20翽▶波間に揺れる




















「そっちと、こっちは深いから気を付けてねマイディア」


「わっ……ありがとうマイナイト」



密度の高い粘土のような質感の真っ青な足場に、足の甲が濡れる程度の水が張った地下4層。

リベルが屈んでその青をすくい上げたらば、腐葉土のような質感のソレが手のひらの中で淡く光る。よくよく見ると、細かい葉っぱのようなものがぎゅうぎゅうに押し固まってできた物のようだった。

カコウジョ方面__西側に行くに連れて段々と、緩やかに深くなる傾斜。ミュカレが数歩西に足を進めた檳榔子玉の手を取って、まだ浅い方へと引き戻す。伝え聞いた海に限りなく近いのだろう風景に少なからず興味があるのだろう。



「リベルお兄さん」


「うわ、シアヴィスペム……うろちょろしないでくれる?ただでさえ頭おかしくなりそうな場所なのに、迷子になられると手間が増えるし。面倒なんだよね」


「ごめんね、でも気になって……」


「好奇心なんとかを殺すって言うでしょ、お子さま気分も大概にしてよ?」



いつの間にか、隣にいたはずのシアヴィスペムが距離のある地面に屈んでいるのに気が付いた。声をかけられたことでほんの少し強ばったリベルの肩も、相手がシアヴィスペムであるとわかればするりとほぐれて。

地べたを嫌っていたシアヴィスペムが、地に足つけてその土踏まずを僅かにでも汚しているのは珍しい。近寄って、肩が触れない程度の距離にリベルも屈む。

青白い何かが、不気味な程の青の中から顔を出していた。



「これなんだろう」


「……出してみる?」


「うーん、出して大丈夫……?」



青い地面は柔らかいと称せやしないが、硬いとも称することができない妙な質感だ。手刀に力を込めて掬いとるように押し込めば、比較的簡単にその滑らかな平面をえぐることが出来るだろう。

ぐっと、指を揃えて、その白い何かから周りの青をこそぎとるように。



「こんな感じのおもちゃあったの思い出すなぁ」


「なにそれ」


「えっとね、砂をギューって固めたやつの中にキラキラした石とか、小さいフィギュアとかが入ってて……砂をガリガリけずって、中からそれを出すおもちゃ」


「ふぅん、そういうの流行ってたの?興味無いけど……」



幼少期を森で過ごしたリベルは、大通りで安く叩き売りされていた雛鳥向けの玩具のことなんて知りやしない。知らないの?なんて言葉をかけることも無く、ただ、自分の知っているソレを伝えて、分かちあって、ほんの少し知ってくれさえすれば無理に興味を持たなくたって構わない。

青をけずって、ほうって、少しずつ少しずつ、その白い滑らかな物体の形を暴いていく。シアヴィスペムが反対側から協力しようとしたのを、少々きつい言葉で押し止めた。戸惑うようにその手を左へ彷徨わせたけれども、すぐに、ほんの少し照れくさそうにはにかんで、それから薄く色づいた指先を引っ込めた。

リベルがあまりにも青い視界にあれこれ言いながら白い何かを探り当てるのを待つ。永朽派へと身を翻した2体のドールをぼんやり眺めて、それからリベル、そしてシリル、ルァンへと順々に視線を流していく。

革命派と、曰く付きこそあれど永朽派。対立する派閥だと言うのに、剣を向け合うことも敵意を向け合うことも無く、ただ空間を共にしていた。ここへ来るまでの間の短い時間でこそあったけれど、ほんの少し、ミュカレと檳榔子玉を説得できないかと考えた。考えたけれど。

2人は戻るつもりがないらしい、ほんの少し悲しげに目尻を下げた檳榔子玉が首を横に振って、ミュカレもそんな檳榔子玉と寄り添ったままに無言の拒否を続けていた。革命を起こすつもりは無い。もう、外を望まないというかつての仲間の目は、争いたい訳では無いことだけが明白で。怒鳴るに怒鳴れない、行き場のないやるせなさだけがシアヴィスペムの胸奥をじりじりと焦がしていた。



「うわっ」



とうとう目当てのものを引っ張り出したらしいリベルが驚嘆の声をあげたものだから、その場のドール達の視線が一気にその背へ集中する。隣にいたシアヴィスペムは屈んで、ほんの少し距離があったルァンとシリルはゆっくりとそちらへ。すっと目の前に差し出された番の手を取り、檳榔子玉もそちらの様子を伺う。



