?」



秩序があろうとなかろうと、意に介さないドールだっているのだが。

ぎゅっと引き絞られた弓矢がこちらに向けられているかのよう。先程まで柔和だったはずのコラールの纏う雰囲気が、たった数十秒ですっかり変わってしまっていた。

戦闘を避けたはずの相手だったが、地雷を踏み抜いてしまったのだろう。逆鱗を弾かれた牙持ついきもののように、コラールの翼がぶわりと膨れる。先立って警戒したのもあったアルファルドと青玉が、誰より早く身構えて。



「皆構えて、」



言い切る前に轟音。

神を讃えるはずの聖歌が、理想を讃えて悪しきを滅する為だけに歌われる。慈悲なんてものはなかった。

ドッと空気が爆ぜるみたくその場の均衡をぶち壊してしまって、頭の割れそうなほどに強まった音圧がドール達の身体を殴る。あまりの衝撃に巻き添えをくらったのだろう青い地面も軽く抉れて、跳ねて飛び散る飛沫と共に宙を舞った。ビリビリと身体の根底から震え上がるような痺れを元より傷を負っていた梦猫が、口から黄金を零すままに膝を着いて沈んだのが伺えた。ぴしり、アルファルドの脆くなった脚にヒビが入る感覚。

青玉もこの衝撃波の中、誰よりも安定した姿勢で構えてこそいたけれど、身体の奥底からヒビが走って、一息に壊れてしまいかねないような凄まじい圧に冷や汗が落ちる。新しい、前へ進み出したばかりのこの身体で渡り合えるか怪しい。

地に伏せた梦猫に反射で反応してしまって、気を取られたのだろうニアンも体制を崩してしまった。アンドも、アビリティの酷使だったり長時間休みなく動いた反動でそろそろ限界だ、ふらつく足を踏ん張ってこそいるものの、このままではどれほど持つかわかったものではない。



「ぅ、ら゙るくん、ラルくん!まっぇ゙、やめようよぉ……!!」



轟音が弱まる。梦猫がボロボロの身体を持ち上げて叫んでいた。ほとんど涙声になってしまっていたから、揺らぎの酷い叫びになってしまったけれど、辺りにいるドール達の意識を削ぐには十分。コラールの衝撃波がほんの少し緩まった。

休む間もなく、もう一度声を張り上げる。もう限界間近のボディは、むしろどうして今まで動けていたのかが不思議なほどの損傷率だ。いくらアイアンの黄金を使って即席の修理をしたとはいえ、その強度は元々の数分の1にも及ばないに違いない。

梦猫の声に、コラールがとうとう衝撃波を放つのをやめた。長らく歌っていたが故の疲労を抑えるためなのか、本当に梦猫の話を聞く気になっての行動なのかはわからない。

ただ静けさの戻った空間に、ゆらゆら揺れる桃色の髪。



「ラルくん、マオ達、もうね、たたかいたくないよ」



身も心もすり減るだけだ。寄れば遠のき、遠のけば寄る。そしてもう一度遠のいて、また寄り添えるだろうとおもったならば、手の届かぬところで弾けて消えるようなドール同士の争い。無益だ。無意味ではないし、なんならば意味と持論で満ち満ちていたけれど、誰一人として“ 勝者 ”と呼ばれるべき存在は現れていない。

終わらないのだ。鳥籠が開くか、ドールが全員死んでしまうかしなければ、これは終わらない争いなのだ。



「……お前らが戦いたくなくっても、ボクは、戦ってでも示したいものがあるからやめないよ」



冷えた氷のような瞳。梦猫の赤い眼とは似ても似つかない青い瞳は、春の空色に最も近しい色だろうに、その場のドールたちの中で一番空を望んでいない瞳だった。

梦猫の頬を、今一度大きな塩水の粒が伝い落ちる。水の匂いに紛れてしまった微かな涙の香りは、梦猫の知るそれよりも、なんでか遥かに塩辛かった。

今一度喉元に手をやる。青玉やクラウディオが構えたけれど、コラールは現状多数対単騎の圧倒的不利な戦況に置かれている。どうするべきか。カーラは未だ分からないからともかくとして、梦猫は恐らく永朽派としてカウントすることはできないだろう。クラウディオの背後でじっとしているスティアも、最後尾で困ったように眉根を下げているニアンも。