「これって……」



疑うような声。普段のテンションがなりを潜めたシリルの声は、なんだか重苦しく聞こえてならない。

見たことがないはずなのに、見覚えがあった。青の中から引きずり出されたのは白い足で、足首から一番遠いふくらはぎ、その断面は激昂する青空のような液体混じりの黄金。



「ヘプタの脚だね」



ルァンがじいっと脚を見て言った。見覚えがある。目に痛いほどの青と、凡そ膝間接の下あたりから先のない脚。

ぽたり、水の落ちた光景に、リベルの頭がズキンと痛んだ。



「あっ……ゔぅ!?」


「リベルお兄さん!!」



ニンゲンで言うならば大脳辺縁系、海馬、記憶を司る肉の場所。頭の深いところからガンガンと殴りつけるような痛みが鈍く走って、それから暗転、細めただけのはずだった視界が真っ暗になったような気がした。

色味が落ちて、真っ暗になった視界にぼんやり映る誰かの記憶。リベルは俗世とは遠い暮らしをしていたから、見たことがなくわからなかったけれども、知るものが見れば、映画館だとか、シアタールームで流れる邦画のワンシーンのようだという感想が出るに違いない。

閃いた銀色が二体のドールを貫いて、片方からは青い飛沫があがり、それが拡がって青く、青く、視界を侵していくところ。青い血。ルフトの記憶がリベルの中に溢れ出て、鈍い痛みと共に存在を主張してやまない。

ヘプタは負けた。鳥籠の中の生存競争に。負けたと言っても、ヘプタが残した傷は深く、それでいて確からしく、暴虐的なルフトの怒りを助長しながらリベルの中に宿っている。ルフトは自分でトドメを刺したドールから食らわされた一撃に、アビリティに、まだ怒っているのだ。

そんなリベルの中のルフトがここまで反応しているというのなら、これがヘプタのものでないはずが無い。ヘプタの脚で間違いなかった。どうしてここに。



「リベルお兄さん、大丈夫?」


「……別にちょっとクラっときただけ。っていうかこれ何、趣味悪すぎでしょ……」



近くにもう一本あるんじゃないか。首を回して辺りを見渡すが、せいぜい50メートル先程度しか視認のできない青い世界だ、地面からほんの少し飛び出た脚を屈んだまま、首を回しただけで見つけるなんて無理がある。

腰を上げて、大きな翼の先に着いた水滴を払った。リベルの足元はブーツであるからあまり水を吸っていないが、シアヴィスペムやルァンはそうもいかない。

足裏の布が肌にくっつくような不快感にソワソワするシアヴィスペムも、水を吸ってしまった衣服を軽く持ち上げて絞って見せたルァンも、ほんの少し不快そうな顔をしている。顰めた顔を平素のものに整えて、それならじっと、持ち主なき脚とえぐれた地面とを観察していたルァンが、軽く息をついて口を開く。



「恐らく、ここは貯水庫か何かだと思うんだけれど」



広大な空間。

本来ならばここまで浅くはなかったのだろう。今は足首が浸かるか浸からないか程度の水しか張っていないが、この青く柔い地面がなければ底も見えないような深さをたたえていたに違いない。



「足場がヘプタのアビリティでてきていて、貯水庫としての役割を果たしていない」


「これのせいってこと?」


「だろうね」



リベルがぶらんと垂れ下がる脚を持ち上げた。持って帰るの?と首を傾げた檳榔子玉へ、ほんの少し鬱陶しそうな__わかるものが見れば、言いにくそうなだけの表情をして見せて首を横に振る。

持って帰ることはしない。持ち主がもういないのだから。リベルの中にあるコアは、リベル自身のものとあわせて全部で3つ。 ひとつはルフト。もうひとつは、ラフィネというドールのもの。リベルはラフィネとの面識こそあれど、あまり詳しく人柄を知っているわけでもなかった。図書館で時折会う、物静かなドール。ルフトのコアからぼんやり伝わる記憶と感情とで、なんともなしに知覚したそのドールの存在は、あまりにも無抵抗で諦念的だった。

ルフトからはかなりの影響を受けていると認識できるが、ラフィネに関しては非常に大人しく、ラフィネの記憶やら意識やらでリベルが痛みに苛まれることも無い。



「ぜーんぶヘプタくんの青ってこと……?」



シアヴィスペムが困惑するように眉尻を下げて、それからふわり、白くくゆる髪を揺らして辺りを一瞥してみせた。

リベルもルァンも、ヘプタの“ 青 ”の真意について、全てについて知っているわけではない。ずっと持ち主のいない脚を片手に駄弁るわけにもいかないが、これをそのまま放置という訳にも行かないだろう、どうするべきかと考えあぐねていたら、奥から誰かの歩む音。

チカチカ光る白い玉が、ゆらゆら、蜃気楼のような陰を伴ってやって来た。傍についてまわらせるように、小さな蝋炎の精を引き連れて。



「こんばんは」


「アルクさん……」



すっと前へ出たルァンが、ふらりとバランスを崩して倒れかけたのをシリルが支える。シリルは先程からずうっと黙りを貫き通していたし、今にも死んでしまいかねないような悲壮感に溢れた表情かおをしていたが、ルァンを助けようと前へ出たことでようやっとその表情が焦りの色を帯びていく。何かあったのは明白だった。

支えられたルァンもルァンで、合流してからずっと体調が優れないらしい、時折口元を抑えては、くらくらとふらついてばかり。

心の内で悪態をつく。取り込んだコアがルァンの中で、大して暴れていないはずなのに強烈な拒絶を示してやまなかった。目眩がする。クラクラする。吐き気がしてやまないし、地下4層という閉塞的な空間に来てからは妙な焦燥感に駆られてしまって落ち着いてだっていられない。

相性が悪かったかと、誰にも悟られないよう喉の奥で舌を打った。

俯いたルァンを心配したものの、当の本人が平気です、と薄い笑みを浮かべたものだから手を引っこめる。アルクは、いつもの表情のままだった。



「その脚はどこで?」


「…………関係ないでしょ」



永朽派だと言うことも相まって、酷く警戒している様子のリベルがつっけんどんにそう返す。いつ攻撃されてもおかしくないのだ。

ガーディアンが言うには、あの時拠点で見た資料の情報と何ら変わらないアビリティ__攻撃性の低い能力の持ち主とのことだったから、目の前の相手が急に襲いかかってくるだとは思っていない。けれども、警戒しないわけにいかないだろう、急に現れた白の紳士に、簡単に気を許せるはずがない。


リベルの、情も何もなさそうな返事に、アルクがくすくす笑う。それからぐるりと辺りを見回して、尽きぬ好奇心のまま滔々と。



「つい昨日のことだけれど、青い草を身体から生やした猫を見たんだ」



貯水庫いっぱいに広がった青は、水に溶け込んで薄まって、毒となってはゆっくり鳥籠を蝕んだ。一体どうしてこの貯水庫にヘプタの脚があるのかはわからなかったけれども、アルクの好奇心を疼かせてやまなかった、鳥籠を西から蝕む青い毒の正体が、ようやっと目前に晒される。


貯水庫にヘプタの脚が、何者かによって投げ込まれた。染み出した“ 青 ”は鳥籠の底に根を貼って、青い結晶を作り出し、こうして地下4層に広大な足場を生み出して。

貯水庫から、根元からダメになってしまった水は、故障した湿度管理装置を逆流して雨となって降り注ぎ、啄木鳥の森から水面となって拡がって、鳥籠をじっくりゆっくり殺していった。

雨水を飲んで生きてきた動物達も、身体に溜まった薄い“ 青 ”が致死量に達すればその身に青が顕現する。遅かれ早かれ、あの水と共に生きてきた生き物達は梦猫に抱かれていた猫のように死んでしまっていたのだろう。

ここ10年少しで鳥籠の滅びの速度が加速したのも、地上の建物の老朽化が早まったり、強度が落ちたりだとかそういうものも、染み込んだ“ 青 ”が耐久性を落として、滅びを早めていたからだろうかと一人思案する。

地下二層が早々に滅んで朽ちてしまったのは、上に降り注いで、それから下へと染み込んできたソレを余すことなく受け止めてしまったからだろうか。使える浄水場のフィルターか何かも、きっと“ 青 ”にやられてしまって、水が溢れ出したりでもしたのかもしれない。それであんな、彼岸花の代わりに青ばっかりが咲く地獄のような光景がうまれてしまったのかも、なんて。