あからさまに敵対していると思うべき相手は、サファイアと名乗ったドール、ホルホル、アルファルド、クラウディオ、アンドと総じて5機。一手に、コラールだけで相手取るには手厳しい。ならば。



「……まとめて潰してやる」



ドールを一体一体戦闘不能にしていくのは、手間も時間もかかる。

だったらまとめて潰してしまえばいいだけの事。先程は地形の方が危ういだろうと懸念していたのを逆手にとって、寧ろそれを利用すればいい。すうっと喉元に空気を呼び込んだらば、そのまま少し首を逸らして、上へ、いもしない神に歌を届けるみたく、上へ向かって声を張った。



「ニアン!!立て、梦猫は僕が守るからお前は死なないことだけ考えろ!」


「し、なないことだけ、」



どんと、今一度空気が震え上がる。こちらに向けて放たれたわけでもないのだから、ドール達は先程よりもしっかと脚を地につけていた。ぱらり、石のつぶが頭上から降ってきて、やがてガラガラと巨大な何かが崩れる音。天井を丸ごと破壊して、全てを一気に片付けるつもりのコラールを睨みあげたらば、とうに青玉が駆け出していた。

水面を蹴る。多少水を吸って重くなってしまった足元に力を込めて前へ。翼を広げ、刀の柄をきつく握ったままの右手をするりと眼前へ踊らせた。狙うはコラールの喉元。殺す必要は無い。武器を奪えばいいだけ。武器を奪えば争わなくて済むのだ、青玉の想う仲間達が死なずに済むのだ。

突っ込んできた青玉に気が付いたのだろうコラールが、ぐっと膝を曲げ身体を沈めることで横一閃を回避する。小さな体を活かして、青玉の刀を振った右手の下をくぐり抜け、ぐるんと一瞬のうちに背後に回ってみせた。そのまま飛び立つ。青玉の刀の間合いへ入れば避け続けるのも難しいだろうことは明白だ、一息に飛び上がって高度を上げたコラールが、更にもう一喝脆くなった石の空へ。

今度こそ崩れた。決定的な崩壊でこそないものの、落石としての規模はかなり大きい。相当な量の瓦礫達が降ってくる。弱ってしまった梦猫を抱き上げて、頭上に影を落とした瓦礫を走って避けた。石が沈んだ反動で高まった波が足をとる。ぐらついた身体を狙うように、また上から瓦礫が降ってくる。



「戦えないヤツは退くんだぞ!」



ホルホルの声に従ってか、戦闘能力の低いドールだとかは下げられた。落石の影響を受けない範囲へ撤収するべく背を向ける。それを許すようなコラールではなかったから、その背に向かってもう一度。



「させない」



視界をちかちかひかる青が遮った。ぎゅんと回った銀の牙。コラールの、残った右半分の長い髪も掠めていって、ぱらりとそれを切り裂いた。逃げたドール達に攻撃することは成せなかったけれども、この状況ではそれよりも何よりも、目の前のこのドールを相手取ることを優先すべきだろう。



何人なんびとたりとも、もう二度と僕の家族を目の前で傷つけることは許さない」


「ならボクはボクの理想を邪魔するやつを許さない」



散った長い髪には目もくれず、刀を振るったそのドールをコラールの瞳がきゅうっと細められて見据える。ただ、どこまでも青かった。


追撃。


ぐんと踏み込んだ青玉の右腕が振るわれて、つい先程まで聖歌を紡ぐ金の人形が座した空間を横一閃。銀のきっさきがもう一度コラールの乱れた毛先を切り裂いた。回避。前のめりに沈むことでその太刀筋を回避して見せたその危なげない動作は余裕を見せつけるようにすら見えたが、避けて見せた本人であるコラールのこめかみには冷や汗が滲んでいた。