内側から外殻を“ 青 ”に、表面からくらす生き物を“ 赤 ”に滅茶苦茶にされた鳥籠。もう息も長くない。



「あまり長時間この水に触れているのは良くないだろうね」



アルクはそう語って、それからロウを抱き上げた。



「…………ミュカレ、上に出よう」


「どうしたの、セレン。僕は構わないけど……」


「ミュカレ、脚くっつけたばかりなんだから、強度が落ちてるでしょ……」



ちゃぷり、足元で軽やかな水の音。夢に見た景色に近しかったというのに、今はただの毒の沼にしか感じられない。強度の落ちた脚ではどれほど持つかがわからないのだ、檳榔子玉にとってミュカレを失うというのは、それ即ち滅びと同義。少しでもリスクのある箇所からは距離をとるに越したことはない。



「上に行くのかい?」



穏やかな笑みをたたえたままにこちらを見留めたアルクのアースアイと、檳榔子玉の海色の瞳がかち合う。

直感的な印象だったけれど、なんだか背筋がぞくりと震えたような気がした。頷く。首肯に満足そうな表情をして、そうかい、気を付けてねと手を振るアルク。ロウもばいばいと手を振ったから、控えめに手を振り返して別れを告げた。



「行こう、マイディア____」



ずずん、大きく何かが沈む音。

空気が丸ごと振るえて、底から何かが打ち上がるような轟音。揺れる足場、上からはらはらと散り落ちる天井の欠片。遠くに何か大きなものでも落ちたのだろう、ざぷんと高まった波が押し寄せて、ドール達の足元を攫おうと迫り来る。ドール達は翼持ついきものだ、ほんの少しの波程度、どうってことはない、次々と開かれた翼が空気を孕んで持ち上がり、ふわりと宙にその身を浮かす。ざざん、と流れた波から逃げたドール達が、恐る恐る元いた座標にボディを戻して。

崩れる音に、何かが壊れる音にすっかり慣れてしまった。固唾を飲んだシアヴィスペムが、永朽派のドール達をちらりと見遣った後に、仲間達にまた視線を。



「ま、また崩落かも……誰か落ちたかもしれない」


「この高さ、瓦礫に混じって落ちてきたとして生きて帰れるの?地表からだったらそれこそ数百メートル単位だし……」


「この上、多分ギリギリ北通りだよ、もしかしたらドールがいるかもしれない」


「………………さっと見てさっと帰るからね、危なかったら逃げるから。無駄な怪我とかされたらお荷物でしょ?そういうのホント困るんだよねぇ」



後頭部に手を回し頭を搔く様な仕草をして見せたリベルが、そのまま腕をもっと背の方に持っていって胡籙やなぐいに残った矢の数を確認する。先の戦いで壊れかけたコンポジットボウの弦を指で確認して、それからふと思い出した。何も、自分の武器は弓だけではなくなったこと。

誰かを守ることには向いていなかった自身のアビリティとはまた違う。使い方さえ間違えなければ、誰よりも敬愛するドールを、共に生きたい隣人達を守って、救って、前へ進むことが出来るアビリティ。ルフトの“ 守護 ”は強力だった。ただ、あのつるぎ達は誰かを守る為のものというよりも、すべてを拒んでルフトを守る為のものだったから、恐ろしく思えて仕方なかっただけ。今は自分が預かる力だ、使い方を間違えてはならない。守りたいものを守る力があるのなら、それを振るわずしてどうしようと言うのだろう。



「お兄さん達は波の来た方にいくけど、ルァンとシリルはどうするの」


「すぐにでも向かうよ」


「ふぅん……フラフラして倒れたりしないでね、邪魔だから」



翼を広げたリベルとシアヴィスペムが、おそらく崩落が起きたであろう箇所にむかって飛び立った。

怪我をしたドールがいるというのなら、それを保護するのも悪くは無い。手駒は増やしておくに越したことがないのだ。ギチギチと痛む胸を抑えて、ルァンも後を追おうと翼を広げる。飛び立とうとした瞬間に、視界の隅で呆然としたまま動かなくなっているシリルが目に入ったものだから、直ぐにその動作をやめたけれども。