ほとんどまぐれだ!高いプライドと生存本能とに火がついたみたく身体の熱がグッと上がって、そのまま身体を前倒し、青玉の振るった右腕の下をくぐって背後に回る。青玉の方が身体が大きいものだから、身辺、刀の間合いの内側に入ればそのリーチの死角を陣取れる。背後に回って、青玉が右脚を軸にぐるりと身を翻すの読み当てる。広げた翼で思い切り空をつかみ、重力を忘れた花弁の如くその身の高度を上げてみせた。

そのまま上へ。空中で刀を振るうのと、地べたで刀を振るうのとでは天と地ほどの差があるだろう、青玉のもつ飛行速度に上乗せする形で刀を振るえば、確かに凄まじい破壊力こそ生み出せる。けれども操作精度は落ちる上、刀を扱うにあたり最も重要としても差し支えない、踏み込みが一切できなくなる。

どうしたものかと一瞬のうちに逡巡しゅんじゅんする。ふと、コラールがあまり高度を上げていないことに気がついた。精々10メートルも行くか行かないか程度のところで高度をあげるのをやめていて、ほんの数拍の間だったがホバリングだけでその場に留まる。ちらりと逸れた水色の瞳の視線の先にはアルファルド。“ 加重 ”を警戒していることは明白だった。じいっと、落石に気を配りながらこちらを傍観しているそのドールは、飛行戦になった途端、その場にいるだけで強大な牽制力を発揮する。

遠慮はいらない。黒髪を靡かせた青玉が、巨大な宝石を削ってうんだ芸術品のような両翼を広げて飛び立った。天使と謳ったドールから、声と牙とを取り上げるため。仲間を守る為の刃は、きっと誰より鋭く、硬く、正しいはず。

対抗して空中にその身を投じた青玉が、地べたから一文字にコラールの元へ突き飛んだ。ぐっと速度を上げて突っ込んできたソレを回避すべく高度をあげようとしたけれども、アルファルドの存在が大きな枷となってしまう。躊躇った。横に逃げようとしたけれども間に合わなかった。



「ぁ゙がッ、ぐぅ!?!」



突っ込んできた青玉が、刀の柄のかしらの部分でもってコラールの腹を強く打つ。そのまま殴り払う形でコラールの身体を吹き飛ばした。幼い子供の形をなぞっていたころには大きく見えたその身体も、今では小さくて、軽くて、酷く脆く感じてしまって仕方ない。

宙でバランスを崩せば大なり小なりダメージだけが待っている。宙で制御を失いかけていた身体には力を込めて、慌てて身を立て直し、ふらつきながらも2本の脚で着地を。足元が滑る。あまりの勢いに、青の柔らかな地べたがずるりと削げて滑ったのだった。

青玉も追うようにコラールの眼前へ降りようと高度を下げたが、きつく、鋭く、挙げられた顔に収まった空色の宝石二つに睨まれて、判断を違えたことを悟る。距離を詰めすぎた。青玉の刀の間合いは、コラールの超攻撃の範囲に等しい。

豪奢なシャンパングラスを割るかのようだった。あっという間に翼の内側の柔いところにヒビが入って、あまりの風圧にきらきら、ちかちか、透き通る羽が散っては落ちる。ニンゲン部分のパーツは酷く痺れるだけで済んだが、ニアンやアイアンが残した翼へのダメージは大きかったらしい。全壊、半壊とまではいかないが、これでは空を満足に飛べたものでは無いだろう。悠長になんてしていられない。体を庇っていた腕を退けて刀を振るう。

コラールの頬を裂いた。ぴっと筋を刻んだ黄金が散って、ほんの少し痛みに歪んだ表情が視界を焼く。

怒りに満ち満ちた愛らしい顔がブレる。喉元に白い手。今一度、どんっと空間を潰し殺すような神の歌。身を右に捻って避けて、捻れた身体のままに腕を引く。抜刀。

衝撃波を撃った直後の、ほんの一瞬の隙。

首を、とらえて。



「____あ゙、?」


「な……!?」



横に振り抜いて切り飛ばした、はずだった。

確かに刀は、コラールの首を横切りでもしなければ到達できない座標にある。けれどもコラールの首は繋がったまま。奇妙な感覚がコラールの首筋を這い上がり、存在しないはずの脳髄を締め上げるみたく頭を冷やす。首が飛んだ。間違いなくニンゲンだったならば死んでいた一撃を、くらったのにくらっていない。なんだかおぞましい感覚に吐き気すら覚えたが、すぐに好機と捉えてみせる。