「シリル」


「ぁ…………な、なんだい?」


「こんな時、クレイルならどうしたかな」



びくり、肩が震えた。ルァンの瞳が細まる。

シリルを直した。リーダーだったドールの黄金を使って。それを隠すこともしなかった。その方が都合が良かったから。



「た、助けに行く」



そしてきっと、仲間が傷つこうものなら死に物狂いで庇うだろう。リーダーならどうする。君の理想ならばどうする。どうするかわかっているのなら、それに従って動くべきだ。

シリルが、クレイルそのものを見てなんて居ないことを、ルァンはずっと知っていた。

自己犠牲も甚だしいシリルのそのアビリティは、ルァンからすれば便利だ、という感情を除くと苛立ちの原因でしかない。シリルが傷付くことによって、かの人だとか、ホルホルだとか、青玉だとか、シアヴィスペムだとかがどれほど心苦しい思いをしていたか、シリルはまったく知らないのだ。知ろうともしなかった。

クレイルがあれほど新しい光を見つけて欲しいと言っていたにも関わらず、そうすることをしなかったのは。

革命という刺激に、酔っていたからに他ならない。

とっくの昔にめくらになっていたのだ。恋は盲目。恋する前から盲目ならば、なんにも見えちゃいやしない。シリルが恋しているのは、革命の風そのもので、それを呼び込むひとではない。

ルァンは知っている。だって、かつて自分もそうだったから。



「行こうか、シリル」



都合のいい雛鳥。

危なくなったら守っておくれと、緑の髪がやんわり揺れた。



「ミュカレ、俺達も……」



ちかちか、視界が焼ける白皙光。

しゅるりと光が形を為して、好奇を煽る何もかもに牙剥いた。


何の衒いも躊躇いもない、ただただ心の思うままに振るわれる力。


アルクは生にも死にも興味がなかった。ただ、回り続ける舞台と、その上でスポットライトを浴びる演者達に注がれる好奇心が、滔々と時間を経ては歪んでしまってこうなっただけ。長く生きたドールは、結局どこか壊れてしまうのだ。


きらきら瞬いた白い星の槍が、ミュカレと自分を__檳榔子玉を貫いた。

肩口から利き腕、番は左脇腹から骨盤辺りにかけてを抉られたけれども、不思議と黄金は飛び散らない。



「____げほ、ぉ゙えッ」



背後から濁ったようなしわぶく声。

こちらに背を向けていたはずのシリルがどうにも“ 代替 ”を発動したらしい。目の前で驚いたように目を見開く、白い巫覡と目が合って。



「ルァン……素晴らしい先見の明をお持ちのようだね」


「前々からなんとなく、ね」



視界に殺傷現場が入ったとしても、アビリティを発動するかしないかはシリル次第。だが、ルァンに理想きょぞうを煽られるまま錯乱しているシリルに、アビリティを発動しないなんて選択肢は存在しないだろう。

それにしたって便利だ。“ 振り向いて欲しい ”と思うだけでその通りにドールが動くというのだから、“ 司隷 ”もなめたものではない。

自分のようなドールが持つにふさわしいだろうと目を細めたらば、急にぐらぐら視界が揺れた。こればっかりはネックだと、長い髪を耳にかけ、ほんの少し引いた右脚に力を。



「同じ永朽派で警邏隊なのに……!!」


「世論がうんだ派閥に囚われるなんて、面白みがないと思わないかい?」



派閥に囚われるのは面白くない。派閥を乗り換えたミュカレと檳榔子玉に対して、革命派に恋人のいたアルクだからこそ言えることかもしれないが、如何せん、今はその言葉の凶悪性ばかりが際立っている。

要は、派閥など関係なく、ただただ面白ければそれでいいということだろう。ガンブレードを引き抜いて、それからリロード。弾の残り数は問題ない、無駄な射撃を削げるだけ削げばいいだけの話なのだから。

ミュカレが罠を設置する為軽く距離をとったのを確認して、前衛射撃に神経の全てを尖らせ注ぐ。



「ルァンとシリルは離れて!」



前衛一体に、戦闘向きでない気質のドール一体とサポートタイプ二体のドールではあまりにもバランスが悪すぎる。

つい先程アルクが披露した光の槍はあからさまにアタッカータイプのものだ、陽動も担う汎用性の高いもので、そんなものを相手に前衛一体で三体のドールを気にかけながら戦闘を続けるなんてハードモードもいいところ。