今確かに斬ったはずと目を見開く青玉の顏は目の前だった。



「____よくもボクの首リーダーのものに刀なんてかけてくれたな」



開いた瞳孔が、青玉の碧眼をまっすぐ見据えて、桃色の唇が大きく開かれた。

爆ぜる。

頭が、首から上が。

コックピットのもげた飛行機が墜落するのは当然で、頭を失ったドールが機能を停止するのも当然。けれども青玉も無事だった。

ビシビシと頭の内側から弾けるような感覚。不思議と痛みはなくて、ああ、今、頭が無くなったと確かに思ったのに、視界は明瞭なまま。

吹き飛ばしたはずの青玉の頭も無事だったものだから、コラールが思わず後ずさる。たんっとバックステップで水面を蹴って、ひとまず青玉からは距離をとった。青玉は追わない。自身の身に走った末恐ろしい感覚に、未だ身体が慣れていないから、このまま追っても混乱のままに太刀筋狂って滅ぶだけ。



「__シリル兄さん?」



名を呼ぶ。振り返る。丁度合流した所だったのだろう、目を見開くリベルとシアヴィスペムがそこにいて、そのまた向こう、後方。ルァンの隣、崩れかけの頭を抑えてうずくまるシリルの姿がそこにあった。

シリルのアビリティは他者の怪我を、2割程度に軽減した上で自身の身体に引き受ける。痛みは10割。見に受けた攻撃の全ての、100パーセントの痛みが、衰弱しているシリルの心と身体を削る。



「ゔうぅえ、ッ、げほ、ォ゙えっ、ァ、あ゙」



かつては、目を焼くほどに焦がれた理想を軸にしながら異様な熱量を生み出して、それで不思議と耐えていた。今はどうだろうか。支えがない状態の飛べない鳥は、片方の翼をすっかり無くしてしまったも同然の鳥が、誰かの痛みを引き受けてなんていられるはずがあるだろうか。

なくして初めて気付いたけれども、存外、自分はあの人のことが好きだったらしいことを思い知る。ルァンの言葉で、ホントは見てもいなかったのを思い知ったけれども、それも過ぎて一周回り、やっぱり、案外、純に好きだったのかもしれないなんて思った。もう遅いけれど。



「シリル、大丈夫かい?立てるかな……?」


「る、るあ゙、ッ、ゲホッ、ァ゙、ッ!!」



ヒビの入った唇を彩るように喉の奥から黄金が溢れた。口を抑えた手の、指の隙間からボタボタ零れる金色の血。目眩がする。背中をさすられている。低いはずのルァンの体温が、まるであの人のもののように高い熱を持っていて、あの人に背をさすられているかのよう。


シリルはもう使い物にならない。


ルァンがすうっと目を細める。ミュカレと檳榔子玉の大怪我を近距離とは言え一身に受け、その後にコラールと青玉の分まで身に受けた。かなりの距離があるというのにほとんど全ての怪我を移しきったのは、一重にクレイルのコアのせいだろう。アビリティで強化を受けたシリルは、性能を十分に発揮させすぎた。

ルァンの計画では、“ 代替 ”を発動させるのはコラールだけで、青玉は見殺しにするつもりだったのだが。アビリティというか、シグナルの影響でも受けたのだろうシリルが、脅威の執念でその顔を上げ、青玉までも守って見せたのは想定外。

ルァンにとって、成長してしまった青玉は少々邪魔なドールでしかない。そりゃもちろん、戦力にはなるだろう。それどころかこちらに好意的な個体であるし、義を尽くす性格であるからルァンを無碍にしたりしない。ただ、あまりにも信念が固すぎる。ルァンの口説でうまく丸め込まれてくれるような“ 都合のいいドールひなどり ”からは外れてしまったのだ。