飛び立つのに時間がかかるルァンと、飛ぶことの出来ないシリルが離れるための時間を稼ごうと初弾を鳩尾へ撃ち込んだ。

ぐるり、アルクを取り囲むように現れた光の槍がその鉛玉を焼き落とす。攻守ともに完璧。中距離遠距離に敵はなし。ならば懐に飛び込んで、動きを止めるまで。



「革命派のドールなのに、2人を逃がしてしまうんだね」


「派閥に囚われるのは面白くないって、さっきその口で言ったでしょ」



檳榔子玉のこのアビリティガンカタでは、こんなだだっ広く障害物のないエリアでの戦闘は不利極まりない。

ぎちり、篭手の嵌った手でガンブレードを握り締める。よくよく見れば、つい先程までアルクの腕の内にいたはずの、小さなドール__ロウの姿がどこにもなかった。一体どこへ。いや、それよりも、眼前のこのドールをなんとかしなければ。

負ければ死。別れ。出し惜しみはできない。



「ねぇミュカレ、ずっと隠しててごめんね」



小さな言葉でも、きっと比翼の鳥には聞こえていた。少し距離の開いた位置に座す、濃密な紫が水面のもたらす独特な光の揺らぎを取り込んで、紫水晶のような色味のままにこちらを捉えて。

波間に揺れる黒い髪が、ふわりと淡く切り替わる。



「裏返れ、俺のコア」



発動確認。ゴールドハードモードへの移行。


檳榔子玉のアビリティ、“ 転換スイッチ ”。

自身のフライトスキルを反転、それに伴いボディの能力も反転し、飛行・射撃に適した能力__SilverHeartを、完全な陸上闘争・近接戦闘特化のGoldHeartへ切り替える、能力拡張型のアビリティ。

何度もスタイルを切り替えていれば反動が出てしまうものだから、一度の戦闘にあたり基本は一度までの使用。高揚状態が収まることで、一度の戦闘が終了したと見なされる。

思考能力にもアビリティの影響が現れて、無駄な情報は削ぎ落とし、瞬間判断能力を研ぎ澄ますよう、情報伝達回路すらも一時的に切り替えてみせるその異能。


黒かった髪は、目前の敵の銀に光るソレよりも淡く、白く、色を変えて靡いて見せた。

海の色を望む瞳も、金色に。白金のセレンディバイト。漆黒を謳うその名のままに、誰より眩い色を纏う。

先程までいた施設で見かけた、原初の黄金兵器に限りなく酷似したその身姿に、アルクの口角がゆるりと持ち上がった。



「まだそんな面白いものを隠し持っていたんだね……!」



楽しくてたまらないとでも言うようなその声音。

ニンゲンの手で、ニンゲンの為にうまれた原初のドール達によく似てこそいるものの、そのじつ、この身、ニンゲンの為などではなくて、ただただ愛する1人の為に。



「敵対反応、感知できません。異常な知的好奇シグナルを感知。推奨。迎撃」



ガンブレードの銃口が、切っ先が、目前の巫覡を正面から捉えた。

うっそり微笑むそのドールを見据えた檳榔子玉の姿にほんの少し驚いて、見開いていたアメジストカラーを、ミュカレがゆるりと細める。

その芯に自身がいるならば、裏返ったってその身の柱は自分だろう。檳榔子玉が、自身と番、互いを守る為に隠していた切り札が切られた今、それに応える他の選択肢があるだろうか。足元を掬う備えをしよう。


欲が為、愛が為に争うその姿。

ニンゲンと何が違うと言うのか。




















​───────​───────
















「よいっ、しょ……うんしょ、う、ううぅ……っ!!」



ハンドルを回す。重苦しい鋼鉄のソレは固くて腕が痛むけれども、回せなくもないだろう。踏ん張って、ぐっと身体を押し込み、ハンドルを左に回す。ギュギギ、なんて耳に痛い音の後の確かな手応え。

ぐん、と崩れるバランス。



「んわ、ひゃあっ……!?あ、あいた!」



関の山を超えたらしい、先ほどとはうって変わってするするとその身を回すようになったハンドルを、両の手で回して扉を開ける。

ロックを外して、今度は手前にハンドルを引っ張って、ドアを開ける頃には手がすっかり鉄臭くなってしまった。

カコウジョ。地下3層まで伸びる程縦に長いとは知らなかった。まぁ、それを抜きにしたとしても、知らないことの方が多いのだが。

扉の向こうは、パイプやらダクトやらが入り組んだ、奇怪複雑な工場そのもの。灰色だったり鉛色だったり、無彩色な鉄臭さの蔓延る空間をブーツで踏み締め前へ往く。



「えっと、真っ直ぐ……真っ直ぐでいいんだよね……?」



かつん、かつん、足音の中に紛れる風の音。微かに吹き抜ける風は換気用のダクトから流れ込んだものだろう。換気で入ってきた空気のはずなのに、大して爽やかでも美味でもなかった。

デライアのふわふわした羽が歩みに合わせて小さく揺れる。



『何しに来たの』


「うっ、うわぁぁぁあ!?!?」



撒き散らさないように気を付けていたけれど、不意の声掛けに驚いてしまったものだからその努力はすっかり水泡に帰してしまった。ぶわりと白い羽が散る。

びょんと飛び跳ねてパイプの裏に身を隠した。どこ。どこから!翼を広げてキョロキョロしてみたけれども、辺りは最低限の明かりで足場がわかる程度の薄暗がり。



『名前は?どうやって入ってきたの』


「な、名前!?デライア……」



言ってから口を塞いだが、もう遅い。正体のわからぬ誰かに対して名乗ってしまった己の頭をぎゅうっと抑える。どこから声をかけてきているのかもわからないのだ、こちらの情報を捕まれるばかりでは良くないだろうと身を縮める。



『丸見えだからしゃがんでも意味ないよ』


「ひ、ひぇ……見ないで……」



一方的に視認されているというのは恐ろしい。コチラからは相手の姿が伺えないのだ、対策も安心も到底できたものでは無い。

出てきなよ、とかけられた、ぶっきらぼうなその声に従う。おずおずと通路に姿を出せば、棘のある、子供の声。



『早く質問に答えてよ』


「えう……名前は、デライア……く、黒い卵を取りに来たの」


『ふぅん、とってどうするの』


「……マザーに、渡す?」


『なんで疑問形なんだよ』



声に答えながら、奥へ。奥に進むにつれて道は広くなり、それと共に分かれ道もあちらこちらへ手を伸ばすよう増えてきた。入り組んだ造形に気が滅入る。

目に入る景色のことを考えるのはやめて、聴覚から得られた情報について考えようかと切り替える。デライアは小難しいことを考えるのが苦手だ。けれど、考えなければいけない時は、少しでも状況が良くなるように考える。

この声の主は誰なのか。

カコウジョは、基本的に内部に誰かがいる訳では無いはずだった。地表からは灰色の、平たい工場施設を望むことしかできないその建造物には謎が多い。中に通じる出入口のようなものは無く、あったとしても、食材や素材が吐き出されてくる巨大なスクエアダクトが2つだけ。そこを逆走しようとするドールもいたことにはいたのだが、途中で絶対に、黒い壁のようなものに引っかかってしまって奥になんかは行けなくなるらしい。

この声の主は、カコウジョの中のどこかにいるのだろうか。

主電源装置室ってどこだろう。



「あの、ぅ、主電源装置室ってどこですか……」


『詳しいな、お前。名前……デライアだっけ。それ誰から聞いた?』


「レヴォ……っていう、えっと……友達」



あれを友達と呼んでいいものだろうか。言い淀んだけれど、けっきょく友達と言い放つ。騙されていたと知っても、友達として過ごした時間が楽しかったという事実が消える訳では無い。まぁ、デライアはほとんど眠らされていたのだろうが。



『レヴォ?』


「え?うん、レヴォ……」


『へぇ、僕の名前と同じ名前のドールがいるんだ』



変なの。そう言い放った、スピーカーの向こうの声が、少しテンションを落として名乗りを上げた。



『僕はレヴォ。ねぇ、デライア、母様のところまで卵を持って行って、どうするの』



足を踏み出したらば、ずるりと上から鉄が降る。ガチャリ、アームのロックが外れる音ともに、デライアの眼前に巨大な銃口が降ろされた。

息を飲む。

銃は絶対数が少ない代物であるから、あっちこっちに流通している訳では無い。けれど、知られていないわけではない。ドールでもコアに鉛玉をくらえばタダでは済まないだろう、ただ鉛玉を放つだけの無機質な金属塊。シンプルで、複雑な条件を持たない武器。アビリティ程ではないにしたって、十分な脅威だった。