唯一この場のドールを減らす動機と行動力を備えているコラールを残して、青玉と、それから何体か適当なドールを減らしてくれればそれでよかったのだが。

うまくいかないな。

ままならない。頭に鈍い痛みが走る。慣れてきたけれども、やっぱりこの倦怠感にも似たデバフの影響は大きかった。

そういえば、ルァンがくったコアの持ち主は、狭くて暗いところが嫌いだったか。地上にいた頃も檻を目にすると痛みが酷くなっていたしで、閉鎖的かどうかは関係ないのかもしれない。まさかあの巨大な檻までもを“ 狭くて暗いところ ”として認識していた訳でもなかろう。身体が重い。首から上だけ鉛になってしまったようだった。



「シリル、無理はしなくていいんだよ」



優しく声をかけてやったけれども、動かない。動けないのだ。ほとんど機能停止寸前だった。

壊れられても処理に困る。このアビリティはまだまだ役に立つはずなのに、こんな所でお荷物になってしまっては意味が無い。小さく、誰にもバレないように息をついて、シリルから視線を外した。



「革命派のクセにボクのこと庇ったっていうの……?」



シリルが悶えて苦しむのを見ていたコラールが、ようやっと言葉をひねり出す。わけがわからない。敵対派閥の、あからさま革命派仲間なのだろうサファイアを攻撃しているドールを庇ったのか。意味がわからない。コラールには、コラールは、何故自分が憎い革命派の手で守られたのかわからなかった。

派閥だとか、そういうものの前に、ドールだからというのが答えだが。誰も彼にも知る由はなかった。



「庇ったこと後悔してもしらないから!!」



守られたからなんだ。自分は自分の思うままに歌えばいい。シリルに集中していた視線がぱっと外れてコラールに集まる。遅いのだ。何もかも。

もう一度、聖なる歌が紡がれる。美しい声音は増幅されて、地下空間に甲高く轟いて、とうとう広がっていただろうヒビの全てが繋がった。卵の殻が割れるように、ぐしゃりと天井の輪郭が崩れる。動けるドールは回避に努めるだろうが、これだけ広範囲に瓦礫を降らせたならばひとりは何かパーツを損失することに違いない。翼がボロにされてしまって、ほとんど飛べなくなった青玉が駆け出した。それとは反対方向に向かって飛ぶ。翼を広げて、瓦礫に飲まれる革命派のドール達から距離を取ろうと羽ばたいた、けれど。



「不思議でたまんないよねぇ、誰かが空飛んでるの見ると、イライラするの」



トンっと肩を誰かに押される。じゃらり、伸びた青い鎖がコラールの身体を蝕んだ。

翼の羽ばたきで宙に浮いていた身体が崩れる。ばしゃんと、空を奪われた身体が水面に落ちて、右半身が濡れてしまって、なんだかすうっと冷えてしまった。

鎖。青い鎖。翼を奪う惨い手だと悲しげに笑っていた人の鎖。縛られても構わないと本気で思っていた青いいと。



「____なんで、それ、返して!!!」



身体を起こそうと吠えたら、今度はずんっと身体が水面に押し付けられた。“ 加重 ”。

やられた。落とされて、それから縫い付けられた。降ってくる瓦礫は自分が落としたものだけれど、それらを避ける術を奪われてしまっては自分も害を被るだけに他ならない。頭上に影がかかったのを察したけれども、半分水に染められてしまった視界の中、悠々と翼を広げてコラールを置き去りにする、紅い翼が離れていくばかり。



「うそ、嘘、返してぇ゙、それはダメ、それだけは、お願い゙おいていかないで!!」



視界も、理想も、全部どこかに行ってしまった。

誰かが駆け寄ってきたような気がする。でも、誰だかわからない。



「おいていかないよ」



涙と青い水で、視界がぐにゃぐにゃ歪んでしまったけれど、長い白の三つ編みが眼前に揺れたのだけはわかった。白と桃色が瓦礫にのまれる。



「“ ​─────── ”」



どうして一度は身を切りあうような言葉を交わした梦猫が、瓦礫の下に埋もれゆくコラールの傍に来たのか。かなしきかな、コラールにはついぞわからなかった。


4層、中央南西部。街といのちが落ちて潰える。







​───────

Parasite Of Paradise

21翽─奪い方から与え方

(2022/05/14_______20:10)


修正更新

(2022/09/29_______22:00)

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