おそらく一発や二発放つだけでは済まされないのだろう、知識があればミニガンとわかる形状のそれに足がすくんで身が凍る。

デライアのアビリティは防御もできるが、それはあくまで衝撃から身を守る為のもの。切り傷だったり、銃創だったりには弱いのだ、こんな至近距離で銃を受ければ一溜りもない。

どこかから見られている。ならば。



「……星」


『星?』


「星を、見に行くの」



青ざめて、震えの止まらぬ肩を自らの手で撫で下ろし、腰の引けた姿勢だったのをピンと正す。

まっすぐ前を向いて、胸を張って、真ん前に降り立った銃口を見据えながら、声の震えを打ち払った。

怖い。怖いけれど、それで止まっていてはいつまで経っても“ ライ ”になれっこない。外を目指すと決めた以上、いつまでも同じところで足踏みしている訳にはいかないのだ。

スズモに飛び方を教わった時のように、新しい進み方を見付けなければ、いつまでたっても動けない。



『……主電源装置室は突き当たりを右に行った所だよ』


「………………へっ?」


『何?教えてやったんだから早く行きなよ。僕はちょっとここから動けないから、カメラ越しに見張って話しかけるしかできなくてね。僕も黒い卵が欲しいんだけど、取りに行こうにも行けない。案内くらいはしてやる』



ちなみにその銃壊れてるからただのガラクタだよ、と呑気な声が付け足される。

恐る恐る身体を右にずらして、そのままそろりと前へ。銃達は無音のままだった。デライアを追うこともなく、ただただ降りてきた時と同じ形をそのままに、虚空を睨んで固まっていた。

なんでも、10数年前に来た侵入者を迎撃したっきり、とうとう動かなくなってしまったのだとか。配置場所を変えるためのアームは生きているものの、鉛玉を打ち出す為の肝心な本体が壊れてしまっては意味が無い。

電源となる黒い卵を、マザーの望みを、不届き者から守る為の道具が死んでいる。それははたして、大丈夫なのか。



「ね、ねぇ、ボクに教えちゃっていいの……?」


『べつに。外に出たいんだろ?なら母様の欲しがってる黒い卵が必要だから……それをお前に取ってきてもらおうと思って』


「えぇ……」



自分で取りに行けばいいのに、と思わないでもなかったが、確かスピーカーの向こうで身動きが取れなくなっていると言っていたのを思い出す。

管理人かなにかなのだろうか。



『お前、コアいくつもってる?』


「うぇ……!?ひとつだよ!?」


『…………困ったな……頼れるドールにコアをいくつか持ってる個体はいる?』


「心当たりないよ……」


『クソッ!』



バン!!と響いたなにかになにかがぶつかる音。台パンでもしたのだろうか。

“ 巣箱 ”に入ったら、並のドールでは動けなくなってしまうのだそう。

コアをいくつか手に入れて、マザーの出すシグナルに反抗できるようにならなければ“ 巣箱 ”の中へ足を踏み入れることができない。

黒い卵を手に入れられても、目的を達成することが出来ないかもしれない。



「…………ないなら……」


『まさか……取る気か?コアを手に入れるってどういうことか分かってるのか!そこまでさせたい訳じゃ……いや、時間が無いのは確かだけど……!』


「えっ!いや、違くって……ボクがとるわけじゃないよ!でも、もしかしたら他に、コアをいくつか持ってる人、いるかもしれない」



先程までいた場所で、雄彦の起こした旋風からロウを守ったアルクはオレンジ色の光に包まれていた。あれは間違いなくアビリティがもたらした光で、アルクじゃない、誰かのもの。

年上のドール達なら、何か知っているかもしれないし、力になってくれるかもしれない。デライア自身が届けられないというのなら、届けられる者へバトンを繋ぐのもありだろう。


目前に現れた白い扉の取っ手を押し下げて、奥へ。とうとうソレと相見える。



「……ボクも力になりたいんだ」



滅びを待つだけじゃない、希望だってあることを、知らしめるその力に。派閥だとか、そういうものでは遮れない方へ。ボクは、ボクの思うままに。

いっそ神秘的なまでに無機質な機械で満たされた空間の奥、黒い玉石が、まるで籠の中に囚われた鳥の卵のように、パイプに囲まれ座していた。









​───────

Parasite Of Paradise

20翽─波間に揺れる

(2022/04/30_______14:35)


修正更新

(2022/09/29_______22:00)

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